短編17(召喚・拒む少年と受け入れさせようとする国)
勇者。
勇者。
勇者。
枢は一介の高校生には不釣り合いなほど豪華な部屋で、一生のうちに一度でも体験できるかできないかぐらいふかふかの高級な布団で目が覚めた。
我々を救ってほしい。
彼の国から我が国を守ってほしい。
国の存続を脅かすあの脅威を滅ぼしてほしい。
寝かせた体を起こして、くあっと欠伸をひとつ。
ベッドから足を下ろせば柔らかい絨毯の感触。一歩一歩足を進めて窓から青い空を見上げる。まだ朝早いせいか薄い青。腕を組んで窓にもたれれば、一緒に眠っていた狐が足元にすりよってきた。抱き上げて体を撫でれば気持ちよさそうに声を漏らす。
「勇者召喚、ね」
「クゥ?」
狐が顔を上げた。
「知ってるかい?この国の歴史書を呼んだんだけどね、建国されたのが五百年前。初めて勇者が召喚されたのが三百年前。僕で召喚された勇者は三人目」
狐を見下ろして口元を上げる。
「そのどれもが戦争が避けられないっていう状況なんだよ」
「クゥ」
「そう、つまりこの国は初めから自分の力で戦うことを放棄してるってこと。自分達で戦うよりも勇者が戦う方が勝算が高いし、自国の被害も最少ですむ」
心配そうに見上げてくる琥珀色の目にそっと口づける。咄嗟に閉じられた瞼は柔らかい。
「戦争が終わった後の勇者は元の世界に帰らずにこの世界に残ってる。歴史書によるとね、初めの勇者は世界を知るためにと旅に出て、二人目の勇者は王女と結婚して王位を継いでる。これが意味するところが分かるかい?」
初めの勇者は始末されたのだろうと枢は言う。国と勇者の間で何があったのかは知らない。ただ用無しと始末されたわけではないだろう。国を勝利に導いた勇者を手放すには弱すぎる理由だ。
枢が考えられる理由としては、戦争が終われば元の世界に帰れるのだと聞かされていたのに、実際終わってみれば国に留めようとする動き。それで勇者と国の間でひと悶着あって。そのせいでこの国を出ていこうとした勇者を他国に奪われまいと殺した。
二人目の勇者は望んで残り結婚し、王位を戴いたのかもしれないが、もうひとつの可能性がある。
これもまた国が勇者を留めんがための策略。勇者を手放さないための策略。他国に奪われないために、自国の剣となり盾となる勇者を国に縛り付けるための策略。
「…クゥン」
伸び上って頬を舐めてくる狐にくすくすと笑う。
ぎゅっと狐を抱きしめて、大丈夫だよと囁く。
「これは憶測にすぎないからね。真実は違うかもしれない。でも用心は必要だろう?僕も勇者だからね」
コンコン、とノックの音。
朝を告げる声。
「面倒だね。今日もまた僕を戦わせるための説得を聞くのかな」
「クゥ」
「ふふ、怒ってるかい?でももう少し我慢してよ。向こうもそろそろ痺れを切らしてる頃だろうしね」
そうしたら、ねえ?
そう笑った枢の顔は、一介の高校生が浮かべるには可笑しなほどにぞっとするものだった。
神に愛された土地があった。
その土地に建国を許された王は、土地を守るそのために神からひとつの魔法陣を授かった。
召喚陣。
王はその召喚陣を使って国を治めた。
神との約束のために。それが神から与えられた王の存在理由。
「あれが勇者だなんて俺は認めない!あんな臆病者に何ができるっていうんだ!!」
「落ち着きなさい。彼は勇者です。あなたも見たでしょう?召喚陣から現われた彼を」
「だが、国の大事に力を貸してくれるのが勇者なのだろう!?国を守るために現われるのが勇者なのだろう!?なのに何だあの男は!」
「私も戸惑っています。まさかあれほどに頑なに戦うことを拒絶するとは」
おかげで民へのお披露目もままならない状態だ。
戦争が近い。それを民も感じ取っている。だからこそ安心させたいというのに。なのに肝心の勇者にやる気がない。戦いに賛同しない。好意的な様子を見せない。むしろ一般人を無理やり戦場に追いやろうとする極悪非道。そんな言い回しをされる。
一体どういうことなのだろう。
歴代の勇者は戦ってくれた。国を守ってくれた。勇者とはそういうものであるはずだ。国の危機にかけつけ、救ってくれる存在のはずだ。なのに。
憤る騎士団長と頭を抱える宰相の耳に、パンッと手を打つ音。
はっとして振り向けば、そこにいるのは彼らの王。
「あの子供が勇者であることは間違いない。召喚に応えたのはあの子供だ。そして見ただろう?頑ななあの子供を殺して新たな勇者をと望んだ愚か者の剣をあの子供はどうした?」
