表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダブルクローズドサークル~巴川村の殺人  作者: 奥田光治
第二部 嵐の前~月園家
11/29

第一章 深町瑞穂


 それは、巴川村で『事件』が発生する一週間ほど前の話である。


 二〇〇八年九月十九日金曜日、東京都品川区の大崎駅近くにある都立立山高校の二年生の教室で、深町瑞穂は少しぼんやりとした表情で日本史の授業を受けていた。おかっぱに近い肩口にかかる程度のショートヘアに学校指定のセーラー服という姿で、中学までは陸上部に所属していた事もあり、どちらかと言えば活動的な印象を受ける少女である。一応クラスの女子の中ではかわいい部類に属するのではないかと男子たちからは囁かれているが、本人はあまりそういう噂を気にするタイプではないようであり、彼らとも極めて健全な交友関係を築いていた。

 瑞穂の視線の先ではもうすぐ定年間近という日本史教師が藤原氏の他氏排斥について熱く語っており、黒板には「承和の変」「応天門の変」「阿衡の紛議」「昌泰の変」「安和の変」という事件名と、それぞれの事件を起こした藤原氏の人間、さらに事件で排斥された貴族の名前が表にまとめられているのが見えた。

「えー、そんなわけで、昌泰の変で菅原道真を太宰府に左遷する事に成功した藤原時平は権力を掌握するわけだが、大宰府で菅原道真が死去すると、その後、時平をはじめとする道真の左遷に関わった人間が相次いで死亡する事になった。時平以外だと菅原道真の左遷を諫めるために参内しようとした宇多天皇を門の前で阻み、道真の死後に雷に打たれて死亡した藤原菅根や、狩りの途中で沼に落ちて死んだ源光辺りが知られているが、極めつけは九三〇年に起こった清涼殿落雷事件だろう。この落雷事件で藤原清貫と平希世、美努忠包といった時平派の貴族が死亡し、さらに醍醐天皇自身もこの事件でショックを受けて寝込んでしまって、やがてこの世を去る事になってしまった。結果、政治の実権は時平の弟で生前の道真とも親交があった藤原忠平に移る事となり……」

 と、どう考えても実際のテストには出てこなさそうな人名を次々と出しながら話がいよいよ佳境に入ろうとしたまさにその時、水を差すかのように授業終了を告げる予鈴が校舎内に響き渡り、教師は話を止めて黒板の上にある時計を確認した。

「ん? もうそんな時間か……。えー、では、今日の話はここまで。続きはまた次回」

 教師は今までの熱弁はどこへやら、淡々とした口調で授業終了を告げると教科書や参考書を脇に抱え、小さく一礼してそのまま教室を出て行った。同時に教室内にざわめきが戻る。時刻は午後三時四十分。今日の授業はこれで終わりである。

「んー、やっと終わった!」

 瑞穂は軽く伸びをしてそんな事を呟くと、手早く教科書やノートを鞄に入れていく。

 この学校は授業後にホームルームがあるわけでもないため、掃除当番と日直以外の者はそのまま帰宅したり部活動に行ったりする。瑞穂も例外ではなく、片付けを終えて周りの友人たちに「バイバーイ」と挨拶しながら着ているセーラー服のスカートを翻して教室を後にし、そのまま一度昇降口を出て、校庭脇にある部室棟へ向かっていた。

 都立立山高校は都内にある高校の中では平均的なレベルの高校で、底辺校というわけではないが、さりとて難関校とか進学校とか言われる類でもない、中堅校という言葉が非常によく当てはまる高校として知られていた。そんな立山高校の校庭脇にある部室棟は今年の四月になって建て替えられたばかりの建物であるが、そこの二階に瑞穂が部長を務める立山高校ミステリー研究会の部室はあった。

 瑞穂が鍵を開けて部室の中に入ると、中にはまだ誰もいないようであった。もっとも、そもそもの話としてミス研の部員数はそこまで多くはない。三年生は一人もおらず、二年生は部長である瑞穂ただ一人。あとは今年入った一年生が数名いるだけである。かなり歪な人数構成ではあるが、こうなったのにはちゃんと理由がある。もっとも、その理由は正直あまりまともなものではないのであるが……

