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高校入試の帰り道【勉強が取り柄の僕が、クラスの人気者に片思いする話】

作者: 重井 愛理

 好きと伝えるのは難しい。


 それまでの関係が壊れてしまうかもしれない。いや、壊れてしまうとわかっている場合だってある。



 彼女は、僕の対極にいる人間だった。学校の廊下を歩けば、必ず誰かが声をかける。教室にいれば、笑顔と笑い声の中心にいる。文化祭も合唱コンクールもイベントはいつも率先して参加する。茶色い癖っ毛をマフラーに埋めて歩く冬でも、太陽を隣に連れて歩いているような、温かい光そのもの。

 


 僕は、その光をただ遠くから見つめる、影のような存在だった。

 スポーツは苦手だった。体育の授業では活躍した試しがない。絵も歌も字も下手。顔だっておばあちゃん以外からは褒められたことがない。

 そんな僕でも、一つだけ誇れるものがあった。勉強だけは、クラスの中でも得意な方だった。それだけが僕の居場所であり、僕がこの世界に立っている、唯一の確かな足場だった。




 受験まで数ヶ月を切った頃、担任の先生が『もうすぐ卒業だから、最後の席替えはお前たちの好きに決めていいぞ!』と言った。教室は沸いた。僕だけを除いて。

 好きこのんで僕の隣を選ぶ人などいないだろう。なんでこんなことするんだと、絶望が心を覆う。でも、先生は良い人だ、悪くない。必然、責められるべきは、人との関係をうまく築けない僕自身ということになる。


 黒板に書かれた座席表に、皆が思い思いの場所に名前を埋めていく。僕は、その様子から目を逸らして、黙々と数学の問題を解き続けた。


「あのさ。君の隣、私でもいい?」


 彼女が、僕の机にそっと近づいてきた。その瞬間を、僕は永遠に忘れないだろう。


「え……?僕はいいけど……。」


 突然のことに、僕は戸惑いながら答えた。僕の顔は、きっと赤くなっていたんだと思う。

 彼女は、黒板に向かうと、二人分の名前を書き込んだ。隣に並ぶ名前を見つめる。ただそれだけのことが、自分の存在が世界から認められたような、そんな気がした。


 

 席替え後の最初の昼休み。彼女は、一冊の参考書を開きながら机を寄せてきた。


「先輩と同じ高校に行きたいんだけど、今の点数じゃ厳しくて。この問題を教えてくれない?」


 彼女の口から出た「先輩」という言葉は、僕の心を静かに貫いた。こういう恋愛なんかで頭がいっぱいの人間が、僕は一番嫌いなんだ。

 けれど、そのときの僕の心臓の鼓動は、人生で最も激しい戦闘の鐘のようだった。僕の唯一の取り柄である「価値」を彼女は求めている。誰かに、僕が「必要」とされた、初めての瞬間だったからだ。


 それから僕は、休み時間の度に、彼女に勉強を教えた。そのときの彼女は、誰にでも優しい「クラスの人気者」ではなく、目標に向かって一途な女の子だった。僕は、その素直で真剣な瞳が、僕が解説する問題の解き方を追っているのを見つめた。その瞳が映す先の未来を思うたび、僕は。


 人に勉強を教えると自分の理解も深まる?そんなのは嘘だ。簡単な問題ばかり解説して、難しい問題が解けるようになるなら誰だって苦労しない。僕は、自分のための受験勉強をしないといけない。そんなことにも気づかない彼女は自分勝手だ。


 でも、彼女に入れ込む自分を止めることができなかった。僕はやっと与えられた自分の「価値」を手放すことができなかった。



 そんな卑しい僕の感情とは裏腹に、彼女は驚くほどの努力家だった。僕が教えた問題を完璧に解き、みるみるうちに成績を上げていった。

 いつしか、僕は確信していた。僕が教えた問題の解法が、そのまま彼女の頭の中で光となり、彼女が目指す高校への道を明るく照らしている。烏滸がましいと思う。ある意味ではただの願望だったのかもしれない。

 それでも、彼女の努力が報われ志望校に合格するだろうことを、僕は誰よりも早く悟っていた。

 彼女は別に勉強が好きなわけじゃない。受験が終われば、彼女と僕の人生が交わることは二度とない。

 月日は流れるように過ぎていった。


 



 今日、二月の冷たい空気が、すべての緊張を閉じ込めている。高校入試の日だ。


 朝、僕は少し早めに最寄りの駅に着いた。遠くから、彼女が歩いてくるのが見えた。普段は友達と一緒の彼女が、今日は一人だ。緊張と希望に満ちた、まっすぐな表情。お互いの受験する高校が近かったから、たまたま同じ時間帯の電車になった。

 電車の中で、彼女は僕と一緒に作った単語帳を開いていた。ページを捲る手がわずかに震えているのが分かった。


「緊張するね。昨日の夜、全然寝れなかったんだ。」


 彼女が小さな声で言ったので、僕は平静を装って返した。


「大丈夫だよ。散々僕の勉強時間食い潰したんだし。」


 彼女は目を丸くした後、安心したようにふわりと笑った。


「そっか。そうだよね。ありがとう。」


 僕は窓から、駅のホームを眺めながら言った。


「頑張ってね。先輩と同じ高校に行けるように。」


 そして、僕より一つ前の駅で降りた彼女を見送った。


 僕は、次の駅で降りると、試験会場へ向かった。この数ヶ月色々なことがあった。

 彼女を通して、クラスの皆から頼られるようになった。色んな人に勉強を一生懸命教えた。

 やがて彼女とは勉強以外にも日々の雑談もするようになった。『お母さんが入った後のお風呂は、髪の毛が浮かんでるから嫌。」なんて話を聞いた時は、僕は暫く彼女の顔を見ることができなかった。どうしても想像してしまうものがあった。

