表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪役令嬢ですが、あなたの本音が聞こえています。——聖女候補さん、今の心の声はアウトですよ

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/06/12

目が覚めた瞬間、誰かの声が聞こえた。


部屋の外から聞こえる声ではない。頭の中に直接、音として流れ込んでくる。


扉を開けようとしていた侍女——マリエルが「おはようございます、セレスティア様」と言いながらカーテンを開けている。


彼女の口は確かに「おはよう」と言っている。


「この人、起きるのが遅いのよね…はぁ、もっとやることがあるのに」


でも聞こえてくる声は、明らかに別の言葉だった。


「……なるほど」


私はベッドの上でゆっくりと瞼を閉じた。


前世の記憶がよみがえるのに、半日もかからなかった。


私はかつて日本でOLをしていて、ある日スマートフォンを手に持ったまま、どこかの転生小説の悪役令嬢として目覚めた。


乙女ゲームのシナリオは大体覚えている。


学園でのいびり疑惑、断罪イベント、婚約破棄。セレスティア・ラングフォードの末路は、爵位剥奪と修道院送りだ。


問題は、今聞こえている声の方だ。


マリエルがお茶の準備をしながら思っている言葉が、ずっと流れてくる。


「今日のお茶菓子はどれにしようか」とか、「昨日の塩漬け肉がまだ残ってるから夕食には使えるかな」とか。そこ悪意はない。ただ普通に日常を考えている声だ。


どうやらこれが、私に与えられた加護らしい。


「《声なき声》か」


「え?」


マリエルが顔を上げた。声に出ていたらしい。


「なんでもない。今日の予定を教えて」


「はい。午前中は王太子殿下との定例のお茶の時間が。午後は学院の授業です」


最悪のタイミングで加護が目覚めた…今日は王太子と会う日なのに。


広間に入った瞬間、アルノー・カレーンの声が聞こえた。


「また来たか」


「ええっ!?」


「どうした?セレスティア」


実際に彼が口にしたのは「今日もよく来てくれた、セレスティア」だった。


彼は微笑んでいて、完璧な婚約者の顔をしている。


(脳内に直接響くようなあの声は一体…)


