第四章 最後の闇
名探偵と大量殺人鬼の直接対決……突然出現したそんな光景にその場には先程以上の緊迫した空気が漂っていた。すでに逮捕されて手錠をかけられたもう一人の殺人鬼・大久保は純粋に興味深そうな顔をしてこの対決を眺めており、その様子を見た周辺の刑事たちが警戒した様子で大久保を取り囲んでいる。
そんな中、塔乃は早速、榊原の方へ向き直って挑むように尋ねた。
「それで? 私に話って何?」
「そう身構えずとも、簡単な話だ。君は今回、なぜこの村に来た? 今この場で、その疑問について答えてもらいたい」
「……それ、取り調べの時も聞かれた質問ね」
塔乃は手錠の鎖を鳴らしながらせせら笑い、そしてゆっくりとした口調で答えた。
「答えならさっき言ったわ。『特に理由はない。偶然この近くにいて捕まっただけ』。ちゃんとそう答えたはずだけど?」
「だが、それを私が素直に信じると思っているのかね?」
榊原の問い返しに、塔乃は肩をすくめて切り返した。
「まぁ、自分で言うのもなんだけど、信じないでしょうね。少なくとも、私があなたの立場だったら絶対に信じない」
「……」
「でも、実際にそうだったんだから仕方がないでしょう。もし、それでも違うと言い張るんだったら、ぜひともそれを証明してほしいわね」
「なるほど」
そのまましばらく、両者が互いを見据えた状態で、大座敷に重苦しい沈黙が続く。周りの人間は固唾を飲んでこの両者の無言のせめぎ合いを見つめていたが、不意に塔乃が口元を緩めて言葉を発した。
「探偵さん、あなた、冗談は好きな方?」
「内容にもよるが、なぜだね?」
「だったら、もし二年前の事件の真犯人が、私じゃないって言ったら、笑えるかしら?」
からかうような口調だった。が、そんな塔乃の態度に対し、一瞬ざわめきかけた聴衆を制するようにして榊原はあくまで真剣な様子で答える。
「笑えんね」
「へぇ、笑わないんだ」
「あぁ。まったくもって、笑えんよ」
その返事に、塔乃はなぜか満足そうな顔をした。
「怒るのでも驚くのでも否定するのでもなく『笑わない』って事は、少なくとも私の言葉を真剣に考えてくれているって事よね?」
「……私はただ、提示された可能性を何の考察もしないまま頭から否定するような事をしないだけだ。それ以上でも以下でもない」
「私からすれば、それでも充分よ。少なくとも、こちらの言い分を一考はしてくれるって事だし」
そう言いながら塔乃は思案気に首を傾げ、さらに榊原に対する問いかけを続ける。
「せっかくの機会だし、私からも一つ聞いてもいい?」
「何かね?」
「あなた、探偵なのよね。探偵って、指名手配犯からの依頼でも受け付けてくれるのかしら?」
刹那、榊原と塔乃の視線が鋭く交錯する。
「……その依頼が正当な物なら、誰が依頼人でも私が断る道理はない」
「ふーん。じゃあ、私が頼んでもいいわけか」
「依頼したい事があるのかね?」
「まぁね。例えば、二年前のあの事件……その真相をこの場で明らかにしてほしい、とか」
「……それは、『事件の真相を解けるものなら解いてみろ』という、私に対する挑戦かね?」
厳しい表情でそんな事を言う榊原に対し、塔乃は再び肩をすくめながら答える。
「さぁ。解釈はお任せするわ。そういうのが得意なんでしょ、あなたは」
「……」
「それで、答えはどうなの? 連続殺人鬼からの依頼なんて、いい余興になると思うんだけど」
まるで挑発するような塔乃の問いかけに対し、榊原はゆっくりと首を横に振りながら答えた。
「残念だが、君の依頼を受けるつもりはない」
「あら、残念ね。やっぱり殺人鬼からの依頼なんて受けられないって事? それとも、この場で真相を解き明かす自信がないから? せっかくだし、理由を聞かせてもらえるかしら?」
意外そうにそう尋ねる塔乃に対し、しかし榊原は冷静な様子で切り返した。
「別にそう難しい話じゃない。理由は単純かつ明白だ」
そして一呼吸おいて、名探偵・榊原恵一は告げる。
「なぜなら、わざわざ依頼を受けるまでもなく、君が手配された二年前の事件の真相についての論理構築はすでに完成しているからだ。今からこの場でそれを明らかにする事で、今回の事件を本当の意味で全て終わらせようと考えている。もちろん、構わんだろうね?」
瞬間、大座敷の空気が明らかに変わった。その宣言に、その場の人間は大小少なからず驚いた顔をしているが、当の塔乃は余裕めいた表情でそれを受け止める。
「へぇ、面白いわね。じゃあ、早速聞かせてくれるかしら? あなたの言う『二年前の事件の真相』とやらを。事と次第によっては、さっきのあなたからの質問に答えてあげてもいいわよ」
「元より、そのつもりだ」
そう前置きして、榊原は一度塔乃から視線を外してこの場にいる面々に顔を向けると、おもむろに『最後の謎解き』に取り掛かった。
