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CHAIN:02-1

鋼の機体が地面を離れた瞬間、午後の陽射しが斜めに差し込む。

プロペラが巻き上げた熱風がヘリポートを撫で、学苑の風景がゆっくりと遠ざかっていく。


視界の下に広がる街は、静かだった。

人の営みも、車の音も、ここまでは届かない。

代わりに機内にあるのは、低く鈍い振動と、張り詰めた沈黙だけ。


その中で、神樂坂の声が落ちる。


「任務概要。上級蝕依体、E-7区画に出現。推定発生原因は、”負の感情の局所的な集中”」


短く、簡潔な言葉だった。

けれど、それだけで機内の空気がわずかに引き締まる。


――蝕依体。

それは怒りや悲しみ、孤独や喪失感といった、行き場のない感情が、人知れず積もっていった末に生まれるもの。


誰かひとりの感情じゃない。

けれど、確かに”誰にも気づかれなかった痛み”が重なり、溢れたとき──

それは、歪んだ獣として現れる。


その姿も、能力も、どんな感情が集まったかによって変わる。

今回は、おそらく何かを失いすぎた人たちの、救われなかった想いだ。


神樂坂は間を置かず続ける。


「中級以下の蝕依体は、切れば沈む。だが、上級蝕依体となると話は別だ。あいつらは体内に”核”を持つ」


視線は前を向いたまま。

だが、言葉は一つひとつ、鋲のように刺さる。


「それを破壊し、回収するのが──今回の目的だ」


一拍の間。

機体の振動が、その沈黙を埋めた。


「本来、契約者は依存し合う二人一組で任務にあたる。依存の均衡が取れてこそ、力は安定する。だが──」


そこまで言って、神樂坂はちらりと楓馬へ目を向ける。


「御堂の依存は自己完結型だ。誰かを必要とするのではなく、”救いたい”という想いそのものが軸になっている」


静かに名を呼ばれた楓馬は、目を伏せたまま軽く頷く。


「だからいつも通り、祓間姉妹のサポートに回ってもらう。お前にしかできない役割だ」


向かいに座る朧と澪が、自然に指先を絡める。

視線は前を向いたまま。

それでも、たしかに繋がっていた。


「それと――上級の周囲には、中級以下の蝕依体が湧く。数も多い。下級は学苑の一般戦闘科に回してある。お前たち特殊戦闘科は、確実に中級以上を潰せ」


その声は、命令というよりも確認だった。

けれど、誰の中にも疑問はなかった。


「──いいな」

「「「了解しました」」」


ブレもなく、音の強さも揃っていた。

それだけで、このチームがどういう編成であれ──問題がないことは、はっきりしていた。


──ゴウン、と機体がわずかに揺れる。

ヘリがゆっくりと高度を下げ始めた。

プロペラの回転音が低くなり、地面の景色が近づいてくる。


住宅街E-7区画。

昼の陽射しに照らされた街並みに、どこか淀んだ空気が混じり始めている。


機体の脚がアスファルトを捉えた瞬間、短く鳴った金属音が、全員の感覚を戦場に引き戻す。


「──着いたぞ。降りろ」


神樂坂の指示と同時に、スライド扉が横に開いた。

昼光と、焦げたようなにおいを含んだ風が流れ込んでくる。


誰よりも早く、朧が立ち上がる。

続いて澪がその背中にぴたりとつき、楓馬も無言のまま立ち上がった。






扉が開いたヘリから降り立つと、現地で待機していた臨時指揮官がすぐに駆け寄ってきた。

灰色の戦闘服は煤でくすみ、腕には包帯が巻かれている。

軽く息を整えながらも、その目には冷静さが宿っていた。


「神樂坂教官、お疲れ様です」


浅く一礼したあと、すぐに報告に入る。


「状況は?」

「はい。負傷者が数名出ていますが、応急処置は完了済みです。近隣住民の避難も全区域で完了を確認しました」


言いながら、臨時指揮官の視線がわずかに周囲を横切る。

倒壊した壁、焦げた道路、焼けた草木のにおい。

そのすべてが、ここに蝕依体が出現した痕跡だった。


「下級の蝕依体は、ほとんど殲滅できています。ですが──」


そこで言葉が一瞬詰まる。


「上級個体の動きが、まだ確認できていません。加えて、中級の出現数が明らかに通常より多い傾向にあります」


その言葉に、神樂坂の眉がわずかに動いた。

けれど、表情は崩さずに短く応じる。


「……報告、感謝する。上級の討伐が完了するまで、下級が追加で湧く可能性がある。気を抜くな」

「了解しました」


臨時指揮官は再度一礼すると、仲間たちのもとへと戻っていった。

