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牢屋の中で  作者: 飴屋
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真っ白なテーブルクロスの上には、異国からこの日のために取り寄せた珍しいバラの花を飾った。

茶葉はもちろん最高級の物を、茶器はアシュリーが気に入っている工房で作らせた特別なもの。

着ているドレスもアクセサリーも流行りのもの。

完璧さが求められるから、余分なものは一切排除した。

そうして開かれたアシュリー主催のお茶会のお客様は、この国の第一王子。

金色の髪に宝石のように煌めく紫の瞳。

眉目秀麗、文武両道。ゆくゆくはこの国の王となる人はアシュリーの婚約者でもある。

二人が並べば周りの者たちは感嘆のため息をもらし、なんと絵になる二人だろうと褒め称えた。




目を開けると蝋燭は半分に減っていた。

固くなった体を伸ばす。

華やかな茶会のことを思い出してしまったせいで、ますます惨めな気持ちになる。


あのお茶会は成功だった。

カーティス様も褒めてくださったもの。

ただ、茶会が終わったとき、お礼を言われそして最後に聞かれたのだ。


『今日はそなたの姉はどうした?』


カーティスもアシュリーももちろんセシルも同じ学園に通っていたので、顔見知りではあった。だから、同じ家に住んでいるはずの人間がいなくて不思議に思ったのだろう。

それは、第一王子らしい気配りの範疇。

だから、アシュリーは少し悲しげな顔を作って答えた。


『朝お呼びしたのですが、セシルお姉さまは出たくないと』


嘘は言ってないわ。

あなたのマナーの程度では、このお茶会で恥をかいてしまうわ、と忠告してあげただけ。

そうしたら、「わかったわ。今日は自室で勉強をすることにする」と答えたのよ。

そんな内情など、カーティスには話さないが。



アシュリーは小さく首を降る。

やはり早くここから出なくては。

このままでは本当に罪人にされてしまう。


「ねぇ、起きているかしら?」


心底嫌だか、今はこの男に助言を求めるしかない。先程のトレーの件はとても役に立った。


「もう飽きたって言っただろ」

「報酬が必要とも言っていたわね。覚えていてよ」

「それは、良かった。それじゃ、今回はパンにしよう」


またしても、アシュリーは自分の耳を疑った。


「パンって言った?」

「そう。夕メシについてくるあのパン」

「あなた…何を言っているの?!」


あれは固い上に不味いが貴重な食料だ。

あのパンをあげてしまったら、アシュリーは野菜の切れ端が浮いているだけの最悪スープしか食べる物がなくなってしまう。

この男はそれが分かっているのだろうか。


「報酬が必要なら、ここから出たときに…」

「それはいつかな?」

「っ!」


すぐだ、と昨日この男に出会う前のアシュリーならば迷わず答えただろう。

でも今は、答えに窮する。

そもそも、外と連絡を取るためにこの男を頼ろうと思ったのだ。


「他のものじゃダメなの?」

「スープか水か?」

「今わたくしが手にしているものじゃないと駄目なのね…」

「それはそうだ。因みに前払いだからな」


あまりの上からの物言いに、アシュリーは唇を噛む。


「なんだ、嫌ならいいんだぞ」

「嫌に決まっているでしょう! 一日にたった二回の食事の一回を犠牲にしろと言われてるのよ!」

「たった二回ねぇ。じゃあいいよ」


あっさり言われ、アシュリーは息を飲んだ。このまま、この男にすら見放されたら、アシュリーはどうすればいいのか。

しかし、どうやらそれは早とちりだったらしい。


「…初回はまけてやろう。あんたの知識を一つ差し出しな」

「知識…」

「そう。腹も減ってるが娯楽にも飢えてるからな、何か面白い話をしてくれたら、少しはあんたに協力してやる」

「面白い話…」


やっとアシュリーにも追い風が吹いてきたようだ。これは得意分野だわ、とアシュリーは小さく笑った。

今まで何回お茶会やパーティーを主催してきたことか。楽しい話をして、その場を盛り上げるのは主の役目だ。


「そうね。王都の最新のお菓子をご存知かしら。きれいな飴細工でまるで本物のバラのようなのよ」