「推理を始める前に、二年前の事件の事を知らない人もいるだろうから、簡単に事件の内容を説明しておこう。二年前の二〇〇六年十一月末から十二月上旬にかけて、都内の世田谷区で六件の無差別連続殺人事件が立て続けに発生した。被害者六人は全員世田谷区内で殺害されており、六人目の被害者が殺害された時点で鬼首塔乃が捜査線上に浮上。しかし、警察の捜査の手が本格的に及ぶ前に鬼首は逃走し、その後、家宅捜索で彼女の家から事件の凶器が発見された事で捜査本部は彼女が一連の事件の犯人であると断定し、全国への公開指名手配が行われていたというものだ」
そこで一度言葉を切って一同を見回すと、榊原はゆっくりと話を次の段階へ進めていく。
「六人の被害者を出すまで手懸りらしい手懸りがないまま捜査本部を苦しめたこの事件だが、最後の最後まで問題になったのが『連続殺人の動機』だった。殺害された六人の被害者には一切の共通点が存在せず、一体どういう基準で被害者が選ばれているのが全くの謎だったわけだ。犯行形態から見ても『快楽目的の無差別殺人』とも思えず、結局先程も言ったように、第六の事件で見つかった証拠から彼女……鬼首塔乃が犯人である可能性が高いと判断され、その後彼女の自宅から実際に凶器が発見された事でこうして指名手配がなされる事になったわけだが、それでも犯行動機についてはわからないままで、真相解明は逃亡した彼女を逮捕して話を聞くまで持ち越しという事になった」
榊原はここで鬼首の方に一瞬視線を向ける。
「だが、見ればわかるように彼女は自身の動機を語るつもりは全くないようだ。なので、ここで改めて私がこの無差別連続殺人事件の『動機』について一考してみようと思う。少々退屈かもしれないが、必要な事なので、お付き合い頂きたい」
そう言ってから、一度咳払いをして榊原は己の理論を語り始めた。
「さて、一般的に二年前のような動機のわからない無差別連続殺人事件を捜査する場合、次の殺人を防ぐためにも犯人の犯行パターンを特定する作業は非常に重要となるが、実はそれには二つの可能性が存在しているというのが私の持論でね。一つは、事件の構成要素に何らかの『共通項』が存在している場合。もう一つは、事件そのものに何らかの『法則性』が存在している場合だ。前者だと例えば『被害者が全員女性』『凶器がすべて同じメーカーのナイフ』『被害者が全員過去に起こった別の事件の関係者』といったケースで、後者だと『毎週月曜日に一回ずつ殺人を繰り返す』『発生した殺人現場を地図上で結ぶと星形になる』『被害者の年齢が事件が進むごとに一歳ずつ上がっていく』といった感じか。一見すると同じ事を言っているように聞こえるかもしれないし、実際に何らかの『共通項』が同時に『法則性』を示しているという融合ケースも存在している点が話をややこしくしてしまうわけだが、根本的にこの二つは全く別々の考え方だ。『共通項』が文字通り『同一』の事象を探すのに対し、『法則性』は別に各々の事件に『同一』の事象があるとは限らず、しかもその『法則性』を見破るためにはより多くのサンプルが必要になる事もあって、法則の特定は『共通項』タイプの連続殺人に比べて難易度が高くなる」
榊原の言葉に納得できる部分があるのか、何人かの警察関係者が同意するように無言で頷いていた。その間にも榊原の推理は続いていく。
「さて、この考え方に当てはめてみると、二年前のあの事件、確かにどれだけ調べても六人の被害者の『共通項』は一切認められなかった。だが、その一方で『法則性』が存在しなかったとどうして断言できるだろうか。そして、犯人の動機が被害者の『共通項』ではなく『法則性』にあったとすれば、あの事件の姿がこれまで見ていた物から大きく変化する可能性がある」
「探偵さんは、その『法則性』とやらを見つけたというのかしら?」
塔乃の言葉に榊原はしっかりと頷きを返す。
「もちろん。あの事件、捜査において本来着目すべきだったのは、六つの事件の『共通項』ではなく、むしろ六つの事件の『法則性』の方だった。そしてその視点に立った場合、初めてこの事件を解決するための真の手掛かりとなりうる、事件全体のある『法則』が浮き彫りになってくる」
そう言ってから、榊原はその『法則』の内容をはっきり告げた。
「すなわち、『六つの事件全てが、世田谷区内の異なる警察署が管轄するエリアで一回ずつ発生している』という『法則』だ」
その瞬間、事件の事を知る警察関係者たちの表情が微妙に変わるのを瑞穂は見て取っていた。その間にも、榊原はさらに自身の推理を一気に展開していく。
「事件の捜査記録を読む限り、二年前のあの事件は最終的に世田谷区内にある六つの警察署による合同捜査になっていたはず。だがこれを逆に言えば、発生した六つの事件の全てが世田谷区内にある別々の警察署の管轄するエリアでそれぞれ一回ずつ発生しているという話になる。もちろん、実際どうだったのかは後で確認する必要はあるが、そうでなければ六つの警察署による合同捜査が行われるわけがないからこの推測は正しいはず。つまりこの犯人は、同じ世田谷区内で律義に犯行を繰り返す一方で、わざわざ毎回同じ区内の異なる警察署の管内で殺人を繰り返していたというわけだ。二、三件なら偶然という事もあり得るが、六件すべてがそうだとすれば、そこには犯人自身の意図があったと考えるのが自然だ。なぜなら本当に何も考えずに世田谷区内で六件もの連続殺人を繰り返していたとすれば、一件か二件くらいは同一の警察署の管内で発生するのが普通だからだ」