「い、いえなんでもありません。ありがとうございます、殿下」と返しながら、向かいの椅子に腰を下ろした。


その頭の中に直接響く不思議な声は続く。


「茶さえ飲めば終わる。政治的な婚約だ、情を持つ必要はない」


椅子の背もたれに手をかけたまま、私は少しだけ息を吐いた。


知ってた。ゲームのシナリオ通りだ。


この人は最初から私を駒として見ている。傷つくかと思ったが、意外と平気だった。前世からずっとそういう職場にいたので、免疫があるらしい。


「殿下、少し聞いてもいいですか」


「何だろう」


「私への加護授与の儀式、来週ではなかったでしょうか。記録に残しておきたくて」


彼の表情は変わらない。でも、不思議な声は変わった。


「加護。そういえばこの令嬢、まだ加護の内容を知らされていないな、本人も知らないのか?まあ大したものではないだろうが…」


「ああ、そうだったのか、あとで執事に確認させるよ」


「あ、ありがとうございます」


私は澄ました顔でお茶を一口飲んだ。


知ってますよ、殿下。私の加護の内容、もう知ってます…それに、全部聞こえています。


問題は、エルミナ・ヴォルケとの初対面だ。


学院の廊下で出会ったのは、その翌日のことだった。


金髪を縦ロールにした、小柄な令嬢。


男爵家の娘なのに、その笑顔の存在感は誰よりも大きかった。周囲の学生が一斉に視線を集めていた。


「セレスティア様、ご機嫌よう」


実際話している声の後に、頭に直接あの声が流れ込んでくる。


「この令嬢、目の上のたんこぶ。王太子を篭絡するのも時間の問題なのに、婚約者がいるとやりにくい」


私は口角を上げた。


「ご機嫌よう、エルミナさん。今日のお天気は気持ちがいいですね」


「ほんとうに。お茶の時間にでもご一緒できたら嬉しいのですが」


「さっさとこの女の評判を落とさないと」


私は微笑みを崩さないまま、次の言葉を選んだ。


「喜んで。ただ、今日は少し時間が取れなくて。また改めていつかお声がけしますね」


「……なんとか近づかないと」


「もちろんです。いつでも」


エルミナが去っていく背中を、私はただ見送った。


ゲームのシナリオでは、この先「セレスティアがエルミナに意地悪をした」という噂が学院に広まる。


実際には何もしていない。エルミナが広めるのだ。


でも今は、聞こえる。


思っていることが、全部。


それから二週間、学院の廊下は静かな戦場だった。


エルミナは表では「セレスティア様はとても優しくしてくださっています」と笑い、裏では「あの令嬢が嫌がらせをしてきた」と吹聴して回っていた。


男子学生が何人か、私に距離を置くようになった。授業中に視線が冷たくなったのも気づいていた。


でも私には声が聞こえる。


廊下ですれ違うたびに、エルミナの声が入ってくる。


「もう少し追い詰めれば崩れるはず」「なぜこの女は動揺しないんだろう」「笑顔が怖い」


怖いのはあなたの方だと思いながら、私は毎回「ご機嫌よう」と返した。


ある日の午後、図書館の奥で声が聞こえた。


エルミナ本人ではない。


男子学生の一人——確か名前はフィリップという——の声だ。声が続く。


「エルミナ様に頼まれた。あの令嬢が本を棚から落としたと言えばいい、それだけだ」


私はそっと足を止めた。


翌日、フィリップが私に近づいてきた。


緊張しているのが声でわかった。「早く終わらせたい」という声が先に届いてくる。


「フィリップさん、少しよろしいですか」


「は、はい」


「困っていることがあるなら、話してください。誰かに何かを頼まれたなら、私は問いません。ただ——」


私は彼を見た。


「嘘の証言は、あなた自身を一番傷つけますから」


フィリップの顔から血の気が引いた。


声が聞こえた。「なぜこの女は知っているんだ」


彼はその日から、エルミナに距離を置くようになった。


断罪イベントが設定されているのは、王立学院の修了式の前日だ。


シナリオ通りなら、アルノーが王族・学院教師・学生の前でセレスティアに「エルミナへの数々の嫌がらせ」を告発し、婚約を破棄する。


証人はエルミナ本人と、彼女に味方した数人の男子学生だ。


それまでの間、私はひたすら情報を集めた。


聞こえてくる声を、全部記録していくようにした。


エルミナが「令嬢の使用人を買収しよう」と考えているのが聞こえたので、マリエルには事前に「しばらくは見知らぬ人から何かを受け取らないで」と伝えた。


エルミナが「あの侍女に嘘の証言をさせる」と考えているのが聞こえたので、その侍女に直接会いに行き、穏やかに話をした。


「もし何かを頼まれたときは、まず私に教えてください。あなたを守ります」


侍女——エリーゼという名の小柄な少女——は、最初は怯えていたが、最終的に「わかりました」と頷いてくれた。


全部、準備した。証言者を。物証を。記録を。


修了式の前日、大広間に呼び出された。


アルノーが立っている。教師たちが並んでいる。学生が大勢いる。エルミナが涙をこらえた顔で横に立っている。


