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「わたくしは何も悪いことなどしてないわ! 悪いのはお姉さまなの! だからここから出しなさい!!」
アシュリーは鉄格子を掴んで、食事を持ってきた看守に訴えた。
この牢に入れられ、一週間。
狭くて暗く不衛生な牢屋の中、今まで着たことのないゴワゴワする質素な麻の服を着せられ、その上、着替えはもちろん出来ず、粗末な食事は一日二回。
もう限界だった。
「せめて紙を持ってきてちょうだい。手紙を書くわ」
看守が持ってきた食事は、固いパンと野菜しかないスープ。ちらりとアシュリーの顔を見ると、鉄格子の隙間から置いた。
「貴族は貴族用の牢があるでしょう! なぜわたくしはこんなところなの。何かの手違いがあったとしか思えないわ!」
どんなに言葉を重ねても看守は一言も声を出さない。目付きの悪いこの看守は、異国の者だろうかと思うくらいだ。
「分かったわ、次来るときでいいから、紙を持ってきて。わかる? 紙よ。手紙にあなたのことも書いてあげるから。そうしたら、こんなところにいなくて済むわよ。なんていったって、公爵家の使用人になれるんだから」
アシュリーの願いはいつも叶えられた。
今回は何かの陰謀があったのかも知れないが、家に手紙さえ届けば誤解も解けるはずだ。この看守にも美味しい話ではないか。だから、この看守も言うことを聞くはず。
そう思ったのに。
「何で紙を持ってこないのよ!!」
半日後、看守が持ってきたのはいつもの食事だけだった。
「ねぇ、あなたは言葉が通じないのかしら! 」
去っていく看守にそう叫ぶも、振り向く気配はない。
何時もだったら、そばにあるものを投げつけてこのイライラを発散させていたが、牢の中にあるのは、粗末な食事だけ。
『 こんなもの食べれるわけがないでしょ!』
最初にこの食事を見たとき、そう言ってひっくり返したら、看守はなにも言わず片付けて去って行った。
代わりの食事はなかった。
だから、アシュリーもいやと言うほど理解した。この粗末な食事は大事にしなけばいけないと。
怒りに震えながら、煮詰まったような味の最悪なスープを飲む 。
こんなものを食べさせておいてただじゃおかない。
「今頃セシルは、美味しい物を食べているんだわ」
そう思うと、惨めで腹が立ってくる。
なぜこんな目に合わなくちゃいけないのか。
「うるさいなぁ。そろそろ黙んない?」
突然、どこからか声がした。
男の声だ。
看守は帰ったので、違う者だろうが…。
「…誰?」
助けが来たとは思えない、アシュリーをバカにしたような声だった。
案の定、アシュリーが訊くと男は笑った。
「誰って、ひどいな。俺はあんたの先輩だぞ?」
「先輩…?」
確かにアシュリーは、魔法学校に在籍していたことがある。しかし、こんな人をバカにしたような礼儀がなっていないものなどいなかったはずだ。
「そう。この牢にはあんたよりちょいと長くいるんだ」
「牢にいる…。…っそれって囚人ってことじゃない!」
アシュリーの入れられた牢は複数ある。前面は鉄格子でその他は壁なので、声の主の顔は見えない。
「…あ、あり得ない。隣に男…その上、罪人だなんて…」
あまりの仕打ちに声が震える。
淑女が男性と二人きりになってはいけない。二人きりになる場合は、部屋の扉は開けておくこと。
アシュリーはそう教わってきた。
「罪人って。あんたも罪人だろ? 」
「わたくしは無実の罪です!」
「あー。知ってる知ってる。意地悪な腹違いの姉とやらに、罠を仕向けられたんだろ? この一週間、ずっと喚いてたからな」
「喚くって…」
「あんたのヒステリーは単調な牢獄生活のなかじゃ、それなりにいい暇潰しになったが、さすがに飽きたなぁ。だからさ、そろそろ黙ってほしいんだけど?」
そののんきな口調にますますアシュリーは腹が立った。
それでも、最後のなけなしのプライドで努めて冷静な声を出す。
「わたくしを誰だか分からないようですけど…」
そう。この牢獄ではお互いの顔は見えない。ましてこの男は罪人で、口調から察するに貴族ではない。だから、アシュリーの身分が分からずこんなにも無礼な発言が出来るのだ。
「へー? あんたの名前は?」
顔も知らないはずなのに、 ニヤニヤ笑っているのが目に浮かぶ。
再び怒鳴りそうになるが、この後の男の慌てぶりを想像して怒りを静めた。
「わたくし、アシュリー・ラウドルップと申します。ラウドルップ家の第二女ですわ」
こんな男にはもったいないくらいの挨拶だった。しかし、男の反応は全く想像と違っていた。
「ふーん。アシュリーか。確か、よく行ってた酒場にそんな名前のコがいたな。よく気がきくコでさぁ」
「さかば…」
ここで普通ならば、食いつくのは名前ではなく家名の方なのだ。
「あ…あなた、わたくしの話を聞いてるの?