「それは……確かにそうだが……」
橋本が榊原の推理の妥当性を認める。そして榊原は結論を告げた。
「つまり、犯人は何らかの意図を持って全ての殺人を異なる警察署の管内で起こしたという事になり、この『法則性』こそが犯人が連続殺人を引き起こした真の理由だった可能性が浮上する。そして仮にこの可能性が正しいと考えた場合、次に問題となるのは『なぜ犯人がそんな事をしたのか?』という疑問だ。さっきは簡単に『毎回異なる警察署の管内で殺人を繰り返す』と言ったが、下手に広範囲で連続殺人を起こして関係する所轄署を増やすと、関係する捜査員の数も増えてしまって犯人にとってはリスク以外の何物でもない。例えば都道府県レベルの広範囲で事件を起こすというなら縄張り意識が強い都道府県警間の連携を乱すという意味合いがない事もないし、過去には実際にそれを狙って異なる都道府県で立て続けに殺人を繰り返した殺人犯がいたのも事実だ。だが今回のように同じ警視庁管轄の同じ世田谷区内にある所轄署が相手ではそんな効果もまず期待できない。にもかかわらずこのリスクの高い犯行を意図的にしたとなれば、そこには何か目的があるはずだ」
「なら、教えてほしいわね。あなたが考えるその『目的』とやらを」
塔乃が楽しそうに尋ね、榊原はあくまで静かな口調でそれに応じた。
「その答えを出すには、異なる警察署の管内で殺人を起こす事で何が起こるかを考えればいい。その『何か』は普通の殺人を引き起こした場合では発生せず、あくまでこの犯行形態を起こした場合のみで発生する事柄だ」
「そんな事を言われても……」
瑞穂は思わずそんな呟きを漏らし、周囲を見回してもこの場の誰もが同じように困惑した表情を浮かべているのがわかった。
「答えを言ってしまうと、さっきの話の逆説だ」
「逆説?」
「毎回異なる警察署の管内で殺人を繰り返せば、当然、捜査に関わる警察官の数も増えて犯人にとってのリスクが高まる。だがこれを逆に言えば、毎回異なる警察署の管内で殺人を繰り返せば、少なくともそれぞれの事件を管轄する警察署の刑事課の捜査員を強制的に事件の捜査に引きずり込む事ができるという話にもつながる。そしてそれこそが通常の殺人では発生しないこの事件の特色であり、隠されていた犯人の真の狙いだったと考えればどうだろうか?」
「じゃ、じゃあ……じゃあ、二年前の犯人が連続殺人を引き起こした理由って……」
思わず声を上ずらせた瑞穂の問いかけに、榊原ははっきりと答えた。
「世田谷区内にある警察署の刑事課の刑事をできる限り多く捜査に引きずり込む事。つまり、犯人の真の目的は『世田谷区内の警察署の刑事課に所属する刑事を確認する事』だった可能性が非常に高い」
「確認、だと」
思わぬ推理に、橋本が絶句する。その間にも榊原の話は続いていく。
「犯人は何らかの理由で一人の刑事を探していた。ただ、恐らくだが犯人が持っていた情報は『その刑事の顔、もしくは身体的特徴』と、その刑事が『世田谷区内にあるいずれかの警察署の刑事課に勤務している事』だけだったんだろう。犯人は何が何でもこの刑事を探し出す必要があった。しかし実際問題として、部外者が該当する全ての刑事を確認するのは非常に難しいし、下手に年単位で時間をかけすぎると途中で異動されてしまう可能性さえある。そうなったらいくら顔を確認しても全くの無駄骨だ。そこで犯人は極めて短期間で該当する刑事を一気に確認する手段を思いつき、それを実行に移した」
「それが……連続殺人」
橋本の引きつった声に榊原は頷きを返す。
「事件が起これば、必ずその事件を管轄する警察署の刑事課員が現場に出動する。事件の規模が大きくなればなるほど、出動する刑事の数も増えるだろう。後はテレビ中継を見るなり直接野次馬に混ざるなりしてその現場検証の場を確認し、目的の刑事がその中にいないかどうかを確認するだけだ。いなければ別の警察署の管内でまた殺人を起こし、目的の刑事に突き当たるまで犯行を繰り返す。極めて合理的ではあるが、それと同時に狂気的な思考回路と言える」
「ま、待て! もし、その考えが正しいなら、とんでもない事になる!」
橋本の緊張した言葉に、榊原は頷きながら断言する。
