後日談2 村上千春
昼過ぎ
「失礼します」
病室のドアが開く。
「可愛い同級生だと思いましたか? 残念、私です」
田中さんが入ってくる。右耳の使えない今の俺は人の接近ぐらいならわかるが、細かい判別は難しい。だから田中さんのこのくだらないボケの被害に何度もあっている。
時間的に次の面会者が来ると思ったのに……
「昼休憩の時間でしょ。何で来るんですか?」
田中さんは入ってくるとすぐに椅子に座り、持ち込んだコンビニの袋をガサガサと漁る。
「まずは『残念なんて滅相もない、田中さんが来てくれるのが一番嬉しいぜ』でしょう?」
面倒臭いなこの人。俺そんなキャラじゃないし。あと俺の部屋でスパイシーチキン食うのやめて。
「私が昼休憩にここに来るのは職場の人間関係が面倒臭いからです。お局の機嫌とりより便所飯の方がましですからね」
この人は俺の病室を便所だと思っていたのか。
「あなたは私に惚れている面倒な患者で立場を利用して休憩中にも私を呼び出している設定なので、他のスタッフにはそのように振る舞ってくださいね」
「なんてことするんですか!? 」
最近、他のスタッフから避けられていたのはこの人のせいだったのか。しかも設定に見栄が透けて見えるのが腹立つな。
田中さんが大きくため息をつく。
「ああ、あと面会者が来ています」
「えっ、最初に言ってくださいよ」
「ええっと、確か4人目の妹さんでしたね。両親の少子化対策への貢献は素晴らしいです。まあ、弱者男性のあなたには子供が作れないのでプラマイ0ですけど」
「いや、妹がそんなにいたら大変ですよ。一人っ子のあなたにはわからないでしょうけど。あと、最後めちゃくちゃ酷いこと言いませんでした?」
田中さんが食べ終わったゴミを部屋のゴミ箱に捨てる。そして油で汚れた手を俺の病衣で拭いた。無法すぎるな、この人。
「私、妹いますが」
「えっ、大丈夫なんですか?」
妹さんが心配すぎる。
「私の両親の性欲は私一人産んだくらいでは収まらなかったようですね。ところで、さっきのはどういう意味ですか?」
そのままの意味だけどな。目が怖いから言わないけど。
「というか、面会者を呼んでくださいよ。いつまで待たせるんですか」
「チッ。少し待てよ、この早漏野郎。私がサラダ食ってんだろうが」
田中さんが小声で悪態をつく。いや普通に聞こえてるから。
それから昼食をとり終えた田中さんが面会者を通してくれた。
それからあの人は悪態をつきながら、残りの休み時間でお局の機嫌をとりに行った。
「失礼します、くさっ!」
チキンの匂いが充満する病室に入ってきたのは制服を着た千春だった。
そのまま田中さんが出しっぱなしにして行った椅子に座る。
「タイミング悪くてごめんね。昼食中やったんやろ?」
「いや、違うけど」
「えっ?でもさっき看護師の人が昼食をとるけん待っとってって言っとたけど」
それは俺の昼食じゃなくて田中さんの昼食だ。
「……髪切ったんだな」
いつものツインテールは無く髪は首元ぐらいまでの長さになっている。ショートのウルフカットだ。
「別にそんなに早く決別することもないと思うが」
「えっ?ああ、別にこれはそういう意味やなかよ。こないだのことで髪の毛がダメになったけん」
そう言いながら照れくさそうに後ろ髪を触る。
「それに似合ってなかったやろ?あの髪型」
確かに大人っぽい雰囲気のある千春には今の髪型の方が似合っているかもしれない。
どことなく気まずい雰囲気がある。どこから話すべきか。
「律……今日は大事な話があると」
千春が居直ってこっちを見る。その眼差しは真っ直ぐだが、少しだけ不安に揺れているのがわかる。
「私のことは許さんでもよかよ」
「どういう意味だ?」
