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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
風紀委員会編
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退院

退院前日

あれから2週間ほどが経ち歩けるようになったので退院することになった。田中さんの鬼リハビリのおかげだ。その間もかわるがわる皆がお見舞いに来てくれた。昔の自分では考えられない。

「やっと退院ですか。毎日毎日、女を連れ込みあなたは富豪か何かですか。唯一来た男はあの山男だけ。交友関係を見直した方がいいのでは?」

田中さんは恵先輩のことを女だと思っているらしい。ついでに山男というのは桜木先輩のことで、急に来た時は驚いた。

「別に今のままでもいいじゃないですか。そういう田中さんこそどうなんですか?」

「全員、結婚しました」

「そろそろお昼の時間ですね。今日は何を食べるんですか? ちゃんと野菜も食べないとダメですよ」

「あなたに私の悲しみがわかりますか。結婚はおろか彼氏もいない私が友人の惚気から始まり旦那の愚痴を経て最近では子供の自慢まで聞いているんです。もうこれは擬似的に結婚生活を送っていると言ってもいいでしょう。私、架空の結婚話させたら右に出る者がいないって自負してますからね」

そんな自負はすぐにでも捨ててしまえ。ダメだ、完全に田中さんがいつもの病みモードに入ってしまった。こうなったら何もつっこまずに聞き手に回る。

「それで私がこの前夜勤中にこっそりガ○プラを完成させた話をしたら、『へ~』って流されたんですよ。あいつらにとって子供や家庭の話以外はくだらないことなんです。そんな人間と友達?笑わせないでください。あんな交尾のことしか頭にない猿と同じにされてたまるかあ!」

「ちょっと物を投げないでくださいよ」

「でた正論。どうせあなたも私のことを晩婚化なんていう都市伝説を信じた哀れな女だと思っているんでしょう」

「いや思ってないですし、晩婚化は都市伝説じゃないですよ」

「晩婚化が都市伝説ではない……? じゃあ私は行き遅れのカビま○こではないと?」

「はい。田中さんは行き遅れじゃないですし、ま○こにカビも生えてません」

「そんなに優しくして……。まさか私のことを孕ませようと!? ちょっとトイレで検査してきますね」

「孕ませようとしてませんし、優しさだけで人は妊娠しないので検査も必要ないですよ。それに田中さんほどのいい女性を妊娠させたら、田中さんのことを密かに狙っていた紳士の方々に申し訳ないです」

田中さんが俺の方を見て黙る。これはどっちだ……

「フッ合格です。ご褒美にプリンを一つあげましょう」

「ありがとうございます!」

どうやら正解だったらしい。田中さんの機嫌が治った。田中さんが病室の冷蔵庫からプリンを取り出す。ちなみにこれは桜木先輩が買ってきてくれたもので6個入っていたもののうち4個はすでに田中さんの胃の中だ。

「いやしかし明日で退院なんてなんだか寂しいですね」

まだ腕は動かせないのでプリンを口に運んでもらう。3回に1回プリンが徴税されるが気にしない。3分の2も食べさせてくれるのだからありがたい話だ。不便なことや振り回されることばかりだったが、もう田中さんの罵倒が聞けないというのも少し寂しい気もする。いやそんなこともないか。

