短編5(短編4と同設定。望まれなかった男)
勇者が現われた、と騒ぐ声。それに浴びせる嘲笑。
だってそうだろう、と男は思う。
あれはもう二十年も前のことだ。男はまだ六歳だった。友達と遊んで帰る途中だった。
走って、今日の夕飯はハンバーグだからと心躍らせて家のドアを開けようとして光に包まれた。
思わず目を瞑って、次に開けた時は冷たい冷たい石畳の上にいた。さっきまで目の前にあった家のドアはどこにもない。
目の前にいたのは母親くらいの女性と祖父くらいの男。
女性が困ったように隣の男を見て、隣の男は眉を寄せた。そして言った。
「失敗か…」
まだ子供であった男は後から入ってきた武装した男に抱き上げられ、外へと連れ出された。
女性は大丈夫だと微笑んだ。帰してあげることはできないけれど、この方がちゃんといい暮らしができるように計らってくれるから、と。
何の話なのか分からなかった。泣きたいのに混乱しすぎて涙も出てこなかった。でも分かったことがひとつ。帰れない。
ハンバーグはもう食べれないし、母親にも会えない。父親にだって会えない。祖父にも祖母にも会えなくて、友達とももう遊べない。
いやだ、と思った。
帰りたい、と思った。
思えば涙が溢れて、離してと、帰りたいと、母親と父親を呼びながら泣いて暴れて。そうして黙らせろという声を耳にした後、気がつけば草の上に倒れていた。
目の前には分厚いドア。後ろには暗い暗い森。獣の声に体を震わせ、けたたましい鳥の声に耳を塞いだ。
怖かった。怖くて怖くて、どうしてこんなことになったのか分からなくて。でも確かなことは石畳の上で見たあの二人。あの二人が自分をこんなところに連れてきたのだということ。
あの二人。
「巫女と宰相。代替わりしてもなお同じことを繰り返すって?」
今度は本物だったようだけれど、本物を呼べるまでに男と同じような犠牲者がいないとは限らない。いたのだとすれば、ああ、一体どんな人間が日常を奪われたのだろう。
男は勇者の召喚の儀式において呼ばれた。呼ばれたが人間違いだった。彼らは勇者ではない人間を呼んでしまった。そして捨てた。
巫女が男に言った言葉は偽りか、それとも本当にそう思っていたのか。そんなことは知らないが、男は城の裏に捨てられた。
ドアは厚くて開かない。人はどこにもいない。行ける場所は目の前に広がる暗くて不気味な森だけ。
それでもお腹がすいて死にそうで、思考が全く働かなくなった男はふらふらと歩いて森へと向かった。そこで会った盗賊を稼業にする男に拾われて、生きるために何かを盗んで誰かを殺した。
そんな生き方をする自分を誇りはしないが、厭ってもいない。そうしなければ死んでいた。そうしなければ生きていけなかった。
「さてさて、本物を無事呼べておめでとう?」
酒の入った杯を掲げる。
父親が、母親が成し得なかった勇者召喚。巫女も宰相もさぞかし誇らしいだろう。
ぐっと酒を飲み干す。
召喚された勇者はこれから魔王退治だ。円も縁もないこの国を救うために魔王をその配下を殺して殺して殺して。男とは違う、正義の名の下に殺していくのだ。
「くっ」
くっくっくっく、と笑う。
ああ、愉しい。愉しい、愉しい、愉しい。結局は殺すのだ。失敗だと放り出された男と同じように、望まれた勇者も殺すのだ。そんな世界、呼ばれなければ知りもしなかったのに。
ああ、そう考えれば勇者も犠牲者なのか。この国の。召喚させた宰相の。召喚した巫女の。
「まあ、今はせいぜい喜んでればいいさ」
いつかお前達が生み出した業はお前達に帰るさ。
脳裏に浮かぶのは男を召喚した先の巫女と先の宰相。
今も生きているあの二人。いつか殺してやると思っていた二人。
男は立ち上がり、城を見上げて口元を上げた。
『おかあさん…っ、おとうさ…ぁっ』
かつて泣いた子供はあっはっはっはと笑って城に背を向けた。