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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
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十一ノ怪

「よし。投げるゾ」


「待って下さい」


 鞠を手にした紅い手に待ったをかける。幸いなことに鞠が転がる前に鬼の手は止まった。わたしは錦の鞠から目の前の鬼へと視線を移して、うんざりと肩を落とした。


「もう、それはよして下さい」


「したくないのカナ?」


 形の良い眉を片方吊り上げ首を傾げる。そんなに鞠投げが気に入っていたのかしら。少なくとも拾う役のわたしは楽しくない。わたしは疲れた表情を露わに溜息を吐く。


「わたしはしたくないです……鬼さんはもっとしたいんですか?」


「いンや、まったく」


 じゃあなんでするのよ! 

 即答してきた鬼に思わず心の中で悪態をつく。今までのわたしの労力は何だったのか。はぁ、どっと疲れがでる。


「鞠拾いじゃないなら、火の輪くぐりでもしてみるカ?」


「その発想はどこからきたんですか! それに着物で火の輪くぐり出来る人はそうそういないと思いますよ。少なくともわたしにはどうやっても無理です」


「そうカァ。つまらんナ~」


 鬼はぽんと鞠を後ろへ放り投げた。それを目で追い、鞠が隅で動きを止めたところで目の前の赤銅色の顔に戻した。


「あの鬼さん。わたし」


「鈴音」


 ちらっと少し鋭い視線がわたしを捉える。一瞬肩を強張らせるも、すぐにその視線の意味に気が付いて仕切りなおす。


「“紅い鬼さま”。服が欲しいんですけれど。ジーンズとかブラウスとか」


「……は?」


「ようするに、現代服が欲しいんです」


 べつにシャツでもスカートでも現代服ならなんでも良い。この重くて機能性の低い着物は何をするのにも大変不便で、どんなに豪華で高い値打ちがする物でも生活するうえでは全くありがたみを感じなかった。帯で体を締め付けられているのも気が抜けない原因の一つだし、普段は現代服で過ごしたい。


 鬼はふむと考えてしばらく黙っていると、わたしへと顎を向けた。


「ナゼそんな物が欲しい? お前にやった物は上物だゾ」


「でも動きにくいんです、これ」


 なにより重い。でもとても寒い日もあるので、そういった時はやはり我慢して幾重にも羽織らないと冷えて仕方がないのだ。常闇のお天気事情は知らないけれど、妖怪たちは寒暖の調整はどうしているんだろうか。人間とは感じ方が違うのかしら。


「普段動く必要なんてお前にはナイだろう? あぁ、鞠拾いか? それはもうしないから安心シナ」


「えーっと、その、服もそうですけれど、籠の外を自由に動きまわりたいんですけれど……」


 上目遣いで尻込みしながら言ってみた。

 もしこれで紅い鬼から許可が下りればまたあのススキの場所に行って、琵琶の青年に会うつもりでいた。わたしは何故だかあの青年が気になって仕方がなかった。妖怪とも人間とも違う存在の青年。儚げで月みたいな青年。

