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ダブルクローズドサークル~巴川村の殺人  作者: 奥田光治
第二部 嵐の前~月園家
14/29

第四章 勃発

 ……それから数時間が経過した午後六時半頃、辺りが次第に暗くなりつつなる中、榊原と瑞穂は役場のすぐ裏手にある鎌崎村長の家にいた。蘭の要請で彼女が鎌崎家に泊まる事となり、元々はあのまま月園家に滞在する予定だった榊原たちも急遽こちらに宿泊する事になった次第である。具体的には榊原が二階の和室、瑞穂たち女子高生三人組が一階の大部屋で寝る事になり、荷物もすでにそこに運び込まれていた。

 本来なら依頼を受けた手前、少しでも色々な場所へ行って話を聞いたりしたいところであるが、何しろこの大雨である。夜になりかけている事もあってうかつに出歩くのも危険な状態で、村人たちも雨の対処に追われてそれどころではなく、さすがの榊原も外出は諦めざるを得ない状況だった。実際、家の主である鎌崎村長も役場内に設置された対策本部に出かけており、今この家の中には榊原と瑞穂、愛美子、蘭の四人だけしかおらず、一階の客間の机を囲んでお茶を飲みながらテレビを見ている状態だった。

「どうも、想像以上にひどい事になりそうだな」

 テレビの向こうではアナウンサーがこれからの天気の情報を伝えているが、状況は正直あまり芳しくない。この先も大雨が予想されていて、さらなる災害が起こる可能性も示唆されていた。

「あの、探偵さん」

 と、急に蘭が榊原に声をかけてきた。

「何かね?」

「その……昼間は、父が御見苦しい所をお見せして申し訳ありませんでした」

 蘭がそう言って頭を下げる。

「昼と言うと、あの遺言発表の時の?」

「いえ、それもそうなんですけど……その後の騒ぎの方も」

「騒ぎと言うと、例の新聞記者の話かね?」

「はい」

「しかし、あれは別にお父さんとは関係のない騒ぎのはずだ。どこかの芸能記者が君の事を狙って不法侵入しただけで、君が謝る事は……」

 だが、蘭は真剣な顔でさらにこう続けた。

「それなんですけど、あの記者、本当に自分の意思でここに来たんでしょうか?」

「どういう事だね?」

「これはあくまで予想なんですけど……私の事をあの記者にリークしたの、お父さんじゃないかって思うんです」

「えっ?」

 瑞穂は思わずそんな声を上げ、愛美子も口に手をやって驚いているようだった。が、榊原は冷静に問い返す。

「どうしてそう思うのかね?」

「私の正体をスクープさせる事でアイドルを引退するように仕向けて、ついでに私が月園家の人間である事を世間に認知させて、将来的に私が月園家を継がざるを得ないようにするため……というのは、考えすぎでしょうか?」

 その推測に、瑞穂と愛美子は言葉を失った。

「さ……さすがに、そこまでは……」

「するかもしれないのが、あの人よ」

「でも、そんな実の娘を売るみたいな真似をするなんて!」

「それだけあの人にとって、月園家の当主の座っていうのは大切なものなのよ。一人で勝手にしてくれって思うけどね。もちろん証拠はないし、単なる私の妄想かもしれないけど。問い詰めたって絶対に本当の事を言ってくれないだろうし」

 蘭は少し寂しそうに言った。それに対し、榊原は静かに自身の考えを述べる。

「……君の言う通り、今の段階ではそれが真実だという証拠はない。気にしないのが一番だと思うがね」

「ですけど……」

「それに、その話が本当なら、武治さんは今日公表されたばかりのあの遺言の内容を事前に知っていた事になる。状況的にそれが可能かどうかを考えると、いささか難しいと思うのだがね」

 榊原のあくまで冷静な指摘に、蘭もさすがに言い過ぎたと感じたようだった。

「そう、ですよね。ごめんなさい、変なこと言って。私も、ちょっと疲れてるみたい」

 そう言うと、蘭は不意にその場で立ち上がった。

「すみません。ちょっと、部屋で休んできます」

 そう言い残して蘭が部屋を立ち去っていき、何とも言えない気まずさがその場に漂う。

「蘭ちゃん、強がってはいるけど、やっぱり辛いんだと思う」

「うん。私にもそう見えた」

「大丈夫かな……」

「あとで様子を見に行ってあげたら?」

「うん、そうするね」

 それからしばらくは、瑞穂と愛美子がたわいもない話をしている横で、榊原が腕組みをしてジッと何かを考え込んでいるという状況が続いた。が、十五分ほどして不意に家の中にインターホンの音が鳴り響き、瑞穂と愛美子は話をやめて互いの顔を見合わせる事となった。その間にも、インターホンの音は何度も鳴り続けている。

