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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
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十ノ怪

 

 一人そこに突っ立ていると、さっきまで青年がいたなんて嘘みたい。まるでそこでずっと一人でいた気になってしまう。

 でも本当にそうだとしたら、わたしはよほど病んでいるんだろう。幻覚や幻聴まで自分の身に起きているんなら、いよいよこの世界にあてられてしまったとしか考えられないわ。


 でも……たとえ幻でも、あの青年がくれた言葉は挫けかけたわたしを奮い立たせるのには十分だった。光を忘れなければ、懐かしく思える記憶を蘇らせる事がで出来るのならば大丈夫なのだと。

 記憶が残っていて良かった。手元にはなにも残っていないけれど、わたしには暖かな思い出がある。それだけで十分。十分だわ。


「風邪ひくゾ」


「えっ」


 闇夜とは違う暗さに視界が塞がれる。わたしはたじろぎながらそれを頭からどけた。

 自分の手が握っているのは小豆色の羽織。素早く背後に視線を走らせると、やはりというか。後ろには紅い鬼がいた。

 腕を組んで小首を傾げている様はわたしを馬鹿にしているとしか思えない。相変わらずニヤニヤしているし。せっかく穏やかになった気持ちが台無しだ。わたしは盛大に溜息を吐いた。


「ナンダ? 溜息なんゾ吐いて」


 口端を吊り上げて笑っている。やっぱり腹が立つ。わたしは無言で鬼に視線を送り続けた。

 話をしたくないし、あそこに戻りたくない。また笑いものにされるなんてまっぴらだわ。

 鬼は身じろぐと、懐にしまっていた手をわたしに差し出した。


「帰ろうか鈴音」


 誰が。


 喉から出そうになった台詞をぐっと飲み込む。わたしはさっきの宴の席での事を忘れたわけじゃない。あんな卑怯で卑劣な真似、絶っ対に許さない。


「どうしたのカナ?」


 ひたりひたり鬼がわたしに近づいてくる。

 わたしは何故だかひどく落ち着いていた。怒ってはいる。でも悲しくもないし落ち込んでもいない。恐怖もなかった。


「泣き虫なお前のことだから、また泣いているかと思っていたんだがナァ~」


「お生憎様。泣いてなんかいません」


 顔を上げて鬼の前まで歩く。もう無理。堪忍袋の緒がブチ切れたわ! どうせ逃げられないんなら、とことん鬼と付き合おうじゃないの!

 他人の解説なんかいらないほど、自分の目が煌々としているのが分かる。腰に両手をおいて下から鬼を睨んだ。


「あくまでもお屋敷に戻るだけです。わたしが帰る場所は断じて鬼さんのお屋敷じゃありません! 間違えないで下さい!」


 言ってやったわ! ようやく胸のつかえが取れて清々した。わたしは顎をあげて更に強く紅い鬼を見据える。


「鬼さんの言いなりになると思ったのならとんだ思い違いよ! わたしはここに残っても妖怪にならないし鬼さんのものにもなりません! よく覚えておいて下さい!」

 

 今まで溜まりにたまった不満をぶちまける。ビシッなんていう隙のない音が頭の中でどこまでも心地よく響いた。

 

 でも――良かったのはそこまでだった。

 鬼と目があった瞬間、わたしはその状態のまま固まってしまったのだ。

 もう何度も説明したように、わたしは鬼の紅い目が苦手なのである。なのに自分から真ん前に陣取って、勇ましくわざわざ見上げるなんてことをしてしまった。自分から進んで火の中へ飛び込んだのも同然だ。

 

 石化状態に陥っているわたしを、鬼は怪訝な顔をして首を傾げている。それはそうでしょう。わたしだって意気込んできた相手が自分と目があった途端に石化したら戸惑うわ。

 なんだか自分のした事がとても間抜けに思えて、変な汗をかき始めてしまう。やっぱりわたしって馬鹿なのかも。



「あぁ~そうダナァ」


 鬼は薄ら笑いし、紅潮しているわたしの頬を撫でた。


「またお前が腑抜けたんじゃないかと思ったガ、心配無用だったみたいだナ」


 心から嬉しそうに鬼は口角をあげた。そういえば鬼は活きが良いわたしがどうとか言っていたっけ。わたしは熱い手から逃げるように離れ、鬼に背中を向けた。


「そんなに心配なら、もう犬のような扱いはやめて下さい。わたしは人並みの生活がしたいです」


 出来れば元の世界に返してくれるのが一番良いのだけれど。でもそれはもう出来ない。ならせめて普通の生活がしたいわ。


「それは良いガ、鈴音」


 背中に軽い衝撃の後、胸の下で紅い腕が交差して後ろからきつく抱きしめられる。息苦しさに喘ぐわたしの肩に鬼が顎を乗っけて耳元で囁いた。


「そしたらお前が俺に言ったコトが無くなるゾ?」


 さらに声を低くして、呟く。


「犬猫と同じに飼っているから手を出さない、ってナ」


 あー……そうだった。わたしは鬼に飼われているから、手を出されることがないんだった。こんな大事なことを一瞬でも忘れていた自分に呆れてしまう。


「どうする鈴音ぇ。俺はどっちでも構わないガ」


 どうするといわれても。

 人並みの生活をして鬼に喰い尽くされるか。飼われて屈辱に耐えつつも身を守るか。まさに究極の二択。でもわたしが選べるのはもちろんこの一つしかない。


「今まで通りでお願いします」


 もう一つは絶対に選びたくない。なにが悲しくて鬼と寝ないといけないの。それだけは断固拒否したい。わたしはうな垂れて深く息を吐いた。


「そりゃあ残念ダナァ。セッカク口付けの他に教えてやろうかと思ったんだガ」


「え?」


 なにを言っているの? 口付け?

