顧問の先生
職員室 朝
「ASMR部の顧問をお願いできないでしょうか」
担任の芽吹先生に頭を下げる。
芽吹先生がコーヒーカップを置く音が静かな職員室に響く。淹れたてのコーヒーのいい香りがする。
「ん? ああ、そういう感じか。いいよ」
芽吹先生は棒付きキャンディをぷらぷらさせながらあっさりと言う。
「えっ、いいんですか?そんな簡単に」
「まあな。この前まで担当してた部活が色々あって廃部になってな。ちょうどフリーだったんだよ」
それはなんともタイミングのいい話だ。
「でもお前ら4人だろ? あと、一人は当てがあるのか?」
「はい、今日の昼に会いに行くんです。たしか、2年の御園マリア先輩……だった気がします」
「げっ」
先生のキャンディを振る手がピタッと止まる。
「先生、ご存知なんですか?」
「……まあな。というか、私が担当してた部活にいたのが御園だ。色々と人格に問題があるやつでな」
芽吹先生にそこまで言わせるなんて、綾乃先輩の人選はどうなっているんだ。
「まあ、でも顧問の先生が見つかってよかったです。勧誘がうまくいけば、明日には部活を作ろうと思うので、その時はお願いします」
もう一度、先生にお辞儀する。
「それは……思ったより早いな」
先生がぼそっと呟く。
「何か問題がありましたか?」
「ん〜なんとかなるのか……? でもこれはいい機会な気も……」
ぶつぶつ言いながら先生は一人で考え込んでしまった。何か不都合があったのだろうか。俺達としては早い方がいいが、多少は先生の都合に合わせることもできる。
「……私はいいが、お前はそれでいいのか?」
それから少し間をおいて先生が言った。
「それは、どういう意味ですか?」
先生は答えずに、キャンディを咥えて宙を見ている。
「今日が水曜日だから……そうだな、金曜日まで考えてみろ。それでも今部活を作るって言うならそれでいい」
「わかりました」
生徒のことを生徒以上によく見ているこの人が言うのなら、何か意図があるのだろう。
「そういえば、怪我の方はどうなんだ?」
先生が俺の右腕のギプスを見ながらいう。色々と気にかけてもらって申し訳ない。
「経過はかなり順調です。病院の先生が驚いていました。細かいデータを取りたいぐらいだって」
綾乃先輩からもらった謎の塗り薬を塗っているから、データを取られると話がややこしいので丁重に断ったが。
「へえ、そうなのか。右耳も怪我したんだろ。授業中は聞き取れるのか?」
「それも平気です。右耳も日常生活に支障のない範囲で機能してますから。色々とご心配かけてすみません」
「ん?いや、いいんだ。私の方こそ色々と聞いて悪かったな。ほら、早く教室に戻れ」
先生がデスクに居直り、作業に戻る。
俺はもう一度、深くお辞儀をしてから職員室を後にする。先生はいつもお辞儀なんていらないと言いたげに追い払うような仕草で手を振るが、俺はこの人にはちゃんとお辞儀をするようにしている。
本当の意味で自分を見ていてくれる大人の存在というのは実にありがたいものだと最近は深く思うからだ。
そうして、ゆっくりと職員室の扉を閉めてから俺は職員室を後にした。