「そいつは、パンがいくつ買える?」

「…そう。甘いものにあまり興味がないのね」


いや、食えるものなら何でも好きだぞ。

そんな言葉は聞こえなかったことにして、アシュリーは他の話題を考える。


「女性に贈り物をするなら、アクセサリー…」

「買えると思うか?」

「いえ、ハンカチよ。でも刺繍が入ったものはダメよ。刺繍が趣味の方もいるから、あえてそこは無地のものがいいわ。縁にレースがあるものならいいでしょう」


これならどうだと反応を伺うが、男の反応はいまいちだった。


「ん? もう終わりか? 別に俺は恋愛アドバイスが欲しいとは言ってないぞ。贈り物なんてしなくても、酒場に行けば寄ってきたな」


この最低な男に頼っても良いのだろうか。


「…今の流行のドレスは」

「あんた、俺にそれ話して楽しいか?」

「っ! 会話をするのなら、相槌を打つのがマナーではなくて? 話し手が話しやすい環境を作るのも聴き手には必要だとおもうわ」


そう言われてもなぁ、と男は言った。


「あんたとお喋りしたい訳じゃないし。他にはなんかないのか?」


この男、本当はパンが欲しいだけなのかもしれない。だから、アシュリーの話を全て否定するのだ。


だって、今までこの話をして退屈そうな人はいなかった。


『さすがアシュリー様。良くご存知ですね』

『すごいですわ。アシュリー様には誰も敵いません』

『ふふふ、今度ドレスを作るときは、アシュリー様に相談しようかしら』


思い浮かぶのは、青空の下、貴族たちの華やかなお茶会。テーブルの上の香り立つお茶。バターもジャムもチョコレートもたっぷり使った芸術品と称された美しいお菓子の数々。


「…そうですわね。男性ならば、狩りの話の方が良かった…」

「狩りって。どぶ川で釣りしかしたことないな」


半笑いで言われ、もう我慢の限界だった。


「いい加減にして!! こちらが下手に出たのに、なんて言い方を…! わたくしは、ラウドルップ公爵家の…」


いいかけて、しかし、最後まで言えなかった。


わたくしはまだ、ラウドルップ家の娘なのかしら?


あの美しい世界からかけ離れたところにいて、誰も助けに来てくれないことがアシュリーの心に影を落とす。


閉じ込められているから、セシルが邪魔をしているから、そう思ってきたけれど、本当にそうなのかしら?


それはアシュリーの心に落とされた、ひとしずくの不安。


「だーかーらー、俺は知らないって。ラウドルップってそんなにすごいの?」

「…ラウドルップ家の歴史は一人の女性から始まったの」


それは小さい頃から繰り返し聞かされた話。暖炉のついた暖かい部屋で、仕事で滅多に家にいない父親の膝の上に乗って聞いた。


「その頃のこの国はまだ、魔獣が蔓延る荒れた土地だったそうよ。畑を耕しても固くて作物はたいして育たず、その少ない作物ですら、魔獣に食い荒らされる日々。人々は魔獣との戦いに疲れていた…」


魔獣が普通の獣と違うところは、魔力を使うこと。そして、魔力を伴った攻撃でしか倒せないというところ。

ほとんどの人間は魔力を持っているが、その量は個人の差が大きい。更に攻撃するには技術も必要だ。失敗して暴発でもしたら、被害は甚大になってしまう。

攻撃魔法を多数展開出来る魔力量と、失敗しない狩りの技術。

この二つを持ち合わせている人間は限られている。


「ある日、国王陛下と第三王子も参加された大規模な魔獣討伐が行われたそうよ。そして、そこで予想外の魔獣の群れに出会い、囲まれてしまった」


一頭でも数人の騎士が連携して倒すものを、七人の騎士と第三王子の討伐隊に対してその数五頭。

その上、魔獣たちも連携しているようで、当時国内で随一の魔力量を持っていた第三王子も手が出せなかった。


「牙を向く魔獣の群れになす術なく、もうだめかと覚悟を決めたとき、どこかから光の矢が飛んできて一体の魔獣が倒された」


空から降って来たように見えたと、八人は口々に語ったという。


「光の矢は五本。息つく暇もなく次々と飛んできて、五頭の魔獣は全て倒れたの」


これはつまり、一度も外さなかったと言うことなのだ。魔獣は王子たちの周囲にいた。外せば王子にあたってしまうかもしれないなか、その腕、勇気は素晴らしいものだ、とアシュリーの父親が言っていたのを覚えている。