 思わず振り返りそうになったが、すぐ真横に鬼の顔があるので目をやるだけに止める。


「忘れているのカナ?」


「なにを――」


 言い掛けて視界に映った赤銅色の肌と朱の模様をみて、何かが頭の中で弾けた。

 視界いっぱいに広がった赤銅色といくつもの朱の線。口の裏側に軽く歯が立った感触。浮かんだ物は一瞬だったが、過去のトラウマの衝撃はすさまじい物だった。

 

「思い出したのカナ?」


「い、いやぁああぁ!」


 嫌なこと思い出した! あぁもう嫌だ! せっかく忘れていたのにっ。両手で頭を抱えてぶんぶん振る。

 あれは夢よ悪夢よ幻よ! そうよ現実じゃなかったの。そうに違いないわ!

 

 そんなことを強く言い聞かせているくせに、情けないことに何度も口元を拭う自分がいる。記憶の片隅に何重にも蓋をして、さらにお札まで貼って封印していた忌まわしい出来事だったのに、鬼の一息で全部吹き飛ばされて無駄になった気分。

 頭の中で息切れしているわたしだったけど、鬼の呑気な声が聞こえてきて我に返る。 


「あの時のお前は面白かったナァ~」


「うるさいですよ! 離して下さい!」


 体をいささか乱暴によじって鬼の腕から離れるが、すぐさま腰を引かれてつんのめる。そうだった。腰に紐があったんだ。ちらり紐の先を辿れば鬼が踏んづけている。


「お前さん顔は女らしくなったくせに、胸はそのままダナ~」


「……は?」


 出し抜けにいってきた鬼に、丸くした目を向ける。

 胸……? 


「まるでぬり壁カナ」


「は?」


「おっと失敬。厚みもないんだった。そうだナ、一反木綿カナ」


「一反……!」


 ひ、ひとが気にしていることをよくもぬけぬけと! 厚みがないですって? そんなこと言われなくても悲しいくらいわたしがよく知ってるわよ!


「なんですか、いきなり! 失礼ですよ!」


「まぁまぁ。サテ既に宴も終わっている。戻るぞ鈴音」


 ひどく身勝手に話を終わらせると鬼が足からどけた紐を手に取った。ぐんと勢いよく腰が引かれる。バランスが崩れてよろけるが、すぐに体制を整えると紐の先を睨んだ。


「紐を解いてくれませんか? 大変不愉快です」


「こうしなければ逃げるじゃナイカ」


 あぁもう。なにを言っているの。

 息を吐くのと同時に呆れたように肩を落とす。


「どこに逃げるんです? わたしに行く場所なんてないじゃないですか」


 口にした直後自分の言葉が耳に反響する。なぜだか寂しさがより一層強くなった気がして、ふいに視線が落ちる。こちらに来てから精神が不安定なのかな。感情の浮き沈みが激しい。


「よしよし。それなら紐なしも考えておこうカナ」


 鬼は上機嫌に笑うとわたし歩くよう促してきた。わたしは背中を押されて渋々足を動かした。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 宴の場に戻ると誰もいなくなっていた。鬼が小さく手をなぎ払い宙に残っていた鬼火たちを移動させ、屋敷に続く道を作らせた。鬼はわたしの紐を掴みながら道を歩き、繋がれたわたしはその後に続く。

 黙々とある程度の距離まで歩いたとき、わたしは顔を上げて鬼の背中に声をかけた。


「鬼さん」


「ん? なにカナ?」


 気持ち少し振り返って、鬼は紅をわたしに投げた。お互いに歩みは止めないでそのまま話す。


「この世界に陽の光はないんですか?」


 はぁ? と間の抜けた声が聞こえ、肩越しに眉を寄せた赤銅色の顔がこちらに向く。


「あるわけないダロウ」


「まったく?」


「まったく、ダ」


 やれやれとでも聞こえてきそうな鬼の背中。また後ろ姿しか見えなくなった鬼に再度口を開く。


「前に人の闇の話をしましたよね?」


「ん~。そんな事もあったナァ」


 鬼は投げやりに言いながらぼりぼりと角の根本を掻く。本当に覚えているのかな? 疑わしく思いながらもまた声をかける。


「それじゃあ人の光も、ここにはないのですか?」


 ぴたり鬼が足を止めて、つられてわたしも立ち止まる。


「あるかもしれんが……」


 鬼はおもむろにこちらへ体を向き直し、にぃっと三つの三日月をつくると


「俺が喰っちまうからナァ~」


 鋭い牙から紅い舌をのぞかせた。

 あぁ鬼だ。わたしは心の中で漠然と呟いた。


 光のない常闇。紅い月に照らされて、紅い紐で繋がるわたしと妖しい紅をもった紅い鬼。この立ち位置のように、いつまでも対極でいられればいいのに。


 ざわざわと風が鳴る。その中にあの妖しい旋律が聞こえてくる。

 わたしの光はいつまで輝きを失わずにいれるのだろう。






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