【エッセイ】会話アプリ
インターネットの海には、無数の人々と簡単に会話を交わすことができるアプリがある。
スマホさえあれば、誰でもすぐにその世界に飛び込むことができる。
今日、私もその一端を垣間見てみた。
すでに会話をしている複数人のアイコンが見える。
そこで入室ボタンを押すと、雑音のような、無意味な会話が響いてきた。
「天気がいいね」「腹減ったな」「刺激がほしい」
——なんて生産性のない言葉だろう。
それにうんざりして、私はある男性に対して幾つか質問を投げかけてみた。
すると、突然、違う空気を感じる声が聞こえてきた。
その男性は、家庭の事情で普通の家庭環境に育っていないという。
いわゆる施設で育ったという。
確かにその男性の使う言葉には何か鋭いトゲが含まれていた。
世俗的な言葉を使うと『イキってる』というやつだ。
率直にやっぱり、どこかにねじれたものがあるのだろうな、と思った。
親のいない子どもが大きくなるということをまざまざと見せつけられた。
そんなことで質問をしていると、次第に周囲の雰囲気は悪くなっていった。
施設で育つというのはどういうことだろう。
それを想像することは悪いことだろうか。
無礼なことなのだろうか。
けれどどんなことでも想像することは悪くないと思う。
想像するのを罪だというのなら、この世界のコンテンツと呼ばれるものはすべて罪だ。
それに、それを無駄だと感じるのは、どうかと思う。
でも、無駄だと思うのは、案外他人にとっては無駄ではないのかもしれない。
おっと、禅問答のようになってしまった。
——取材のような質問。
周りからすれば、それが不快だったのだろう。
その枠を抜けた瞬間、私はブロックされた。
まあ、それも当然だろう、無礼だったのだろうから。
人としてどうかと思う部分もある。
それでも、やっぱり好奇心が抑えきれなかった。
小説を書いていると、人間の表面的な部分だけでは物足りなくなってしまう。
小説を言い訳にしているかもしれないので、自己否定を一つしておこう。
おそらくもっと上手な人は、その表面だけを見て、内面を想像することができるのだろう。
ああ、そうか、今気づいた。
私のように想像力を生業にしようとしているのに、その想像力が欠けてしまっているなんて。
とても悪いことをしてしまった気分だ。