軽やかな一歩
先輩がいる座標が確定した段階で、日が沈み、その日は解散となった。街灯に照らされる夜道を天宮と並んで歩く。
「綾乃先輩、大丈夫でしょうか」
「まあ、とは言っても自分の娘だろう。それに傷つけたりすることが目的じゃない。だから酷い目に遭ってはいないだろうけど……」
エロ漫画は描けていないだろう。一日描かないだけで三日分差が出ると言って、ストイックにエロ漫画を描いていたあの人には苦痛だろう。
「床に血や涙でエロ漫画描いてたりして」
「どんな昔話だよ」
あの人なら少しあり得そうなのが怖い。
「上手くいくといいですね」
「こっちも相当なメンバーがいるからな。あっちもかなり手強いだろうけど、何とかなるんじゃないか」
「九重さんが作戦を立ててくれるんですよね」
こういうことは彼女が適任だと言って十叶先輩が呼び出していた。
「どうも十叶が失脚して暇になった九重です」
「ずいぶんと卑屈だな……」
「すでに会長補佐でもないのに急に呼び出され、それに応えられるほど暇な九重は全く卑屈になってはいませんが」
「わかった。急に呼んで悪かった」
なんて面倒なやり取りをその失脚の原因としてかなり気まずく拝聴した。本当は早く助けに行きたいところだけど、九重さんから3日は欲しいと言われた。本来は1ヶ月以上欲しいところを、それが最大の譲歩らしい。
したがって、俺たちはひとまず九重さんの報告を待つしかなかった。
「もう助けられるかどうかは置いておいて、天宮はどう思う?」
「何がですか?」
「……綾乃先輩は俺たちが来て喜ぶと思うか?」
「どうしました? めずらしく弱気ですか?」
「いいやそうじゃない。ただ、ちょっと気になってな。手紙のこともあるし」
「やっぱり弱気ですよ。あなたが人を助けるのに相手の気持ちなんか関係ないでしょう。だから帰零先輩を助けたんじゃないんですか?」
「そうだけどさ。それがいいことなのかどうか。実際にエロ漫画家になるって言ってそれを親が止めようとするのは当たり前と言えば当たり前だろ?」
「それはそうですね」
「こういう家庭の問題に踏み込んでいいのかなって」
「それを今更、私に言うんですか?」
たしかに天宮はすでに俺の家の事情どころか家自体にもズカズカと入り浸っている。
「先輩から助けてと言われたわけでもない。命の危機が迫っているわけでもない。なのに他人の家にズカズカと押し入っていいのかってことですよね」
「まとめると、そうだな」
「う〜ん」
天宮が顎に手を当てて体を横にひねり、わざとらしいほどの悩むそぶりをする。それからパッと素ぶりをやめて
「余計なお世話ですね。大袈裟でもあります」
「……やっぱりか」
たった数日学校に来てないだけで、ここまでするなんて、ここ半年の生活で戦闘癖みたいなのがついたのかもしれない。
「でも」
「?」
天宮が俺の前に回って、覗き込むような体制で笑う。
「何日も学校に来てない友人がいて、心配で家まで様子を見にいくのは全然普通です」
「……」
「だから行きましょう? 律さん」
そしてぴょんと跳ねて街灯の下に出た天宮は、そのサラサラとこぼれる光の下で無邪気に笑っている。
「いいんですよ、あの人に怒られたって。律さんは自分がすべきと思ったことをすれば」
「自分勝手じゃないかな」
「あははっ、少なくとも大学に行かずにエロ漫画家になるって人に怒られるほどじゃありません」
それを聞いて思わず吹き出してしまう。
「だな。そもそもあの手紙もちょっとヒロインチックすぎるよな」
「そうですよ。捕まった瞬間に急に湿っぽくして」
「全く手のかかる先輩だ」
「ええ、本当に。人格排泄ゼリーになっちゃう前に助けてあげないと」
「それは先輩の肛門括約筋に頑張ってもらうしかないな」
そんな冗談を交わしながら、二人で家に帰った。
「いやお前はいつまで俺の家に入り浸るんだ」
当然無視された。