「あぁ。二年前の事件……警察が必死に調べても、最後の最後まで六人の被害者たちの間に何ら共通点を見つける事はできなかった。だが、犯人の目的が被害者側ではなく、捜査を行う世田谷区内の警察署の刑事課の刑事にあるとすればそれも当然だ。犯人からすれば、事件を起こして管轄する所轄署の刑事たちが出てきさえすれば、殺す相手は別に誰でもよかった。犯人が注意していたのは事件を起こす場所がすでに事件を起こした警察署の管内にかぶらないようにする事だけで、被害者については適当に目についた殺しやすい人間を殺せばいいだけだったんだからな。要するに犯人の中では事件を起こすにあたって『殺害場所』の方が先に来ていて、『殺害場所』を決めてから『被害者』を決めるという普通の事件とは逆の現象が起こっていたというわけだ」
「つまり、二年前のあの事件は……」
呻くように言う橋本に、榊原はあまりにもひどすぎる結論を告げた。
「正真正銘、被害者に対する動機が一切存在しない、本物の『無差別殺人』だった。犯人が被害者たちを殺害した理由はただ一つ。『殺害を予定していた場所に彼らが偶然いて、たまたま殺せる条件が整っていたから』だ。極めて単純で、しかしだからこそとても残虐な動機と言わざるを得ないがね」
「何という……」
もしそうなら榊原の言うように、警察がいくら被害者たちの共通点を調べた所で真相が浮かび上がってこないのも当然である。むしろ、被害者たちを調べれば調べるほど真相から遠ざかっていくという状況であり、おまけにこの『法則』は事件が最初の一、二件しか発生していない段階では絶対に発覚する事がない。二件程度の事件が別々の警察署の管内で起こっても『偶然』と判断されてしまうのが普通であり、この『法則』が明らかになるのは今回のように五人を超えるような大量の被害者が出て、各事件を管轄する警察署が全て違うという異常性が確認できた時だけしかないのである。
しかも、それが確認できる頃には警察側の捜査は「被害者の共通点を調べる」という方針で固まってしまっているはずで、仮に捜査本部の刑事の誰かがこの『法則』に気付いたとしても、そこから捜査の方針転換をするのは極めて困難である。もしそこまで考えてこの犯行を行っていたのだとすれば、この『無差別殺人鬼』の思考回路は悪魔的な意味で天才だと言わざるを得なかった。
「では、話を先に進めようか。この連続殺人事件の犯人の目的は、世田谷区内の警察署の刑事課の刑事だった。仮にこの推理が正しいとした場合、今回の事件とは逆に、警察関係者があの連続殺人の犯人であるとは考えづらい。なぜなら警察関係者が犯人なら、わざわざ連続殺人を起こさずとも単に各所轄署の刑事課に所属する刑事について調べればいいだけの話だからだ。警察の人間がそれを調べた所で、別に誰も怪しむ事はないはず。その状況下で殺人を起こすメリットは犯人にはない」
「それは……確かにそうだな」
榊原の意見に橋本も賛同する。
「これを逆に言えば、犯人は『警察署の刑事課に所属する刑事を調べられない人間』もしくは『調べると怪しまれてしまう立場の人間』という事になる。調べられないからこそ連続殺人を起こして各警察署の刑事課の刑事を現場に引きずり出し、直接顔を確認するしかなかったわけだからな」
その瞬間、橋本の表情がハッとしたものへと変わった。
「待て! 鬼首塔乃が指名手配される前の職業は確か……」
「せっかく本人がいるんだ。直接、聞いてみるのが一番だ」
そう言って視線を向けられた塔乃は、涼しい表情で答える。
「知っている人は知っているかもしれないけど、当時の私はアスタリア生命の調査部員だったわ。仕事柄、警察関係者と面会したり折衝をしたりする事も多かったし、仕事のために所轄署の担当刑事の情報を調べたとしても、別に怪しまれる事はなかったでしょうね」
塔乃の答えに、その場が一気にざわめいた。そのざわめきに負けないよう声を張り上げながら榊原が推理を進める。
「当時の捜査本部は、彼女が生命保険会社の調査員として警察関係者と繋がりがあり、そこから警察内部の捜査状況を知る事ができる立場にいたために捜査の手を逃れる事ができたと考えていた。しかし、実際は逆だった。犯人の目的が今まで推理したように『世田谷の刑事』を探す事にあるのだとすれば、こんな殺人を犯さずとも警察内部の情報を知る事ができる彼女は犯人からは一番遠い人間という事になってしまうという事だ」
「つまり、あなたは彼女が……この鬼首塔乃が二年前の事件の犯人ではないと、そんな馬鹿げた事を言いたいわけですか!」
響子が声を震わせながら榊原を睨みつける。二年前、この事件のせいで人生を狂わされた響子からすれば、ようやく『真犯人』が捕まって事件が解決するかもしれないこのタイミングで、全てが間違っていて長年『真犯人』だと信じていた人物が実は無罪だったなど覆される事は耐えられないのだろう。
だが、榊原はそんな響子の憎悪のこもった視線にもまったくひるまなかった。
「その可能性が出てきたという話です。そして少しでも可能性がある以上、我々はそれを検証しなければならないんです」
「ですが……」
響子はなおも何か噛みつこうとする。が、ここで橋本が重々しい口調で言葉を挟んだ。
「よかろう。仮に、榊原の推理が正しかったとしよう。そうしなければ話が進まないようだからな。だがその場合、犯人が『世田谷の刑事』を探し出そうとした理由は何だ?」
