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CHAIN:02-5

車両が速度を落とし、砂利を踏みしめながら敷地の奥へ進む。

そこには白い仮設トレーラーが数台横並び、簡易照明が夕暮れの色を照り返していた。

窓際には地図や通信機材が並び、慌ただしく動く人影が影絵のように映る。

周囲には電源ケーブルや無線アンテナが張り巡らされ、仮設テントや補給用コンテナが無造作に置かれていた。


車両はトレーラー前の広場に滑り込み、ブレーキ音を残して静止する。


待機所の前には二人の教官が立っていた。

一人は神樂坂。背筋を伸ばし、腕を背に組んで揺るがぬ姿勢を保っている。

その隣には男性教官――榛南。夕陽に照らされた横顔は険しく、腕を組んだまま帰還車両を射抜くような眼差しを向けていた。


ドアが開き、C班の隊員たちが次々に降り立った。

制服には戦闘の痕が刻まれ、裂けた布地の隙間から煤けた肌がのぞく。

夕暮れの涼しさに包まれながらも、その吐息だけは熱を帯びて白く揺れていた。


「C班、帰還確認」


榛南の低い声が沈んだ空気を切り裂き、一言で場をさらに引き締める。


「教官、遅れてすみません」


隊列の前に立った宮静が、すぐさま深く頭を下げる。

夕陽の朱に染まった背は疲労に震えながらも、なお真っ直ぐに伸びていた。


「集合時間遅刻、マイナス二十点。だが――」


榛南の鋭い視線が宮静を射抜き、次いで隊列全体へと流れる。

夕焼けの光を宿した双眸に見据えられると、背筋に冷たいものが走り、誰もが反射的に息を呑んだ。

並ぶ隊員たちは一様に足をそろえ、肩を揃えて自然と身を固くする。


「隊長、過失を申告。全員生存確認…プラス三十五点」


記録を読み上げるような無機質な声。

それでも榛南は告げ終えると、ほんのわずかに視線を和らげた。


「……よく連れ帰ったな、宮静。隊員を一人も欠けさせなかった。その責は重いが、誇るべき結果だ」


榛南の言葉に、宮静は背筋をさらに伸ばし、深く一礼した。


「ありがとうございます。ですが…今回は御堂くんのおかげです。彼が来なければ、私たちだけでは押し切れませんでした」


宮静の言葉は淡々としていながら、確かな感謝を含んでいた。

榛南は短く目を伏せ、次いで御堂と神樂坂へと鋭い視線を移す。


「御堂楓馬、参戦による戦況の立て直し。プラス十五点。神樂坂、応援要請の判断。プラス十五点」


数字を告げる声は冷ややかで、感情を挟む余地はない。


榛南の視線が次に止まったのは、列の端に立つ月森だった。

重苦しい沈黙に気づき、月森はきょとんと目を瞬かせる。

慌てて頬や顎に手を当て、小首を傾げて一歩前へ出た。


「あの……どうかしました? 私の顔に何か付いていますか?」


場の緊張をまるで意識していない言葉に、列の隊員たちの胸がひやりと冷える。

榛南の眉がわずかに動き、淡々と突き放すように告げられた。


「副隊長、指揮補佐の自覚なし。マイナス十五点」


冷徹な採点の一言が夕刻の空気を裂く。

夕陽に照らされた榛南の横顔は石のように揺らがず、列に並ぶ者たちは息を潜め、小さく肩をすくめた。


「ええっ、ちょっと待ってはるちゃ――!」


月森が半歩前に飛び出し、声を裏返して抗議する。

榛南の目が細まり、次の瞬間、氷のような一瞥が突き刺さった。


「馴れ馴れしい。マイナス四十点。C班は帰還後、懲罰訓練。月森は反省文も追加するか?」


声音には一切の揺らぎもなく、夕暮れの風よりも冷たく響いた。

月森は口を噤み、視線を落として肩をすくめる。


「……遠慮します」


弱々しく絞り出された声が、沈黙に包まれた広場に落ちた。

張り詰めた空気は誰も和らげようとせず、ただ夕陽だけが長い影を地面に伸ばしていく。


そのやりとりを横目に、神樂坂が足音を立てて歩み寄った。

