需要と供給が合わなきゃただの迷惑
近頃の令嬢の流行は「溺愛」らしい。
というのも、つい半年前に王宮の舞踏会で起きたとある事件がその発端だとか。
我が国の第二王子殿下が、殿下と長年婚約関係を結んでいた公爵令嬢様に対して、その舞踏会の真っ最中に大勢の人の前で婚約破棄をされたのだ。なんでも海を越えた異国から留学に来ていた第四皇女様と第二王子殿下がいつの間にか恋仲になり、二人の恋路の邪魔となった公爵令嬢様が捨てられたという筋書きらしい。
いつも完璧な淑女であった公爵令嬢様に対して、第二王子はいつも人形のように取り澄まして感情のない姿に長年嫌々していたのだと言い放った。一方の第四皇女様は、側室の生まれという事もあり皇族としてはかなり奔放であらせられて、さらに元々のお国柄から感情も思うままにお見せする気さくな方だった。王子は皇女様のそんなところに惹かれたのだと、傍らに皇女様を伴いながら滔々と語った。
国中の貴族のみならず皇女様の国や近隣諸国から招かれた来賓の目の前でまるで見世物のように糾弾された公爵令嬢様は顔面蒼白で今にも倒れそうになりながら、完璧な淑女と呼ばれた評判に恥じない見事な礼を見せ、静かに婚約破棄を受け入れたのだという。
話の肝はここからだ。そうして第二王子から婚約を破棄され、いわゆる傷物になってしまった公爵令嬢様だったが、なんと即座に新たな婚約が運び込まれた。相手は南の隣国の侯爵子息様。なんでも公爵令嬢様のお父様が以前隣国へ訪問した際に仲良くなったご家族で、幼少期から手紙のやり取りをしていた文通相手なのだという。
手紙からも察せられる公爵令嬢様の博識さと思慮深さにほれ込んだ侯爵令息様だったが、幼少期からの婚約者である第二王子の存在は当然隣国でも知られていて、公爵令嬢様をむやみに悩ませるわけにはいかないとその気持ちを内に秘めていたのだという。
それが今回の婚約破棄騒動で想い人が手の届くところに来たとあって、即座に行動を起こしついに婚約者の座を手に入れたのだから仕事ができる人はさすがとしか言いようがない。
そして長年募った恋心は堰を切ったようにあふれ出し、公爵令嬢様が出かける時はいつでも傍に寄り添い、手は常に腰やら手やらに触れ、隙さえあれば人前であっても髪やほほ、手の甲に口づけを落とし、馬車や邸宅の中では常に膝に乗せ、ティータイムのお菓子は手ずから食べさせ、口を開けば甘い愛の言葉を伝え続ける……と、まさしく溺れるにふさわしい愛を与え続けているのだそう。
そんな怒涛の愛を与えられた公爵令嬢様は、いつしか人形のようと言われたその完璧なかんばせをとけるようにほころばせるようになった。そうして相思相愛の関係となった二人は、つい先日めでたくも婚姻の日を迎えられ、隣国の侯爵家へ向かわれていった。
あ、ちなみに第二王子と第四皇女様は我が国のトップを担う公爵家を敵に回したことを国王陛下からも咎められた。この国にいても未来はないと放逐…いや婿に出され、皇女の祖国へ送られていった。その先どういう生活を送られているのかは、我が国の国民が知るところではない。
前段がすっかり長くなってしまったけれどそんなわけで、隣国へ嫁がれる前の公爵令嬢様と侯爵令息様の二人の姿を街のあちこちで見ていた令嬢たちにとって、今や二人は憧れの的。公爵令嬢様のように一人の男性に全身全霊の愛を受ける、溺愛が今最もトレンドとなっているらしい。
だがしかしその話を聞いた私が真っ先に思ったのは、なんてうっとおしい!ということだった。
考えても見てほしい。出かける時にはいつも付きまとわれ、べたべたと体にまとわりつかれ、自由にお菓子も食べられず、あげく自分で座ることすら取り上げられる。想像しただけであまりのうっとおしさに卒倒しそうになる。