「まだ誰も来てないか。ま、いいけど」

 瑞穂はそう言いながら部屋に入ると隅に鞄を置き、部屋の一角にある本棚から読みかけの推理小説を一冊取り出すと、窓の近くのパイプ椅子に腰かけて読み始めた。今読んでいるのは戦前から戦後にかけて活躍した作家・浜尾四郎の『殺人小説集』という物騒な題名の短編集で、先日、神保町の古本屋で三千円で売っているのを見つけて購入した物である。正直、高校生の財布的にはかなり厳しい値段ではあるが、他の一年生部員たちも読みたいと言っていた事もあり、部の共有財産という形で部員全員で割り勘する形となっていた。

 ミス研の活動内容としては、部員間で読んだ推理小説やミステリー作品の講評や批評をしたり、自分たちで推理小説を書いて評価し合ったり、あるいは実際に起こった事件を題材に犯罪学的な事を勉強したりといった感じである。とにかく、そういう活動内容なので、この部室に部員以外の誰かが訪ねてくるという事はあまりない。あったとしても日頃から色々と付き合いのある隣室のゲーム研究部の部員が所用で訪ねてくるくらいで、それ以外となるとかなり珍しいのではないかというのが瑞穂の正直な感想であった。

 だが、この日はその『珍しい事』が起こってしまった。瑞穂が『殺人小説集』を読み始めてから約十分後、部室のドアが控えめにノックされ、瑞穂は訝しげにドアの方を見やった。部員ならノックなんかせずに遠慮なく入って来るだろうし、それは付き合いのあるゲーム研の部員たちも同じである。

「はーい、開いてるよ!」

 瑞穂が声をかけると、一瞬の間の後、ゆっくりとドアが開いて訪問者の顔が見えた。意外な事に、その顔は瑞穂がよく知る人間のものだった。

「あれ、副会長?」

 それは、立山高校の生徒会副会長であり、同時に吹奏楽部の部長でもある二年生の水原愛美子であった。

 彼女の事を一言で言うなら「正統派の美少女」という事になろうか。何と言うか、ライトノベル辺りでよくありがちな『学園のアイドル』という存在がそのまま具現化したような少女で、今の生徒会長が美少女と言うより「女傑」という表現がしっくりくるタイプの人である事も相まって、男子生徒からの人気も高いという。

 そんな愛美子だが、どういうわけかこんな辺鄙な部活の部長である瑞穂とは馬が合った。きっかけは去年の学年末、生徒会のある生徒のトラブルで困っていた愛美子をたまたまその場を通りかかっていた瑞穂が助けてあげて、それ以降何となしに話すようになったという関係である。ただ、それでもクラスが違う事もあってか出会った時に世間話をするくらいの関係で、こうして彼女の方からミス研の部室を訪れるという事はなかったはずだった。

