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CHAIN:01-1

――それは、弱くて未熟に映るだろうか。

『違うさ。ただ、傷を埋めるのに必要だっただけだ』


――それは、重すぎると思われるだろうか。

『違うさ。ほんの少し、心を預けられる場所が欲しかっただけなんだ』


――それは、誰かに振り回されているように見えるだろうか。

『違うさ。これは、自分で選んだ”つもり”なんだよ』


――じゃあ、それは良いものだろうか。

『それは……使い方次第さ。ナイフのように自分や誰かを傷つける人もいれば、杖のように支えにする人もいる。けど――ナイフも、杖も……』


『最初は、ただの棒(・・・・)なんだよ』






「これから、入学番号03御堂楓馬(みどうふうま)の個別戦術試験を行う」


瓦礫の屋内フィールドに、三体の虎型蝕依体(しょくいたい)咆呑ほうどん〉が唸りを上げて姿を現す。

それぞれが全長二メートルを超える巨体。

盛り上がった肩の筋肉、鋭利な牙、爪、地響きを伴う咆哮。

そのすべてが、無言の殺意を訴えていた。


楓馬は、一歩も動かず、ただ静かに鎖付きの双短剣《庇綴ひつづり》を構えた。


「開始ッ!」


一体目の咆呑が、低い体勢で突っ込んでくる。

瓦礫を砕き、牙を剥き出しにして喉元を狙う動きは、一見して直線的。


──違う、これは囮。


楓馬の視線が左右へと鋭く走る。

右と左。

死角から二体の咆呑が跳び上がり、空中から斜めに楓馬を挟み込む軌道を描く。


三方向からの同時攻撃。


──囲まれた。


楓馬は静かに左手を引いた。

次の瞬間、庇綴の鎖が唸りを上げて跳ね上がる。


カシュッ、と鋼線が走るような音。

右側から飛びかかった咆呑の前脚に鎖が絡みつき、反射のように地面へとねじ伏せる。


重たい音とともに巨体が床を滑った瞬間、鎖が反転し、巻き付いたまま楓馬の腰越しに振り戻される。

左の咆呑の首へ、鎖が蛇のように走る。

空中で逃げ場を失った獣の軌道を、真横から引き崩す。


──二体、制圧完了。


直後、真正面の咆呑が懐へ飛び込んでくる。

開かれた顎、踏み込んだ前脚。

殺意に満ちた一撃が、目の前まで迫る。


「──そこだ」


楓馬は腰を落とし、滑り込むように低くステップを踏む。

右手の短剣が鋭く振るわれ、顎下を斬り裂く。


返す左手が逆手に振るわれ、前脚の腱を断ち切るように一閃。

咆哮が喉奥で詰まり、巨体が前のめりに崩れかける。


その背後──

右の咆呑が再び立ち上がり、跳躍。


だが、すでに仕込み済みだった。

鎖は天井の梁へと伸び、ピンと張った状態で待機していた。


楓馬は足場を蹴り、梁へと跳躍。

身体を回転させながら落下し、剣先を咆呑の背中へ突き立てる。


刃が深く喰い込み、肉と骨を断ち割る手応え。

息を呑むような静寂の中、二体目の咆呑が沈黙する。


地に落ちるその一瞬前、楓馬は身体を捻って回転、空中から三体目へ向けて鎖を投げつける。

鎖が空中で巻き付き、胴を締め上げたまま地面へと引き倒す。


楓馬は着地と同時にそのまま鎖を引き寄せ、敵を自分の間合いへと強制的に連れてくる。


「──終わりだ」


クロスに構えた双刃が、一直線に咆呑の胸元へ突き刺さる。

深紅と黒のグラデーションの刃が肉を貫き、骨を伝って手に重たい振動が返る。


最後の一体が、息も絶え絶えに這い寄ろうとする。

だが楓馬の表情に、一切の揺れはない。

冷静に、感情なく、左手の鎖を握り直す。


鎖が音を立てて絞まり、刃のように鋭利な節が咆呑の首を切り裂いた。


──沈黙。


瓦礫の地に、静かに霧が漂う。

焼けた鉄と血の匂いだけが、そこに残った。


楓馬は一度も息を乱すことなく、鎖をたぐり、短剣を納める。


「制圧確認。タイム、00:22:15」


ギャラリーからどよめきが広がる。


「今の試験、SNSあげたらバズるかも!楓馬ぁ、こっち向いてピースして~!」


「ちょ…咲名(さきな)くん!教官がこっち睨んでるって!」


ざわつく声。

