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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
16/56

十五ノ怪

「待って!」


 聞こえた音にわたしは叫んだ。

 不意に途絶えた琵琶の音に不安が滲む。


「……鬼さんが戻ってきた。早くここから離れたほうが良いわ」


 わたしは声を抑えながら格子の向こうにいる青年に囁いた。ごくりと生唾を飲み込み、青年に帰るよう促す。もし鬼に話をしていたのを感づかれたら、二人とも何されるか分からない。


「鬼さんに気づかれる前に早く行って」


 間もなく桐の戸から鍵が外れる音が聞こえ、慌てて口をつぐむ。開かれた隙間からゆっくりと紅い影が覗いた。


「あぁ~まったく。話が長いじじぃカナ」


 ぼやきながら紅い鬼がのそりと部屋に入ってくる。気づかれていないかそわそわしながらも、わたしは誤魔化すように口を開いた。


「お帰りなさい。早かったですね」


 ぎこちなく笑い鬼の機嫌を伺う。それがまずかったのか、鬼がやや片眉を吊り上げてからわたしの顎を人差し指で上げると、目を細めた。


「どうした?」


「な、なにがですか?」


「顔が赤いようだガ」


「え……赤い、ですか?」


 顔が赤くなるような事なんてあったかな。むしろ格子の外にいる青年が鬼にばれていないか、怖くてお腹の底から冷え冷えしているんだけれども。


「なんだ風邪でもひいたカ? どれ、暖めてヤル」


 鬼が指をはらうと手足を拘束していた紐が音もなく外れ、それに驚いている間に素早く紅い腕の中に囚われる。


「ちょ、ちょっと待って下さい鬼さん!」


 あたふたと向き合う形で抱き寄せられて、鬼の胸に手を突いて離れようとするが、例のごとく鬼はどこ吹く風で気にも留めていない。


「まぁまぁ、そう恥じらうことないカナ」


「恥じらってません!」


 なんでこんな時に限って誤解を招くようなことを言うの! あの人に聞こえていたらどうしてくれるの!

 あぁ、もう。してはいけないとは分かっているけれど、どうしても格子の方を見てしまう。彼はまだ外にいるんだろうか。出来ればもう立ち去っていたら良いんだけれど。


「ん? 外がどうかしたカ?」


 じっと格子を見ていたわたしに、鬼もそこへ視線を投げた。

 ま、まずい。


「いえ、外はどうなってるのか気になっただけで」


「ん~?」


「あ、いえ、その」


 わたしを抱えたまま鬼が格子の外を覗き込む。

 どうしよう。あんまり止めたりしたら変に思われてしまれてしまうし、かと言って見つかったりしても困る。


 二つの紅がきょろりと動く。まだいたりしないよね。わたしも外を見たいけれど、鬼が邪魔で格子を覗く事が出来ない。どくんどくんと脈拍がまた駆け上がり、変な汗が額に浮かんでくる。


「……うん? 誰かいるみたいだナァ」


「っ!!」


 心臓が跳ね上がる。ど、どうしよう。紅い鬼はわたしが他人と口を利くなと言っていた。ということは、わたしが彼と話していたことが知れたら大変だわ!

 いや、だ、だけど。わたしが青年と喋っていたのを紅い鬼は知らないハズ。訊かれてもお互いにしらを通せば危害を加えることはないとは思うけれど。

 

 鬼がゆっくり動くと格子から離れた。それから一度わたしを抱き直し、その場にあぐらをかいた。


「あ、あの、誰かがいたんですか?」


 首を回して関節を鳴らす鬼にそれとなく訪ねてみる。鬼が紅をこちらへ投げるが、すぐに閉じてあくびをした。


「いんや。別の客が通り過ぎただけカナ」


 別の客。青年ではない別のお客さんだろうか。でもまさかそんなことが聞けるわけもなく、わたしはやきもきして口を真一文字に結んだ。


「お前本当に具合が悪いみたいだナァ。どくどくと鼓動が聞こえてくる」


 さらにきつく抱きしめられ、ふぅっと耳元に吐息が掛かり思わず全身が粟立つ。

 今のは偶然だろうか。また嫌がらせかと思い様子を窺うけれど、鬼はわたしを抱えたまま何もしない。ただただ、わたしの横顔に顎を寄せるだけだ。

 なんだか変な感じがする。


「……あの鬼さん。あの、どうしてわたしをここに連れてきたんですか?」


 何も話そうとしない鬼に、この無言で抱き合った状態を続けていることに抵抗を感じたのも手伝って、わたしは口を開いた。


「どうしてって、お前が暇そうだったからナァ」


「だとしても、なんでここなんですか?」


「戸惑う反応が見たかったのさ。それに艶やかな姿もナ」


 言いながらわたしの首と顎を、丹念にその長い指で撫で回し始める。なんだかヨロシクナイ流れになってきたのは気のせいかしら。居心地がさらに悪くなりわたしは身じろいだ。


「だ、だったら、もう十分堪能できたんじゃないですか? そろそろお屋敷に戻りましょうよ」


「そう言うナ。もう少し見せてくれ」


 ぐっと顎を持ち上げられ、強制的に上を向かされる。


「あ」


 どくんと一際高く胸が鳴った。青年の時とは違う胸の高鳴り。紅い瞳の妖しさと狂気に魅入られて視線と共に、魂まで凍り付いた気がした。


「やはり可愛らしいナァ、鈴音ぇ」


 な、なんで? 目が反らせない! それどころか金縛りにあったように指も動かせないし、瞬きすら出来ない!