その背が建物の陰に消えるのを見届けると、神樂坂が短く息を吐き、振り返ることなく言った。


「今回の討伐対象は豹型蝕依体、〈刹隠せついん〉との情報が上がっている」


その名を聞いた瞬間、空気がわずかに緊張を帯びた。


──授業で見たことがある。

楓馬の脳裏に、教室のホログラムに映し出された映像が浮かぶ。


黒い影が、街路の隙間を縫うように走る。

姿は見えず、音もない。

だが次の瞬間、ひとりの訓練兵の胸元が内側から裂け、倒れる。


不可視のステルス殺傷。

完全無音で高速移動し、爪の一撃は振動式。

外傷が小さくても、内部を破壊する。

逃げ場も、反応の隙もない。


「一般人が被弾したら、即重症だ」


神樂坂は振り返り、三人を見た。


「…お前たちなら、”痛い”だけで済む」


言葉こそ軽く、だがその目に宿っていたのは、確かな信頼だった。


「まあ、やってこい。あの程度、お前たちなら勝てる」


朧は無言で頷き、澪はその隣で姉の影に寄り添うように立つ。

楓馬は少しだけ息を整えるように目を伏せたあと、静かに顔を上げた。


「最優先は上級の討伐。中級の処理は後回しで構わない。下手に散らばるなよ」


風の向きが変わる。

市街地の奥から、焦げたような空気と、濃い瘴気の気配が混じり始めていた。

神樂坂は最後に楓馬へと視線を向ける。


「御堂、双子を頼んだぞ」

「……はい」


楓馬の短い返答を聞いた神樂坂は、ただ一度だけ頷いた。

それ以上の言葉は要らなかった。


御堂たち三人の背が住宅街の角に消えていくのを見届けた。

風に揺れるカーテンや植木鉢の土の乾き方が、人の暮らしがあった痕跡を残している。


任務開始時点では、これほど中級が現れるとは誰も予測していなかった。


神樂坂は通信端末を取り出し、操作も最小限に学苑本部の戦術管制室へと繋ぐ。

端末の画面には、光の反射で自分の目元がぼんやりと映っていた。


『戦術管制、斑目(まだらめ)です。どうぞ』

「神樂坂だ。午後の試験は終わったか?」

『はい、教官。残り三名も無事に終了しています。記録も送信済みです。……現地、何か問題が?』

「中級蝕依体の数が予想以上に多い。人手が欲しい」

『了解です。すぐに対応します。どなたを向かわせましょう?』


神樂坂は短く言った。


楯川(たてかわ)を出せ。──二人とも、だ」


通信の向こうで、一瞬だけ息を呑む気配が走る。


『……二人とも、ですか。”兄弟そろって、初任務”ということになりますが──』

「ああ。それでいい。本人たちには、そう伝えろ。”初任務だ”とな」


斑目の声色がわずかに緊張を帯びた。


『……承知しました。即応手続きに入ります。05、06の出撃許可はこちらで通しておきます』

「30分で着け。それ以上かかるようなら、間に合わない」

『了解。──お気をつけて』


神樂坂は通信を切り、端末を無言でポケットへ戻す。


一陣の風が、誰もいない住宅街を吹き抜けた。

木製フェンスが軋み、小さな風車が一度だけ回る。


「……さて。初任務が肩書き倒れじゃないといいがな」






舗装された道路がまっすぐに続いている住宅街の一画。

歩みを進めるたび、空気にわずかな”異音”が混じる。


空は青く、雲ひとつない。

陽射しは強く、建物の影すら短く削られている。


――上級蝕依体が存在する空間には、異常な”波”が満ちる。

それは温度や重力のような物理的変化ではなく、感情の残響に近い。

核の発生により、半径二キロ以内には中級蝕依体が、四キロ以内には下級蝕依体が湧くとされている。

未処理の痛みや怒りに引き寄せられ、それらは地を這い、空気に潜み、やがて形を持って現れる。


朧が歩みを緩めずに言う。


「…二キロ圏、入った」


楓馬が鎖をほどき、手首の角度を整える。

いつでも振り出せるように、感覚を微調整する。


「中級が出る距離だ。……この気配、近いな」


すぐ横で、澪が静かに立ち止まる。


「……気配。濃い」


視線はまっすぐ。

アスファルトに、乾いた爪の音が這う。

住宅街の塀と屋根の上に、黒く光る肢体が散っていた。


――蠍型蝕依体、裂肢れっし

全長50cmの小型個体。

跳ね回り、刃脚で斬りつけ、尾から電磁針を放つ。

六体が、こちらを囲むように待ち構えていた。


そのうちの二体が、同時に跳ぶ。


「上下から来る。朧、右を取って」