御堂の前で立ち止まると、背筋を伸ばしたまま真っ直ぐに視線を向ける。


「よくやった、御堂。期待通りの成果だ」


御堂はその眼差しを受け止め、わずかに顎を引いて応じる。


「…ありがとうございます」


言葉を返すと同時に、楓馬はふと周囲へ視線を巡らせる。

仮設トレーラーの前には帰還したC班と教官、片づけを急ぐ職員たちの姿しかない。

朧も、澪も、楯川兄弟も――いない。


楓馬は小さく息を吸い、問いかける。


「教官、中級の…」


問いかける楓馬の声に、神樂坂はわずかに眉を寄せた。

一拍の沈黙のあと、ため息と共に言葉がこぼれた。


「中級の討伐なら、ずいぶん前に終わってる。……あいつらには”ここで待ってろ”と言っておいたんだが…」


言葉の端に疲れが混じり、深い吐息が続く。


「『…ゆっくりお風呂、早く…帰りたい』だの、『緋門の寝る時間がずれたらどうする』だの、面倒だから先に帰らせた」


肩をわずかにすくめる仕草には、諦めを通り越した呆れが色濃くにじむ。

その光景は容易に想像でき、楓馬は無言のまま小さく瞬きをした。

神樂坂は視線を戻し、短く告げる。


「本部の撤去と引継ぎが終わったら帰還する、少し待っててくれ」


楓馬はうなずき、片付けの手伝いに向かう。


神樂坂は周囲の職員を見回しながら、散らばったケーブルをまとめて器材ケースに収めていた。

その横へ榛南が半歩ほど寄り、視線は前に向けたまま小さな手帳をぱらりと開いた。

並んだ数字を指先でなぞりながら、低い声を落とす。


「おい神樂坂、私の得点簿に三千点の余りがある。有効期限切れが近い。わがままを言え、叶えてやる」


片付けの最中、不意に落ちた声に、神樂坂は器材の蓋を押さえたまま軽く首を振った。


「特にない。消しておけ」


あまりに即答だった。

榛南は横目でちらりと睨み、ゆっくりと首を振る。

その仕草には「許容しない」という意思がはっきりと表れていた。


「断る。それは私の理念に反する。積み上げた得点を無にするなど愚行だ。なんでもいいから言え。茶でも休暇でも――君の欲求を形にしてこそ点数に意味が生まれる」


言葉は理屈めいているのに、声音はどこか熱を帯びている。

だが神樂坂は肩をすくめ、器材を整える手を止めない。


「じゃあ、学苑の野良猫に餌でも――」


投げやりな一言を口にしかけたところで、神樂坂はふと顔を上げ、口角をわずかに動かした。


「……今、なんでもいいって言ったな」


唐突な切り返しに、榛南は瞬きを一度。


「?ああ」


その返事を聞いた途端、神樂坂の口元に満足げな笑みが広がる。


「――二週間後、一般戦闘科のA班からC班、それに特別戦闘科を加えた合同訓練をしよう」


声はあくまで淡々。

だが告げられた内容だけが榛南の肩にずしりと重くのしかかる。


「詳細はすべて任せる。頼んだぞ」


榛南は手帳を見下ろし、数字の欄を追ったのち、観念したように深い息を吐いた。

三千点の余りは、一瞬にして特別戦闘科と一般戦闘科の主力班を巻き込む大掛かりな計画へと姿を変えていた。


神樂坂は片手で制服の埃を払う。

その仕草は何気ないが、押し付けに成功した満足が隠しようもなく滲んでいた。


「ついでに、野良猫の餌やりも頼む」


結局、最初の要求まで背負わされる。

榛南は抗議する気力もなく、無言で手帳に書き込んだ。


広場には再び片付けの音だけが戻り、短い余韻として静かに残った。






その頃、離れた街の中心部では、一見した静けさが支配していた。


――連環結社(れんかんけっしゃ)レゾニア。


「心の連環を取り戻す」を掲げる民間のカウンセリング会社。

オンラインや手紙、出張訪問と、多様な方法で相談を受け付け、年齢や職業を問わず寄せられる声に耳を傾けている。月間利用者は二百万を超え、家庭や職場の悩み、人間関係まで、その内容はさまざまだ。