一人でいるところを見た。勇者を襲う影も見た。
駆けつけるには遠すぎて。けれど勇者は怪我ひとつ追わなかった。彼が放った光。それが彼に迫った凶器を弾き、折った。
「彼が身を守るために咄嗟に放った力。あれは俺達には使えない、勇者だけのものだ」
「ですが…っ」
「いいか?あの子供が受け入れなくともあの子供は勇者だ。そして身を守るためならばその力を発揮する」
「陛下…?」
王が冷たい目で二人の部下を見る。
ごくり、と二人が喉を鳴らした。
「勇者はこの国を救うために現われる。たとえ子供が拒絶しようとそれは絶対だ。だがあの子供は耳を貸さない。ならば戦うしかない状況を用意するだけだろう?」
戦ってもらわなければならない。それが勇者の役目だ。この国を守るために戦う。それが建国した王と神との約束だ。勇者がそれに抗おうとしても、神との約束が破棄されることはない。
「開戦は近い。それをあの子供には聞かせるな」
知る時は戦場の只中だ。
二人が頭を下げた。
*
「嫌な風が吹いてるね」
「クゥ?」
馬車に揺られながら枢が空を見上げる。快晴。入り込む風は生温い。
狐が落ち着かないのもそのせいだ。すっきりと晴れた空なのに、生温い風が体を撫でる。それが気持ち悪い。空と地上のこの差が気持ち悪い。
枢が狐の喉を撫でる。
「気持ち悪いかい?あと少しだから我慢しな」
「クゥ…」
不服そうな声に笑えば、馬車が止まった。
開けられたドア。降り立った先に広がるのは騎士団。武装した彼らが整列している。その視線の先に立つのは王。こちらを見て目を細めた。あれは嗤っている。これでもう逃げられまいと。
枢は無表情で王を見返す。腕の中で狐がぐるるると王へと威嚇した。
騎士団員が一人こちらに武器を差し出す。視界の隅で騎士団長が嫌味な笑いをした。臆病者と幾度蔑まれたか。
「いいか。我々はこの戦いに勝利しなければならない!我が国を守れ!民を守れ!案ずるな、神との約束に従い、勇者もこの地に降臨した!何も恐れることなどない!」
おおおおおお!!!
地響きかと思うほどの声、声、声。
愚か。
嘲笑った枢の声は聞こえない。
勇者の召喚。
それを初めに考えたのは三百年前の王。
神が初めの王の授けた召喚陣。今まで人間を召喚したことなどなかったその召喚陣。もしかしたらできるのではないかと。
召喚陣は神が国を守るためにと与えたくれたものだ。
今回の戦争には国の存亡がかかっている。国を勝利に導くために、力溢れる者が呼べぬ道理はない。
それは開戦間近の時だった。
対戦国は自国よりも軍事力に優れており、勝てる見込みなどなかった。それでも戦わねばならなかった。属国に下るなど冗談ではなかった。
神との約束。
初めの王が神と交わした約束。
それがこの国の王にとっては他国にはないものと優越を与えるものだった。他国よりもこの国こそが、と驕るに十分なものだった。
だからこそ他国に下るということに我慢がならなかった。神に選ばれた国なのだ。誰が選ばれなかった国に、誰が自国よりも劣る国に。
そうして彼らは呼び出した。力溢れる存在を。国を勝利に導いてくれる存在を。勇者を。
勇者が差し出された剣を手に取り、王から視線を外した。そうして歩みを進める先は敵陣営。
そう。それでいい。それこそが勇者の役目だ。神との約束に従い、この国を守りし者。
つ、と口元が上がる。
が。
「な…っ」
中央で足を止めた勇者が剣を投げ捨てた。それも王へ向けて、だ。それを前に出た騎士団長が剣を弾き飛ばし、どういうつもりだと勇者に叫んだ。
「愚かだね。召喚陣をこんなことに使うなんてさ」
「クゥ」
同意するように狐が鳴いた。
狐を肩に乗せてその頭を撫でる勇者は、その手つきの優しさとは裏腹な冷たい冷たい目を国王に、いや、こちらの陣営全てに向けた。
「人間の変化を甘く見すぎてたのかな。それともいくら血を継いではいても別人ってことなのかな。語り継ぐ言葉も歪んでるみたいだしね」
「何を言っている。お前は勇者だ。神との約束に従い、我らの力となるために降臨した勇者だ」
「それが歪んでるって言ってるんだよ」
口元を上げて嘲笑った勇者に後ろの兵士達が戸惑い、ざわめく。
「そもそも魔法陣は人間の目には見えない精霊達を具現化させる場。つまり精霊達に教えを乞うために与えたものなんだよ。この土地を守るための助言を乞うためのもの。分かるかい?君達を助けるためのものじゃない。ましてや力溢れる人間を召喚するものなんかじゃ決してないんだよ」
