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「何とお美しい。美人姉妹で、公爵様も鼻が高いことでしょう」
そう言ったのは絵師だった。
二人の肖像画を描かせることになったのだ。
白いドレスが二着用意されていたが、アシュリーは自分の赤いドレスを着た。
二人並ぶと髪の色は同じ金色でも、全く違う。
出来上がった絵をアシュリーは見なかった。
夕食は抜かれたようだが、朝食は隣にも配られた。
あれから、一言も男とは話していない。
本当に見返りがなければ、アシュリーには興味がないようだ。
別にいいわ。わたくしも、そんな人とは話したくない。
固いパンをスープに浸して柔らかくすると、あっという間に食事は終わってしまう。
これで、次の食事まですることはない。
せめて、手紙が書ければ…。
父に、母に、婚約者に手紙を書くことができれば、アシュリーのこの待遇を憐れんで助けてくれるだろう。
ぼんやりと手紙の文章を考えていると、目の隅で何か動くものが見えた気がした。
「?」
目で追うと、鉄格子の側に紐が落ちていた。緑色の長い紐だ。アシュリーのものではないので、看守が落としたのだろうか。
夕食を持ってくるときに気付くでしょう。
そう思って視線をはずしたとき、紐が動いた。
「!」
波打つように紐は体をくねらせ、アシュリーの方へと向かってくる。
よくよく見ると、紐の端には顔があった。
「…いやっ!」
それが紐ではなく緑色の蛇だと気づいた瞬間、咄嗟に寝台に飛び乗る。
「…どうした?」
アシュリーの様子がおかしいと気づいたのだろう。男はすぐに声をかけてくれた。
「へ、蛇が…」
恐怖で裏返った声は、自分でも驚く程小さかった。
「蛇だと? 何色だ?」
「緑色の蛇…」
「瞳の色は?」
「瞳の色なんてなんだっていいでしょう! 誰か、助けて…!」
蛇を排除してくれるのなら、食事を何日分でもあげるが、 牢に入っている限り隣の男はこちらに来ることは出来ない。
そうなると、看守くらいしか頼るものはいない。夕食までは時間があるが、一応看守ならば離れたところでこちらを見張っているのではという判断だった。
「多分聞こえてないぞ。看守も見張りも、この牢には常駐していない」
「そんな!!」
足元を見ると、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。目が合うと、シャーッと威嚇した。
「いいから瞳の色は!」
「銀…」
あまりの剣幕にアシュリーは怯えながら答えた。
「銀か、両目とも銀色だな?」
「えぇ」
瞳は小さいが確かに銀色だ。
「大きさはどれくらいだ? 例えば、あんたの指先から肘より長いか?」
もう寝台のすぐ側まで来ていた。登ってくるのも時間の問題だ。
「な、長い…」
「そうか」
アシュリーは次の言葉を待った。
「ゆっくり振動を立てないように蛇の後ろに回り込んで捕まえろ」
「! そんなこと出来るわけないでしょう!」
この男は何を言ってるのだろう。
「そこにはあんた以外いないんだ。あんたがやるしかないだろう」
「だからって…」
「緑に銀色目のその蛇に毒はないよ」
「毒はないって、噛まれたら…」
「噛まれないために、今、捕まえるんだ」
諭すような声色だった。
「別に危害を加えなければ襲ってこないから、放っておいてもいいが、夜、ここは真っ暗闇だろ。流石に嫌だと思わないか?」
「そもそも蛇と同室なんて嫌!」
「だったら、今捕まえたほうがいいだろ」
「それも嫌ぁ…」
蛇なんて触ったことはない。
せめて、魔術が使えれば捕まえられたかもしれないが、この牢に入れられたとき、魔力を封じられてしまった。
