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ダブルクローズドサークル~巴川村の殺人  作者: 奥田光治
第一部 嵐の前~巴川警察署
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第七章 通信室

 巴川警察署の二階、南側の応接室と備品保管庫に挟まれた部屋に通信室と呼ばれる部屋がある。その名の通り各警察車両や警視庁本部からの無線対応(警察用語では「リモコン」と呼ぶ)を行う部屋で、その業務の性質上、どんな場合でも必ず誰かがこの部屋にいなければならないという制約が存在する。

 そもそも一口に「警察無線」とは言うが、厳密には警察無線には大まかに「署活系無線」と「車載通信系無線(以下、車載無線と簡略する)」の二種類が存在する。「署活系無線」は各警察署の通信室と警察官を繋ぐ無線で主に駐在などの地域警察官が所持しており、一般的な制服警察官が身に着けているものがそれに当たる。その一方、「車載通信系無線」はその名の通りパトカーや警察ヘリなどの移動車両、そして各警察署の通信室に設置されているもので、通信先は警察署ではなく各都道府県警本部の通信指令室となっている。

 要するに「署活系無線は各警察署の通信室との通信用」「車載通信系無線は各都道府県警本部の通信指令室との通信用」と認識しておけばまず間違いないのだが、これを逆に言えば各無線でそれ以外の場所に通信をする事は不可能という話になる。例えば、署活系無線で都道府県警本部や他の警察官・パトカーと直接通信を行う事はできず、また逆に車載無線で各警察署や他の警察官・パトカーと直接交信する事はできないという事だ。このため警察官は用途に応じて無線を使い分ける必要があり、また車載無線は基本的にパトカーからしか使う事ができないため、パトカーに搭乗していない場合は下手に無線を使うよりも直接電話でやり取りをした方が早いというケースも存在する。

 そんなわけで、この巴川署の通信室で管理している無線は、警視庁本部との通信に使用する車載無線と、村に二つある駐在所の駐在が一つずつ所持している携行式の署活系無線、そして備品保管庫に保管されていて必要に応じて署員が使用する同じく携行式の署活系無線の三つであり、署が保有するパトカーに搭載されている車載無線は管轄外となっている。もっとも、事件がほとんど起こらない村であるが故に備品保管庫の無線が持ち出される事は少なく、使用するのも地域交通課所属の警察官がほとんどという有様だった。

 この通信室の管理は普段は警務総務課所属の警察官が持ち回りで担当している業務であるが、今この部屋にいるのは、その警務総務課所属の戸沼翔太巡査ただ一人だった。普段は滅多に事件を知らせる通信が入る事がないこの部屋であるが、今日ばかりは災害級の大雨を受けて、普段よりも多い通信が入っている状態だった。

「どうだ、様子は?」

 と、不意にノックと共に部屋のドアが開き、一人の男が部屋の中に入って来た。戸沼は慌てて姿勢を正す。

「あ、課長」

「気になってな。何せこの雨だ。何が起こってもおかしくない」

 そう答えたのは警務総務課の課長であり、同時にこの警察署の副署長も兼任している真砂是義警部だった。この警察署で唯一の警部であり、それより上があの若くて頼りのない正親町署長しかいない事もあって、実質的にこの警察署の実務の中心的な役割を担っている人間である。ここにいるという事は彼も左遷同然の境遇にあるはずなのだが、真砂は腐る事なく日々の鍛錬を続けており、署員の中でも一際がっちりとした体格を維持していた。

 真砂がこんな左遷署の副署長に押し込められた理由について、詳しい事は戸沼も知らない。確かなのは、彼と地域交通課長の花町警部補の二人がここに来る前から長年の相棒関係にある元刑事だったという事であり、風の噂によると、六年ほど前に起こったある殺人事件で犯人逮捕のためにやむを得ない事情で違法捜査をした結果、それがばれてそろってここに左遷されてしまったという事だが、それが本当なのかどうかはわからない。何でもこの二人の相棒関係はもう二十年にも及ぶらしく、昭和の終わりに政界を揺るがした『旭沼事件』という大規模汚職事件の捜査にも携わった経験があるらしいというのだから、かなり年季の入ったコンビと言えるかもしれない。

