第一話 転校
窓から射し込む朝日に目を細めながら、私は新しい制服の襟元を正した。鏡に映る自分の顔は、いつもより少し青白く見える。
「神代千冬、頑張るぞ」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉は、広すぎる部屋の中でこだまして消えていった。引っ越してきたばかりのアパートは、まだ段ボール箱が所狭しと並んでいる。本来なら母と一緒に片付けるはずだったのに、母の仕事の都合で私だけが先に越してくることになった。
一人暮らし初日の朝、緊張と不安で胸がいっぱいになる。
窓の外に目をやると、朝もやに包まれた見知らぬ街並みが広がっている。この街に来たのは今回で二度目。一度目は学校見学のときだけ。それ以外は写真でしか見たことがない。
母の転勤で急に決まった引っ越しに、正直戸惑いを隠せなかった。けど、私は母の決断に従うしかなかった。
シャツのボタンを留め、スカートのプリーツを整える。鏡に映る自分は、どこか他人のように思えた。深呼吸をして、玄関に向かう。今日から私は七ヶ宮学園の高校二年生。転校初日である女子生徒だ。
◇
『七ヶ宮駅、七ヶ宮駅です。お降りの方は…』
電車のアナウンスに促されるように、私は席を立った。駅に降り立つと、制服の似た生徒たちが三々五々、改札を抜けていく。
彼らの流れに乗って歩き始めると、自然と学校への道筋が見えてきた。事前に調べておいた曖昧な道順と照らし合わせながら歩を進める。
七ヶ宮は、都会ほど華やかではないが、田舎ほど閑散としてもいない、丁度いい規模の街だった。坂道が多く、古い建物と新しい建物が入り混じっている。
特に目立つのは、丘の上に建つ七ヶ宮学園の校舎だ。
明治時代に建てられた本館は、西洋風の建築様式で、赤レンガの壁と尖った屋根が特徴的だという。
坂道を上りながら、段々と息が上がってくる。体力には自信があったつもりだったが、この坂道は侮れない。
息を整えながら歩いていると、後ろから平然としている二人の女子生徒の会話が耳に入ってきた。
「ねえ、聞いた?また『それ』が出たって」
「うそ!?今度は誰が見たの?」
「三年の鈴木先輩が、図書館の古い棟で…」
二人は私の横を通り過ぎながら、声を潜めて何かを話している。『それ』とは何だろう?好奇心をそそられたが、初日から知らない人に話しかける勇気はなかった。
坂を上りきると、学園の正門が見えてきた。黒い鉄柵の門は、威厳と歴史を感じさせる。門の脇には、「七ヶ宮学園」と刻まれた石碑が建っていた。門をくぐると、レンガ造りの古めかしい本館と、それに続くコンクリート造りの新しい校舎群が見えてくる。桜並木が続く道は、既に散ってしまった花びらのかわりに、新緑が目に鮮やかだった。
入学案内に書かれていた通り、まずは職員室へ向かう。本館に入ると、廊下の床が軋む音がした。百年近い歴史を持つ建物の息遣いのようにも思える。
「あの、すみません」
職員室のドアをノックして中に入ると、何人かの教師が振り向いた。
「神代千冬です。今日から転校してきました」
私の声に反応したのは、三十代半ばくらいの女性教師だった。
「ああ、神代さん。待っていたわ。私が担任の水城です。よろしくね」
水城先生は優しい笑顔で私を迎えてくれた。短めのボブカットに、知的な印象の眼鏡をかけている。どこか母に似た雰囲気があって、少し安心した。
「これから朝のホームルームがあるから、一緒に教室へ行きましょう」
先生に続いて廊下を歩く。新館に入ると、床の軋みは消え、近代的な雰囲気に変わった。
「2年C組、ここよ」
教室のドアを開けると、ざわざわとした話し声が一瞬に止まり、一斉に視線が私に集まった。
「おはよう。今日から新しいクラスメイトを迎えます」
水城先生の後ろに立つと、何十もの目が私を見つめている。脚がわずかに震えるのを感じながら、深呼吸をして前に出た。
「神代千冬です。──から引っ越してきました。よろしくお願いします」
できるだけ明るく自己紹介したつもりだったが、声が小さくなってしまった。クラスメイトたちは興味深そうに私を見ている。
「神代さんの席は…そうね、あそこの窓側の席よ」
先生に指示された席に向かって歩き出す。クラスメイトたちの視線を感じながら、空いている席に着いた。隣の席には、長い黒髪の女子生徒が座っている。
「はじめまして。綾小路夏希です」
彼女は小さな声で名前を告げると、ほんのりと微笑んだ。おとなしそうな印象だが、目が澄んでいて知的な雰囲気がある。
「さっきと同じになるけど、神代千冬です。よろしく」
夏希とかるく会釈を交わすと、朝のホームルームが始まった。担任からの連絡事項や、今週の予定などが淡々と伝えられる。
