綾乃先輩と同人誌
金曜日 放課後
「それじゃあ行こうか一ノ瀬君」
綾乃先輩と校門で待ち合わせした。昨日御園先輩とここで待ち合わせして次の日に綾乃先輩と待ち合わせるとなんだかいけないことをしているように感じるな。
「今日はどこに行くんですか?」
「それはついてからだ」
先輩の表情が妙に硬い。どこか緊張しているような面持ちだ。おかしなところに連れて行かれないか非常に心配になる。
「その前に何か食べようか」
「そうですね、少しお腹も減りましたし」
「ならあそこのクレープ屋なんてどうだろうか?」
前方にちょうどクレープ屋の屋台がある。俺と先輩はそこに並んだ。
「私のおごりだ。好きなのを頼んでいいぞ。なんなら一つじゃなくてもいいからな」
「えっいいんですか。まあ流石に2つは悪いし食べきれないので俺はこのイチゴカスタードで」
「そうか……もっと豪華なものでもいいんだぞ。このミルフィーユのやつの方がいいじゃないか」
「……どうしたんです? なんかありました?」
やたら先輩が高いものを勧めてくる。しかも何だか挙動がさっきから怪しい。
「いや何もない。ただたまには先輩らしいことをして威厳を保とうと思ってな」
「そうですか。ならミルフィーユのやつでお願いします」
そして俺と先輩はクレープを食べながら再び歩き始めた。
「おいしいなクレープ。私のも食べるか? ほらっあーん」
綾乃先輩が口元にクレープを近づける。少し恥ずかしいが、せっかくなのでそのクレープを一口もらった。
「ってこれじゃあ間接キスになってしまうな、ははっ」
先輩が熱った自分の顔を仰いでいる。
おかしい。今日の先輩は変だ。
「あの何か隠してますよね? 今日行くところと何か関係があるんですか?」
「そっそんなことはないぞ。まったく何を言い出すんだ君は! そうだ! 今はデート中だからな、手を繋ぐぞ! ほらっ」
そう言って先輩が俺の手を取る。思ったよりもずっと小さいその手はすべすべしていて柔らかい。不覚にも綾乃先輩にドキドキしてしまう。
「君の手は意外とゴツゴツしていてやっぱり男の子なんだな」
触覚が人より鋭いと言っていた先輩は色んなことを感じ取れるらしい。自分から手をとっておいて俺よりもずっと恥ずかしそうにしている。そのはずみでより強く手が握られる。
途端にデートっぽい感じになった。なぜか綾乃先輩も黙ってしまって気まずい。周りから見たら普通のカップルに見えるだろう。
「先輩、今日行く場所っていったい」
「もう君は本当にせっかちだな。もう少し我慢するんだ」
先輩が優しく諭すように言う。そして再びむず痒い沈黙が訪れた。
「よし着いたぞ。ここだ」
先輩に連れてこられたのは本屋だった。それも普通の本屋ではなく主に漫画やライトノベルを扱っている店だ。俺も時々脚を運ぶ。ここにしか売っていない本や漫画もあるし、なにより同人誌を買おうと思ったら普通の書店ではなくこっちのお店に来る必要があるのだ。
「君は来たことがあるのか?」
「まあ、漫画を買いに来たことがありますね」
実際に買ったのはエロ漫画だがまあ嘘ではないのでいいだろう。普段は電子で買うが電子を出さないあるいは半年近く遅れて出すという作家さんもいるため、そういう時はここに来て買い家族にバレないように学校のロッカーに隠すのだ。
「よし、じゃあ行こうか」
「えっ行くってどこに」
握ったままの手を引っ張り先輩が店の奥に入る。そこにはピンク色の垂れ幕がある。
「ちょっと先輩、まずいですって! 男女二人でそこに入るのは。しかも俺たち制服ですよ今!」
周りには普通に店員さんも他のお客さんもいる。絶対に止められる。
「大丈夫だ。私から手を離すんじゃないぞ」
店員さんの目の前をとって垂れ幕をくぐる。しかし何も言われない。それどころか俺たちに気づいてすらいないようだ。
「先輩これって」
「忍術だ」
空いた片方の手で先輩がにんにんとポーズをとる。くそっ可愛いな。
「でもこんなところに連れてきてどうするつもりですか?」
周りはエッチな本やアダルトグッズ、アダルトゲームがたくさん置いてある。目立つところには見覚えのある人気作品の姿も見えた。
「一ノ瀬君、先に言っておくが君は私の手を握っているから今は周りから認識されていない」
「はあ、確かにそうみたいですね。こんなことまでできるなんて凄いです」
「だが私一人ならともかく君もとなると難しくてな。大きな声を出したり暴れたりしないでくれ。特に手だけは離さないでくれ。入ってくる時も少し危なかったぞ」
「ええっとすみません」
「いや別に責めているわけではないんだ。ただ、君の言うとおり私たちは今、制服を着ていてここで見つかるとまずい。だからさっき言ったことには十分に気をつけてくれ」
「それはわかったんですけど、なんでここに」
先輩と手を繋いだままこう言うところにいるのは凄く変な気分だ。というか普通にムラムラする。先輩はどうしてここに俺を連れて来たんだ?