 彼はわたしがこの世界で、人間でいる為に必要なことを知っている気がするのだ。もっと話を聞けば、色々具体的な話が聞けるかもしれない。

 それに、彼自身ことももっと知りたかった。どうしてもあの憂いを帯びた笑顔が頭から離れない。何かある気がしてならなかった。


「そりゃダメだ」


 にべも無く言い放った鬼に眉を寄せる。


「どうしてです?」


「お前さん、逃げ出したことが一度あるからナァ」


 恐らくわたしが以前、鬼さんの許可なく屋敷の外に出た時のことを言っているのだろう。でもそれは自分から望んで出たのではなく、正確には強制的に追い出されたのだ。


「あれは逃げたんじゃないです。鬼さんだって知っているでしょう? あれは」


 話している途中なのにも関わらず、紅い手がわたしの腕をとって引いた。気づいたときには鬼の膝の上に倒れ込んで鬼を見上げる形になる。


「言ったハズだろう。逃がさんと」


 耳元で囁かれて背筋がぞわりとする。起きあがろうとして頭を持ち上げるが、すぐさま押さえつけられてしまう。


「お前はこうして俺の傍にいれば良いカナ」


 頭を固定したまま丹念にわたしの髪を撫でる。長い指が地肌に触れ、ゆったり離れるのを繰り返す。


「鈴音。お前はいつ闇に染まるんだろうナァ。活きの良いお前さんも良いが、闇に染まった姿も見てみたいカナ」


 闇に染まる。みっちゃんのようにわたしも鬼になり、人間じゃなくなる。じわり嫌な汗が背中を流れた気がした。

 鬼になんてなりたくない。闇に染まりたくない。常闇に来た時点で覚悟しなければならないと、頭のどこかで分かっていたはずなんだけれど、それでも、どうしても人間でいたかった。


 ――光を忘れなければ大丈夫。


 ふとあの懐かしい雰囲気をもった青年の言葉を思い出す。闇に囚われなければあやかしにはならない。光を忘れないで。妖しい旋律と共に、青年が記憶の中で微笑む。


 そうよ、落ち着いて。わたしは大丈夫。楽しい思い出ならたくさんあるもの。憶測でしかないけれども、青年の言っていた光というのは、楽しい思い出のことなんだと思う。闇がマイナスの感情なら、光はプラスの感情に違いないわ。


 大きく息を吸って、まるで排気ガスでも吐き出すように重い息を口から漏らした。

 わたしは大丈夫。大丈夫なんだと。


「そんなにココが居心地悪いカ?」


 わたしの深呼吸をどう捉えたのか、鬼は訝しげに声をかけてくる。前髪があげられ、鬼の指が視界にちらつく。


「良いとは言い難いです。もちろん衣食住は保証されていますが、こんなふうにされては……息が詰まります」


 命の危険は百パーセント保証はされているわけでもないし、それに鬼さんに対しては多少言えるようにはなったものの、完全に閉塞感や安心感が得られたわけではない。

 だからせめて一人で過ごしたいのだ。別に毎日でなくても良いから、たまに自由に動ける時間が欲しい。誰に気を張る必要もなくゆっくり過ごしたかった。


「そうか。息が詰まるカ。ならどこか連れていってやろうカナ」


「あの、そうじゃなくて一人で」


 わたしの言葉を最後まで聞かずに手を叩いた。襖が動くと大きな目が覗いた。


「あっ」


 緑の子鬼。わたしの面倒を見てくれていた懐かしい小さな姿。はっきり覚えているわけじゃないけれど、あの時の子鬼とはまた別の子鬼みたい。あの時の子鬼はまだここのお屋敷にいるんだろうか。


「出かける準備をしな。水楼までダ」


「子鬼さ――」


 呼びかけようと頭をあげたわたしの口を、鬼が手で塞ぐ。


「鈴音。お前は俺以外の奴とは口を利くな」


 なんで? わたしが目で問うとキロッと鬼の目が動く。


「お前は俺とだけ話せばイイ。他の奴らにも口を利くなと言ってある」


 ということは以前のように話し相手もいないわけね。次から次へと出来る範囲が狭まった気がして、精神的な圧迫感にげんなりしてくる。

 子鬼が姿を消すと鬼の手もわたしの口から離れる。


「そう気落ちするナ。良いところに連れていってヤルから」


「……わたし留守番してます」


「そう遠慮するナ」


 にぃっと深く笑んだ鬼を見て、やはり嫌な予感しか感じなかった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 闇に映える屋敷。赤く灯された提灯で、ぼんやりと浮かび上がるその姿は蜃気楼にも見える。窺うように辺りに目配せすれば、建物の格子から白魚より白い手が伸びて手招きする。

 艶っぽい動きをするその美しい手は、優しく見えて獲物を狡猾に狙っている捕食者のようにも見えた。


「わ、わたしここにいますっ」


 妖しげなこの建物は他の人はどう思うか分からないけれど、わたしにはお化け屋敷にしか見えない。見た目は綺麗なんだけれど、漂う雰囲気が異常。もうそれだけで無理だった。

 屋形車の端で縮こまるわたしだったが、鬼に腕を掴まれて強制的に降ろされる。


「中で待ってます!」


「そう怖がることないカナ」


 引きずられるように妖しげな光が漏れる暖簾をくぐる。その向こうにはとても広い、豪華な空間が現れた。

 正面にY型の細工が施された大きな階段。漆と思われる黒光りの床。そしてクリーム色の壁に金の糸が張り巡らされ、美しい模様が玄関全体に広がっている。高い天井を見上げれば、銀の蜘蛛の巣に捕らえられている蝶が描かれていて、わたし達を悲しげに見下ろしていた。