いつもの学校と変わらない日常の風景に、少し安心した。
◇
昼休み、教室はいつものようにざわついていた。
「神代さん、お昼一緒に食べない?」
声をかけてきたのは、朝に話しかけてくれた綾小路夏希だった。
「ありがとう、ぜひ」
夏希に続いて、私は教室を出た。廊下を歩きながら、夏希は学校の簡単な案内をしてくれた。
「ここが新館で、主に普通教室があるの。向こうの建物が本館で、特別教室や図書館があるわ」
窓から見える本館は、確かに趣のある建物だった。赤レンガの壁と、尖った屋根が印象的だ。
「本館って、すごく古いんでしょ?」
「そうね、明治時代の終わり頃に建てられたって聞いたわ。最初は男子校だったのが、戦後に共学になったの」
夏希は詳しく説明してくれた。彼女によれば、この学校は地元では名門校として長い歴史を持つという。そして、その長い歴史で行われた増改築で校舎は複雑怪奇だとか。
屋上への階段を上りながら、朝聞いた会話を思い出した。
「あの、変な質問かもしれないけど…この学校に『七不思議』とかってある?」
夏希の足が一瞬止まった。
「どうして?」
「朝、登校途中に女子生徒たちが『それ』が出たって話してたから…」
屋上のドアを開けながら、夏希はちょっと困ったように笑った。
「ああ、それね。うちの学校には『七ヶ宮七不思議』があるの。古い学校にはよくあることじゃない?」
屋上に出ると、爽やかな風が二人の髪を揺らした。周囲には誰もおらず、静かだった。夏希はベンチに座り、お弁当を広げる。
「何か、面白い話なの?」
私も隣に座り、コンビニで買ったサンドイッチを開ける。夏希は一度深呼吸すると、少し声を落として話し始めた。
「七ヶ宮七不思議…まずは『旧図書館の本の移動』。旧図書館にある本が、誰も手を触れていないのに勝手に場所を変えるの。特に古い文学書や歴史書がよく動くんだって」
「へぇ〜?」
「次は『放課後の音楽室のピアノ』。誰もいないはずの音楽室から、夕方になるとピアノの音が聞こえてくるの。でも中に入ると、誰もいなくて…」
夏希の話し方は、まるで昔から知っている友達に話すように自然で、気取ったところがなかった。私は興味深くサンドイッチを噛みながら、彼女の話に聞き入った。
「三つ目は『階段の踊り場の少女』。本館の西側の階段の踊り場に、制服を着た少女が立っていることがあるんだって。話しかけると消えてしまうらしいわ」
「怖い…」
「四つ目は『時計台の針』。毎月十三日の午前零時に、時計台の針が逆回りするって言われてるの。でも、実際に見た人はほとんどいないみたい」
夏希は淡々と語りながらも、少し楽しそうに見えた。
「五つ目は『職員室の亡霊』。これは先生たちの間で言い伝えられてるんだけど、夜遅くまで残っていると、昔この学校で教えていた先生の幽霊が現れるんだって」
「先生たちも信じてるの?」
「さあ、どうかしら。でも、六つ目の『放課後の校内放送』。これは有名。誰も放送室にいないのに、たまに校内放送が流れるの。内容は聞く人によって違うらしいけど、多くの人は『助けて』という声を聞くって言ってるわ」
夏希は最後の一つを言う前に、少し間を置いた。
「そして最後は…『八つ目の噂』。“七不思議を全て語ると、八つ目が現れる”、という話があるの。これは先輩からずっっっと続いてるけど、何も起こらないし、噂も知名度もないから昔から謎なの」
語り終えた夏希は、お茶を一口飲んだ。
「………そっか。七不思議ってさ、どこの学校にもあるよね。でも、本当に見た人っているの?見間違いだったりとか」
私は半信半疑で尋ねた。夏希は遠くを見つめながら答える。
「私は見たことないけど…信じる人は信じてるわ。特に『放課後の校内放送』は、目撃証言が多いの」
「へえ…」
会話が途切れたところで、屋上のドアが開く音がした。振り向くと、男子生徒が二人、こちらに向かって歩いてきた。
「おい、綾小路。お前、また変なこと言ってないだろうな?」
先に声をかけてきたのは、茶色い髪を後ろに流した、背の高い男子生徒だった。その後ろには、眼鏡をかけた少し小柄な男子生徒がいる。
「藤堂くん、三島くん、こんにちは」
夏希は二人に挨拶すると、私の方を向いた。
「紹介するわ。こちらが藤堂陽介くんと、三島和也くん。二人とも同じクラスよ」
「はじめまして、神代千冬です」
怪異系ホラーです。カクヨムの方でコンテスト用に執筆している作品ですので、完結までいろいろと設定が紆余曲折すると思いますが…取り敢えず上げときます…
九月初めまでに11万字って間に合うのかなぁ
コンテストに間に合わなくても完結させる所存ですので、安心してお読みください。
プロットもしっかりと考えた自信作ですので。