笑い声、歓声、興奮した観察者たちの熱が、フィールドの外から押し寄せる。


だが、その中心にいる御堂楓馬は、何ひとつ反応を返さなかった。

声も、視線も、まるで彼の耳には届いていない。


──静かだった。


熱気のただ中にいるはずなのに、不思議と、音が遠かった。

そして、ふと。

遠い記憶の底から、誰かの声が微かに聞こえた気がした。

本当に、ほんの些細な、あの頃の――優しい声だった。






――八年前。


『各地で蝕依体と呼ばれる怪物が発生しています。現在、警察や軍隊が対応にあたっていますが、民間人への被害は年々増加傾向にあります。発見次第、その場から離れて警察などへの通報をお願いします。電話番号は…』


ニュースの音声が流れる中、玄関の扉が勢いよく開いた。


「ただいま、母さん!」

「おかえりなさい、楓馬。学校どうだった?」


母の声が台所からふわりと届く。

制服のまま靴を脱ぎ捨て、玄関を駆け上がりながら、楓馬は顔をぱっと輝かせた。


「見てよ、今日のテスト、100点だったんだよ!先生が、僕だけだったって!」


ランドセルを床に放り投げるように下ろして、楓馬は中からぐしゃっと少し折れた答案用紙を取り出すと、満面の笑みで母に突き出した。


「すごいじゃない!」


母は思わず声を上げて、手に取った答案用紙を見つめる。

名前の横に大きく赤で書かれた「100」の数字に、目を細めてほっと微笑んだ。


「ほんとに頑張ったのね、楓馬」


そう言って頭を撫でると、楓馬はくすぐったそうに顔をしかめながらも、嬉しそうに頷いた。


「土曜日にね、友達に勉強を教える約束したんだ!先生も”君なら大丈夫”って言ってくれたから…」


胸を張ってそう言う楓馬の目は、誇らしげに輝いていた。

母がその笑顔に頷こうとした、まさにそのとき――


ピンポーン。


チャイムの音に、母は小さく「あ」と息を呑む。

その表情に浮かんだのは、ほんの一瞬の緊張。


「ごめんね、ちょっと玄関に出てくるわね」


言葉を残して、母はそのまま廊下を進み、玄関へ向かう。


ドアを開けると、制服姿の青年が一歩下がった位置で待っていた。

細身の体に少し大きめのブレザー、白いシャツの第一ボタンまできちんと留めている。

姿勢は正しく、手は前で丁寧に組まれている。

整った中性的な顔立ちだが、目元だけが少し寂しそうだった。


「初めまして。カウンセラーの彫間(えりま)です。御堂さんのお宅でお間違いないでしょうか?」


声は柔らかく、けれど芯がある。

その雰囲気は、どこか春先の曇り空のように静かで、つかみどころがなかった。


「はい、そうです。本日はわざわざありがとうございます」


母は礼儀正しく頭を下げ、そのまま楓馬に振り返る。


「ごめんね、楓馬。少しだけ、二階で待っててくれる?」

「……うん。僕、宿題あるから、部屋でやってるね」


声のトーンは少し下がったが、楓馬は無理にでも笑って、階段を駆け上がっていった。

彼の足音が遠ざかるのを待つようにして、彫間がぽつりと口を開いた。


「賢い息子さんですね」


その目はまだ、楓馬が消えた階段の先を見ていた。


「私以上に周りを見てる子です。自分より、誰かを助けるのが楽しいって、いつも言うんです」


「……なるほど」


彫間は小さく頷きながら、ゆっくりと視線を階段から戻す。

その一瞬、彼の目の奥に揺れた光は、年相応のものではなかった。

優しい笑みの裏で、何かを測るような静けさが潜んでいた。


「では、本日のご相談内容ですが――」





階段を上がりきると、楓馬はそっとドアを閉めた。


「……よし」


小さく声に出して気合いを入れると、机の椅子を引いて座る。

ランドセルを開けて、ノートと教科書、プリントを机に並べる。

今日の宿題は算数の応用問題だった。

ちょっと難しいけど、授業中に友達に教えられるように、ちゃんとわかっておきたかった。


(隣の席の子は図を書くと分かりやすいって言ってたし、ここの説明も用意しておこう)

(後ろの席の子は式がすぐごちゃごちゃになるから、順番をはっきりさせた方がいいな)