「今回の件、私の身勝手でたくさんの人に迷惑をかけた。律なんて当の私よりもずっと酷い怪我をしとる」
「……」
「天宮さんと服部先輩と一緒に来んやったのは、二人がおると律は『許さない』って言えないと思ったけん」
そんなことを考えていたのか。天宮と先輩が気にしていたのはこういうことらしい。
「同好会は、人数的に私がいなくても成立するんやろ。名前だけ貸して欲しいならもちろん貸す。だから……」
「嘘ついたのか」
「えっ」
「あの時、お前も一緒に同好会作りたいって言っただろ」
千春が気を失う前、俺にやり残したことはないかと聞いた時。千春を含めたみんなで同好会を作りたいと言った俺に千春は頷いてくれた。
「嘘じゃなか。私もみんなと同好会におりたい。でも……」
千春はスカートをギュッと握り込んで涙を堪えている。
「千春、少しこっちに寄ってくれないか。もう少し頭下げて」
それから律花と同じように包帯でぐるぐる巻きの腕でその頭を撫でる。今の俺にはこのぐらいのことしかできないが、今はそれで十分だ。
「気にするなとは言わない。それができないからこうしてるんだろうからな。もちろん、大変な思いもしたし、今だって苦労はしてる」
主に担当看護師のせいだが。
「でもさ、それでもやっぱり一緒にいたいよ。何回も言ったかもしれないけど、そこだけは変わらない。それ以外のことはわりとどうでもいいんだ俺」
心に従って話す。
「でも私、私……ごめんね、ごめんねこんなことになって」
千春が泣き出してしまう。
「今回の件で泣くのはこれが最後な。苦手なんだよ、そういうの」
千春が次々に流れる涙を拭いながら頷いてくれる。
「それにこれからはきっと楽しいことばかりだ。騒がしくなるぞ」
笑って言う。俺も実は楽しみにしているのだ。
「こんな私でも一緒にいていいの?」
「ああ、当たり前だ。だから、そんな自分のことをあんまり卑下しないでくれ」
“こんな”なんて言わないでほしい。俺としては今回の件を千春にとってマイナスな出来事ではなく、未来に進むために必要なことだったと明るく考えて欲しいと思っている。
「これからもきっとたくさん迷惑かけるばい?」
「それはきっと俺もだ」
「困った時、すぐ頼ってしまうと思う……」
「ああ、そうしてくれ。仲間だからな」
「それに結構、面倒くさかよ?私……」
「いいよ。そもそも天宮とかいう怪物もいるからな。一人増えても同じさ」
千春はそこでやっと泣き止んだ。
それから面会終了時間まで千春と他愛もない話をして過ごした。
「0点ですね」
一人になった病室に田中さんが来てから言う。
「えっ、何が?」
「ばっちりセットされた新しい髪型。香りなどからして、ここに来る前にわざわざ美容室に行ってきたのでしょう」
そうなのか、気づかなかった。
「そんな彼女に『別にそんなに早く決別することもないと思うが』の一言だけ。文学者気取りですか?」
そう言われると、確かによくなかったかもしれない。ただ、この人に説教されるのはなんか納得いかないな。
「というか、なんで知っているんですか?」
「監視カメラでずっと見てましたから」
この部屋、カメラなんてあったのか。そういえば、目を覚ました次の日ぐらいにそんな同意書を書かされたような。というか働けよ、この人は。
「極め付けはその包帯ぐるぐるの手で彼女のセットされた髪をわしゃわしゃと。泣いていたじゃないですか」
えっ、それで泣いてたの!? 違うだろ!違うよな?違うと信じたい。
「これだから恋愛も“れ”の文字も知らないガキは」
「いや、田中さんも知らないでしょ」
その日以降田中さんの注射がクソエイムになったことを除いて特段の変化もなく、お見舞いに来てくれるみんなと他愛もない日々を送った。
そして、夏休み終盤に俺は無事退院した。