「よし、じゃあ行こう」
奥の方に進む。そして、先輩がある棚の前に立ち止まる。
ここはオリジナルの同人誌のコーナーか。上から売上順に本が並んでいる。へえ、知っている作品がほとんどだが見たこともない作品もあるな。紙書籍限定のものはあんまり把握できていな……
そこで今日の全てのことが繋がった。
ランキング10位、『蕩ける甘味を律して!』 作者アサギ。
表紙には俺と天宮と思しき人物が描かれている。何度か見たことのあるものだ。
「先輩……」
綾乃先輩を睨むと綾乃先輩が目を逸らした。
「無視しないでください! これはどういうことですか!?」
「こらっ大きい声を出すとバレるぞ!」
「それどころじゃないです!」
この人、ついにやりやがった。本当は首根っこでも掴んで問い詰めたいがさっき言われたことを思い出して動きを止める。今日やたら優しかったのやさっきの忠告はこれを見せるつもりだったからか!
「大丈夫だ、もちろん、名前は変えてある。ヒロインが甘見清香で竿役は一宮律だ」
「人をモデルにしたキャラのこと竿役って言わないでくださいよ。というか名前もほとんど変わってませんよね!」
俺なんか下の名前はそのままじゃないか。
「それはまあ仕方ないというか、昔からのファンを混乱させないためにもだな」
「えっじゃあ学校にこれを知っている人がいるってことですか」
先輩の漫画のファンが学校にいることはわかっていたが、俺をモデルにしたエロ漫画が世の中に出回っていることをそいつらは知っているってことか。どんな気持ちで俺と同じ学校に通っているんだそいつらは。
「ほらっ前に学校のファンの子から手紙とか来ていただろ。ついに全国から来るようになったぞ」
先輩がカバンから手紙やクッキーを取り出す。そこには“律様へ”と書かれていた。悪い気はしないがこれは流石にな。
「これ天宮は知っているんですか?」
「ああ、君が入院中にな。なんなら夏はイベントで売り子として頑張ってくれたぞ。本物そっくりだって話題になってたな。あっもちろん何人たりとも撮影はさせていないから大丈夫だ!」
そりゃモデル本人なんだからそっくりだろう。というか俺が病院で寝ている間にそんなことしていたのかあいつ。色々とまずいだろ。
「君にもちゃんと説明しておこうと思ってな。事後報告になってしまって本当にすまない」
「いやもうここまで来たらどうでもいいですけど。というより東京の店舗で10位って凄いですね。もうプロとして食っていけるんじゃ」
「ははっありがとう。でもそこまで甘くないよ」
「いやでもここまで人気なら仕事の話の一つでも来てそうですけど」
「来ていないことはないがまだ学生だからな。話を止めてもらってる。でも卒業したらぜひって言われてるんだ」
「本当に凄いですね。じゃあ卒業後は」
「……どうだろうな。やりたい気持ちはあるが両親になんて言えばいいのやら。大学に行きながらという手もあるが果たして両立できるかどうか」
先輩はじっと自身の同人誌を見つめている。めちゃくちゃな人だとは思っていたが、やっぱり人並みに進路のこととか悩んだりするんだな。
「先輩、これ買ってもいいですか?」
「いや私の家に少し在庫があるからそれを! これだけ迷惑をかけていて私こそ君にお金を払わないといけないのに!」
「いいんです。俺が買いたいんですから」
「それでも……せめてお金は出させてくれないか」
「じゃあ代わりにサインくださいよ」
「一ノ瀬君……」
先輩の本を手に取る。もしかしたら大物になるかもしれないし、そうなったらこの本のモデルってのも悪くないな。
そして二人でレジに向かう。
「あっでもこれじゃあ買えませんね」
