夏の夜の夢
そこには息を呑む光景が広がっていた。
宙に舞う蛍の光は幻想的で、東京にこれだけの自然美が残っていたことに驚く。
暗い川に蛍の光が反射する様は、目前に星空が流れているようにも見える。
感動のあまり村上さんに話しかけようとしたが寸前でやめる。
彼女がこちらに人差し指を口元に当てるポーズをしていた。すでに録音が始まっているようだ。
耳を澄ませると夕方には聞こえなかった虫の音や、川の流れの音も変化も聞き取れた。
今の方がよほどASMR同好会らしい活動な気がする。というか、天宮とはまだそういう活動ほとんどしてないな。
ふと気づくと、村上さんが手招きをしている。
なるべく音がしないように近づき、さっきと同じ間隔で少し空けて座る。
どうした?
口元の動きで伝える。
すると村上さんがすぐ隣に寄ってきた。ほんのり優しい香りがする。
そして、俺の耳元で囁く。
「さっき、方言のこと何も言わんかったね」
言葉を返そうとしたが、小声で伝えるのに今の体制は難しい。村上さんは続ける。
「ありがとね」
それだけ言うと、村上さんはまた元の間隔まで戻っていく。
突然の接近に流石の驚き心臓が早く鳴っている。レコーダーにのらないか心配になるほどだ。俺は必死に平静を取り戻す。
さっきのはどういう意味だろうか。色々と考えてみたがわかりそうもない。
そこにはただ蛍の光と残る村上さんの優しい匂いが微かに残っているだけだった。
あれから特に何も起こらず、俺は村上さんを家の近くまで送って帰った。
その間も特に会話は無かった気がする。
俺は帰りながらあの風景を想い、果たしてこれは夢だったのではないかと感じた。