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妖しい旋律  作者: 月猫百歩
旋律の青年
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九ノ怪

 

 旋律を頼りにススキを掻き分けていく。これは何の音なのかしら。弦楽器かな? 黙々と進んでやっと拓けたところに出ると、そこはまるで焼けた後みたいに草木が一本も生えない荒れ地が広がっていた。

 

 あれ? ……誰か、いる。

 

 中央にそんなに背の高くない岩。そこに腰をかけて無心に琵琶を弾いている人の姿があった。

 短く刈り込んだ白髪交じりの短髪。伏せられた目。顔からしてまだ歳若い(と言っても、わたしよりは年上っぽい)青年に見えるけど、その表情はどこまでも穏やかで若々しさとはまた違って見えた。


 人間……のわけないよね。一体何しているんだろう。

 不思議と恐怖心は無かった。同じ節が何度も繰り返される音に、わたしは吸い寄せられて彼に近づいていった。


「……あなた何しているの?」


 あ、しまった! 思わず声をかけてしまった。慌てて口を塞ぐけれども、青年は聞こえなかったのか目を閉じて琵琶を弾き続けている。気づいてないのかな。


 それにしても不思議な音色……。



 しばらくその青年と思わしき人物が奏でる音に聴き入ってそのまま立ち続ける。繰り返される旋律。どこか物悲しいものを思わせるけれど、穏やかで優しげにも聞こえる。なにより不思議と懐かしいと思えた。

 どうしてだろう。いつまでも聞いていたくなる。

 気がつけば、ささくれだった感情まで消えてひどく穏やかな気持ちになってきた。さっきまで大泣きしていたのが嘘みたいに憂いや陰りが引いていく。心の中が落ち着いていく。じんわりと体中に染み渡ってくる。

 


「君はどこからきたんだい?」


 ふいに聞こえた声にはっとし顔を上げた。気づけば音は既にやんでいて、けれども青年は同じ姿勢――目を閉じて楽器を持った状態――をしたままだった。


「あ、ごめんなさい。邪魔してしまって」


「いいや気にしないで。君はどこからきたの?」


 穏やかに笑った顔。良かった。気を悪くしていないみたい。わたしはほっと胸を撫で下ろして青年に向き直る。


「えっと、むこうの宴から抜け出してきたの。……ちょっと嫌なことがあったから」


 ちょっとどころか、もの凄く最悪に嫌なことだったけれどね。でもそんなこと初対面の彼に言っても仕方ない。わたしは青年に苦笑いした。


「そうなんだ」


 青年は目を閉じたままわたしに顔を向けて苦笑する。

 このひと、もしかして目が見えていない? 青年の動作にわたしは眉を寄せた。ふと彼の手元にある弦楽器に気を取られて視線を落とす。

 

「それは琵琶?」


 覗き込んで、青年に聞いてみる。


「そうだよ」


 穏やかに言って青年は琵琶を撫でた。

 とても男の人とは思えないほど綺麗な手。こう、繊細というのかな。とても綺麗な線をしている。


「その、とても、綺麗な音色ね」


 手の代わりに撫でられた琵琶を褒める。さすがに恥ずかしくて、思ったことは言えなかった。


「ありがとう」


 青年は目を伏せたまま、嬉しそうにふわり微笑んだ。

 なんて優しい笑顔をするんだろう。思わずほうっと息を吐いてしまう。でも……この人もやっぱり妖怪なのかな。


「あなたは、その、人間?」


 恐る恐る尋ねてみる。見たところ人間にしか見えないけれど、それは妖怪が化けているだけなのかもしれないし、例え人間だったとしてもこの危険な世界で一人琵琶を弾いているのは不自然過ぎる。下手したら食べられてしまうかもしれないのに。

 怪訝な顔を向けるわたしに、青年はふっと寂しそうに笑うと


「さぁ? どうだろうね。実は僕も良く分からないんだ」


 呆れたような、諦めたような。力のない微笑み。彼の笑顔が儚げに見えて今にも消えてしまいそうに映る。もしかして彼もかつては人間だったけれど、ここに連れてこられて人間ではなくなってしまったのかもしれない。だとしたらわたしが今した質問はとても残酷だ。


「ごめんなさい」


 してはいけない事だったわ。わたしは自分の無神経さに俯いて謝った。

 そんなわたしに彼は、なぜ謝るの? と小首を傾げてくすくすと笑う。


「ところで、君はさっき泣いていたかい?」


 青年が顔をほんの僅かにこちらに向けて、わたしに尋ねた。


「え……あ、うん。もしかして聞こえてた?」


 ここからずいぶん離れていたのに。そんなに大きな声で泣いていたのかと思うと急に恥ずかしくなって、頬が赤く染まる。もうそんな大声で泣くような歳じゃないのに。今思い出すと、なんて見っとも無いことをしたんだろうと思ってしまう。


