夏の夕の夢
俺は天宮に一つの条件をつけていた。
それは来月中旬にある外部模試で志望校の判定を一つ上げることだ。
現在、律花は俺らの通う前立高校を志望しているが、判定はずっとEのまま。よって、天宮は律花にD判定以上を取らせればいいことになる。
ここまで条件を課すのは酷かもしれないが律花の進学ひいては人生がかかっている以上はなんちゃって家庭教師では困る。
そして、代わりと言ってはなんだが俺も別の使命を帯びている。
それは同好会設立に必要な三人目を勧誘することだ。
あの金曜日から4日、二人の仲も縮まりついに不要になった俺はその使命を果たすべく行動を開始していた。
「確かこのあたりのはず……」
俺は、学校の近くの山の中にきていた。近いと言っても自転車で15分くらいかかり、歩いていくのに骨が折れると判断した俺は珍しく自転車通学をした。
今は自転車をふもとに止めて山の中に入っている。植物が生い茂っており、鳥の鳴き声も聞こえる。街の中と比べて空気が澄んでいて、なんとなく涼しく感じる。
夕日に包まれた山はどこか郷愁を感じさせるものがある。
「こんなところで一体何してるんだ?」
天宮からは放課後にこの場所にいるとしか聞いていない。まともであって欲しいと思うが、放課後に一人でこんなところにいるような奴は天宮枠の可能性が高い。
そんなことを考えていると、川のそばに制服姿の少女が座っているのが見える。
「君が村上千春さん?」
近くで見ると思ったよりも小柄で、天宮よりも一回り小さい。ツインテールの髪が学校のセーラ服とよくあっている。
「……誰?」
少し責めるような目つきでこちらを見ている。
お邪魔しただろうか?
「ああ、すまない。俺は一ノ瀬律、前立高校の1年だ」
「何の用?」
よく見ると、手に何か機材を持っている。手から少し余るくらいのサイズのリモコンのようなものだ。
「それは?」
「……何の用?」
かなり冷たい。まあでも天宮から見た俺も実際、こんな感じだったのかもしれない。
「君を同好会に勧誘したい。別に名前を貸してくれるだけでもいいんだが」
そう言うと、村上さんはその目をきっと見開く。
「お前、あの痴女の仲間やろ!」
村上さんがはっとして押し黙る。
やろ?
方言かな。確か、九州の方でそういう方言があったと思う。
「たしかにあの痴女と同じ同好会を作ろうとしてるけど、俺は別に仲間ってわけじゃないんだ」
あの痴女と同類扱いは困る、というか普通に嫌だ。
「同好会を作りたくて名前だけでも貸して欲しいんだ。この時期になると他の部活に入っていない人ってほとんどいなくて」
村上さんはじっと黙って、自分の手元の機械を見ている。よく見るとそれはレコーダーだった。
天宮に同好会に誘われてから、録音機材を何となく調べていたから見覚えがある。
「それってレコーダーだよな?どうして」
調べると機材はレコーダーだけでもなかなかの値段で、学生の財布には厳しい。
天宮も村上さんも家が太くて羨ましい。
「……レコーダーってわかってるなら、話しかけないで」
ごもっともだ。これ以上相手の機嫌を損ねても何だし今日は帰るとするか。
これ、村上さんを説得できるまでしばらく山中に通うのか。つらいな。
「じゃあ、今日は帰るよ」
俺はそう言いながら振り返る。夏で日が落ちるのが遅いとはいえ、あまり遅くまでこんな山の中にいたくない。
「……ASMR好きなの?」
後ろから村上さんが話しかけてきた。
「まあ、一応好きだよ。ASMR同好会なんてトンチキな集まりを作ろうとしているぐらいだからな」
「私は環境音、雨とか川の音のやつが好き……最初は聞くだけやったんやけど最近は自分で録ってる」
また少し方言が出ているが、意味は何となく伝わる。村上さんは東京生まれではないのだろうか。
「へえ、すごいじゃないか。俺は聞く専門で録ろうとしたことはないな。まあ、同好会ができたらそういうこともあるかもしれないが」
ということは、もしかして今はこの川の音を録音していたのか。悪いことをしたな。
「邪魔したな、すまない」
「……いやいい。これは時間を潰していただけ。本番はこれからだから」
「まだ何か録るのか?」
「夜になると、ここは蛍がたくさん出て綺麗。その時の音を録って他の時間と比べてみたい」
「そうか。なら俺も一緒にいていいか?」
そう言いながら俺は村上さんと一人分ぐらいのスペースを空けて座る。
村上さんが夜までいるつもりなら一人にするのはよくないだろう。
街が近いとはいえ、普通に山の中だし山を降りてから家までの道もある。
「……別にいいけど、暇だと思う。録音中は喋れないし、物音を立てないために動けないし」
「いいよ、最近は周りが少し騒々しくてゆっくりできなかったんだ。それに俺も家に早く帰りたくない理由もあるし」
「……そう」
そこからは特に会話はなかった。二人とも各々やりたいことをやって時間を潰した。
日が落ちて夜になった。