しかしそう感じている令嬢は私くらいのようで、夢見がちにお二人のことを語る友人たちの目は非常にうっとりとしたものだった。
そしてその流れは令嬢だけにとどまらず、いまや令息の間にも広がっているのだという。それもそうだ、意中の令嬢が憧れている令息の行動を真似すれば、自分のことも熱っぽく見てくれるかもしれないと思うことは決しておかしなことではない。憧れを持つ同士でやる分にはWINWINの関係でなんの問題もないだろう。問題なのは、それに憧れをちっとも持たない、あげくすでに婚約者も持っている相手にそれを繰り出してくる阿呆な輩が出てきていることなのだ。
私も一応れっきとした伯爵令嬢ではあるが、領地は田舎も田舎。平民も領主一家も大きな隔てなく暮らしてきた。だから私は生粋の都会っ子である友人たちのように貴公子然とした令息たちにあまり興味がない。
そもそも私にはもう既にしっかり婚約者がいるのだ。その相手は隣の領を管理している伯爵家の息子。お互いの母親が友人関係であった縁で、家格のつり合いも政治的な派閥も問題がないという事でとんとん拍子に決まった。お互い覚えてないくらい小さい頃から遊んでいた仲で、幼馴染から婚約者になったからと言って特別関係が変わったわけではなかった。
そもそも彼は恋愛事にそこまで熱量のない私のことをよくわかってくれていて、無理にべたべたしたりしないし私を尊重してくれる。そして私も彼に付きまとったりはせずお互いの心地よい距離感を保った関係を続けてきた。
断っておくが愛はある。熱を持った恋愛ではないが、誰にも文句を言わせないだけの親愛は持っている。だが色ボケに傾倒している今の世間ではそれを冷めきった関係だと見るらしい。
一学年上の伯爵令息の先輩に付きまとわれるようになったのはつい先月のことだった。偶然図書室で同じ本を取ろうとして知り合い、その時はレディファーストだと言って私に譲ってくれた。だからお礼に読み終わって返す時にお声掛けして、趣味が合うみたいですねと軽い世間話をした。それがどうにも先輩の琴線に触れたらしかった。
話を聞くに先輩には親の勧めで結ばされた子爵家の婚約者の方がいるらしい。家の事業の関係で縁続きになるのが望ましいとつい最近結んだ婚約なのだとか。しかし先輩は件の公爵令嬢様と侯爵令息様の大恋愛に憧れを抱いているらしく、親の決めた婚約ではなく自分が見つけた真に愛する人と結ばれたいと思っているのだと、聞いてもないのに語ってくれた。
そして誰から聞いたのか、私も家の関係で結んだ婚約者がいると知った先輩は、自分の気持ちに嘘をつくのはやめて心から愛する人と共にあれるようにしようと言ってくるのだ。私に言われても困る。家の関係で結んだ婚約者とはいえ、私自身もその婚約に異論はない。世間に話題となるような大恋愛にも興味がない。自分の時間も持てないような束縛も溺愛も求めていない。
遠まわしにそう伝えても一人勝手に愛の暴走をしている先輩の耳には入らないらしい。学園で会うたびに許可もないのに体に触れてこようとするし(先回りしてかわすのが本当に上手くなった)、欲しくもない贈り物も渡され(これは実家を通して丁重にご返却した)、図書館で運命的な出会いを果たし、お互い想い合っているのに家の柵にとらわれて素直に愛し合えないだとかを周りの人にあることないこと吹聴して回る(あることは図書室で出会ったことくらいで、他は全部大嘘だ)。
もういい加減にしてほしいと辟易していたところで、なかなか思う通りに靡かない私にしびれを切らしたのかついに先輩は暴挙に出た。
生徒も多くいる昼休みの中庭で、あろうことか私にプロポーズをしてきたのだ。親や家が決めた婚約ではなく、当人たちの愛によって結ばれることこそが真実の愛なのだと、自分なら溺れるような愛を注いであげるからと、驚いて言葉も出ない私を無視して求婚してきた。