「客のようだね」

「こんな日に一体……」

 とはいえ、出ないわけにもいかない。愛美子は戸惑いながらもその場を立ち上がり、玄関の方へ歩いて行った。気になった瑞穂が聞き耳を立てていると、どこか緊張した様子の男の声が聞こえてきた。

「何やら緊急の要件のようだね」

 どうやら榊原もしっかり聞いていたらしく、そんな感想を漏らす。と、そこへ困った顔をした愛美子が客間に顔を出した。

「あの、すみません。少しいいですか?」

「何か?」

「その、ちょっと私だけだと手に負えない話で……榊原さんにも聞いてもらいたいんですけど……」

 どうやら何かがあったらしい。榊原は目を細めるとゆっくりと立ち上がり、そのまま玄関へ向かう。瑞穂も慌ててその後を追い、いざ玄関に来てみると、玄関口に見知った顔の男が雨合羽を着て立っているのが見えた。

「あぁ、どうも。お疲れの所、申し訳ありませんな」

 それは、ここに着いた時に怪我をした蘭を保護していた、役場前駐在所の大久保巡査部長だった。

「大久保さん、でしたね。どうかしましたか?」

「いえ、つかぬ事をお聞きしますが、勝治さんがこちらに来たりしませんでしたかな?」

「勝治さん、ですか?」

 思わぬ名前に榊原は眉をひそめる。

「はい、実は先程、月園家から勝治さんが屋敷のどこにもいないから探してくれないかという連絡が役場にありましてな。もしかして村長の家にいるかと思って訪ねてみたのですが……」

 そう言われて瑞穂は腕時計を確認する。現在、午後六時四十分。空も暗くなりかけており、しかもこの天気では心配になるのもわかる話である。

「残念ですが、ここには来ていませんね」

「そうですか……困りましたなぁ」

 大久保はのんびりとそんな事を言うが、榊原は勝治がいなくなったという事実に、何か不安を感じたようだった。

「よろしければ、捜索をお手伝いしましょうか?」

「は? あなたがですか?」

「えぇ。一応、こう見えても本職の探偵ですので、人探しは得意なつもりです。どうでしょうか?」

「はぁ……まぁ、こちらも今人手が足りないので、助けて頂けるならありがたいのは事実ですが……」

 大久保は少し戸惑いながらも、榊原の提案を頭から否定するような事はしなかった。実際、この状況では本人が言ったように少しでも助けの手がほしいのだろう。

「では、決まりですね。瑞穂ちゃんはあの子たち二人と一緒にここで待機しておくように。いいね?」

「は、はい」

 瑞穂は慌ててそう返事をした。本音を言えばついて行きたかったが、大雨が降りしきるこの状況ではさすがに難しい事は瑞穂も理解していたため、素直に榊原の言う事を聞くつもりだった。

 が、その直後。そうも言っていられない状況へと事態は急変した。

「さ、榊原さん! 大変……大変です!」

 突然、榊原と入れ替わる形で奥に引っ込んでいた愛美子が取り乱した様子で玄関に駆け込んできた。そして、榊原が何かを聞く前に叫ぶ。

「蘭ちゃんが……蘭ちゃんが部屋にいません! どこにもいないんです!」

「何だって?」

 榊原の表情も一気に深刻なものになった。

「私……私、どうしたら……!」

「落ち着いて。まずは状況を説明してくれるかね?」

 榊原に言われて、愛美子は何度か深呼吸をすると、ポツポツと事情を話し始めた。

「私、蘭ちゃんの様子が気になって、部屋に様子を見に行ったんです。でも、部屋の中には誰もいなくて……」

「トイレとかじゃないの?」

 瑞穂が咄嗟に思いついた事を言うが、愛美子は首を振る。

「見に行ったけどいなかった! 本当に、どこにもいないの!」

 と、そこで榊原は玄関の靴脱ぎ場を改めて確認し、険しい顔を浮かべた。

「彼女の靴がない」

「え……」

「外に出た可能性が高いな。さすがに玄関から出たら私たちが気付かないはずがないから、おそらく客間を出た後、密かに靴を持って裏口かどこかから出て行ったと考えるのが妥当だろう。理由はわからないが……」

