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ダブルクローズドサークル~巴川村の殺人  作者: 奥田光治
第一部 嵐の前~巴川警察署
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第四章 留置監視室

 巴川警察署には地上に見えている建物以外に地下階が存在する。ここにあるのは一般人の立ち入りが認められない施設ばかりで、具体的には取調室、留置所、面会室などである。その中の一つ……留置所の併設されている留置監視室の中で、警務総務課の八戸進巡査が欠伸しながら椅子の背もたれにもたれかかっていた。

「はぁ……暇だな」

 八戸はそんな事を呟きながら、ぼんやりと目の前にあるガラスの向こうを見つめていた。

 留置監視室は、その名の通り留置所を監視するための部屋である。担当は警務総務課で、普通の所轄署であれば警務課辺りに「留置係」という部署があるはずだが、巴川署は係を置けるほど人員がいないので、警務総務課の人間が交互に担当するのが普通だった。とはいえ、場所が場所だけに留置所に入れられる人間などほとんど出てくる事もなく、現実としては留置所に誰もいない事が多いため、この留置所の監視という業務も形骸化している部分があった。

 だが、この日は珍しい事に留置所に客がいた。一人の男が村のとある屋敷の庭に許可なく侵入して暴れたとの事で駆け付けた駐在にしょっ引かれ、頭を冷やすために一晩留置所に放り込まれる事になってしまったのである。たった一人であるとはいえ留置所に入った人間が出た以上は留置所の監視業務も発生する事になり、結局たまたま形式上の当番だった八戸がこうして薄暗い地下の狭い部屋に缶詰めになる事になってしまったのである。

「余計な仕事を増やさないでほしいよな。えーっと……」

 そう言いながら、八戸は留置されている男の情報が書かれた書類を確認する。

「『桶嶋俊治郎』、三十六歳。日帝新聞芸能部記者、ねぇ。ったく、東京のブン屋が何だってこんなど田舎に来てまで騒ぎを起こしたんだか」

 と、その時留置所内の声がマイク越しに監視室内に響き渡った。

『ねぇ、お巡りさん。俺が悪かったから、そろそろ出してくれねぇかな』

 それを聞いた八戸は深いため息をついてじろりと留置所の方をガラス越しに睨みつける。留置所内の物音は設置されている装置を通じて全て監視室に聞こえるようになっているが、逆に監視室の物音は手元のマイクのスイッチを入れない限り聞こえる事はない。よほどの事がない限りこちらからマイクを使って話しかけてはいけない事になっているし、そもそも八戸としてもこんなふざけた男に話しかけるつもりなど一切なかった。

「うるせぇよ。朝になったら釈放してやるから、それまで反省しろってんだ」

 そう愚痴めいた言葉を発しながら、八戸は再び大欠伸をする。そして椅子の背もたれにもたれかかりながら、薄汚れた天井を見上げてぼんやりと今までの己の人生を思い返していた。

 八戸は元々、東京の中でも特に忙しい事で有名な渋谷署の地域課……わかりやすく言えば渋谷署管轄内にいくつかある交番の一つに所属する巡査であった。警察学校卒業後にここに配属されて順調にキャリアを積んでいたのだが、そんな八戸の警察官人生を大きく狂わせたのが、五年前に起こったある事件であった。

 ゴールデンウィーク最終日だったその日、八戸は渋谷の繁華街をパトロールしていたのだが、その際に偶然、指名手配されていた強盗事件の犯人を発見。強盗も制服警官がいる事に気付いてすぐに逃げ出したため、八戸は無線で本部に連絡しながら追跡を開始した。強盗は休日で多くの人が行き交う渋谷の繁華街を逃げ続け、八戸はそうした人々を押しのけながらも何とか強盗を追いかけ続ける。だが、そんな追跡劇を十分ほど続けた末に八戸が目にしたのは、コンビニの入口で客の女性の喉にナイフを突きつけて人質に取っている強盗犯の姿だった。

 八戸は反射的に拳銃を構えたが、追い詰められた強盗は完全に頭に血が上っており、すぐにでも人質の女性の首を切り裂きかねない状況だった。応援を待っている時間的余裕はなく、何より配属されたばかりの八戸にとって、一人でこの極限状態に対峙するにはあまりにも荷が重すぎた。