問題を解きながら、自然と”誰かの顔”が思い浮かぶ。

自分が理解するだけじゃなくて、「どうやったら伝わるか」も一緒に考えるのが、楓馬にとっての勉強だった。


階下からは、母さんとカウンセラーの話し声がうっすら聞こえる。

でも、気にならなかった。

気にしたらきっと心がふわふわして、集中できなくなるのが分かってたから。


(今はこれ。今やるべきことをちゃんとやる)


鉛筆の音だけが、部屋に響く。

一問ずつ、ていねいに。

解き終えたページを見て、間違いがないか確認して、次の問題へ進む。


やがて、ページがすべて終わった頃――


「楓馬、終わったよ。もう降りてきて大丈夫」


下から母の声がした。


「うん、今行く!」


ノートを閉じ、ペンをキャップでとめる。

少しだけ背筋を伸ばして、大きく息を吸った。


(大丈夫。僕は、ちゃんとやってる)


そんなふうに思いながら、楓馬は階段へ向かって歩き出した。

足取りは、ゆっくりだけど、ちゃんとしっかりしていた。





階段を下りてリビングに入ると、そこにはもう誰もいなかった。


テーブルには湯呑みがふたつ。

ひとつは空になっていて、もうひとつからはまだ湯気が立っている。

カウンセラーがさっきまでそこにいた形跡は、きれいに片付いていた。


「彫間さんなら、もう帰ったわよ。まだ高校生なのに、ボランティアでカウンセリングをしてるんだって。学校の推薦で動いてるらしいのよ」


母が食卓の椅子に腰を下ろしながら、少しだけ感心したように言った。


「母さん、何を相談したの?」


楓馬は湯呑みを手に取りながら、真正面から問いかける。

母は一瞬だけ目を伏せ、そして静かに微笑んだ。


「父さんが仕事に行ってて、楓馬も学校に行ってると……私、一人でおうちにいるでしょ?」


母は少し笑いながら、湯呑みを手で包み込むようにして続けた。


「そういう時間がね、なんだか寂しく感じるときがあって。何かあったわけじゃないのよ。でも、誰とも喋らないでずっと一人でいると、不安になっちゃうの。今日は、そんな気持ちをちょっと話してただけ」


視線は楓馬から少し逸れていたけれど、その声にはちゃんとあたたかさがあった。


「そっか」


楓馬はそれ以上何も言わず、湯呑みのふちを指でなぞった。

母が自分に”言えることだけを言っている”のは、分かっていた。

でも、それを責めようとは思わなかった。


「でも、話せてスッキリした。楓馬が心配することはないのよ」

「……でも母さん。もし、ほんとに助けが必要になったら、僕にも言ってね」


その声は真剣で、少しだけ大人びていた。

母はその言葉に、ふっと目を細めて微笑んだ。


「ありがとう」


そしてそっと、楓馬の頭に手を伸ばす。

優しく撫でるその手は、少しだけ震えていたけれど、あたたかかった。


「でもね、そうやって言ってくれるだけで、もう十分助けになってるのよ」


楓馬は、ちょっと照れくさそうに頷いた。


リビングのテーブル越しにふと目に入ったのは、母の右手首で淡く光る緑色のバングルだった。

光が当たるたび、ほんのりと翡翠色にきらめいている。


「それ、なに?」


楓馬が指をさして聞くと、母は少しだけ手を持ち上げて見せながら答えた。


「これ? カウンセラーさんからもらったの。カウンセリングの記念品なんですって。緑色には”癒し”の効果があるらしくて、つけてると気持ちが落ち着くかもって。ボランティアなのに、ほんと丁寧な子だったわ」

「ふーん」


楓馬の声は淡々としていたが、母はそれを見ておどけるように肩をすくめた。


「あ〜もう、その”ふーん”の言い方! 興味ないでしょ、絶対。でもね、私が本当に大事にしてるのはこっちだからね?」


そう言って、母は左手首をすっと差し出した。

そこには黒い革紐のブレスレット――

何年か前、楓馬が自分のお小遣いで材料を買って、一生懸命編んで作ったものが、今も変わらず巻かれていた。


「毎日つけてるんだから。どんな高いアクセサリーより、これが一番大事なの」

「……知ってるよ」


楓馬は照れくさそうに目を逸らしながら、でも頬が少しだけ緩んでいた。

母もまた、くすっと笑って、湯呑みに口をつけた。


いつも通りの、何気ない午後だった。

笑って、話して、ただ一緒にいた時間。


──この日が、母さんが心から笑った最後の日になるなんて、そのときの僕は思いもしなかった。

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