前夜
土曜日 夜 一ノ瀬家リビング
今日まで天宮を除くみんなとデートをした。そこで気づいたのはみんなが少しずつ
前に進んでいること、そして前に進もうとしていることだった。
俺はそんなみんなと一緒にいたい。このままみんなと別れてまた一人で生きていくことも俺以外のみんなが楽しそうにしているのを外から眺めるのも今の俺には耐えられない。考えたくもない。
だからもう一度、両親と話すことにした。今度はちゃんと部活のことも話す。そを含めて納得させる。そのためにあらかじめ二人をリビングに呼んだ。
リビングのテーブル、父さんと母さんと向き合って座る。
「どうしたの? 話があるって。まさかまた塾に入りたくないって話じゃないでしょうね。いつまでも子供みたいなこと言わないでよね」
母さんが眼鏡を触る。前と違いスーツではなく部屋着だが、緊張感は変わらない。
「言われた通り塾には入るよ。成績のために必要なのもわかるし、塾に入れるだけ恵まれてるとも思う」
「そうね、わかってるじゃない。ならどこに入るか決まったって話?」
「どこに入るかはもう任せるよ」
「まぁあなたがそう言うなら別にいいけど。ただ、じゃあなんで今日は呼んだの? ママとパパは忙しいの」
「まぁまぁ花凛ちゃん。ちゃんと話を聞こうよ」
席を離れようとする母さんを父さんが止める。
「自習室の件は無くして欲しい。今日はその話をしに来た」
「そんなことだろうと思った。この際、聞くわ。あなた、最近の放課後は図書室で自習しているって話は嘘ね?」
俺は黙って頷く。
「俺、部活に入ってるんだ」
母さんが大きくため息をついて頭を抱える。
「そんな話は聞いてないけど。それに部活には入るなって話だったわよね」
「うちの学校、部活は絶対に入らないといけないんだ。それで6月から」
「なら6月までは入らなくても何も言われなかったってことでしょう? 無理やり入る必要はないじゃない」
母さんの言い方がだんだんと強くなっている。父さんも今は止めずに難しい顔で黙っている。
「6月までだましだましやってただけで、本当は入らないといけないんだよ」
「わかった。ならママが学校に言ってあげる。待ってなさい」
そう言って母さんが廊下の固定電話に向かっていった。俺の予想だが、これは止めなくても大丈夫だ。
廊下の方からドアを挟んで母さんの声が聞こえる。自身が教職なだけあって怒鳴ったりはしていないようだが苛立ちは伝わってくる。しばらくして戻ってくるとかなり腹を立てているのが見ただけでわかった。
「あり得ない! こんな話は聞いたことない。私立だからって好き勝手言って、やっぱり少し偏差値を落としてでも公立にすべきだった」
「花凛ちゃん、僕たちが律をそこに入れたんだ。そういうことは言わない約束だろう」
「そうだけど、あなたは納得できるの!? こんなのめちゃくちゃよ。訴えることもー
「そんな時間もお金もないでしょ。それにそんなことをする必要もない」
母さんを宥めていた父さんが俺の方を向く。合わせて母さんも姿勢を直して深呼吸をした。
「たとえ入部が強制でもどのくらい部活に時間をかけるかのめり込むかは学校も決められないはずだ。つまり、活動がゆるい部活やおそらくその制度の波で生まれただろうハリボテの部活に入ればいい」
「……」
父さんの言う通りだ。ハリボテの部活、同好会は少数だが存在するし幽霊部員もこの学校には存在する。どちらも風紀委員会が取り締まったり、部活に行かない子の話を聞いたりして対策はしているが完全ではない。うまくやれば逃れることも可能だろう。
「それであなたはなんの部活に入ったの? 道具を買ったりする様子も無かったから運動部ではないんだろうけど、まさか厳しいところに入っていないでしょうね」
「別に厳しくはないよ」
「そう、ならいいじゃない。部活には1週間に1回ぐらい顔を出せば学校も文句を言わないでしょう。これで解決ね、怒って損した」