 ちなみに、二つの役職を兼任している真砂であるが、一応警務総務課に所属する直属の部下たちは彼の事を「課長」と呼び、それ以外の署員は「副署長」と呼ぶという暗黙のルールが浸透していたりする。なので、戸沼も彼の事は課長と呼んでおり、真砂本人も特にそれについて咎めるような事はなかった。

「それで、様子はどうだね?」

「今の所は、これといった災害は起っていないようです。ただ、巴川の水かさは確実に増えていますし、今後上流のダムが放水するかもしれないという事で、警戒は必要ですね」

「そうか」

「それとさっき、寺さんと城田巡査が署から出て行く旨の連絡がありました。避難所が設置された村役場へ向かうと言っていましたが……」

「あぁ、さっき署長から話を聞いた。さすがにこの状況ではうちからも人員を出す必要があるとの事だった」

「まぁ、仕方ありませんね」

「それ以外に、本庁から何か連絡は?」

「いえ、何も。雨だけは気になりますが、今日もこの村は平和なものですよ」

 基本的にこの村で行われた一一〇番通報は、一度東京にある警視庁の通信指令センターに入電し、そこから改めて車載無線でこの通信室に指令が届いた上で、通信室からの署活系無線により実際に署員が動くというシステムになっている。一応、署の電話番号を知っている人間は直接ここに通報してくる事も可能ではあるが、どちらにしたところでここ最近、その手の通報が行われた事は皆無のはずだった。

「いや、通報なら今日あっただろう。例の屋敷に不審者が侵入した……」

 真砂の訂正に、戸沼はアッと声を上げた。

「そう言えば……そうでしたね。すみません、失念していました」

 謝る戸沼に対し、真砂は少し言いにくそうにしながらこう続けた。

「君がここに来た理由は知っている。だからこんな天気で集中力がそがれるのもわからなくはないが、業務についている以上、それで失敗してもらっては困る」

「……はい」

 戸沼は申し訳なさそうに頭を下げた。彼の言葉もそうだが、真砂にそんな事を言わせてしまった自分に少し腹が立ったのである。

 戸沼はここに来る前、東京西部の山岳地帯を管轄する警視庁山岳救助レンジャー部隊の一員として青梅警察署に所属していた。普段は一般の警察職員としての業務を行いながら、救助要請が来た際にヘリで現地に急行し、ロープによる救助を行うのが主な任務である。レンジャー部隊というだけあって訓練は厳しく、そこに所属していた戸沼は充分エリートともいえる存在であったわけだが、二年前、戸沼はその救助活動の際に致命的なミスを起こしてしまった。端的に言うと、戸沼がロープによる吊り上げ救助作業を行っていた際に、要救助者とロープを繋いでいた金具が破損し、要救助者が空中から落下するという事故が起こってしまったのである。もちろん、そんな状況で助かるはずもなく、要救助者は地面に叩きつけられて即死した。亡くなったのはまだ若く、将来のある大学生だった。

 直接的な事故原因は使用した金具の構造的欠陥によるもので、その後行われた裁判では最終的には金具を製造したメーカー側に責任があるとされたため、戸沼が罪に問われる事はなかった。だが、それでも実際に要救助者を助けられなかった戸沼に対する遺族の怒りはすさまじく、戸沼自身もとても救助活動を継続できる精神状態ではなかったため、上の判断で巴川署の事務方として勤務する事が言い渡されたのである。

 以来、戸沼はこうして巴川署の警務総務課員として勤務を続けている。こんな山奥なので時々遭難絡みの通報が来る事はあるが、その時も戸沼は現場に出る事はせず、もっぱら内勤として活動している事が多かった。