そのもっともな疑問に、榊原も真剣に答える。
「詳しい事は想像しかできない。ただ、その発見手段として『大量殺人』を選んでいる以上、犯人が『世田谷の刑事』を探し出してどうするつもりだったのかについてはある程度推察ができる」
「……その『世田谷の刑事』を殺害するため、か」
橋本の言葉に、榊原も同意する。
「発見目的が最初から『殺害』だとすれば、その前段階の標的の発見手段に『殺人』を選んでも一応筋は通る。というより、それ以外の目的で標的の発見手段に『殺人』を採用する可能性はほぼないと考えていいだろう」
その論理を否定する人間は誰も居ないようだった。最終目的が「殺人」だからこそ、その準備段階で「殺人」を行う事に何ら躊躇はなかった……そう考えれば確かに筋は通るし、それ以外は考えられないからである。
「だが、この考えが正しいとすると、さらに新たな問題が立ちふさがる事となる」
「そ、それは何ですか?」
瑞穂の疑問に、榊原はすぐに答える。
「言うまでもなく、犯行が六件目の事件を最後に唐突に終わってしまったという事実だ。この疑問については、いくつかの可能性が考えられる」
そう前置きして、榊原はその『可能性』を列挙する。
「第一に、スケープゴートの鬼首塔乃が指名手配された事を受けて、これ幸いと彼女に罪を着せるために犯行を中止したという可能性。しかし、これまでの推理が正しいとするなら、言い方は悪いがこの犯人はその程度の事で犯行をやめるほどやわな人間ではない。むしろ、彼女が逃亡して反論できない事を良い事に、さらに彼女に罪を着せる形で新たな犯行を繰り返すくらいのことはするはずだ。従って、この可能性は低いと判断する」
榊原は誰かが反論をする前に自ら自説を引っ込め、すぐさま新たな可能性を検討しにかかった。
「第二に、第六の事件を起こした時点でようやく真の目的である『世田谷の刑事』を確認する事に成功し、それ以上の犯行を起こす理由がなくなってしまった可能性。この場合、犯人が捜していたのは第六の事件を管轄する祖師谷署刑事課の誰かという事になる。ただ、問題はその後だ」
「問題……つまり、その可能性には何か欠陥があるというのかしら?」
塔乃の問いかけに榊原は頷く。
「もしこの推理が正しいとするなら、犯人は当然、その特定した真の標的たる『世田谷の刑事』を殺害しにかかったはずだ。そのためにここまでの大量殺人を引き起こしてきた以上、今更それを躊躇する事はあり得ないはず。だが……」
榊原がチラリと橋本を見やると、橋本は黙って首を振った。
「残念だが、二年前のあの事件の前後に、祖師谷署に限らず世田谷区内の所轄署の刑事が殺害されたなどという事案は存在しない。もしそんな事件が発生していたら、それこそ連続殺人鬼の新たな犯行という話になって、捜査本部が大騒ぎになっていただろうからな」
橋本の言葉に、当時実際に捜査本部にいた響子も力なく頷いて同意する。
「つまり、この可能性もあり得ない。ならば次の可能性だが、実際に標的を特定して襲撃した所までは良かったものの、その場で逆に標的に返り討ちにされて死亡してしまったというケースだ」
「返り討ち……」
思わぬ言葉に瑞穂は戸惑ったような声を上げた。
「いくら連続殺人鬼とはいえ、相手は現職の刑事だ。襲ったはいいが、返り討ちに遭った可能性がないとは言い切れない」
「……いや、でもその可能性でも、さっきと同じ問題が浮上しませんか? もし犯人が返り討ちに遭ったのだとすれば、当然その犯人の『殺害事件』が発生していなければおかしいはず。ですが、そんな事件が起こっていたら、さっきと同じく捜査本部に認知されないなどという事はあり得ないはずです」
口を挟んだのは虎永だった。それを受けて信治も呟きを漏らす。
「確かに、それならそれで『第七の事件』と認識されかねないな」
「返り討ちにした刑事が発覚を恐れて犯人の死体を隠した、というのはどうでしょうか?」
紗江が控えめに意見を言うが、虎永は首をひねった。
「どうだろう。いきなり襲撃された人間がそう簡単に死体を処分できるとは思えないが」
さらに、実際に当時の捜査本部にいた響子が弱々しい声ながらも反論しにかかる。
「それに、普通の時ならいざ知らず、あの時の世田谷区内の警察署はどこも普通ではありませんでした。少しでも連続殺人鬼の正体を突き止めようと、そして新たな犯行の発生を防ごうと、区内で届け出が出された不審な失踪事案は片っ端から全て調べていたはずです。結果、当時の世田谷区内の失踪事案の解決率が異常に上がったらしいですが……そんなわけで、仮に死体を隠したとしても、この状況下でその人物の失踪がばれないはずがないんです」
「そもそも今までの話が正しいなら、返り討ちにしたのは世田谷区内の警察署の刑事だ。失踪事案に対する各署の対応がそんな事になっているのは誰よりもよく知っていたはずだし、下手に死体を隠して失踪状態にしてしまう事には躊躇すると思う」