「いや、それはできない。部活には毎日行く」
「は? どうして?」
「それは……行きたいから」
思わず下を向く。母さんからしたらなんのメリットもない部活に行く意味がわからないだろうし、俺もメリットなんて説明できない。ただ、俺があそこに行ってみんなといたいだけだ。要するに子供のわがままなのだ。
「行きたいからじゃわからない。というか何の部活に入ったんだ」
「……部」
「何だって?」
「ASMR部」
母さんと父さんが顔を見合わせる。二人とも見合ったまま、お互いがASMRというものを知らないことを確認するように首を振る。
「そのASMRというのは何? 勉強をそっちのけでやることなの?」
「ASMRっていうのはその、雨とか川とかの音を録って作る音声のことで……」
流石にここで成人向けの方の話はしない。特にそれをする必要もメリットもない。
「で? それがなに? あなたの将来にどう役立つの? 大学入試や就職で使えることなの?」
「それは……」
「話にならないわ。そんなものにこれまで時間を使っていたというの?」
「……」
「困ったらダンマリ。勉強の妨げにしかならないようなつまらない部活動、すぐに辞めてしまいなさい」
心の中にモヤモヤが溜まっていく。
「もしかしてあの天宮って子が関わっているの? おかしいと思ったのよ、急にあなたがクラスメイトでもない学校の人を連れてくるなんて。もしそうならすぐに絶交しなさい。そもそも私はあの子は上っ面だけな感じがして嫌だったのよ」
ガタッ
思い切り椅子から立ち上がる。母さんは全く動じずに俺の目をじっと見ている。
「何か言いたいことがあるの?」
「天宮は関係ないだろ」
「反応からするにやっぱりそうなのね。 ようもどこかに出かけていたみたいだけどまさか付き合っているわけじゃないでしょうね? それだけは絶対にダメよ。毒にしかならないんだから。私はそれでダメになった子を何人も見てきたからわかるの。あんな子に誑かされてー
バンッ
勢いよく机を叩く。さっきから好き勝手に言って、いい加減に腹が立つ。今度は母さんも一瞬、驚いたようだった。
「花凜ちゃん、律の言う通りだ。他の家のお子さんをそんな風に言うもんじゃない。律花の勉強だって毎週厚意で見てくれているんだ」
「それが問題よ。もしも悪い子だったら律花にも影響が」
「律花の成績はあれからずっと上がっているんだ。今は何の根拠もなく非難しちゃいけない」
母さんが黙る。父さんが俺の方を見て目で座るように促す。俺もおとなしく座った。父さんがいなかったら本当に大喧嘩になっていたかもしれない。呼んで正解だった。
「とにかく、そんな部活には行かせないから」
「嫌だって言ったら?」
「高校もそれから大学に行くのもタダじゃないってわかっているでしょ。この意味をよく考えなさい。それにあなたがそんな調子なら律花への教育のあり方ももっと見直す必要がありそうね」
「そんな横暴な!」
「まあそうね、大学に行かせないのは本末転倒だから実際は転校になるでしょうね。言っておくけど本気だから」
母さんはまっすぐこちらを見ている。どうやら本当にやるつもりらしい。
今日はここらが引き時か。
しかしこれからはもっと慎重にやる必要がある。絶対に律花を巻き込むわけにはいかない。律花は俺よりもプレッシャーに弱い節があるのに、これ以上厳しくされたら壊れかねない。
俺はリビングを後にしようとした。
「ああ、それから塾はもう決めたから。明日の夕方から行ってちょうだい」
「は?」
「あなたが選ぶ素振りを見せないからもうこっちで決めたわ。もし明日、行っていないようだったらわかるわね?」
話が違う。そう抗議したかったが、どうしようもない。おそらくここで反抗しても制裁が早まるだけだろう。
「……わかった」
俺は力無く部屋に戻った。