「そ、そんな……」

 愛美子の顔が一気に蒼ざめる。とにかく、こうなっては瑞穂も家で待っている事などできなかった。

「私たちも一緒に探しに行きます!」

「いや、しかし……」

「人数は多い方がいいはずです。蘭さんがいなくなっているのに、ジッとなんかしていられません!」

 瑞穂はきっぱりとした口調で言い、後ろの愛美子も同調するように頷く。そんな彼女の顔を見て、榊原も説得は不可能と思ったようだった。

「……わかった。ただし、無茶だけは絶対にしないように。この天候では二次災害に巻き込まれる危険性がある。危ないと思ったらすぐに私か警察に知らせるんだ」

「わかっています」

「よし、では、まずは……」

 榊原はそう言って、この後の具体的な行動について説明しようとする。と、まさにその瞬間だった。


「キャァァァァァァァァッ!」


 雨の轟音に交じって、そんな甲高い悲鳴が村の中に響き渡り、瑞穂たちはハッとしたように声がした方に視線を向ける。

「今のは……」

「向こうだ!」

 榊原は傘を差しながら表に飛び出し、瑞穂や大久保たちも緊張した面持ちでその後に続く。時刻は、午後六時五十分になろうかという頃だった。


 この巴川村には元々、巴川小学校と巴川中学校という二つの学校があった。だが、村の過疎化に伴う子供の減少で生徒数はどんどん減る事となり、村としても二つの公立学校の施設を維持するだけの予算が捻出できなくなったため、数年前にこの二つの学校を統合して「巴川小中学校」という小中一貫の公立学校とし、学校機能を巴川中学校の校舎に集約する事となった。これに伴い、旧巴川小学校の建物は廃校処分となり、現在も村の北東部の土地にその廃墟が残る形となっている。

 その廃墟となった巴川小学校の校庭……そのほぼ中央に、雨に濡れた男が転がっていた。男はうつぶせに倒れており、その体がこの大雨にもかかわらずピクリとも動かないのがここからでもわかる。そしてそんな男のすぐ傍に、さっきまでと同じくブレザーを着て傘を差した少女……月園蘭が身じろぎもしないまま立っているのが確かに確認できた。

「蘭さん!」

 榊原が校門の辺りから呼びかけるが、激しい雨音のせいか彼女が気付く気配はない。やむなく、榊原たちはゆっくりと校庭の真ん中に転がる男に近づいていく事にした。本来なら足跡に気を付けなければならないが、何しろこの大雨なので足跡どころか現場の痕跡も流されてしまっているため、気にするだけ無駄という状況である。

「蘭さん!」

 かなり近づいたところで、再び榊原が声をかける。そして、今度は彼女もその声に気付いたようで、少し顔を蒼ざめさせながらも榊原たちの方にゆっくりと振り返った。

「あ……」

 すぐには言葉が出ないようで、彼女はただそれだけを口にする。

「一体何があったんだね? いや、それ以前に、どうして君はここにいるんだ?」

 大久保が声を震わせながらそんな事を聞くが、蘭は答えない。そんなやり取りの間にも、足元の男が動く様子は全くなく、榊原は意を決して、その男の顔を確認した。

「間違いない。月園勝治氏だ」

 倒れていたのは、間違いなく行方不明になっていた月園勝治だった。次いで、榊原は彼の脈を確認するが、すぐに黙って首を振る。雨に打たれた体は冷たくなっており、彼は疑いようもなく死亡していた。

「死因は……見た限り、絞殺に見えるな」

 榊原が呟く。実際、勝治の首に何か黒いロープのようなものが巻き付いているのを瑞穂は確かに見て取っていた。ロープの下にはかすかに索状痕や吉川線(絞殺された遺体の喉元につく、爪痕など被害者が抵抗した痕跡の事)も確認でき、これが事故や自殺ではなく殺人である可能性は極めて高いと言わざるを得なかった。