一通り意見が出た所で、何とも言えない沈黙が発生する。が、そこへ榊原はさらなる爆弾発言を行った。
「確かに、その状況で殺害した相手の死体を隠したとは考えにくい。ならば、発想を逆転すればいい。つまり、『返り討ちにされた犯人の死体ははっきりとした形で発見されている』と」
「いや、だから例の六件以外であの時期に世田谷区内で殺人は……」
なおも食い下がろうとする虎永に、榊原は言い含めるように告げた。
「確かに『第七の事件』は起こっていない。ですが、別に問題の刑事が『犯人』を返り討ちにした事件が『第七の事件』である必要性は一切ない。例えばそう……連続殺人鬼の最後の事件と思われていた『第六の事件』こそがその『犯人が返り討ちにされた事件』だったとすれば、今までの話に辻褄が合うのではありませんか?」
その榊原の発言が意味する事を知って、その場の空気が一気に張り詰めた。
「そんな……まさか……」
「『第六の事件』は連続殺人鬼の最後の犯行ではなく、逆に連続殺人鬼がやっと見つけた真の標的に返り討ちに遭って発生したものだった。もしそうなら、それ以降に新たな殺人が起こらなかったのも当然です。何しろ、当の犯人が『第六の事件』の時点ですでに死んでしまっているんですからね」
「おい、待て! それじゃあ、二年前の連続殺人事件の真犯人は……」
緊張した顔を浮かべる橋本に対し、榊原ははっきりその名を告げた。
「第六の事件の被害者だと思われていた『道原裕奈』という名の神社の巫女。少なくとも五件目までの事件の犯人は彼女だった。それが私の結論だ」
「そんな……そんなっ……!」
榊原の告発に対し、響子が呻くように言葉を漏らす。実際、それは今まで誰も想像していなかった可能性だった。
「捜査資料によれば、当時の道原裕奈は未成年の大学生。当然、未成年者の彼女が世田谷区内にある全ての警察署の刑事課所属の刑事を怪しまれずに全て調べるなどほぼ不可能に近い。犯人の条件は充分に満たしていると考える」
「いや、待て待て! なぜ彼女が大量殺人を引き起こしてまで『世田谷の刑事』を探し出し、その『世田谷の刑事』を殺そうとする? 彼女の根本的な動機は何だ?」
険しい顔をした橋本の質問に、榊原は冷静に答えていく。
「事がこれだけの殺人に至っている以上、その動機にも恐らく人の生死にかかわる何かが絡んでいるのは自明だ。そして、鬼首塔乃の過去にはそれらしき経歴は存在していなかったが、資料を読んだ限り、道原裕奈の過去にはそれらしき経歴がいくつか確認できる。具体的には彼女の家族絡みの話だ」
そう言いながら、榊原は道原裕奈の経歴についての資料を示した。そこにはこう書かれていた。
『世田谷区内にある国吉神社の巫女。死亡当時十九歳。国吉神社は彼女の実家が管理する神社で、彼女自身も国吉神社の社務所横にある神社関係者の施設に居住。第一発見者は神社に参拝に来た近所に住む高校生。同神社の巫女は実家の仕事であり、本人は明正大学文学部宗教学科の一年生でもあった。彼女の両親は彼女が中学生の頃に旅客船の沈没事故で他界しており、さらに彼女の面倒を見ていた姉も事件の数ヶ月前に精神的な理由から自殺している。そのため姉の死後は国吉神社の神主をしている母方の祖父の家に養子入りしていたが、事件当時、祖父は病気のため入院中であり、神社の事は残された彼女が一人で切り盛りしている状況だったという。なお、この祖父は事件のショックから半年後に病死している』
「ここに書かれているように、彼女は中学の頃に両親を旅客船の海難事故で亡くしており、またその後に面倒を見てくれた姉も事件の数ヶ月前に自殺。その後は母方の祖母だった国吉神社の神主に養子として引き取られている。この経歴の中で殺人の引き金になる可能性が高い事象が何かと考えると、怪しいのは事件の数ヶ月前に起こったという『姉の自殺』だ。資料では『精神的な理由』という事になっているが、もしこの『自殺』に問題の『世田谷の刑事』が絡んでいたとすれば、二年前の殺人の動機になる可能性は充分に考えられる。だから、私はこの道原裕奈の『姉』とやらについて調べてもらう事にした」
その言葉と同時に、斎藤が前に出て言葉を発する。
「榊原さんの要請を受けて、世田谷区役所に保管されている道原裕奈の戸籍関係の情報について調べました。結果、確かに道原裕奈には事件の半年ほど前に自殺をした姉が存在する事がわかりました」
そして一度言葉を切ると、直後、斎藤は衝撃的な事実を告げた。
「戸籍に記されていた道原裕奈の姉の名前は『歌峰詩緒』。自殺当時は警視庁江戸川署交通課所属の巡査で、三年前に青梅署管内で『自殺』した事になっています」
「歌峰詩緒巡査、だと?」
その名前に反応をしたのは寺桐だった。すかさず榊原が寺桐の方へ視線を向ける。
「ご存知ですか?」
「あ、あぁ。確か、山森君がここに左遷されるきっかけになった婦人警官の名前だったはずだ。彼女が江戸川署交通課にいた時の部下で、その『自殺』が山森君のパワハラによるものではないかという疑惑が出た事で、巴川署への異動が決まったとか」