「緑銀蛇は目が悪くて、その分、振動に敏感なんだ。音を立てないように、ゆっくりと蛇の後ろに回って頭を掴め。頭を固定すれば、蛇は噛めないからな。逆に、胴体を掴むと体をくねらせて噛みつこうとするから気を付けろ」
「だから、出来ないって言ってるでしょう!」
「じゃあ、看守が来るまでそのまま待つんだな。じっとしてれば、噛まないよ。…巻き付いてくるかもしれないけどな」
「巻き…」
「あぁ、でもその蛇は細いだろう? 巻き付いても絞めてはこないから、危険はないよ」
獲物を絞めつけて気絶させてから、食う蛇もいてさ。と呑気に言われても頭に入ってこない。
「つ…捕まえたあとは?」
「勢いよく手を振れ。目を回して大人しくなるから、そうしたら俺の方に放り投げろ、なんとかしてやるよ」
「ううぅ…」
蛇はアシュリーの寝台の上に乗ってきていた。何でこの蛇は、隣の牢に行かなかったのだろうと恨めしい気持ちになる。
「動くならゆっくりとだぞ。蛇を刺激しないようにな」
「…本当に毒はない?」
「誓って、毒はない。噛まれても痛いだけだ」
「噛まれても、あの看守は手当てをしてくれないんでしょうね…」
「そうだな。だから、噛まれないように掴むのは頭だ」
「頭…」
じっと蛇を見る。
ゆっくりと寝台から降りたつもりだったが、駄目だったようだ。
蛇がシャーッと、こちらに向かって威嚇した。
「…随分興奮してるな」
「だから、何?」
「落ち着くまで、少し待った方が良いかも知れない」
「待つ…」
この男はどれだけアシュリーを絶望させれば気が済むのだろう!
「本気で言ってるの? わたくしに蛇と過ごせと?」
「数分でいいぞ。それに、ここにいるのが王さまだって、同じことを言うさ」
「……」
軽い口調に、アシュリーは男を信じるべきか悩む。
「…毛布やシーツでくるむとか、トレーで音を立てて追い出すとか…」
時間ができて、ようやく落ち着いて来た。
何も、素手で捕まえなくてもいいではないか。
「まぁ、やってみてもいいが、噛まれる可能性が一番低いのは頭を掴むことなんだけどなぁ」
「くっ…」
男からこちらは見えていないことをいいことに、アシュリーはすぐに備え付けの薄い毛布を蛇に被せてみた。
正直、もう直視するのも嫌だったのだ。
そのまま、大人しくしていてくれないかという願いは儚く消えた。
くるむことも出来ず、驚いたのか蛇は凄い勢いで這い出して来た。そして、なぜか壁を登った。
体をくねらせ埃とカビの生えた牢の石壁を登っていく様はアシュリーの精神力を大きく削った。
「…っもう、いや…。何で、わたくしばかりこんな目に…」
涙が溢れてくる。
牢に入れられるまで、 アシュリーはこんな風に泣いたことなどなかった。悔しさ悲しさ、恐怖、色々な感情がごちゃ混ぜになって、自分の心なのにどうしていいかわからない。
それなのに、アシュリーをこんな目に合わせた看守もセシルも一向に会いに来ない両親も、そしてあの蛇も、知らん顔をしているのだ。
「うおっ、蛇が来た」
どうやら蛇は壁を伝って、隣に行ってくれたらしい。バシンと一度大きな音がした。
「っつ…。…よし。もうそっちに蛇が行くことはないぞ。看守が来たら、こいつを引き渡しておしまいだ。通気孔に蛇よけの薬でも撒いてくれるだろ」
アシュリーは鼻をすすった。
止めどなく涙が溢れてくるのだ。
「おい? …まさか蛇に噛まれてないだろうな?」
嗚咽を無理やりのみこんで、一度だけ返事をした。
「…噛まれてないわ、だから、もう静かにして」
アシュリーは寝台に潜り込んで、毛布を頭から被った。さっき蛇が乗った寝台だ、とちらりと思ったが、もうどうでもよかった。