「大丈夫だ。そのままレジへ行くぞ」
レジで不安ながらも商品を出す。これってまずいんじゃないか。女性の店員さんだし。しかもちょっとギャルっぽい店員だ。店長とか呼ばれたらどうしよう。
「あのお、この商品は未成年の方はー
「私だ」
「アサギ様っ!? というか隣、律様じゃん! えっどういうこと!? やばっ!」
店員が慌ててレジを通す。なんかいけたらしい。お金を出す。
「えっお金!? 受け取れないって! っていうか私がお金を出さなきゃいけないんじゃ」
「いやそんなことはないので大丈夫ですよ」
「生声やばっ」
「あの、すみません早くしてもらえますか」
「ひゃん♡ごめんなさい」
もしかしてファンの人間ってみんなこんな感じなのか。面倒臭いな。というかこんな人たちがたくさんいる場所に毎日通うの危なすぎるだろ。
それからレシートと商品を貰って店を出た。
「あれっレシートの裏になんか書いてある」
見ると連絡先が書いてあった。あのギャルなかなか積極的だな。
「まったく彼女は。一ノ瀬君への接触は禁止だとあれだけ言っているのに」
先輩が俺の手からレシートを奪い、丸めてポケットに入れた。
「そういえばあの人、先輩のこと知ってましたね」
「まあな。風紀委員会のいざこざを通して私も反省してな。ファンクラブの一部の子達と接触してルールも設けたんだ。彼女はその筆頭のきらら君だ。時々原稿の手伝いもしてくれている」
「へえ、そんなことを」
「君と天宮君を知っている人間からすればあのモデルが二人であることは一目瞭然だ。なのに私だけ正体を隠すのは不公平だろ。まあ、世間にバレるとややこしいから信頼できる人しか知らないが」
「なるほど。まあ接触禁止のルールとかは助かりますね」
「まあな。私がいうのものなんだが、君と接触したがっている子が一定数いるからな君も気をつけてくれ」
そんな人までいるのか。俺は一体どんなキャラとして書かれているんだ?
「今日は本当にありがとう。なんだか君は迷惑をかけてばかりだな」
「そんなことなくないですけど、まあお互い様です。先輩にはいつも助けられているので」
「そうか? そうならいいんだけどな」
先輩が気恥ずかしそうに笑う。こう見ると本当にただの女子高生にしか見えない。
「もう少しゆっくりしたかったがいい時間だな。これなら私も一日貰えばよかったな」
もう日が落ち始めていた。
「じゃあまた遊びに行きましょう」
実際は果たせるかどうかもわからない。無責任な言葉だと思う。
「うん、そうだな。ありがとう」
沈む夕日に先輩の無邪気な笑顔が照らされる。俺はほんのりと罪悪感を覚えた。
「ああ、これ私のSNSだ。よければフォローしてくれ」
先輩からIDの書かれた紙を渡され、それから別れた。
『ああん♡ ごめんなさい律さまあ♡』
綾乃先輩の漫画の中で天宮にそっくりの少女が俺にそっくりの男とS○Xしている。う〜ん、自分が竿役だとまったく集中できないな。絵は綺麗だし内容はめちゃくちゃ面白い。自分がモデルであることが非常に惜しまれた。
次に先輩のSNSを見る。名前はアサギで運営されておりとんでもない数のフォロワーがいる。
『今日は後輩の男の子とデート♡ 一緒に本屋に行きました!』という投稿に『嘘松乙』とか書かれている。他の返信なんかを見るとどうやら一部からはおっさんだと思われているらしい。というか俺も見ているのにこんな投稿するなよな。
ただ今日のデートは普通に楽しかった。それに昨日と同じで先輩のことをもっと知ることができた。諦めたわけじゃないが、部を離れなければいけないことがより惜しくなる。
部を辞めないで済むように対策を考えながら俺は眠りについた。