「とても悲しそうな声だった」


 呟いた声は透き通って悲しみを帯びていた。それは本当に相手を思いやって本人も悲しんでいるようだった。

 青年の顔を眺める。目を閉じているのに何故か見つめられている気がする。どうしてだか、ないはずの眼差しが優しげに感じた。


「笑ってごらん」


「え?」


「泣かないで、笑っていた方が良い」


 そう、また優しげに微笑んだ。どこまでも穏やかな懐かしい笑顔。さっきまで落ち込んでいた気持ちが、なぜだか晴れていく。


「そうね。泣いているより、笑った方が良いよね」


「うん。君もそのほうがとても愛らしい」


 あ、愛らしい? 青年のストレートな言葉にかぁっと顔が熱くなってしまい、知らず知らず頬に手をやってしまう。

 褒められて嫌な気はしないけどやっぱり照れてしまって、わたしは視線を意味なくさ迷わせた。青年は言ってて恥ずかしくないのかしら。 


 琵琶が鳴る。音が波紋のように辺りに響けば、風のざわめきも不気味なものではなく旋律の一部として溶け込んでいく。

 琵琶って不思議な音がするのね。今まで琵琶を聞いたことがなかったからか、よりそう感じる。


「いつもここで弾いているの?」


「最近はそうだね。この辺りで弾いているよ」


「不思議な音がするのね琵琶って」


 青年の青白い手が優雅に動くと、また旋律が妖しい音色を帯びて流れた。

 どうしてだろう。青年の奏でる琵琶の音を聞いていると、とても懐かしく感じる。まるで幼い頃に陽の光を浴びて自由に駆け回っていた日を思い出す。


 ゆっくり目を閉じると、瞼の裏に懐かしい光景が浮かぶ。

 どこまでも抜けるような真っ青な空に眩しい日差し。蝉の声とおばあちゃんの呼ぶ声が交差する。

 懐かしい記憶。懐かしい香り。あれは――

 

 余韻を残して音が止む。同時に懐かしい思い出も消えた。我に返って顔を目を上げると、真っ暗な闇がどこまでも広がっていた。


「今のは……」


「誰しも懐かしく思う記憶をもっている」


 青年は琵琶を持ち直して、丁寧に布で包み始めた。それを呆然としながら眺める。

 今の白昼夢みたいなのは青年が奏でた旋律のせいなの? あまりにも思い出した記憶が鮮明で、ついさっきまで田舎のおばあちゃんの家にいた錯覚まで起きる。


「君も忘れてしまっては駄目だよ。辛くなったら、また思い出すと良い」


「そうね。ありがとう」

 

 気持ちが暖かい。折れそうだった心がまた真っ直ぐになる。青年のおかげで気持ちが持ち直したみたい。わたしは心から彼にお礼を言った。


「そういえば……君はあやかしじゃないみたいだね」


 唐突な言葉にどきっとした。どうして分かったんだろう? やっぱりこの青年も、なにか不思議な力が使えるのかしら。

 別にやましいことなんてないのに、わたしはしどろもどりになりながら肯定の返事をした。すると青年は口元に笑みを浮かべてぽつり呟いた。


「闇に混じって眩しい香りがしたから、もしかしてと思ってね」


「そう、なの?」


 そんな匂いするのかしら? 嗅ごうとして自分の手を鼻に持っていこうとするが、はたと気づいてやめる。何やってるの。犬じゃあるまいし。


「陽の下にいた者は、そういう匂いがするんだよ」


 青年の言葉にわたしは複雑になった。

 常に感じていた不安に顔を曇らせ、おもむろに口を開いた。


「ここにいると、みんな人間じゃなくなるって聞いたわ」


 伺うように青年を見ると、俯いたまま彼は黙っていた。

 聞いていなくても良い。わたしは言葉を続けた。


「わたしの友達も鬼になったの。彼女、辛いことが立て続けにあってこの世界にきたんだけれど、鬼にそそのかされて、彼女も鬼に……」


 あの時の後ろ姿が忘れられない。最後に呟いた彼女の言葉も耳に残る。

 わたしもいつか紅い鬼に魅せられて、自分からあやかしになりたいと思う日が来るのかしら。その考えにぞっとして腕をさすった。

 鬼になんてなりたくない。元の世界に戻れないにしても、人間のままでいたい。闇に染まるだなんて嫌だ。


「君は大丈夫。光さえ忘れなければ」


「光?」


 聞こえた言葉に眉を寄せて青年を見返した。

 青年は頷いて真剣な顔をわたしに向ける。


「そうだよ。闇に囚われなければ妖にはならない。光を忘れなければ、まだ人でいられる。……だから、元気出して」


 ふっと柔らかく青年は微笑んだ。

 人でいられる。光を忘れなければ人でいられる。青年の言う意味がわたしにはよく分からなかったけれど、それでも十分元気づけられた。


「ありがとう」


 わたしは青年に微笑んだ。青年もまた、わたしに目を伏せたまま微笑んでくれた。まるで木漏れ日のような笑顔に、わたしは眩しさを感じて目を細めた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「それじゃあ」


「待って」


 ゆるりと立ち上がって歩きだした青年に、わたしは近寄り引き留めた。


「いつもここで弾いているんだよね?」


「うん。そうだよ」


「もしまた来れたら、聞いて良い?」


 青年の不思議な雰囲気に惹かれ思わず問いかける。また会いたい。話がしたい。そんな気持ちが、わたしを青年に引き留めるように後押ししたのだ。

 青年は驚いた表情をして顔をあげていた。それから口元を柔らかくさせて微笑むと、うんと頷いてくれた。

 良かった。わたしは見えないと分かっていたけれども、青年に笑顔を向けて手を振った。


「ありがとう。またね」


 繊細な手が辺りのススキのように揺れる。そして振り返って、まるで目が見えているかのように真っ直ぐ歩きだした。

 残ったのはわたしと静けさだけ。

 青年はその場に不思議な懐かしさを残して、闇夜に浮かぶススキの中に消えていった。







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