「突然押しかけてごめんね。迷惑だった?」

「いや、副会長だったら別にいいんだけど、でも、わざわざ部室まで来るのは珍しいかなぁって思って」

「うん……ちょっと、折り入って深町さんに相談したい事があって」

 いつも可憐な笑顔で男子たちを虜にしている彼女が、今日ばかりは珍しく本当に困った表情を浮かべている。それだけに、瑞穂としても少し心配な所があった。

「私に相談?」

「というより、深町さんの『先生』にかな」

 突然意味のわからない事を言い始める愛美子だったが、瑞穂の方はその言葉の意味をちゃんと理解しているようだった。

「『先生』に? って事は、結構真剣な相談?」

「うん。他に相談できそうなところを知らなくて。それで、深町さんに仲立ちしてもらいたいんだけど……」

「えーっと、多分『先生』の事だから大丈夫だとは思うけど……ちょっと待って、聞いてみるから」

 そう言うと、瑞穂はポケットから携帯を取り出してどこかにかけ始めた。しばらくして相手が出たようで、瑞穂はどこか親し気な口調で相手に話しかける。

「あ、私です。『先生』、生きてますかぁ? ……まぁまぁ、普段からちゃんとした生活をしていないからじゃないですか」

 それからしばらく談笑した後、瑞穂は本題に入る。

「それよりですね、私の友達が『先生』に相談したい事があるって言うんですけど、聞いてもらうわけにはいきませんか? 相談内容ですか? ええっと……」

 瑞穂はチラリと愛美子を見るが、愛美子は申し訳なさそうに言う。

「それはその……直接会ってお話ししたいんだけど」

「わかった。……あっ、『先生』。聞いてみたら、直接話したいって言ってます。ただ、結構真剣な相談みたいです。……はい、はい。聞いてみます」

 そこで瑞穂は再び愛美子に顔を向ける。

「明日の昼二時なら大丈夫って言ってるけど、どう?」

「うん、それで大丈夫。それと、その時には私の他にもう一人来ると思うんだけど、いいかな?」

「もう一人? ちょっと聞いてみる」

 再び瑞穂が電話口で話をし、しばらくして再び顔を上げた。

「大丈夫だって。じゃあ、明日の午後二時に行くって事で頼んどくけど」

「お願い」

 それから少し電話口での会話があり、やがて話が済んだらしく、瑞穂は電話を切って大きく息を吐いた。

「とりあえず頼んどいたから。それより場所、わかる?」

「うん。さっき調べたから」

「じゃあ、明日、私は先に行って待ってるね。もし道がわからなくなったら電話して」

「ありがとう。急にこんなお願いして、ごめんね」

「いいって! 私と副会長の仲じゃない。遠慮しなくてもいいよ」

「うん……」

 愛美子はどこか浮かない顔でそう答えると、やがて静かに立ち上がった。

「それじゃあ、私はこの辺で」

「もう行くの? せっかくだし、もう少しゆっくりしてくれてもいいんだけど」

「私もそうしたいけど、実は生徒会の仕事がまだ残っているの。ほら、十月にうちの学校でやる高校生弁論大会の準備で忙しくて……」

「あー、そう言えばそんな行事もあったっけなぁ」

 正直、瑞穂からすればあまり関係ない行事なのですっかり頭から抜けていたのである。

「そんなわけだから、ごめんね」

「わかった。じゃあ、また明日ね」

 瑞穂の言葉に、愛美子は何度も礼を言いながら部屋を出て行った。後に残された瑞穂は小首をかしげながら再び『殺人小説集』の文庫本を手に取るが、そのすぐ後に再びドアが開いて、遅れてきた一年生の女子部員が中に入ってきた。

「あ、瑞穂先輩! 今、副会長がここから出てくるのが見えたんですけど、何かあったんですか? もしかして、生徒会からうちの部に何か理不尽な要求でも……」

「漫画の読みすぎ。個人的に私に頼みごとがあっただけだって」

「え、副会長が先輩にですか?」

「うん。まぁ、とりあえずうちの部に関係ある話じゃないから安心して」

「はーい」

 そう言いながら彼女は鞄を置いて、部屋の隅に置かれているパソコンの前に腰を下ろすと、最近書いているという自作の推理小説の執筆を始めた。ちなみに、一週間ほど前に瑞穂は彼女が試しに書いてみたという短編を読ませてもらったのだが、何というか評価に困る内容の話で思わず言葉に詰まってしまい、その様子を見たこの後輩ちゃんは「次こそは絶対先輩に『アッ』と言わせてみせます!」とさらなる大長編の制作に取り組み始めている所だったりする。瑞穂としては「頑張って……」としか言えず、こうして彼女の大傑作とやらが完成するのを見守る事しかできなかったのだった。

「そうそう、明日だけど、私、用事で部活に参加できないから、悪いけど私抜きでやっておいてくれないかな?」

「いいですけど……あ、もしかして品川の『先生』の所に行くんですか?」

「そういう事。ちょっと、ややこしい話になるかもしれなくて」

「わかりました。こっちは上手くやっておきますから、あの『先生』にもよろしく言っておいてください」

「はいはい」

 そんな会話をしている間に他の部員たちも顔を出し始め、文庫本を読むどころではなくなってきた。瑞穂は結局あまり読み進める事ができなかった『殺人小説集』の文庫本を恨めしげな様子で本棚に戻すと、頭を切り替えて部員たちに呼びかける。

「はーい、じゃあ、今日の活動を始めるから、みんなそっちの机に集まって! 前に言ったみたいに、今日は来月にうちが主催する竹富高校ミステリー研究会との合同討論会の課題図書を決めようと思うんだけど、それぞれが考えてきた候補本を発表してもらうからね。おもしろくて議論が白熱しそうな題材である事はもちろんだけど、だからと言って簡単に入手できない絶版本とかは駄目だからそのつもりで! って、そこ! あからさまに残念そうな顔をしない! その手に持ってる本は何なの! 『覆面の佳人』? 江戸川乱歩と横溝正史の合作小説? へぇ、そんなのあったんだ……って、確かに珍しいし私も興味があるけど、どう考えたって入手が凄く難しいじゃない! 却下!」

 残暑の残る秋の日差しが部室に差し込む中、その後も瑞穂たちの議論は白熱していったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