「……大久保さんはすぐに署に連絡を。ここは我々が見ておきます」

「わ、わかりました!」

 榊原をその場に残し、大久保は無線を手に元来た方へと引き換えしていく。そのまましばらく遺体を確認していた榊原だったが、やがて難しい顔で立ち上がり、改めて遺体の傍に立ったままの蘭の方に向き直った。

「さて……悪いが君には話を聞かなければならない。君はなぜここにいる? しかも、私たちに内緒で家を抜け出して」

 その静かではあるが誤魔化す事を許さない榊原の質問に、蘭は顔を蒼ざめつつも、しっかりと榊原の目を見返しながら答えた。

「呼び出されたんです。勝治伯父さんに」

「呼び出された?」

「屋敷を出る時に、突然声をかけられました。何かと思ったら、『大事な話があるから、午後七時頃に誰にも知られないようにこの小学校に来てほしい』と耳打ちされました。その表情が伯父さんにしては真剣だったので、私も話が気になって……」

「その『大事な話』の内容については?」

 榊原は当然とも言える質問をするが、蘭は力なく首を振る。

「わかりません。そもそも、勝治伯父さんとはここ数年、まったく会っていませんでしたから」

「そうか……」

 そう言いつつ、榊原は改めて厳しい視線を蘭に向ける。

「……だとしても、私には話しておいてほしかった。自分で言うのも何だが、探偵も万能ではない。護衛対象の君に勝手に動かれては、私がどれだけ注意しても依頼を果たす事ができないのは明らかだ。これでもし君に万が一の事があれば、私は依頼主の水原さんと鎌崎村長に申し訳が立たなかっただろう」

「……すみません、確かに軽率でした」

 蘭は素直に謝罪するが、榊原は苦い表情を浮かべたままだった。

「起こってしまった事はなかった事にはできない。とにかく、遺体の状況から見てこれは明らかに殺人だ。そして君はこの殺人事件の第一発見者であり、同時にこの事件の第一容疑者になってしまった事は理解しておいてほしい。もちろん、私も君のために最善は尽くすが、君の立場が厳しい状況になった事だけは確かだ」

 榊原があえて放った厳しい言葉に、蘭は唇を噛み締めながらも素直に頷く。

「はい、わかっています」

「結構。さて、ここからどうしたものか……」

 と、そこへパトカーのサイレンが鳴り響き、小学校の校門前に停車するのが見えた。そこから降りてきた新たな制服警官が、校門で待ち構えていた大久保と共にこちらに向かってくる。瑞穂は緊張した声を出した。

「早いですね」

「あぁ。時間的に巴川署ではなく役場に詰めていた警察官かもしれない」

 そんな事を話しているうちに、二人の警察官は榊原たちのいる場所へ近づいてきた。だが、その新たに現れた警察官は、榊原を一目見るや否やこんな言葉を投げかけた。

「君は……もしかして……」



 話はここで一度、約四十五分前にさかのぼる。



 巴川警察署からパトカーで出発した地域交通課所属の寺桐宗平巡査部長と城田信彦巡査のコンビが、巴川の西側にある巴川村集落の中心・巴川村役場に到着したのは、午後六時十分頃の事だった。この大雨を受けて避難所が設置された村役場は、夜にもかかわらず役場の職員を含めて多くの人間が出入りしているようだった。雨の勢いは強く、パトカーを出た二人は雨をよけるように駆け足で役場の玄関に飛び込んだ。

「凄い雨ですね」

「あぁ、このまま何事もなければいいんだが」

 城田の言葉に寺桐がそう答えていると、役場の奥から二人の男が寺桐たちの方へ駆け寄って来た。一人は肥満気味の中年制服警官で、もう一人はスーツを着た三十代半ばと思しき深刻そうな顔をした男である。

「寺さん、どうもお疲れ様です」

 そう言って体を揺らしながら寺桐に敬礼をしたのは、この村に二ヶ所ある駐在所のうちの一つ、県道から村に入ってすぐの場所にある『巴川警察署西巴川駐在所』の野別実明巡査部長だった。