 ……結論から先に言うと、最終的にこの事件は死者を出す事なく解決し、強盗も無事に逮捕される事となった。が、その『解決』は八戸にとってあまりにも悲惨なものだった。あの時、犯人が今にも人質に危害を加えそうだと感じた八戸は、覚悟を決めて拳銃を一発発砲した。だが、初めて味わう極度の緊張状態に耐えきれなかった八戸の狙いはわずかに狂い、放った銃弾はよりにもよって人質の肩を直撃してしまったのである。自分のやってしまった事に八戸が呆然としていると、撃たれた衝撃と飛び散った人質の血が目に入った事で強盗はひるんで人質を放して数歩後退。そこで店内から様子を伺っていたコンビニの店員が後ろから犯人にタックルして犯人を取り押さえた事で、結果的に事件は『解決』する事となった。だが解決はしたものの、その場に居合わせた人々が八戸に向けた視線は、恐ろしく冷たいものだった。

 あの時、犯人を取り押さえた店員が拳銃を構えたまま何もできずに呆然としていた八戸を見ていた目を、八戸は一生忘れないだろう。そこにあったのは犯人を捕まえた安堵ではなく、結局何もできなかったばかりか独り相撲的に人質を傷つけるだけに終わった八戸という警察官に対する怒りと不信の表情だった。店員だけではなく、事件が解決したにもかかわらずその場は静まり返って何とも重苦しい空気となっており、何も考えられず棒立ちとなった八戸の周りから人々が一歩二歩と後ずさっていくのが八戸の視界の隅に見えた。そしてそんな中、近づいて来るパトカーと救急車のサイレンだけが、八戸の耳に響き続けていたのである。

 ……その後、当然ながらこの事件は渋谷署内でかなり問題となった。最終的に犯人を取り押さえた店員に称賛の声が集まる一方、人質に銃弾を当てた八戸には非難の声が上がり、渋谷署上層部の責任問題へと発展した。しかも悪い事に、銃弾が当たった人質の女性は命こそ助かったものの右腕に障害が残ってしまい、それが原因で彼女は仕事を辞めざるを得ないところまで追い込まれてしまった。というのも、彼女の職業は利き手がほぼ必須のピアニストであり、これによってせっかくかなえた自身の夢を突然絶たれた彼女の絶望は相当なものだった。彼女は警察に対して損害賠償請求を行い、色々あった末に最終的に民事裁判で何とか和解に持ち込む事ができたものの、警察側の負ったダメージは相当なものだったという。

 しかし、ここまでの事態になっても警察上層部は八戸を解職する事はしなかった。結果や上層部の心情はどうであれ、八戸の行った行為はあくまで警察官の職務執行上の正当な行為であり、ここで下手に八戸を解職してしまうと警察が今回の事件における銃の使用が適正でなかった事を公に認める事に繋がってしまうからである。そうなってしまうと民事裁判で不利な判決が出てしまう可能性もあったため処分をめぐってはかなり紛糾し、最終的に警察上層部が八戸に下した処分は事実上の「飼い殺し」であった。一定期間の自宅謹慎と減俸処分を経たのち、久しぶりに出勤した八戸に突きつけられたのはこの巴川署警務総務課への異動指示だった。その時、渋谷署の署長は八戸に対してはっきりこう言ったものである。

「警察官を続けたいのなら続ければいい。ただし、今回の一件のほとぼりが冷めるまでは絶対に君が巴川署から異動する事はないし、仮に何年先かわからないが異動が実現したとしても、将来的に君が警察内部で出世する事は絶対にないだろう。それでもいいなら警察官を続けたまえ。嫌ならさっさと自分から辞める事だな」

 ……そこまで言われても、八戸は警察官を辞めなかった。辞めた所であれだけの事件を起こしてしまった以上、彼の居場所はないと思えてしまったからである。今の八戸はただただ惰性的に仕事をこなし、義務的にもらった給料でただ生きているだけの存在だった。

「いつか出られる留置所に入れられている人間と、ほぼ永久的にここに閉じ込められている俺……どっちの方が幸せなのかね」

 何の気もなしに、そんな言葉が口から洩れる。が、完璧に防音された監視室の中で発せられたその言葉に応える人間は、残念ながらどこにも存在しなかったのである……。

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― 新着の感想 ―
なんか割と重めの(そして悪意のない)不祥事の人間ばかり固まってるが、それはそれで問題にならんのかな(というか今から続き読むので起きるのかもしれんが) うちの地元も左遷先だったらしく平成初期くらいまで…
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