Interview -F-
泣かせたくないんだよ。
苦しませたくないんだよ。
傷つけるつもりだってないんだよ。
ただ、笑っていて欲しいんだよ。
……匠。
鉄の塊が空を飛ぶ。それがどうしても不思議で、子供のように親友を質問攻めにしたことがあった。
結果戻ってきたのは些か難しい物理で辟易したものだが、それでも飛行機を見かけるたびに
思いついたかのように尋ねる癖は幾つになっても抜けなかった。
誠二、と呆れたような声でもいい。名前を呼ばれることが嬉しかったから。
「しかし急なお話でしたね、藤澤選手。いかがですか?今のご気分は」
「まあいつかは、と思っていましたからあまりびっくりはしてないんですけど……そうですね、ワクワクしてるかな?」
その飛行機がたくさん飛び交う空港の待合い席で、テープレコーダーを手にして藤澤に質問を投げかけるのは、急遽決まった移籍に慌てて特集を組んだ馴染みの雑誌記者だった。
飛行機に乗り込む前の時間しか取れなかったのは、まあ藤澤もそれなりにゴタゴタしていたからでもあるが、直前まで情報を公開しなかったせいでもある。
だから本来なら行う記者会見も発表した一度のみ。
やっと受けたこの取材が最初で最後と呼んでもよかった。
ある意味独占という形で、早ければ一週間後には店頭に並ぶだろう。
空港を背に、いつもと同じ笑顔を浮かべる藤澤の写真入りで。
時折流れるアナウンスや、人のざわめきは今から海外へ旅立つ独特の雰囲気で溢れかえっている。
中には有名選手の一人だと知って、物珍しげに側に近づこうとする野次馬の姿もあるが、一応対談インタビューの真っ最中ということでそれはあまり大きな騒ぎではなかった。
「ファンの方達は応援されている方と、行って欲しくないという方が約半数ずつに別れているとお聞きしましたが、ご家族やご友人の方は?」
「……んー……家族は元々覚悟してましたから。まあ急すぎてびっくりはしてたみたいっす。でも問題はなかったかな?」
見送りには行かないぞ、と行ってくれた父親や兄、母親の姿を思い出しながら藤澤は苦笑した。
いかにもウチの家族らしいと思いながら。
「逆に大変だったのは、先輩達で」
「ああ、チームメイトの方々の……」
確かにそれもそうだが、本当は違う。
現在のチームメイトである彼らではなく、藤澤にとっての先輩というのは今は第一線で活躍している元冬賀の彼らを指す。
言いかけた記者もすぐに気がつき、「それとも渋沢選手達のほうかな?」と笑った。
「もー、電話口で散々説教されました。もっと計画性のある行動をしろ!って」
「ははは。それはそれは……」
特に怒ったのは水上先輩だったけど、とは流石に口にしなかったけれど、結局どの先輩もきっちり一言ずつ
怒ってくれたから大差はない。
ただ、水上とそして渋沢の電話だけはちょっとだけ、怒っている内容は違ったけどと藤澤は胸中で呟いた。
『……葛西にまで黙って行くというのは本当なのか?』
そう言った渋沢の声と。
『この阿呆!何考えてやがる、馬鹿代!葛西がどれだけ……っ……」
そう怒った水上の声と。
……ごめんなさい、と謝ることしか藤澤には出来なかったけれど。
「俺、どっちかっていうと馬鹿ですから。心配、たくさんかけまくってるとこ、今も直ってないとこあって」
「藤澤選手のことをとても心配していらっしゃるんですね」
「俺、昔から手のかかる後輩らしいっすから」
笑って、笑って、笑って。
そうして話す対談は、どこまでも和やかだ。
「恋人……は今はいらっしゃらない、ということですけど。もしいたらこんなに急な海外移籍なんかはできなかったんじゃないですか?」
「……どう、でしょうね?」
……匠。
「でも好きな人がいても、多分俺、行っちゃうと思います。日本にいても何処にいても、俺ってサッカー馬鹿だし。ずっと悲しませたりするんじゃないかな?って思うんで」
「まあ確かにデートとかはそう簡単にできませんよね」
「そうっすね。……だから移籍とかだと距離ができるじゃないっすか。付き合ってたら別れる理由の一つにもなるし……。付き合ってなかったとしても向こうはただ俺のこと忘れていくだけで」
記者は少し驚いたようだった。
「でも藤澤選手もその方が好きなんでしょう?別れるのは辛くないですか?つきあっていなかったとしても、好きな人と離れるのは辛くないですか?」
「でも相手は傷つかなくてすむでしょ?これ以上。俺は全然別のトコに行っちゃってるわけだし、生活してる中から、俺がいなくなるだけっすから。最初は辛かったとしてもこういうのって時間が経てばなんとかなるもんだし」
例えば、と藤澤は心の中で呟く。
冬賀を卒業した後、無性に誰もいない一人部屋が辛かった時期があった。
でも結局それは、時間が経てば経つほど慣らされていって、そして最後にはそんなことちっとも感じなくなった。
夢がないとか、ロマンがないとか。
そんなんじゃなくて、それが現実ということだ。
それが、生きているということだ。
『……匠、俺、決まったから。イタリア、行ってくる。今日出発なんだ』
留守電に入れた、今朝のメッセージ。
『最後まで我儘かもしれないけど、俺、他に方法も思いつかなかった』
今日は匠が朝早くから学校へ出かける日。
そう知っていての、電話だった。
『……好きって言った時、ホントは知ってたんだ。匠は俺のこと、そんな風に思ってないことも。それなのに一生懸命頑張って、好きだって返してくれたのも。付き合ってくれたのも。……ありがとな。 嘘でも嬉しかった』
帰ってきて、留守電を聞いた匠はどんな顔をするだろう。
……付き合いだしてから、段々消えていったあの昔のような笑顔を浮かべてくれるだろうか。
あの悩んでいるような、苦しんでいるような顔だけはして欲しくないな、と思う。
そしてできれば無理矢理つくったような笑顔で笑う必要なんか、もう必要ないんだよと直に言いたかった。
『我儘に付き合ってくれて、サンキュ。匠はもう自由になって。……またいつかどっかで会えたら、その時は親友として笑ってくれれば嬉しいけど。……それじゃ』
バイバイ、と告げた声は辛うじて震えなかった。
「……ま、それもこれも俺に好きな人がいたら、の話ですけどねー」
「え?……あ。そうだった。仮定の話でしたね」
「やだなー、のせられちゃって。気をつけて下さいよ」
「それは藤澤選手があんまり真剣な顔するから……ってそんな場合じゃありません。もうそろそろ時間ですよね」
「あー……そうっすね」
搭乗手続きがそろそろ始まる。
移動をしたほうがいい時間だろう。
ふと気がつけば代理人や通訳などの人たちが、ちらちらとこちらを伺っている。
「では最後になりますが、これからの抱負をどうぞ」
「……自分に負けない。最初の目標はそれです。チーム内でどうとか、そういうのは後からでもついてくる話っすから。我儘とか、寂しいとかそういうのも全部ひっくるめて、俺はどこにいっても俺でありたいです」
藤澤誠二として。
みっともない真似だけは晒さないように。
そうすればきっと匠も気がついてくれる。
俺は俺の好きな道を行っているから、もう気をつかわなくったって大丈夫だって。
「ありがとうございました。……向こうに行っても頑張って下さいね」
「ありがとうございます」
記者と握手をして。ギャラリーに向かって手を振って。
元気いっぱい、をそのまま表すような笑顔を浮かべて。
そうして藤澤誠二は示された道へと歩き出した。