楓馬が声を投げると、朧は刀〈月霞(つきがすみ)〉を迷いなく構えて前へ出る。

その背後で、澪の弦弓〈泡暁(あわあかつき)〉が淡く光を帯びた。


屋根から一体が飛来し、鋭い脚を振り下ろす。

朧の踏み込みはそれよりわずかに早い。

白銀の刀身が空を裂き、斜めに滑る軌道で腹を斬りつける。


同時に、もう一体が路地から飛び出してくる。

澪の矢が脚を砕き、崩れた直後、朧が振り返りざまに斬り払った。


甲殻が割れ、肉が裂ける音が重なる。

二体がほぼ同時に倒れる。


「三体目、裏の角。まだ気づいてない」


楓馬が塀の向こうを指す。

朧がすぐにそちらへ向かい、澪が弓を構えたまま追う。


民家の影に潜んでいた裂肢が、朧の接近に尾を跳ね上げる。

電磁針が放たれる直前、楓馬の鎖が飛び、空中で針の軌道を逸らす。

朧は刃を寝かせ、駆け抜けるように斬り上げた。


一閃。

裂肢がぐらつき、そのまま壁際に崩れる。


「……残り三体、屋根」


澪の声がわずかに沈む。

直後、屋根の上から残る三体が一斉に跳ぶ。

斜め、縦、交差しながらの同時奇襲。


「前は朧。背後は僕が引く。澪、角度で止めて」


楓馬の鎖が三方向に走る。

一本が脚を絡め、一本が尾を封じ、一本が跳躍の途中を打ち落とす。


朧が真正面の一体に踏み込む。

刃が重心を断ち、真横から胴を斬り裂く。

そのまま旋回し、着地に失敗した個体を斬り払う。


澪の矢が三体目の関節に滑り込み、動きを止めたところで朧が刃を叩き込む。


三体が次々に崩れ、破裂音が空気に沈んだ。


「……六体、撃破」


楓馬が呼吸を整え、鎖を巻きながら周囲を確認する。


「…裂肢は群れても三体。聞いた通り、今回は多い」


静かに肩で息を吐く。

一瞬だけ力を抜くように瞼を伏せ、深く、静かに吸い直す。


――そのとき、空気が一瞬だけ揺れた。


風を切る音。

ただの風ではない、”何か”が、高速で横を通り過ぎた。


朧がすぐに視線を走らせる。

だが、何もいない。

けれど、確かに音だけが残っていた。


「……もっと、奥に…進もう…」


澪が小さく呟く。

まだ何も見えていないのに、足元から冷えるような緊張が肌を這う。


「…核……探して、壊す…」


朧が頷く。

その言葉に合わせるように、三人は再び歩き出す。






舗装が切れかけた先。

わずかに開けた公園跡のような広場が、視界の奥に見えてきた。


フェンスの影。

止まったままの遊具。

視界は開けているのに、どこにも”安全”がない。


その静けさのなか、再び、風が鳴った。

耳元をかすめるように、鋭く、掠れる音。


誰も見ていない場所で、何かが走っている。


風が鳴る。


かすかに。

鋭く。

耳の奥を引っかくような異音が、ふいに空気を裂く。


次の瞬間――


空間が歪むように、朧の左肩のすぐ背後。

何もなかった空間に、”黒”が走った。


気づいたときには、そこにいた。


振動を纏った爪。

肉を裂くためだけに進化した、鋭利な刃。

軌道は、脊椎を正確に断つ角度で振り抜かれていた。


その爪が、朧の背を斬り裂くよりもわずかに早く、鎖が滑り込む。


「朧、下がれ!」


楓馬の声と同時に、赤黒の鎖が朧と刹隠の間に食い込んだ。

鋼の節が音を立ててしなり、衝撃を受け流す。


爪が鎖をかすめ、火花が散る。

その刹那、見えなかったはずの刹隠の輪郭が一瞬だけ浮かび上がる。


刃のように尖った脚、振動する黒い爪。

陽光にほとんど干渉しない、異常なまでの光吸収皮膜。

全長約3m。

豹のようにしなやかな身体が、朧の真横で一歩分だけ姿を現した。


「今のは…狙ってた。仕留めにきてた」


刹隠の姿は、再び空気に溶けていく。

振動だけがわずかに残り、影のように後退した。


朧が目線だけで澪を確認し、楓馬を一瞥する。

その視線は確かに「助けられた」ことを認めていた。


澪が震える指先で、そっと弦に矢をかける。

矢羽が揺れ、風がわずかに流れる。


気配だけが、じわじわと滲むように近づいてくる。

音もない。

姿もない。


理解している――これは刹隠だと。


…それでも、感覚が追いつかない。

本能が「いる」と叫ぶのに、視界にも聴覚にも、その姿は映らない。

だから今、目の前にいるそれを、名で呼ぶことができない。


それでも確かに、そこに”何か”がいる。

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