「え? そうだったんですか?」
その情報は知らなかったらしく、虎永が驚いた顔をする。他の巴川署の面々も似たような表情で寺桐の方を見つめていた。
「あまり積極的に話したい事じゃないからな。私も一緒にパトカーで警邏に出かけた時に、何かのきっかけで本人から話を聞いただけだ。多分、私以外だと亡くなった課長たちしか知らないと思う」
「いや、しかし彼女がパワハラですか? ちょっと想像できませんが……」
戸沼が当惑した風に言うが、それは寺桐も同じような感想のようだった。
「実際、彼女本人はパワハラを否定していたよ。もっとも、本当の所は私にもわからんかったがね。パワハラは加害者本人が気付かないままやっている事も多いと聞くしな」
その言葉の後を榊原が引き継ぐ。
「寺桐さんの言ったように、公式記録では今回の事件で死亡した山森絵麻子巡査部長のパワハラが原因で自殺した可能性が指摘されていますが、あくまで『疑惑』で、正式に認められたわけではなく、実際の所は動機不明のままになっているようです」
「そして、榊原君の今までの推理によれば道原裕奈が二年前の連続殺人の犯人であり、その目的が『世田谷の刑事』を探すためだった事、そしてその『世田谷の刑事』を探す理由に姉である彼女の死が関わっている可能性がある事になる。という事は、榊原君もこの歌峰詩緒巡査の自殺が山森巡査部長のパワハラによるものではないと考えているのかね?」
「推理に従えば、そうなりますね」
榊原は寺桐の指摘を素直に認める。と、ここで不意に麻布が慌てたように話に割って入った。
「待ってください! 二人は姉妹という事ですが、道原裕奈と歌峰詩緒では名字が違います。そこはどうなっているんですか?」
もっともな麻布の指摘だったが、榊原はすぐに答えを返す。
「先程説明したように、道原裕奈は両親の死後はすでに警察官になっていた姉の世話で生活していて、姉の死後に『母方の祖父』の家に養子入りしています。恐らくですが『歌峰』というのは父方の名字で、養子入りした際に母方の『道原』に名字が変わったのでしょう。それまでは『歌峰裕奈』と名乗っていたと考えられます」
「実際、我々が戸籍関連の情報を調べた限りでも、今、榊原さんが言ったような事情が間違いなく確認されました」
斎藤が榊原の推理を補足し、この問題に決着をつける。
「話を戻そう。先程寺桐さんが言ったように、私はこの歌峰詩緒の自殺事件こそが道原裕奈が連続殺人を起こした直接的な動機であり、その目的として『世田谷の刑事』を探す事があったと考えている。という事は、少なくとも道原裕奈はこの姉の自殺を単なる山森巡査部長によるパワハラとは考えておらず、『世田谷の刑事』が何らかの形で関与していると考えていた可能性が非常に高い」
「関与、と言うと具体的には?」
橋本の単刀直入な質問に、榊原はあっさり答える。
「いくつか考えられるが、『世田谷の刑事』が何らかの形で姉を自殺に追い込んだ。もしくは『世田谷の刑事』が彼女の自殺を幇助した。あるいはもっと直接的に、事件が実は自殺に見せかけた殺人で、その犯人が『世田谷の刑事』だった、といった所だな」
『殺人』という単語が出た瞬間、その場にいた何人かの人間が息を飲むのを瑞穂は見た。が、さすがに橋本たちは動じる事なく話を続けていく。
「つまり、動機は姉の復讐か」
「あぁ。両親の死後に姉に面倒を見てもらったという話から考えると、姉妹の仲はかなり良かったと考えるのが妥当だ。実際、歌峰詩緒が死亡した直後に彼女の『遺族』が何度も勤務先の江戸川署に抗議したという記録が残っている」
「そう言えば、山森君も確かにそんな事を言っていたな。事件直後、遺族が何度も怒鳴り込んできて大変だったと。そうか、その『遺族』が妹の道原裕奈の可能性があるわけか」
寺桐が情報を補足し、それに頷きを返してから榊原はさらに推理を進める。
「そして、恐らくだが道原裕奈は生前の歌峰詩緒から『世田谷の刑事』についての情報を聞いていたはずだ。だからこそ歌峰詩緒の死後に彼女と『世田谷の刑事』の繋がりに気付く事ができ、そして精神的に追い詰められていた道原裕奈は歌峰詩緒の死に関与している『世田谷の刑事』をあぶりだして復讐するためにあの無差別連続殺人を引き起こした。これが二年前の連続殺人が始まったきっかけだったと私は推測する」
と、ここで橋本の表情が一気に厳しいものに変わった。
「おい待て! もし今までの推理が正しいなら、犯人の道原裕奈が標的である『世田谷の刑事』の正体に気付いたのは……」
「最後の六件目ではなく、その一つ前に起こった五件目の事件。その捜査のために現場に出てきた所轄署の刑事を確認してその結論に至り、六件目の事件で標的に襲い掛かったはいいが返り討ちに遭って殺されてしまった、と考えるしかない」
「なら、今まで散々出てきた『世田谷の刑事』は、五件目の宇佐見修治郎殺しを担当した所轄署の刑事課の誰かという事か!」