 見開いた目元に鬼が唇を落とした。突然のことに声を上げたつもりだったが、微かに口から吐息が出ただけだった。鬼はそのまま頬、首筋、鎖骨へと口づけを落としていく。


 なんで? 突然どうして?

 

 疑問を抱きながらやめてと心の底から叫ぶ。身動きできないわたしが唯一抗議を上げているのは、どんどん速度を増す鼓動だけだ。自分の喉から耳に直接音が届けられているみたいに、すぐ傍で自分の心臓が悲鳴を上げている錯覚を起こす。


「そう言えば鈴音は男を知らないんだったナァ。さぞ怖いだろう?」


 紅を乗せた下唇を鬼の指がなぞる。


「お前は言いつけ通り、ついこの間マデ俺を忘れなかった。あのままでいればこんな目に遭わなかったノニ」


 くくっと八重歯を覗かせて、正面にきた紅い鬼の顔が冷たく笑う。


「お前はどこまでも愚かで可愛らしいカナ」


 言うが早いか、それとも同時か。目いっぱい妖しい紅がわたしに覆いかぶさった。

 

 頭の中が真っ白になった。

 強引に割って入る舌が、あの時と同じように歯列をなぞる。

 瞬く間に蘇る記憶。びりびりと口が痺れる度に、薄れていた思い出が鮮明に戻ってくる。


 怖ろしくも美しい常闇。陽気で哀しい恐ろしい妖。渇望し、さまよう魂達。魅入られて去った友。そして残る絶望。笑う鬼。

 

 みんな忘れてしまいたかった過去。

 どうして思い出させるの? どうして引き出すの?

 鬼よりも忘れたかったのに!


「な……に、するのよっ!」


 叫んだと同時に身体が動いた。反射的に振り上げた右手が鬼の頬を目指して飛ぶ。


「おっと」


 たやすく手を捕まれ一気に引き寄せられる。驚きの声を上げる間もなく、ごつんと厚い胸板に頭の側面がぶつかり、一瞬瞼の裏に星が見えた。


「いっ痛い……」


「お前は本当に懲りないナァ~」


 ぶつかった衝撃で頭が揺れる。いやいや、文句を言ってやらなければと顔を左右に振るが、余計に目が回ってしまい頭を抱えた。


「おぉ悪かったナァ。そんなに強く引いたつもりは無かったんダガ」


「や、約束が違うじゃないですか! どうしてこんな事するんです!」


 頭を押さえながら鬼を見上げ、睨み付ける。


「この程度、手を出した内に入らないカナ」


「前に同じ事して手を出しただけだとか言っていたじゃないですか! それになんで昔のことを……んうっ」


 問いつめようとした口を鬼の手で塞がれる。負けてたまるかと思いつく罵り言葉を並べるが、むーむーという音にしかならない。


「分かった分かった。陸言は屋敷で聞こうカナ」


 ば、馬っ鹿じゃないの!

 

 声に出せない苛立ちも手伝って、全身全霊でこの言葉を心の底から発した。

 なにをどうしたらそんな台詞が出るのか理解できない。わたしが鬼に対して好意的に思うことなんて微塵もないのに。

 舞い戻った過去はわたしに黒い気持ちをも蘇らせた。鬼は嫌がらせをしただけなのかもしれないけれど、あの時の悔しい気持ちまで思い出させたのに気付いているんだろうか。怒りにまかせて勢いよく立ちあがり、鬼のそばから離れる。少し着くずれした着物を整え、鬼を睨むつもりで顔をあげた。


 ……あ。そうだ。 


 どっぷり不快感に浸ったところで、青年のことを思いだしちらりと格子に目をやる。さわさわと風が通り過ぎるだけで誰かいる気配も音もない。上気した頬に涼やかな空気が撫でる。

 青年はもう格子の外にはいないのだろうか。

 

「さぁて。もう少しゆっくりしていこうかと思ったんダガ。屋敷に帰るカ」


 鬼がわたしの背に腕を伸ばし、歩くよう促す。


「押さなくてもきちんと行きますよ」


「そうカ」


 口をとがらせて言ったわたしに鬼はニヤニヤ笑って戸を開けた。

 わたしは部屋を後にしながらも、名残惜しんで最後に格子を振り返った。またいつ会えるかも分からない。そう思うだけで胸が痛んだ。



 蘇った記憶の一部にいた銀色の妖。彼もまたわたしの元を去った一人。親友も去り、家族とも引き離され、昔知り合った妖怪達とも言葉を交わすこともない。

 あの琵琶の青年に、わたしはまた会える日が来るんだろうか。たとえ会ったとしても、彼もまた、わたしの元を去るんだろうか。

 

 鬼にされた口付け。

 あれはわたしに何を植え付けたんだろう。

 きっとそれは禄でもない、最低な物には変わりはないのだろうけれど、わたしはどこか憎くも懐かしく思えてならなかった。






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