「救世主の姿を探して、現れたのは一人の女性」

「へー。それで、吊り橋効果的に第三王子は恋に落ちて、公爵の爵位を貰ったと?」

「ラウドルップ家の歴史を雑にまとめないで!」


とは言え、さほど間違ってはいないのが悔しいところだ。後にこの二人は結婚している。爵位についてのあれこれはこの男に話すだけ無駄だろう。


「お二人は気が合って、国中を回って魔獣を倒す旅をしたそうよ。時に荒れた土地に祈りを捧げ、土地すら癒したとか」

「何か都合のいいように美化されてないか?」

「疑り深いわね。我が家にはその方の肖像画が何枚も飾られているけれど、とても凛々しく美しい方だったわ」

「ふーん? 肖像画ねぇ。それこそ、雇い主に気に入られるために美化されてそうだが」

「それ以上の侮辱は止めなさい! 」

「ハイハイ。因みに、その救世主サマの名前は?」

「名前…」

「なんだ忘れたのか?」


小さい頃からの憧れの人の名前を忘れるわけがない。

その人の血を引いていることが、アシュリーの誇りだった。その人の名前に恥じないようにと、振る舞うことがアシュリーの生き甲斐だった。

美しく着飾って、他の貴族よりも自信たっぷりと、他の貴族に褒められれば褒められる程、自分が憧れの人の子孫に相応しいと思えた。


「その方の御名前は、…セシリア様よ。あなたごときに聞かせるのはもったいないけれど、ね。…太陽の光を浴びてキラキラ輝く金色の髪に、知的な深緑の瞳。わたくしは、偉大な方の血を引くラウドルップ家の娘…だった」


『初めまして、アシュリー様。セシルと申します』


アシュリーの瞳は母親似の青色だか、髪は金色だ。

ただし、少し茶色がかった濃い金色。それでも、セシルが来るまでは他に金色の髪の女性は一族にいなかったから、魔力量の多さも相まってアシュリーはセシリア様の再来だと言われてきた。


セシルが来てからは、その言葉が禁句のように誰も口にしなくなったが。


そっと自分の髪を撫でる。

金色の髪はアシュリーの自慢で、ずっと大切にしてきた。毎日香油を使って、櫛もこだわって、少しでも輝くように手入れをした。

もう何日もまともな手入れなどしていない長い髪はくしゃくしゃだ。肌も爪も。きっと今の自分はひどいことだろう。


「ふーん。俺としては、その後の二人の旅路の方が冒険要素があって気になるが、まぁ、いいよ」

「いいって?」

「これ以上話しても、あんた視点じゃご先祖二人の恋愛話にしかならないだろう。だから、交渉成立」

「交渉…」

「なんだ。俺に訊きたいことがあったから、報酬を払ったんだろ」


アシュリーは目を見開いた。

何か面白い話をしろとは言われたが、これで良かったのか。


「えぇ。わたくし、手紙が書きたいのだけれど、どうすば手に入るのか知りたくて」


いくら看守に言っても紙一枚持ってこないのは、先ほどのトレーのように何か作法のようなものがあるのかもしれない。そう思った。


「それは無理だな」

「即答しないで!」

「そうは言っても無理なものは無理だからなぁ。あの看守はかなり頭が固い奴で、食事を持ってくる以外はしないぞ。囚人との無駄な会話も禁止されているらしく、一言も喋らない」