何を馬鹿なことを。
嘲笑う王に、神との約定を歪めた報いを受けてもらおう。勇者が言うなり、勇者の肩に乗っていた狐が姿を消した。
代わりにに現われたのは一人の少年。狐色の髪と琥珀の目をした少年が手のひらをこちらの陣営に向けた。そして一瞬駆け抜けた風。
一体何をしたと憤る騎士団長を無視して、勇者が少年の頭を撫でる。その目は優しい。
「いい子。これでもうこの国は召喚術を使えない」
金輪際、ね。
そう口元を上げてこちらを見たその目は、嫌悪を多大に乗せていた。
神に愛された土地があった。
その土地に建国を許された王は、土地を守るそのために神からひとつの魔法陣を授かった。
召喚陣。
王はその召喚陣を使って国を治めた。
神との約束のために。それが神から与えられた王という存在の理由だったから。
国を、民を守るためではない、神が愛する土地を守るためにこそ使われた。それが王の役目だった。神から与えられた存在理由だった。
神に愛された土地。
愛されたのは国ではない、土地なのだと。
いつしか忘れられてしまったのだけれど。
戦争が始まった。
枢は参加しない。その代わり敵軍に守りを与えた。強力な防御の魔法をその身にかけた。
神が愛した土地。
それは神にとって居心地のいい気を放つ土地。神が住まう天上の館までその気は届き、神を癒す。そんな土地。
その土地に国を築く代わりに建国の王はその土地を守ることを約束した。
そのために与えられた魔法陣。人間よりも永きを生きる精霊たちから助言を得るための媒介。
「国のことなんて僕はどうでもいいんだよ。僕が愛しているのは土地そのものだ」
「はい」
「僕は建国の王を信じた。彼は僕が愛する土地を守ると誓った。その代りに行き場を失くした者達のために国を築かせてほしいと願った」
「はい。彼の王は誓いを守りました」
「うん。彼の子供も、孫も皆守った。僕の愛する土地は汚されることなく清浄なまま守られた」
けれどそれももう歪んだ。
土地の上に国が建った時点で、多少の変容はあるだろうとは思っていた。それでも土地を穢すほどの変容などそうないだろうと思っていた。約束を交わした建国の王がさせないだろうと。
土地が放つ気に穢れが混じっていることに気づくまでは。
「異世界から人を召喚して、国のために戦わせて。それも全部枢様との約束の内だなんて歪んだ解釈をして」
「建国の王と交わした約束は歪められた。土地を穢し、本来、助言者たる精霊を呼び出すために与えた召喚陣を悪用した罪は重い」
建国の王を信じていた。
彼は確かに約束を果たしてくれた。歴代の王達は果たし続けてくれた。だから持ち直すことを期待した。それが儚い期待だと知らずに。
もう許せる域を超えた。これ以上愛する土地を穢されることは我慢ならなかった。
どうするべきか。いっそ雷を落として焼いてしまおうか。炎は何もかも燃やしつくすだろう。そうして炎が鎮まった頃には土地の穢れは浄化されているだろう。
それを実行しようとした時、異世界との道が繋がったことに気づいた。どこと繋がったのか。枢が与えた魔法陣。
瞬間、口元が吊り上ったのだと狐色の髪と琥珀の目の子供が言っていた。背筋を冷気がなぞっていくのをはっきりと感じるほどの笑みだったという。
抱えていた不快感。憤りが一気に膨れ上がったからだろう。
雷を落とす。その案を暫し頭の片隅に留め、枢は別の手をとることにした。繋がった道を強制的に歩まされようとしている異世界の人間と己がすり替わることに。
勇者として召喚されようとした人間は元の世界に留め、代わりに己の身を働いている強制力に絡めとらせた。寸前、飛び込んできた狐は予想外だったが。
「召喚陣はもう使えない。何も召喚できない。壊してしまったからね」
「枢様、決着がつきそうです。…弱いですね」
「当然だよね。勇者の力に頼ってたんだからさ。こんな大きな戦争に勝てるほどの力なんて、この国は持ち合わせていないんだよ」
戦争に負け、神に選ばれた国と謳っていた国は神の怒りを買った国と名を変えるだろう。けれどそれも一時のものだ。すぐに浄化しなければ。燃やしつくさねば。
「他国に逃げる時間くらいはあげるよ。けれどもう二度とこの土地に国は建たせない」
ね、琥珀。
隣の少年の頭を撫でて、うっすらと笑った。
召喚された少年が実は神様だった、という話を書きたかった。
狐が一緒なのは、唐突に狐と戯れる少年は可愛いと思う、と思ったせいです。