 よ、良かった。思っていたよりも怖くない。もっとじめっとして蝋燭の明かりしか無いのかと思っていたので、この明るい光景にいくらか緊張を解いた。


「まぁ紅の鬼様」


 安堵しているわたしの耳に聞こえた声。屋敷の奥から優雅に現れたのは……うっ、あの時の花魁。思わず顔を背けて鬼の後ろに隠れる。


「お待ちしておりましたわぁ」


 あの気色悪い猫撫で声。聞いててうんざりしてくる。きっと先入観さえなければ綺麗な声に聞こえるんだろうけれども、わたしにはもう聞こえただけで胸が悪くなる程嫌な声だった。

 なんでよりによってこの花魁がいるところに来たんだろう。花魁に会いたかったのなら、一人で行けばいいのに。目を上げて呆れているわたしだったが、突然肩を掴まれて花魁の前に出される。


「頼んでいたのは用意できているカナ?」


 え? 頼み? なにそれ? びくびくしながら振り返って紅い鬼を凝視する。この花魁に何を頼んだって言うの?

 怯える私をよそに、花魁は袖で口元を隠すと艶っぽく気だるげに息を吐いた。


「鬼様は残酷ですわ。この屋敷に女を、よりによって人間の小娘を入れるだなんて」


 酷いと震える声を漏らし、一粒の透き通った涙を流した。その憂いた素振りに、不覚にもドキリとしてしまう。うーん。侮れない。


「泣いたお前さんも見事だナァ。もっと泣かせたくなるカナ」


 紅い手が整った顎をあげると、舌で潤んだ瞳を舐めた。うわぁ。その光景に顔を赤くして立ち竦んでしまう。

 漫画とかでならこういった場面を見たことあるけれど、直に見ると衝撃がすごい。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。


「本当に酷いお方だわ」


 花魁が鬼の耳元に唇を近づけて何かを囁くと、鬼もまたなにか囁いた。なんというか、大人の世界ね。いちゃつく二人を前にし、目のやり場に困って明後日の方をとりあえず向いた。


あやきぬ


 いつの間にか鬼から離れた花魁が呼ぶと、するする衣擦れの音と共に二人の少女が現れた。二人とも髪を結い上げて控えめなかんざしを挿し、それぞれ薄い桜色と薄い黄色の着物を着ている。見た目はわたしよりも下に見えけれど、何歳なんだろう。彼女達もあやかしなのかな。


「では鬼様」


「あぁ、頼む」


 ぐいっと背中を押されて前に突き出される。


「可愛がってやってくれ」


「えぇ!? どどど、どういうことですか?」


 全然なにがどうなっているのか分からない。これから、というか、わたしをこの花魁たちに何させるつもりなの?


「美味そうに色付けてもらえ」


 もう驚きの声も出ない。何度目かの血の引く体験をして、すぐさま回れ右。目指すは出口。


「待て」


 玄関に逃げ出すわたしの襟を掴み、まるで猫みたいに首根っこを掴みあげて、女の子二人の前に再度突き出される。


「お任せ下さい」


「丁寧に仕上げますわ」


 暴れる間も与えず素早くわたしを両サイドから拘束すると、少女達は紅い鬼に頭を下げる。にこやかに笑う可愛い顔は逆に不気味に映った。絶対にその笑顔の裏に何かがあるに違いない。


「お、お、お、鬼さん! 嫌です! わたし帰ります! それにわたしなんて食べたらお腹壊しますよ! 色付けたって味付けたって無駄な抵抗ですって!」


「さ、紅の鬼様。こちらへどうぞ」


 わたしの心からの悲鳴を無視して、しなやかな動きで奥に鬼を誘う花魁。鬼はこちらをちらっとみて「惜しいナァ~」と呟き、花魁の後をついていった。

 いったいなにが惜しいの? 向けられた腹立たしい笑みにカチンときて、反射的にその背中を睨みつける。


「綾、行きましょう」


「うん」


 二人はわたしの腕を掴んだまま鬼達とは逆の方向に歩き出す。


「やめて! 離してぇ!」


 腕に力を込めるが、とても女の子とは思えないほどの力でわたしの腕に腕を巻きつけてビクともしない。この子たちも妖怪なんだ。こんな可愛い顔して怪力なんてルール違反よ!