「そんな…」

「あんた、収監初日にメシをぶちまけただろ」

「…っ」

「それをあいつが片付けただけ奇跡だぞ。ご存知の通り、掃除なんてここじゃ一切しない。多分、俺が同じことしてもほっとかれただろうさ」


更に、その食事を狙って虫がわんさか集まって来ただろうと言われ、アシュリーは鳥肌が立った。


「流石にそれはあんたが耐えられない、と判断したんじゃないか? あんたの暴言もずっと聞き流してるし、俺から見れば破格の待遇だね」

「破格…」


このどこが破格なのか、そういいかけて一つ疑問が生まれた。


「そう言うということは、あなた、看守を怒らせたことがあるの?」


しかし、看守は一言も話さないと言ったではないか。


「まぁな。色々試してみたよ。あんまりにも無反応だったから、ついからかって暇潰ししてたら、メシを何日間か抜かれたな」


なんでもないことのように言われ、アシュリーは絶句した。


「それってあんまりだわ!」

「おぉ。俺のために怒ってくれるなんて、随分、懐いたものだな」

「ふざけないで。あなたは、腹が立たなかったの?」


ここでの食事は、一日二回。粗末なものだ。それすら数日間食べられなかったら、アシュリーなら倒れてしまうだろう。


「まぁ、何日も食うもんがない生活なんて慣れてるしなぁ」

「…」

「それに、ここではあの看守の方が立場は上だぞ。庶民が貴族に逆らえないように、囚人は看守に逆らえない。腹を立てるのも筋違いだろう」

「それがわかっていて、なぜからかったのよ…」

「あははっ、確かになぁ」


沢山話していたら、喉が乾いた。

いつもなら、そばに控えているメイドに紅茶を用意させていた。茶葉が気に入らなければ、入れ直しさえさせていたのだ。

食事のときに出される水は、もうない。


「まぁ、でもあの看守はまともな奴だと思うぞ」

「頼み事一つ叶えてくれないけれど?」

「囚人の願いごとを叶えてくれる看守がいると思うか?」

「…それは、報酬が必要ってことなの?」


公爵家の使用人として採用するという提案は無視された。あとアシュリーが持っているのは、パンくらいだ。


「違うよ。言っとくけど、変に交渉しようとするなよ。あの看守は真面目な奴だ。買収なんてしようものなら、逆効果だ」

「…諦めろといいたいわけ?」


隣の壁を睨む。


「いや、違う。多分あんたはここから出られるから言ってるんだ。大人しくしていれば、いずれな。反対に怒鳴ったり、何かを要求したりしたら、その分遅くなると思えよ。あいつだけが、生命線だ。あいつがあんたは反省してると上に報告するまで待て」


その言葉はアシュリーにとって何の希望もないものだった。


注文していた新しいドレスに流行のアクセサリー。盛大に祝うはずだった婚約者の誕生日会に、招かれていた王妃主催の夜会。

大人しく待っていたら、間に合わない。

その全てを諦めろと言われているのだ。


アシュリーの行くはずだった場所には、アシュリーのドレスを着たセシルが行くのだろうか。


あの子が何もかもわたくしから奪っていく。


父親を、父と母との三人での幸せな生活を、金色の髪に緑の瞳を。


「おい? どうし…」


急に黙ったアシュリーを心配そうに男が呼びかけたが、看守の足音がしたとたん口をつぐんた。

話し込んでいて気付かなかったが、もう夕食の時間になったらしい。

朝と同じで、何を話しかければいいのかわからなくなったアシュリーはじっと看守を見つめた。


今までだったらわたくしが見つめれば、誰もが話しかけてきたというのに…。


看守は一度アシュリーの顔を見ると、トレーにのせた食事を渡した。

これで拗ねてみせるために受取を拒否する仕草をしても、意味がないことは流石に分かっている。

素直にトレーを受け取ると、看守は一度頷き、床に置かれた朝のトレーを回収した。

なんとなく、看守の動きを意識していると、看守は隣の男のトレーを回収したようだ。でもそれだけで、二人分の空の食器が乗ったトレーを持った看守はアシュリーの牢の前を通って戻って行ってしまった。


今、隣に食事を渡さなかったような…?


そもそも朝と違い、持ってきた食事は一人分だった。


『…からかってたら、メシを数日間抜きに…』


おそらくは、少し緩和されたもののまだ、罰の途中なのだろう。

きっと、アシュリーがこの牢に入れられたときも食事抜きの罰を受けていたのだ。

だから、隣の存在に気付くのが遅れたのだろう。


「……」


自分の夕食を見る。

いつもと同じ固いパンと、野菜の切れ端の浮いたスープ。

少しだけ考えてから、アシュリーは食事を始めた。美味しくないが、大事な食糧だ。

大した助言をしてくれない人とは、もう話すこともないだろう。だから、対価も必要ない。

コップの水も全部飲み干した。


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