焚き火の傍で、旅の誘い
改めて、焚き火の輪の中で自己紹介をする。
少しどもりながらではあったが、名前を名乗り、つい最近までこの国の衛兵だったこと、年齢を理由に契約更新されず、それを機に旅に出ることにした、と話した。
すると、最初に話しかけてくれた恰幅の良い商人が、にこやかに頷いた。
「私はヒルトンと言います。個人で小売を主にしながら、こうしてあちこちを旅しているのですよ。長い付き合いの者もいれば、私のように単独で動く者もいます」
ヒルトンさんか。
確かに、周りの商人たちとは少し雰囲気が違うように見える。
一人で旅を続けているというのは、なかなか大変だろう。
「ところで、アイクさん。旅には何か目的があるのですか? 行き先とか、見たい場所とか」
彼の問いに、正直に答える。
「いえ、特に……。本当に、解雇されて時間ができたので、まずは色々な場所を見て回ろうかと。行く当ては、まだ何も決めていません」
そう言うと、ヒルトンさんは面白そうに目を細めた。
「ほう、それはまた気ままで良い旅だ。だが、何も知らない場所を一人で旅するのは、心細くもあるでしょう?」
俺の頷きを見て、ヒルトンさんは話を始めた。
彼が今まで旅して見てきたもの、行った場所の話だ。
「遥か南の、砂に埋もれたという古代の遺跡。そのすぐそばにある、異国の船が行き交う活気あふれる港街。そこでは、見たこともないような珍しい香辛料や、鮮やかな絹織物が手に入るのですよ」
それは、俺が商隊の連中から聞いた話と同じだ。
だが、実際に旅をした人間の口から語られる言葉には、生きた匂いがある。
「北には、我々の国とは全く違う様式の建築物が立ち並ぶ巨大な帝都がある。石造りの荘厳な建物、何万人という人々が行き交う通り、領都など足元にも及ばない、まさに世界の中心といった場所です」
帝都の話も、漠然と聞いてはいたが、ヒルトンさんの描写は具体的で、まるでその場に立っているかのような錯覚を覚える。
「もっと身近な場所でも、面白い場所は沢山ありますよ。珍しい作物を育てる村、独自の祭りを催す街、そして……地下に広がる迷宮、いわゆる『ダンジョン』の入り口がある街など」
ダンジョンの話が出た時、周囲の護衛たちがちらりと俺を見た気がした。
危険な場所だという共通認識があるのだろう。
ヒルトンさんの話を聞いていると、俺の知らない世界が本当に広がっているのだ、と実感できた。
今まで聞いた遠い世界の噂話は、作り話ではなく、実在する場所なのだ。
衛兵として一つの街に縛られていた俺にとって、その事実は胸を打つものだった。
「……素晴らしいですね。本当に、そんな場所があるんですね」
思わず、感嘆の声が漏れた。
ヒルトンさんは、そんな俺の様子を見て、またにこやかに笑った。そして、少し改まった様子で、俺に一つの提案をしてきた。
「さて、アイクさん。先ほど貴方が護身の技術を持っているように見えた、と言ったのを覚えていますか?」
彼は俺の腰にある剣に視線を向けた。
「実は、私には護衛が必要なのです。一人で旅をしていると、どうしても危険な目に遭うことも少なくない。かといって、常雇いの護衛を複数人雇うほどの余裕は、正直言ってないのです」
そこまで聞いて、彼の意図が分かった。
護衛。
俺の、つい先日まで行っていた仕事だ。
「そこで、アイクさんにお願いしたいのです。もし、差し支えなければ……私の護衛として、しばらく一緒に旅をしませんか? 僅かではありますが、給金はお支払いしますし、食事はこちらで持ちます」
思ってもみなかった提案に、一瞬、言葉を失う。
護衛として雇われる? 旅に出たばかりなのに、もう仕事が見つかるなんて。
だが、それは俺が解雇される前にしていた仕事だ。
せっかく新しい旅に出たのに、また同じようなことをするのか?
悩む俺を見て、ヒルトンさんは言葉を続けた。
「もちろん、貴方には旅の目的が無い、と言っていたのは理解しています。ですが、私の旅には目的があります。私は商売のために、これから様々な場所へ行きます。南の港街、北の帝都、そして、もしかしたらダンジョンのある街にも……」
彼は、先ほど語ってくれた街の名前をいくつか挙げた。
俺が、話を聞いて心を動かされた場所だ。
「貴方がこれから見たいと思っている場所を、私の旅が手助けできるかもしれません。給金をもらいながら、色々な場所を見て回れる。悪くない話だと思うのですが、いかがでしょう? 一緒に、この広い世界を見て回りませんか?」
給金。
食事。
そして、俺が見たいと思っていた場所への案内。
それに……一人きりの旅は、やはり少し寂しい。
それに、旅は危険だと皆が言っていた。
衛兵としての技術は、護身には役立つが、何かあった時に一人で全てを乗り越えられるだろうか?
そして、何よりも。「一緒に、この広い世界を見て回りませんか?」という言葉が、胸に響いた。
解雇されて、自分はもう誰からも必要とされない存在なのかもしれない、と思っていた。
だが、目の前のこの商人は、俺を「必要」だと言ってくれている。
そして、俺が見たいと思っている世界を、一緒に見て回ろうと誘ってくれているのだ。
求められる人がいる。
誰かと一緒に旅をしながら、色々なものを見聞きできる。
それは、一人で宛てもなく歩き回るよりも、ずっと良い旅になるかもしれない。
俺は、ヒルトンさんの顔を見た。彼の目は真剣だった。
「……分かりました」
俺は頷いた。
「お引き受けします。ヒルトンさん、よろしくお願いします」
そう言うと、ヒルトンさんは満面の笑みを浮かべた。
「おお、それは助かります! こちらこそ、よろしくお願いしますよ、アイクさん。これから、面白い旅になりますぞ!」
焚き火の火の粉が夜空に舞い上がる。
衛兵を解雇され、孤独な旅に出たはずだった俺の旅は、思いがけない出会いによって、その形を変えていった。