「セレスティア・ラングフォード侯爵令嬢。エルミナ・ヴォルケ男爵令嬢への数々の嫌がらせについて、ここで明らかにしなければならない」


アルノーの声は静かで、落ち着いていた。


またあの声が聞こえた。


「終わった。これでシナリオが動くだろう」


私は一歩、前に出た。


「殿下、少し待っていただけますか」


「……何?」


「嫌がらせの証拠があるということでしたが、具体的に何をいつどこでしたと」


「それはエルミナが——」


「エルミナさん」


私はまっすぐ彼女を見た。


「今年の三月十二日、あなたは私の侍女エリーゼに何を渡しましたか」


エルミナの顔色が変わった。


声が聞こえる。「なぜ知ってる」


「三月十七日、あなたは図書館で誰かに会いましたか。その人に何を頼みましたか」


「……」


「エリーゼ、前に出てください」


後ろで待機していたエリーゼが、小さな封筒を持って前に進んだ。


「エルミナ様から受け取りました。中には、嘘の証言をすれば金貨三枚を渡すと書いてあります」


広間がざわめいた。


エルミナの声が聞こえる。「馬鹿な、なぜ!?なぜこの令嬢はすべてを先回りしていた」


「セレスティア、これは——」


「殿下、もう一つだけ」


私はアルノーを見た。


「殿下は、私がエルミナさんに嫌がらせをしたと信じていましたか」


「……それは」


声が流れ込んでくる。


「正直に言えば、信じてなかった。この令嬢はそういう人間ではない、と思っていた。でも証人が複数いると言われて……」


アルノーが口を開いた。


「……信じていなかった、と言ったら、嘘になる」


「そうですか」


私はそれ以上は聞かなかった。


声の中で、彼が続けている。


「この場面を見て初めてわかった。俺はこの令嬢を、ずっと過小評価していた」


大広間は、しばらく静かだった。


エルミナが「違う」「嘘だ」と言い募ったが、エリーゼの証言と封筒の前では、どんな言葉も届かなかった。


「私には、加護があります」


私は最後に言った。


「その加護の名前は《声なき声》——相手が思っているが口にしない言葉が、聞こえます。エルミナさん。初めてお会いした日、あなたが考えていたことを、ここで言いましょうか」


エルミナの顔から、すべての表情が消えた。


「……結構、です」


それだけ言って、彼女は俯いた。


修了式の後、アルノーに呼び止められた。


「少し、話せるか」


「はい」


廊下に出た。二人きりだ。


しばらくの沈黙の後、声が聞こえた。


「謝らないといけない。でも謝ったところで、信じてもらえるはずがない」


私は先に口を開いた。


「謝罪は、別に。でも一つだけ聞いていいですか」


「……何だ」


「今、何を考えていますか。声に出して、教えてください」


アルノーが目を細めた。


「……なぜ」


「加護の特性上、口に出された言葉より、心の言葉の方が先に聞こえます。殿下が今考えていることは、既に聞こえています」


「……」


「口に出してもらった方が、ちゃんと向き合えます」


長い間があった。


やがてアルノーが言った。


「謝りたい。今まで駒だと思っていた。でも今日のお前を見て、俺は何も分かっていなかったと気づいた」


「聞こえていましたよ、全部」


「……やはりか」


「殿下が私を駒だと思っていることも、エルミナさんに本命がいるかもしれないと思っていたことも。でも——」


私は廊下の窓から外を見た。


「殿下の声の中に、一度だけ聞こえたことがあります。私が断罪を覆したとき。『この令嬢を、守れなかった』と」


アルノーが黙った。


「だから、まあ。続けてみてもいいかと思っています。婚約」


「……俺が嫌と言ったら」


「聞こえてますよ、今の本音も」


彼の顔が、かすかに赤くなった。


「……やりにくい婚約者だ」


「承知しています」


「……それでも、隣にいてくれるか」


私は少し立ち止まった。


その言葉は、口に出ていた。珍しく、心の声より先に。


「……それは、本音ですか」


「ああ」


「心の声では?」


「……同じだ」


初めて、心の声と口から出た言葉が一致した。


私は再び歩き出した。


「では、考えておきます」


「なぜ即答しない」


「殿下も、最初は即答しなかったので」


背後で低い声が漏れた。笑っているらしい。


私は歩き出した。背後でアルノーの声が聞こえた。口には出ていない、心の声だ。


「——好きになるかもしれない」


前を向いたまま、私は少しだけ口角を上げた。


聞こえてます、殿下。全部、聞こえています。


でも今日だけは、わざと聞かないふりをしておいてあげます。


【完】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かったです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