「あぁ、野別君。ご苦労様」

「本署からは寺さんたちが?」

「課長直々の指名でね」

「わざわざ来て頂き、申し訳ありません。実の所、駐在二人だけでは対処するのも限界の状況でして……」

「まぁ、見ればわかるよ」

 役場内の慌ただしさを見ればそれは一目瞭然だった。

「大久保さんは?」

 寺桐はもう一つの『巴川村役場前駐在所』の老駐在・大久保忠康巡査部長の行方を尋ねた。大久保は年齢こそ寺桐の一つ下だが、もうかなり長い間この村の駐在として働いている事もあって村の事については署内でも一番詳しく、野別巡査部長と共に、村内で起こる日常的なトラブルの最前線に立っていた。それだけにこの状況では話を聞いておきたい人物であったが、野別の返答は芳しくないものだった。

「今はちょうど村を巡回しているところです。出たのが五時半頃なので、もうしばらくしたら帰ってくると思いますが、何かあるなら署に連絡して無線で呼び出してもらいましょうか?」

「いや、そういう事なら構わない」

「ひとまず、ここで立ち話もなんですから、対策本部へどうぞ。話の続きはそこで」

「わかった」

 その言葉と同時に、野別に連れられる形で寺桐と城田は役場の中へ入って行ったのだった。


 ……異変が起こったのはそれから二十分後、すなわち午後六時半頃の事だった。ちょうど人でごった返す対策本部に全身びしょ濡れの合羽を着た大久保巡査部長が巡回から戻ってきた所で、大久保はさすがに疲れた様子で合羽を脱ぎながら、部屋の中にいた寺桐たちに律義に挨拶に来た。

「寺さん、わざわざどうも」

「お疲れ様です、大久保さん。早速ですが村の様子はどうですか?」

「現時点では特に何も。ただ、何しろこの雨ですから見落としがあるかもしれません。川も増水しているようですし、引き続き警戒は必要かと」

 一方、もう一人の野別は逆に合羽を着こんで外に出る準備をしている。

「すみません、所用で一度駐在所に戻ります。一時間ほどここをお願いしても構いませんか?」

「あぁ、わかった。気を付けて」

 すみません、と野別は頭を下げると、大久保と入れ替わるように部屋を出ていく。それを確認してから、寺桐は大久保と今後の事についてさらなる打ち合わせをしようとした

 が、そこへ不意に手近にあった電話が鳴る。反射的に一番近くにいた大久保がその電話に出たが、少しして当惑した顔をしながら対策本部の中を見回し、やがてこんな言葉を発したのである。

「いえ、ここにはいないようですが……はぁ、しかしこちらも今忙しくて、人員が裂けるかどうか……そう言われましても……」

 何か押問答している風ではあり、そのまましばらくそんなやり取りが続いたが、やがて大久保は根負けしたようにため息をついた。

「……わかりました。とにかく、やれるだけはやってみます。では」

 そう言って電話を切ると、大久保は複雑そうな顔をして城田たちの所へ近づいて来る。

「どうしましたか?」

「それが、月園助役から電話でして。何でも月園勝治さんの姿が見えないので、こちらでも探してくれないかという事でした」

 その言葉に、寺桐と城田は顔を見合わせる。彼らも今日、月園家の屋敷で遺言発表があって、関係者が集まっている事くらいは知っている。

「勝治さんというと、確か月園家の御長男だったな」

「えぇ、でもずっと東京に出ていて、長い事帰ってきていなかったんじゃありませんでしたっけ」

「あぁ。現に二週間前の葬儀の時も戻ってきていなかったと聞いている。ただ、さすがに遺言発表の席には姿を見せたようだ」

「その勝治氏の姿が見えないという事ですか?」

「そうらしい。詳細について何か言っていましたか?」

 寺桐が尋ねると、大久保があくまで穏やかな口調で答えた。

「屋敷内を探し回ったのに、どこにもいないとの事です。その……精神的に不安定な方なので、この大雨の中で外に出ているなら大変だと」

「最後に姿を見たのは?」

「助役の話では、午後五時頃に屋敷内の者が見たのが最後だと」

「ふむ……」

「どうしますか?」

 寺桐は少し思案したが、放っておくわけにもいかないと判断したようだった。

「大久保さん、帰ってきた所すみませんが、もう一度村を見回ってもらえませんか?」

「わかりました」

 大久保は文句ひとつ言わず、すぐにまた合羽の準備をして部屋から出て行った。それを見ながら城田が心配そうに言う。

「何か災害に巻き込まれていないといいんですけど……」

「祈るしかないな」

 とはいえ、現状は彼だけに関わっているわけにもいかない。気になりはしたものの、寺桐たちはすぐに頭を切り替え、他の業務を進め始めたのだった。


 だが、その二十分後、再び事態は急変する事になる。午後六時五十分。突然、対策本部の電話が再び鳴り響き、近くにいた寺桐が受話器を取ると、大久保の切迫した声が聞こえてきたのである。