わたくしはラウドルップ家の娘なのよ? 」
「ラウドルップゥ? 悪いが俺は家名とかはサッパリだ」
アシュリーの生まれた家は、公爵家。王家とも近しい国内でも、有数の名家だ。いくら庶民だとしても、名前くらいは知っているだろうと思っていたのだが…。
「そ、そう。知らないのなら仕方がないわ。ラウドルップ家は公爵の地位にあります。わたくしは、正統な血を引く唯一の娘。これまでの暴言は見逃して差し上げますから、以後気を付けるように」
「暴言? 何か暴言を言ったっけ?」
どうやらこの男は敬語を知らないらしい。
「わたくしに黙れと命令したでしょう。わたくしの嘆きをヒステリーとも」
「それが暴言になるんだ?」
「当たり前でしょう!」
「じゃあ、次、俺が暴言をはいたらどうする?」
おかしなことを訊く。
アシュリーは戸惑いながらも答えた。
「家に報告します。そうすれば、あなたはわたくしを侮辱した罪に問われるわ」
庶民が貴族に歯向かったのだから当然ではないか、そう思っての答えだった。
「今のあんたがおうちに手紙を書けるのかは、まぁ、指摘しないでやるが。罪ねぇ」
「…?」
「罪をおかしたなら、罰せられると思うが、さて、牢にいる俺にかせられる罰ってなんだ?」
「それは…」
「刑期の延長? 鞭打ち水攻め、拷問とかも全部すっ飛ばして処刑台? 国外追放に、地味なところでメシ抜きか。うーん、奉仕活動だったら笑えるなぁ」
「……」
アシュリーは言葉を失った。
牢獄にいる時点でこれ以上ない不運なことに見舞われていると思っていたが、それ以上の罰が存在していたとは考えたこともなかったのだ。
「まぁ、正直、痛くもかゆくもないなぁ」
「で…でも、公爵家を敵にまわすのよ」
「だから?」
「家が心配ではないの?」
その質問に男は、不思議そうな声で答えた。
「一応、部屋は借りてたけど、俺が家賃を払わなかった時点であの大家は他の奴に貸しただろうから、帰る場所はないかな」
うまく噛み合わない会話に、アシュリーはもどかしくなる。
「そうじゃなくて! あなたの家のことよ。あなたの家がどこの領だかは知らないけど、公爵家に睨まれたら、領主だって守ってはくれないでしょう?」
貴族や商家ではないにしろ、庶民だってこの国に住んでいる限り、その土地の主である領主には逆らえないだろう。
そして、公爵家はその領主よりも上の立場だ。
「あぁ! あんたの言ってる家は、実家とか生家とかそんなのか!」
「そうよ」
「成る程なぁ、全く縁のないことだったから分からなかったよ」
「縁のない…?」
「生みの親の顔を知らない子どももいるってことだよ」
その答えにアシュリーは眉を寄せた。
「それでは、育ての親や雇い主は?」
「あははっ、なかなかいい性格してる。普通は気まずそうな雰囲気を出すぞ?」
「あなたの生まれがどうだろうと、わたくしのせいではありませんから」
そう。アシュリーのせいではない。
この男の生まれも、腹違いの同い年の姉がある日突然出来たことも。
「確かにな。まぁ、育ての親はいないし、雇い主とやらもいないよ」
それは本当だろうか。
報復を恐れて嘘をついているのではないか、アシュリーが問いただそうとしたとき、蝋燭の灯りが揺れた。
「あぁ、もう少しで蝋燭が消えるぞ? あんたまだ、夕メシ食ってないだろう」
男の言う通り、蝋燭は短くなっていた。この牢屋は地下にあって、日光は全く入らない。それなのに蝋燭は通路に三本しかなく、朝看守が来たときに新しい蝋燭を立てて灯りをともすだけなのだ。
この蝋燭が消えたら一切の光はなく、ただ暗闇が広がるだけ。
アシュリーはこの牢に入って、自分の手すら見えない暗闇を初めて知った。
「わたくしに命令しないで」
暗闇の中の食事は避けたい。
足元に置かれた器を取り、この一週間同じメニューの食事を始めた。