広告や公式サイトは淡い色彩と優しい言葉で彩られ、穏やかで温かな印象を与え、国内最大級の相談ネットワークを誇る。


その執務室――磨き上げられた木製の机が整然と並び、壁際には観葉植物が静かに葉を揺らしている。

窓から差し込む午後の陽が柔らかくカーペットを照らす中、扉が開いた。


「ただいま」


穏やかに響く声が、静まり返った室内に最初の音を落とす。


「ただいま戻りました」


間を置かず、きちんと整えた発音が空気を引き締める。

音の余韻が消え切る前に、室内の温度がわずかに張り詰めた。


その瞬間、奥のデスクで書類に目を落としていた人物が手を止め、ペン先が紙面の上でぴたりと静止する。

一拍の間を置いて、椅子の背にもたれていた体をゆっくりと起こし、視線を二人に向けながら顔を上げた。


「おかえり、二人とも」


低く落ち着いた声が放たれ、室内の静けさに柔らかな波紋を広げる。


「いやぁ、聞いてくれよ。面白いことがあってさ……偶然なんだけどね、凄いモノを見つけたんだよ」


片手が机の縁を指先で軽く叩く。

声には抑えきれない熱が混じるが、表情は静かなまま、視線だけが遠くをさまよっていた。


「またかい?君は相変わらず懲りないね。今回は何を見つけたの?」


男は軽く片眉を上げ、肘掛けに腕を預けたまま問いを投げる。

声色は穏やかだが、その奥に探るような鋭さが混じっていた。


その視線を受けながら、口元が抑えきれずに緩む。

秘密を打ち明ける直前の子供のように、身を少し乗り出し、声を落とす。


「…ふふ、生きてる鎖だよ」

「……ん?生きてる鎖?説明してくれる?」


にこりと笑みを浮かべながら、後ろに控える青年へ視線を送った。

探るように返された声に、青年は肩をすくめ、表情を整えると淡々と語り出す。


「はい。契約者は武器の一部として扱っているようでしたが……普通の鎖じゃない。まるで生き物のようにうねり、長さを変え、持ち主の意志にぴたりと追従しているように見えました」


男は顎に手を当て、わずかに間を置いてから口を開いた。


「…それは凄いモノだね。僕も見てみたいな」

「そうだろう!君なら分かってくれると思っていたよ」


そこから二人のやり取りは一気に熱を帯びる。

仮説を飛ばし合い、数式のように論を組み立てては即座に打ち消す。

手振りに合わせて資料がかすかに揺れ、机に散らばるペンが小刻みに震える。


「それはつまり、鎖そのものが――」

「いや、逆に鎖ではなく、別の媒介が――」

「では持ち主は、それを完全に制御しているのか、それとも――」

「いや、それこそが問題で――」


声の調子は次第に速く高くなり、部屋の空気が二人の議論で埋め尽くされていく。

その様子を少し離れた場所から眺めていた青年は、肩を落とし、小さくため息をついた。


(……こうなると二人を止められないんだよなぁ)


そのときギィと、軋む音を立てて扉が開いた。

白衣姿の女性が顔を覗かせる。

肩まで伸びた髪を後ろでざっくり結び、軽やかな笑みを浮かべながら室内を見回した。


「お~っす、集まってなにしてんの?」


青年がぱっと振り返り、笑みを広げる。

背筋をまっすぐ伸ばしたまま、弾むような声を返した。


立花たちばなさん、お疲れ様です、ちょうど今、盛り上がってて」


青年の言葉に、立花は片眉を上げて室内をざっと見渡す。

机を挟んで声を張り上げる二人の姿に、すぐ察したように小さく息を吐いた。


「……またあいつらか」


そのまま横目で青年へと視線を移す。

整った輪郭と澄んだ瞳、思わず見とれるほど均整の取れた顔立ち。

背筋を伸ばし、真面目そうに佇むその様子をしげしげと眺め、立花は一瞬だけ唇を引き結ぶ。

次の瞬間、わざと真顔を作り直し、ほんの僅かに口角を持ち上げてからかうように声を落とした。


「お前、今日もキレイだな」


冗談めかした軽口――だが、顔を正面からじっと見据えて放たれた言葉は、ひやかしにしては妙に真剣味を帯びていた。

青年はその裏を疑う様子もなく、ただ真っ直ぐに頷いて返した。


「立花さんも綺麗ですよ」


真顔で放たれた言葉に、女性の眉がぴくりと動いた。

うんざりと肩を落とし、白衣の裾を翻しながらため息を吐く。


「……あーそ。タバコ吸ってくる」

「僕もご一緒します」


すぐさま立ち上がろうとする青年に、立花は片手を振って遮った。


「坊ちゃんに喫煙室は早ぇよ」


顎をしゃくり、中央の二人を示す。

机に身を乗り出し、声をぶつけ合う男たちは、周囲の気配などまるで眼中にない。

彼女は半眼になり、吐き捨てるように言葉を落とした。


「あの二人を止めてくれ。何しでかすか分かんねぇから」

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