『あっ、寺さん! 大変です!』

「大久保さん? 何かあったんですか?」

『何かどころじゃありません!』

 次の瞬間、大久保の発した言葉に、寺桐は今日一番の緊張した表情を浮かべた。

『行方不明だった月園勝治さんの遺体を発見しました! 状況的に殺人の可能性が高いと思われます!』

「殺人?」

 思わず口から出た言葉を聞いて、城田や周囲の職員たちの動きが止まる。が、本当に殺人ならそんな事を気にしている場合ではない。

「どういう事ですか!」

『私にもわかりません。とにかく、私だけでは対処ができません! すぐに来てもらえませんか!』

「どこですか!」

『旧巴川小学校の校庭です! 署にはすでに連絡して刑事生活安全課の出動を要請しましたが、まずはこちらにいる者で現場保全をしないと!』

「すぐに向かいます!」

 寺桐は電話を切り、すぐに出かける準備を始めた。

「寺さん、殺人って……」

「城田君はここで待機! 全員がここを離れるわけにはいかない」

「し、しかし……」

「殺人なら管轄は刑事生活安全課だ。署の刑事生活安全課の面々が来次第、交代して戻って来るからそれまでここを頼む」

「わ……わかりました……」

 寺桐は雨合羽を着て役場を飛び出し、正面に停車しっぱなしになっていたパトカーに飛び乗ってすぐに出発した。雨とはいえ役場から現場までは近く、一分程度ですぐに到着する。見ると、学校の正門近くの電話ボックスのすぐ横に雨合羽を着た大久保が立っているのが見える。パトカーの時計を確認すると、時刻は午後六時五十五分を過ぎた所だった。

「ご苦労様です!」

「状況はどうなっていますか!」

「電話でお伝えしたように、この旧小学校の校庭の真ん中に月園勝治さんが倒れているのを見つけ、その場で死亡を確認しました。ロープのようなもので首を絞められています!」

「ロープ……なるほど、確かに殺人ですね」

 そう言って頷いてから、さらに質問を加えていく。

「第一発見者は大久保さんですか?」

「いえ、その……実は、鎌崎村長のお客様に捜索に協力して頂きまして」

「客?」

「はい。東京から来られた探偵さんだそうです」

 そんな事を話しながら現場に到着すると、そこには先客がいた。同じセーラー服を着た高校生くらいの少女が二人と、同年代くらいのブレザー姿の少女が一人。そして、くたびれたスーツを着た四十代くらいの男がいた。ブレザー姿の少女が月園家の月園蘭であり、セーラー服姿の一方が鎌崎村長の孫である水原愛美子である事は寺桐も知っているが、あとの二人は……

「ん?」

 いや、スーツ姿の男の方に寺桐は見覚えがあった。と、男の方も寺桐に気付いたのかこちらを振り返る。そして、その顔を見て寺桐は確信した。

「君は……もしかして……」

 寺桐は思わず言葉に詰まる。そして同時に、死体の傍にいたそのくたびれたスーツ姿の男も、意外そうな顔でこんな言葉を発したのだった。

「まさか、寺桐さんですか?」


 榊原が新たにやって来た警察官に投げかけた言葉に、瑞穂は驚きを隠せないでいた。どうやら榊原は、この初見のはずの警察官を知っているらしい。そして、それは向こうの警察官も同じようだった。

