CHAIN:01-SS
孤独は”個”を生む。
”個”は思想を持つ。
思想は境界を作る。
境界は断絶を生む。
だから我らは、”意思”を否定する。
己を持つな。
意志を持つな。
"お前"が在る限り、輪は歪む。
そこは外界から完全に隔絶された、沈黙の閉鎖空間。
外の喧騒は一切届かず、わずかな息遣いさえ反響する“聖域”である。
信者の手首には、艶やかな翡翠色を放つ緑色のバングルが嵌められている。
冷たい金属の内側には教義の一節が刻まれており、肌に触れるたび自己が輪に溶け、境界を失っていく感覚が蘇る。
集会所の中央。
宙に浮かぶ斬環〈緘輪〉が空気の軸を支配するように佇む。
漆黒の台座に据えられたその環は、「意思を断つことで孤独を終わらせる」ことを体現した、最も重要な象徴。
時折、緘輪は微かに振動し、淡い緑の光を灯す。
その瞬間、信者たちは目を閉じ、己が薄れていく快感に身を委ねるのだ。
――〈運命導解宗統Konneqt〉。
時が満ちたかのように、空気がわずかに震える。
緘輪の光が収束すると同時に、背後の扉が静かに開く。
重厚な扉は音もなく滑り、そこから差し込むのは、外界の光ではない。
濃密な沈黙とともに、淡い緑の光が廊下から染み込むように流れ込んでくる。
音はなかった。
にもかかわらず、全員の意識が同時に”彼”へと向く。
誰ひとり振り返らずとも、その「出現」は否応なく空間を支配した。
座した信者たちの背筋が、自然とまっすぐに正される。
目は伏せられたままだが、その身はわずかに震え、胸元に添えた手に力がこもる。
「……共無様だ…」
前列の男が息を呑むように囁く。
その声には畏れと歓喜がない交ぜになっており、喉の奥で掠れていた。
「…あの御方こそが…私たちの真理……」
別の信者が、感極まったように口元を震わせる。
視線は上げない。
ただ、涙が静かに頬を伝う。
「皆さん、お疲れ様です」
その声は、あまりに優しく、あまりに静かだった。
性別も年齢も判然としないその声は、まるで耳ではなく胸の奥に直接響くようだった。
言葉に込められた感情は──慈しみ、でもなく、励ましでもない。ただ“安堵”だった。
まるで、自らの意思を削ってきた者たちへの報酬のように、穏やかな癒しを運んでくる。
その瞬間、空間全体がわずかに揺れる。
緘輪が低く震え、翠光が波紋のように床を這う。
それに呼応するように、信者たちはいっせいに深く頭を垂れ、何も問わず、何も応えず、ただその存在に祈るように身を沈めた。
床に額を預けたまま、誰もが静かに目を閉じる。
自分という境界を手放すことに、迷いはない。
この空間において、自らの意思は罪であり、個は穢れであり──消えることこそが救いだった。
「疲れたでしょう、自分で在ろうとするのは。でも、もう大丈夫。“あなた”が消えた今、あなたは最も正しく繋がっている」
共無の声が、やわらかく空気を撫でる。
誰の耳にも同じ音色で届きながら、不思議と、それぞれに語りかけてくるような感覚を伴う。
その言葉に、何人かの信者は目尻から涙をこぼし、指先に力を込めて合掌する。
「あなたが“考えなかった”から、あなたが“拒まなかった”から、私たちはまた、一つに近づけた。──ありがとう」
声に抑揚はない。
それなのに、圧倒的な熱が宿っていた。
その“ありがとう”には、喜びも誇りも含まれていない。
ただ、従順に溶けた者だけが与えられる、静かな祝福。
そのまなざしがゆるやかに場を掃き、沈黙の支配を確かめるように口を開く。
「ではまた、同じ沈黙の先で巡り合いましょう」
言葉を残し、共無は緘輪の前から静かに後方へと下がった。
歩みは音を立てず、存在の輪郭さえ薄れていく。
やがて信者の視線が届かぬ影の奥へと身を沈め、そこにぴたりと立ち止まる。
そしてその暗がりで、誰にも届かぬように──共無はひとりごとのように、低く呟いた。
「私たちは、ひとりでいることが怖いのではない」
共無は、静かに目を伏せた。
長い沈黙の中、わずかに肩が上下する。
まるで呼吸を思い出したかのように、微かに。
「ひとりでいる“と気づいてしまう”ことが、何より恐ろしい」
誰かが隣にいないと落ち着かないわけではない。
話し相手がいなくて寂しいわけでもない。
それでも、ふとした瞬間──
誰にも必要とされていない自分に気付く。
他人に嫌われたわけではない。
でも、誰にも選ばれていない。
――そのことが、耐えられないほど、痛い。
”誰かの好きに、私は入ってない”
”誰かの優先順位に、私はいない”
――そう思うだけで、胸が潰れそうになる。
ただの繋がりが欲しいんじゃない。
(私が…私たちが本当に望んでいるのは――)
「……“繋がっていないことを自覚しないための”繋がりが欲しい」
だから、私は繋げる。
「――孤独になるくらいなら、全部繋げればいい。ね?」