「いい加減、吹っ切らないといけないのはわかってるんですけどね」

「……過去はそう簡単に吹っ切れんさ。それは誰でも変わらない」

「課長もですか?」

「誰にだって、苦い思い出の一つや二つはある。普段、表に出さないだけでな」

 真砂が珍しく苦い顔でそんな事を言った、まさにその時だった。不意に本庁からの車載無線が入った事を知らせる音が鳴り響き、戸沼は慌てて姿勢を正すとその無線に応答した。すぐに、相手の声が室内に響く。

『警視庁から巴川』

 声の主は、警視庁通信指令センターの担当官のようだった。すかさず戸沼は返事をする。

「巴川です。どうぞ」

『先程、埼玉県警より連絡。県警のパトカーが県道××号線にて指名手配犯と思しき人間が運転する自動車を発見し、追跡の結果、同県道の巴川村管轄エリア内にて確保に成功。悪天候により遠距離の移動が難しいため、天候が回復するまで特例処置として一度そちらに連行・留置したいとの要請あり。こちらとしては許可する方針としているが、そちらの状況やいかに?』

 戸沼は思わず背後の真砂の方を振り返ったが、真砂は先程と打って変わってかなり真剣な表情を浮かべて無線の内容を聞いていた。

「課長、どうします?」

「取調室も留置所も空いているから受け入れる事に問題はないが、その指名手配犯というのが気になるな。詳細を聞けないか?」

「やってみます」

 そう言うと戸沼は改めて無線に向き直った。

「えー、こちらとしては受け入れに問題はないが、事務手続きのために連行されてくる指名手配犯の詳細について知っておきたい」

 その問いかけに対し、相手もそれは当然と考えていたのか、すぐにその情報を提示した。

『了解した。被疑者は鬼首塔乃、二十七歳。二年前、東京都世田谷区で発生した殺人事件の被疑者として全国指名手配されている女性である』

 その返答を聞いて、戸沼と真砂は思わず顔を見合わせる。その鬼首という女の手配書なら先日こちらにも最新版のポスターが送られてきていて、署内だの駐在所の掲示板だのに貼ったばかりであった。女性の指名手配犯という事で珍しく思っていたのだが、まさかその本人がこんな場所で捕まる事になるとは思ってもみない話である。何より……

「確認する。連行されてくる被疑者は鬼首塔乃。これで間違いないか?」

『その通りである。そちらへの到着は十八時十五分前後を予定。連行担当者は埼玉県警刑事部捜査一課主任の金倉英介警部補、及び同課所属の麻布涼平巡査部長の二名。連行後は当該被疑者を留置した上で、天候回復後の移送までの間、適宜埼玉県警側の捜査に可能な限り協力するように』

「巴川、了解」

 それで無線は切れる。再び通信室は静けさに包まれたが、そこには先程とは違って張り詰めた緊張感が漂っていた。

「課長、鬼首塔乃っていったら確か……」

「あぁ。よりによってこんな時に、とんだ大物の御来訪だ。不法侵入程度で騒いでる場合じゃない」

 とにかく、至急準備が必要である。

「今日の留置所の担当は誰だ?」

「確か、八戸だったはず。今頃留置監視室で例の不法侵入者の監視をしているはずです」

「すぐに連絡して追加の留置の準備をさせろ。それと刑事生活安全課に連絡。相手が鬼首塔乃となると、担当は刑事生活安全課という事になる」

「わかりました」

 真砂の指示で、戸沼がすかさず関係する各署員への連絡を行っていく。その後ろで、真砂はポツリとこんな呟きを漏らしたのだった。

「それにしても、よりによって鬼首塔乃とは……。これは一波乱あるかもしれないな」


 ……それから約十分後、相変わらずの大雨が降りしきる中、指名手配犯・鬼首塔乃を乗せた埼玉県警のパトカーが、ゆっくりと巴川橋を渡って巴川警察署の前に姿を見せる事になったのである。

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