 休日も、家で勉強会をした。勿論二人きりではなく他に友達も呼んで、だ。彼女のファッション誌に載っていそうなオシャレな服と、お母さんの選んだ自分の服の格差に衝撃を受けた。

 勉強机に向かう時間が減ったことを家族には随分と心配されたが、不思議と僕の成績は下がることがなかった。



 

 そして、試験が始まった。国語の文章読解も、数学の証明問題も、僕には簡単に解けた。例年のボーダーを考慮しても、落ちる心配はない。

 心配性な僕は、時間の限り何度も答案の見直しをした。でも、僕の思考は問題用紙の文字の上を滑るだけで、内容は頭に入ってこなかった。ただ、彼女のことだけが、頭の中を占めていた。彼女は、今、僕が教えた解法を思い出せているだろうか。




 試験が終わり、どっと疲れが押し寄せた帰り道の電車。通勤ラッシュの時間帯にはまだ早く、車内は空いていた。

 僕は、ぐったりと座り込むと瞼を閉じた。


「あれ!また一緒の電車!?」


 数分後、今では聞き慣れた声に僕は目を開いた。座っていた僕の視界に、少し丈の短いスカートと内股の足が映る。


 彼女は僕の直ぐ隣に腰掛けた。その瞬間、なぜか二人分の静寂に満ちた空間が生まれた。僕たちは、確かに周りの喧騒から切り離された、小さな世界にいた。彼女の髪から、微かに残る緊張と、柔軟剤の甘い匂いがした。


 彼女はバッグから飲み物を取り出し、満足そうにため息をついた。安堵と手応え、達成感を滲ませた声で呟く。それは、試験が会心の出来であることを物語っていた。


「もう終わったんだね。あー、長かった。」


「……お疲れ様。」


「ありがとう。でも、君のおかげだよ。感謝してる。」


 その言葉が、僕の胸に鋭く突き刺さる。僕たちの関係を定義づける、最も正しいが、最も聞きたくなかった言葉だった。

 春から、僕たちは違う高校になる。もしかしたら、通学ルートは同じかもしれない。でも、それだけだ。僕の「価値」を彼女が必要とする時間は、二度と来ない。



 何か話したいことがあった。 

 この数ヶ月、何か言いたいことがあったはずだった。


 僕の視線は宙を彷徨い続ける。バッグのファスナーを開き、探しているものもないのにバッグの中に手を入れてかき回す。使い込まれた参考書とノートの数々。今日、その役割を終えて不要になったもの。そこに記されていたものは問題の解法だけだったのだろうか。


 額に汗がにじむ。僕は、大きく息を吸い込んだ。喉の奥で、言葉が逃げ出そうとする。その一言がどうしても遠い。


「えっと、どうかした……?」


 彼女が心配そうに僕の顔を覗き込む。そのいつも近すぎる距離感が、僕は本当に嫌いだった。


「あ、いや、あの。切符をなくしちゃったみたいで……。」


「ほんと!?」


 彼女はぱっと席を立ち上がると、座面と背もたれの隙間に指を這わせたり、しゃがみ込んで椅子の下を探したりし始めた。

 上体を屈めるものだから、胸元から白い肌が見えてしまう。僕は眉間にしわが寄るくらい強く目を瞑った。


「別にいいって!五百円もしない切符だし。」


 彼女は俯いて腰掛けた。しかし、その視線はまだ、きょろきょろと床を見渡していた。

 僕はポケットから切符を取り出して彼女に見せた。


「ごめん。ポケットの奥に入ってただけだった……。」


「なんだ……。それならよかった。」


 彼女は僕の方を向いて、ほっと胸をなで下ろした。その時、今日初めて、彼女と目が合った。

 何も言わずにじっと見つめる僕に、彼女は微笑んだ。


 僕にとって、その言葉は常に、自分の存在の価値を測る行為と同義だった。拒絶されることは、僕という人間の全てを否定されることだった。だから、その恐ろしい試練を避けてきた。

 いや、だいたい、僕がそんな気持ちになるわけがない。あんな自分勝手な人に。だけど、人の切符を必死に探す人だ。

 ふと考える。彼女は友達が多い。勉強を教わるなら僕以外でも良かったのかもしれない。ただ休み時間に僕が一人で暇そうにしていて”使いやすそう”だったからかもしれない。もしかしたら、一人でいるクラスメイトを見過ごせなかったのかもしれない。


 あれこれ考えたところで、彼女の思考なんて僕に分かるわけない。

 別に理由なんて何でもよかったんだ。ありきたりで、どこにでもある。先輩のことだって関係ない。

 ただ純粋に、僕は、今この気持ちを伝えたい。

 僕は手を握りしめて、もう一度大きく息を吸い込んだ。


「僕は、あなたのことが」・・・


この小説が、皆様の思い出を懐かしむきっかけになれば幸いです。


長編のファンタジーも書いてます。

恋愛要素も少しあります。

良かったらこちらもぜひ!

「少女の刃が雷神王に届くとき」

https://ncode.syosetu.com/n7842ld/

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― 新着の感想 ―
自分の対極にいるクラスの人気者である彼女への主人公の複雑な感情が丁寧に描かれていて切ないですし、自分の唯一の価値である勉強を求められたことで初めて他人に必要とされたと感じる主人公の気持ちが痛いほど伝わ…
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