「君は、もしかして榊原君か?」

「えぇ。お久しぶりです、寺桐さん。まさかこんな所にいるとは……」

 わけがわからないのは瑞穂や寺桐の後ろにいる大久保である。

「先生、この人、お知り合いなんですか?」

「あぁ。私が刑事だった時代にお世話になった人だ。所轄の刑事課のいわゆる『部長刑事』で、何度か一緒に捜査した事もある」

 と、寺桐が訝しげな視線を榊原に向けた。

「この子は?」

「えっと、その……」

「深町瑞穂です! 先生の助手で、今日はその……水原さんの付き添いで……」

「助手?」

 寺桐が首をひねるが、榊原がそれを遮る。

「その話は後で。それより寺桐さん、今は刑事課に?」

「いや、巴川署の地域交通課にいる。ここももうかなり長い」

「寺桐さんほどの人がですか……」

「そういう君も、確か今は探偵をしていると聞いている。十年前の傷は、それだけ根深いという事だ」

 榊原の顔に苦悶の表情が浮かぶ。一方、瑞穂はその会話に困惑するばかりだった。

「あの、一体今の話は……」

「……十年前、私が警視庁を辞めるきっかけになった事件では、私以外にも多くの現場の刑事が処分された。私のように辞職までは至らなかったにしても、閑職へ飛ばされたり左遷させられたりした刑事も多くてね。そして、この寺桐さんもその事件の捜査に関わっていた刑事の一人だった」

「じゃあ……」

「君が辞めた後、何ヶ所かたらいまわしにされた挙句、気付いたらここにいた。まぁ、悔いはないがな」

「そうでしたか……」

 そこで寺桐が目を細める。

「だが、君がいてくれるというのならこれ以上心強い事はない。協力はしてもらえるのかね?」

「こうなった以上、もちろんできる限りの協力はするつもりです」

「すまないね。で、一体何があった?」

 寺桐に言われて、榊原はできるだけ手短に事件の概要を説明する。それを聞き終わると、寺桐は苦い表情で呻いた。

「なるほど。事情はよくわかった」

「とにかく、鑑識や検視も必要ですので、今は一刻も早い応援が必要です。大久保さん、署への連絡は?」

「さっきしましたので、もうそろそろ到着しても……」

 と、大久保がそう言った、まさにその瞬間だった。


 豪雨が降りしきる中、突然何の前触れもなく、巨大な金属音としか表現ができない轟音が、巴川村全域に響き割ったのである。


「な、何だ、この音は!」

 寺桐が思わず叫ぶ。というより、叫ばないと声が聞こえなくなるほどの轟音であり、寺桐も今までこんな音は聞いた事がなかった。そして、それは瑞穂も同じである。

「ど、土砂崩れですか?」

「いや、これは何か建造物が壊れる音に聞こえるが……」

 榊原がそう言った瞬間、どこからか村を巡回していたと思しき役場職員の叫び声が聞こえてきた。それはこう聞こえた。

「橋が……橋がっ!」

 その声に、その場の全員が顔を見合わせる。

「寺桐さん、この村に橋は?」

「一本だけだ。村と巴川署を結ぶ巴川橋」

 それを聞いた瞬間、榊原が鋭く叫んだ。

「すぐに警察署へ向かいましょう! 嫌な予感がします」

「いや、しかし現場は……」

「申し訳ありませんが、駐在さんに見張ってもらいましょう。確か、もう一人いましたね?」

「えぇ、野別巡査部長が」

「すぐに呼んでください!」

 大久保が慌てて役場に電話連絡すると、しばらくして野別と数人の役場職員が駆けつけてきた。

「役場の職員たちと協力して、現場保存と蘭さんたちの保護をお願いします! 遺体とその周囲にビニールシートをかぶせて、これ以上、雨で現場が荒らされないようにしてください!」

 その後、簡単な話し合いの末に駐在二人が現場保全に残る事となり、榊原、瑞穂、寺桐の三人がパトカーで巴川署へ向かう事となった。現場から橋まではそれこそ一、二分で到着する。だが……

「こ……これは……」

 橋の手前まで来たところで、寺桐はパトカーを停め、思わず絶句してしまっていた。そしてそれは、後部座席に同乗していた榊原や瑞穂も同じだった。

「こんな事が……」

 三人の目の前に広がる光景……


 それは、巴川の両岸を繋ぐ巴川橋が押し寄せる濁流によって完全に破壊され、そのまま下流へと流されてしまった結果、対岸で完全に孤立してしまっている警視庁巴川警察署の姿だったのである……

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年に一度のクリスマスプレゼント更新お疲れ様です! いやぁ、毎年本当にお疲れ様です、今回は殊更気合入っているようで・・・ ひとまず今回は超長いので要点だけ書くようにします ネタバレ注意ですよ >>犯…
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