橋本の言葉に、一際大きく目を見開いたのは響子だった。
「確か……宇佐見修治郎殺しの現場の管轄署は……」
「玉川署、のはずです。現場は玉川駅のすぐ近くですし、何より第一発見者が玉川署所属の警邏警官だったはずですから」
榊原の指摘に響子は驚いた仕草をし、青ざめた表情で頷きを返す。
「は、はい。その通りです」
「さて……そこで鬼首君、君に改めて質問だ」
ここで榊原は、再び塔乃の正面に立った。塔乃は笑みを浮かべながら榊原の言葉を待っている。
「何かしら?」
「最初と同じ質問だよ。『君はなぜ今になってこの村に来たのか?』。この疑問に今度こそ答えてもらいたいのだがね」
ここまで来ても、塔乃は笑みを浮かべるだけでその質問に応えようとしなかった。が、推理がここまで進めばその答えは充分に推測可能であり、実際に榊原もすでにその答えを推理しているようだった。
「単刀直入に聞こうか。君は、自分を『殺人鬼』に仕立て上げた人間……つまり、二年前に道原裕奈を返り討ちにして殺害した人物がこの村にいると知ってやってきたんじゃないかね?」
「……」
恐ろしい沈黙がその場を支配する。誰もが固唾を飲んで塔乃の返答を待っていたが、しばらくして、唐突に塔乃は答えを告げた。
「えぇ、そうよ。よくわかったわね」
瞬間、場に衝撃が走る。が、塔乃はそれ以上何も話そうとしない。あくまでもこの場は榊原の推理を拝聴する構えのようだ。と、その沈黙に耐え切れなくなったのか、戸沼が叫ぶように言葉を発した。
「ま、待ってください! 今までの話が本当なら、彼女に罪を着せたのは『世田谷の刑事』……つまり、警察官なわけですよね! だったら……」
「えぇ、そいつが退職していない限り、巴川署に所属する現職の警察官の中に、この期に及んでまだもう一人『殺人犯』が紛れ込んでいる事になります。残酷ですが、これが最後に残された巴川署の『闇』です。それを明らかにしない限り、この事件を本当の意味で終わらせる事はできません!」
その言葉が発せられた瞬間、全員の目が一瞬拘束されている大久保の方へ向いた。が、大久保は余裕のある表情で傲然とこう言ってのける。
「断っておきますが、その事件について私は全く関係ありませんよ。そもそも、私がこの村に配属されたのは二年前の事件が起こるはるか前の話です。世田谷区内の警察署に赴任した事もありませんし、見当違いと言わざるを得ませんな」
「そもそも、世田谷区内の警察署への赴任経験がなかったり、二年前の事件以前からこの警察署にいる人間は条件に合致しないという事か」
虎永が呟く。そう考えてみると、その条件に合致する人間はかなりいそうだった。
「警察署側の犯人だった石井警部補を含む三課長は赴任時期的に外れですね。あとは……」
戸沼がブツブツと条件に合致する人間を考えているが、そこで麻布が口を挟んだ。
「待ってください。さっきから難しい話ばかりしていますが、実際問題として怪しいのは、その時の捜査本部にいた事がはっきりしている三人じゃないんですか?」
「つまり、二年前の事件が原因でここに左遷されて来た、柿村巡査部長、奥津巡査部長、源巡査の三人の誰かという事かね?」
麻布の言葉に、橋本が具体的な人名を挙げる。が、これには榊原が否定の言葉を発した。
「いえ、少なくともこの三人が犯人とは思えません。亡くなった柿村巡査部長は一件目の事件が起こった世田谷署の刑事で、彼が犯人なら道原裕奈は一件目で犯行をやめてそのまま柿村巡査部長を殺しにかかっているはずです。それは二件目の事件から捜査に関わった世田谷北署の源巡査にも言える事ですし、逆に亡くなった祖師谷署の奥津巡査部長が捜査に関わったのは最後の六件目からですから、『道原裕奈が五件目の事件の捜査の際に標的を見つけた』というこれまでの推理に合致しません。五件目の時点で、奥津巡査部長はまだ捜査に関与していないのですからね」
「じゃあ、一体……」
「要するに、巴川警察署にはもう一人、『二年前の事件が起こった時に世田谷区内の警察署の刑事課にいたがその時は左遷されておらず、その後全く別の理由で左遷された人物』がいるという事です」
そう言ってから一度言葉を切ると、榊原はゆっくりと『ある人物』の方へ顔を向け、ゆっくりとした口調で語りかける。
「そういうわけだ。さて、ここまでの話を聞いて何か言う事はあるかね? 二年前、道原裕奈を殺害した真犯人の……」
そして、榊原はこの推理劇における最後の犯人指名を行った。
「巴川警察署地域交通課、城田信彦巡査!」
瞬間、城田の表情は一気に顔面蒼白になり、そんな城田に榊原はさらに畳みかける。
「君こそが道原裕奈の探していた『世田谷の刑事』の正体であり、道原裕奈を殺害して、二年前の連続殺人の罪を鬼首塔乃に着せた張本人だ。反論があるなら聞こうか?」
その場の人間が各々の反応を見せる中、今度こそ最後となる『犯人との一騎打ち』が幕を開けようとしていた……。