「ありがとうございますお客様。またお越しくださいませ」

「病院で絶対に言っちゃダメでしょ」

「そうですね。二度と来ないでください愚図」

「ありがとうございます」

これは優しさと受け取っておこう。病院なんてできれば来ない方がいいのだから。また怪我したら律花に合わせる顔がなくなるしな。

「そういえばお客さんが来てますよ。30分ぐらい前から」

「なんで早く通してくれないんですか!?」

「すみません、また違う女が来たのでムカついてつい」

そう言って田中さんがお客さんを呼びに行ってくれた。違う女? 誰だろう。来そうな人はだいたい来たけどな。もしかして菊門寺先輩かな。

「失礼します」

部屋に入ってきたのは梅野楓だった。


「大丈夫なのか? 精液が頭に逆流して命の危機だと看護師の方が言っていたが……」

「どうしてそれを信じるんだ」

しかし意外だ。梅野楓が見舞いに来るとは。てっきり、俺のことを恨んでいるものかと思ったが。

「それは?」

梅野が座ると同時に紙袋を机に置く。

「これは煎餅だ。家が菓子屋でな、美味しいから食べてみてくれ」

「そうですか……ありがとうございます」

「礼などいらん」

気まずい空気が流れる。この人は何をしにきたのだろうか。せっかく明日には退院できるというのに仇討ちでもされたらたまったものじゃない。

「今日はどういったご用件で」

制服姿にポニーテール、威圧的なつり目、前に見た時と同じその姿はなんとなく元気がなさそうにも見えた。

「私が来ては迷惑か?」

「いえ、そういうわけでは」

「冗談だ。困惑させてしまってすまない」

なんとなく調子が狂うな。実際この人と話したのは勝負の中ぐらいだった。その時は興奮状態だったのもありタメ口で話していた。

しかし、そもそも先輩だし普通に怖いので今は敬語を使う。そして何を話せばいいのかもわからない。

「まずはすまなかった。どんな理由であれお前たちを巻き込むべきではなかった」

「いや、俺は別にいいですよ。そもそも半分首を突っ込んだような形でしたし」

「それでもだ。同好会の奴らにも今度直接謝らせて欲しい。今日来た理由はまずそれだ。お前に最初に謝るべきだと思った」

ドアの向こうでは昼食を片付ける食器の音やゆったりとした昼休みの音楽が聞こえる。

「私はどこで間違えた?」

梅野先輩が唐突に口を開く。

「制服のジェンダーレス化自体は別に悪いことじゃなかったはずだ。世の中でも叫ばれている」

「俺もその是非とかはよくわかりません。まだまだガキなので。けど、それを導入して先輩に無理やりスカートを履かせることは本質的に何も変わらない気がします」

「私は無理に履かせるつもりはっ!」

「でも、履かなかったらきっと納得しなかったんじゃないですか?」

彼女らは恵先輩がスカートを履かない理由を他人に社会に求めただろう。求める先は間違っていない。しかしそこまでしたらきっと恵先輩の求めた普通の青春は間違いなく失われていただろう。

「じゃあ黙殺しろと?それではずっと何も変わらないままだ」

梅野先輩が拳を強く握る。

「俺に出来るのは先輩が素でいられる場所を作ることだけです。それを社会に敷衍する方法を俺は知りません。人の心が社会が変わるのを待つしかないのかもしれません」

そう言って俺は俯く。自分という子供の無力さに打ちひしがれながら。あるいは大人だってずっと己の無力さを嘆いているのかもしれない。

「私はそうは思わない。必ず人の心もすぐに変えてみせる。明日が無理だとしても、一日でも早く達成して一日でも多く彼らが本当の人生を送れるようにする。くだらない人間の常識や感情で誰かの人生が縛られるべきではない」

病室には長い2つの影が伸びている。

「私の失敗は委員長本人の声をちゃんと聞かなかったこと、それだけだ。だが、そのことがどれだけ委員長を傷つけていたかも今は痛いほどわかる。もう絶対にこんなことはしない」

「もしかしたら先輩みたいな人が社会を変えるのかもしれませんね。比べて俺は自分のことで精一杯の小さな人間です」

「それでもお前は委員長のことを守ったし助けた。傷つけた私とは真逆だ」

「……恵先輩とは話したんですか?」

「話をした……というよりは一方的に言われてしまったよ余計なお世話だと。私は何も言えなかった。謝ることすらできなかった」

「そうですか」

先輩が席を立つ。

「今回の件、心から礼を言う。それじゃあ、私はこのへんで」

その背中には哀愁が立ち込めている。窓の光を背中に受けて、部屋を立ち去ろうとする時

「委員長は私を許してくれるだろうか」

ふと溢す。

「いや、聞き流してくれ。私はなんて都合のいいことを……」

「まずはちゃんと謝ってからじゃないですか」

「そうだがもし拒絶されたらと思うと……いや、そもそも許されようという魂胆がいけない。私はどうしたら」

「じゃあ、俺に謝ったのは別に拒絶されてもいいからなんですか?」

少し意地悪そうに聞く。こういう責め方を天宮によくされるので真似てみた。

「いや、そういうわけじゃない! ただ、ただやはり怖いんだ。決定的に何かが変わって、壊れてしまうかもしれない」

戦っている時はあんなに怖かったこの人も実際は同じ子供、そして天宮達と同じ少女なのだ。こういう時、なんて言うべきかな。考えたがやはり浮かばないので

「頑張ってください梅野先輩!」

言われた先輩がこちらを振り返る。そして少し笑った。

「無責任なやつだなお前は」

「まぁ関係ないですから」

「そうだな……"関係ない"もんな。きっとお前からも委員長からも私という存在はそうなのだろう。だから筋を通してお願いしなくちゃいけないな」

結局人と人は他人同士だから一緒にいたいと思うなら、時に自分の心を差し置いても大事にしないといけないことがたくさんある。恵先輩のことが大好きなこの人ならまぁ大丈夫だろう。

「本当にすまないな。そしてありがとう。早く学校に来い。楽しみにしている」

「集団でいじめてこないですよね?」

「フッどうかな」

そう言って少し笑いながら先輩は部屋を後にした。この人の冗談、顔が怖いせいでかなりわかりづらい。今度、注意しよう。


そして、そんな退院前日を過ごした俺は今日ようやく学校に復帰したのだった。

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