短編4(召喚。望まれない娘)
ある高校の部活帰り、少女は突然光に包まれた。
目を開ければ薄暗い石畳の上。座り込んでいる少女の目の前には男と少女と同じくらいの綺麗な少女。
一体何が、と混乱する少女を見て、目の前の少女が目を見開いて、そしてうつむいた。男はため息をひとつ。そして冷たく言った。
「失敗だ」
その一言で少女は持っていた鞄だけを側に、外に放り出された。
投げ飛ばされたせいで地面に擦った足が痛かった。ガシャンッという音に振り向けば大きなドア。押しても引いても叩いても開かないドア。
背後には森があった。暗い暗い森。鳥や獣の声が聞こえる森。右を見ても左を見ても森以外見えなくて。それが混乱している頭に恐怖を植え込んだ。
ここはどこだろう。私に一体何が起こったんだろう。分からない。何も何も分からない。
こわい、こわい、こわい!!
溢れる涙は、突然振ってきた雨に消された。
勇者が現われた。
そう国中が歓声を上げている。
神殿の巫女が神に祈りを捧げる中、現われたのだという勇者はこの世界にとっての救い主だ。
魔王に脅かされるこの世界を救ってくれる唯一の。
けれどそんな喧騒など知らぬふり。男は道中かけられる声に、けれど急ぐふりで謝って。腕には食材が入った袋を抱えて。ただただ家に向かって。
それを声をかけた誰もが笑って見送る。
ああ、相変わらずあの男は愛妻家だと。溺愛する妻と少しでも離れることを厭う奴だと。
だから男が自分達よりも妻を優先することも納得するだけで。たとえ話題が勇者のことであろうと、男にとって妻以上には為り得なくて。それ以外の理由など思いもせずに。
そうして見送られた男が家のドアを開ける。
表の喧騒が嘘のように静かな家。いつもならば笑顔で迎えてくれる妻もいない。
男は袋をテーブルの上に置くと、足早に寝室へと向かう。そして軽くノックをして声をかける。
「アオイ」
「…ディ?」
ああ、と小さな声に答える。そしてドアを開ければ、ベッドの上でシーツを頭から被った妻がいた。
振り向くその顔は酷い。泣きはらした目が痛々しくて、男はそっと妻を抱きしめる。
「ただいま」
「おかえり、なさい」
抱き返してくる妻は今、外に出られない。出られる精神状態ではない。
外は勇者一色。勇者、勇者、勇者。それが妻には苦痛だ。嫌でも思い出していまうから。
「ごめ、なさ」
「いい」
「でも、もう三年も経つのに」
「それでも、いい」
お前は何も悪くない。何も、何も。
ぎゅうっと抱きしめて、思い出すのは暗い暗い森の中、服も髪も肌もボロボロになって怯えているまだ妻ではなかった少女の姿だ。
人が住めるような森ではなかった。そこは獣が競い合う危険な森だった。どうしても入らなければいけなかったから入った男は、そこで人を見るとは思ってもみなかった。それも身を守る術など何一つもたない少女を。
少女は逃げた。男を見て、怯えて逃げた。思わず追いかけて捕まえた腕は細くて。とても戦えるような腕ではなくて。
半狂乱に陥った少女を必死で宥めて、宥めて、宥めて。気を失った少女を家に連れて帰って。けれど落ち着いて事情が聞けたのは、それから二日も経ってからのことだった。
佐々木葵、当時十五歳。
男、ディランより五歳年下の少女は、異なる世界の住人だった。
葵は神殿の巫女と国の宰相の前、召喚によってこの国に招かれた、いや呼び間違えられた。そうしてそれを理解する前に城の裏に放り捨てられた。
目の前には厚い扉。後ろには獣の咆哮が響く暗い暗い森。選ぶならば前者だ。扉を叩く方を選ぶ。
けれど開けられた扉から与えられたものは剣を持って追い払おうとする兵士の姿だ。それから逃げて逃げて入ってしまった森。引き返す道も分からない。引き返してもまた振り上げられるだろう剣から足は引き戻ることをしない。けれど進めば進むほど暗くなる森。そして遭遇する獣から逃げて逃げて逃げて。
ディランと会ったのはその二日後だった。運がよかった。その日まで雨が降り続いていたのもよかったのだろう。ほとんどの獣は巣穴から出なかったのだから。
けれど葵は身も心もボロボロで。ディランに慣れても他の人間に慣れなかった。今はようやく慣れて、笑って毎日を過ごせるようになって。
なのに。
「こんな国の外れまではこないさ」
葵と違って歓迎される勇者も、呼び出しておきながら、葵に死ねと言わんばかりに森へ放り出した巫女や宰相、城の人間も、城に怯える葵を連れて移り住んだこの町にはやってこない。現に今まで一度もやってこなかったのだ。この先もきっとない。
だから今はあの頃を思い出して怯えても、またゆっくりと笑顔を見せてくれるようになればいい。
「ディ」
「ああ」
だから、と妻を腕に、窓を睨みつける。
決してこの町には立ち寄るな。