ざわざわと周りを囲む人の中には先輩の婚約者であるご令嬢の姿もあった。ひどく驚いた様子だったが、意外と冷静に、硬い表情をされているのが見えた。怒ったりしていないところを見ると、私とは相思相愛だとかほざいている先輩の言葉は信じておらず、私にお門違いの嫌悪を抱いてもいないらしい。よかった。無駄な修羅場にならないだけでも救いだ。
とはいえこの衆人環視の中で一人好き勝手にしゃべり続ける先輩をどうすればよいのか。私の青い顔も必死の拒否も耳に入っていないように一人べらべらと適当な愛を語る先輩に、堪忍袋の緒が切れると思ったまさにその時、ふと大きな背中が私の前にたち、目障りな先輩の姿を覆い隠してくれた。誰か友人が呼んできてくれたのだろう、長年見慣れた幼馴染であり婚約者である、彼の背中だ。
突然現れた闖入者に先輩は顔を真っ赤にして抗議をしているようだが、彼は意に介さず淡々と人の婚約者に手を出すとは何事かと抗議をしてくれる。彼も同じ学園に通う身、よもや誤解でもされたらたまらないと最初から事情を話し、最近ではあまりのしつこさに愚痴まで吐いていたくらいだ。
だからこそこうして事件が起きた時に真っ先に助けに来てくれて、何も疑うことなく私の味方になってくれる。そのことにどれだけ安心したかわからない。
いい加減、ここでけりをつけてしまおうと思い、婚約者の手を取りながら一歩前に出れば、未だ喧々とやかましく声を上げる先輩がぱっと喜ぶような顔をした。私が同調するとでも思ったのだろうか? ありえない。そんな幻想を打ち砕くように、婚約者であり幼馴染である彼のことを慕い、婚約関係に一縷の不満もないことをはっきりと言い切った。
これまでの婉曲した表現を一切やめて真っすぐはっきり告げた私に、先輩は呆気にとられた顔をしていた。あぁ、今までのことはまるっきり伝わっていなかったんだと思うと呆れを超えて感動すら覚えてしまう。さらに学園の先輩以上の感情は一切ないことも告げると、先輩は愕然としたように膝をついた。
そこへ群衆の輪から先輩の婚約者であるご令嬢が抜けてきた。手を差し伸べてやるのかと思えば、人の話もろくに聞かず思い込みだけで動くうえ、婚約の段階から誠意に欠ける行動をする人とは事業も人生も共にできないと言って、先輩に婚約破棄を告げた。茫然とその言葉を受けた彼を置いて子爵令嬢はその場を離れ、それをきっかけに集まっていた生徒たちも散り散りになっていった。幼馴染に肩を支えられた私もその場を離れ、中庭には先輩がただ一人残された。
帰り道、珍しく一緒に帰ろうと幼馴染が声をかけてきた。取る授業が違うため普段はあまり登下校を共にすることはない。それでも今日の今日で気を使ってくれたのだとわかった。
帰りの馬車で隣同士に座って帰路を進んでいると、ふと彼は口をついてあいつが言っていたように溺愛されたいと思うのかと問てきた。私はつい笑い声をあげてしまった。そんなものはいらない。今のあなたとの関係が好きなのだからと。彼はそれを聞くと、優しく目を細めた。そしてそっと私の手を取ると、それを合図にしたように二人で顔を寄せた。彼の力強くも優しい褐色の目を見つめながらそっと瞼を閉じた。
愛はある。熱っぽい恋愛ではないけど、誰にも文句を言わせないくらいの親愛が。体に触れるのを許すのは彼以外に誰もない。それが私の愛なのだ。
隣にいてドキドキするような相手ではない。べたべたに甘えたり甘やかしたりしたい関係でもない。それでも将来共に、隣にいるのは彼以外考えられない。溺れるほどの愛ではないけど、それでも間違いなく愛なのだと、私は思う。