「ねぇ待ってよ! わたしをこれからどうする気?」


「それはね」


「だめよ綾。お姐様から言いつけられているでしょ」


「あ、そうだったわね」


 二人ともくすくす笑い合う。わたしとは口を利かないようにあの二人から言われているのかしら。どこまで意地悪するつもりなの!

 懲りずに足を突っ張ったりしてみるけれど、すごい力で引きずられる。

 鬼の屋敷とは違った足下に妖しげな明かりが灯っている廊下を進んでいく。そして見えた煌びやかな襖を引き、その奥にある木の引き戸の奥へと連れて行かれる。そこへまたいくつかの廊下を曲がって階段を降りた。

 何度かそれを繰り返すと、湿気の多い場所に行き着く。気のせいか、なんだか薬のような妙な匂いがして思わず顔をしかめる。


「よく煮えてるみたいね」


「色々な調合をしたみたいよ」


 なんの話し? 煮えてる? 調合? どれも不吉なものを連想させるには十分すぎる単語だった。

 やがて蜘蛛の巣が描かれた扉に行き着き、扉が開かれると視界が真っ白になった。吹雪の中に突っ込んだ錯覚が起きるけれど、寒いどころかサウナみたいな湿気と温度で身体が包まれる。


 二人に促されるままに足を進めていくと、大きな釜が見えた。中は青汁みたいに淀んでいて気泡がいくつも水面に出来ている。まるで魔女のスープだ。もしかして材料は蛙とか? ……う、自分の想像で自爆してしまって気分が悪くなる。


「それじゃあ始めましょう」


「あぁ駄目よ。まず裸にしないと。着物は貪欲の鬼様の物だから、汚しちゃ駄目よ」


 襟に手が掛けられる。これを許したらあの怪しさ爆発な釜の中に放り込まれるんだわ。恐怖心も手伝って油断している彼女たちの手から乱暴に逃げ出す。


「嫌よ! わたし食べても美味しくないわ!」


「あっ」


 釜煮えにされるなんて嫌だ! 熱湯かもしれないし、毒かもしれないところに放り込まれたら死んじゃう――

 そう思ったが早いか、足下がつるっと滑りわたしは盛大に転んだ。ぐらり白く霞む視界が回って衝撃と共に悲鳴をあげる。


「ここはよく滑るのに」


「人間が転ぶの、初めて見ましたわ」


 勝手で呑気な声が聞こえてくる。痛みに呻いて顔を上げた途端、いつか経験したあの嫌な感触がわたしを襲った。この肌に食い込むこの感覚。そうだ。あの時と同じ。両手足が蜘蛛の鉤爪に押さえ込まれたんだ。 


「早く剥いでしまいましょう」


「お姐様に怒られちゃうものね」


 身体が揺れると帯が外される。そして器用にわたしを押さえつけたまま次々と着者が脱がされる。その最中にも蜘蛛に襲われたときの感触が蘇って身体が震える。

 彼女たちは今どんな姿をしているんだろう。視界の悪い中、二匹の蜘蛛の妖怪がわたしの着物を剥いでいく様子を思い浮かべて血の気が引いた。心臓が胸の中で跳ね回って気持ちが悪い。死にたくない。自然と頭の中に言葉が過ぎった。


「震えているわ。人間って弱いから早くしないと」


「釜も冷めちゃうわ。新鮮なうちに、ね」


 鉤爪が押さえを外し、裸になったわたしを抱き起こす。彼女達の素早い動作に、恐怖に固まったわたしは抵抗する暇もなく、緑の液体が入った釜の中に放り込まれた。





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