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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
獅子宮帰零編
224/252

そのまま君を抱きしめた

 激しい水音と白く飛び立つ水泡、それから視界が深い青に包まれる。

 最初よりも高さがないから、気を失うような衝撃はない。それでも身動きを封じる鎖はどんどん海の底へと俺を引きずってゆく。

 その先で帰零先輩が沈んでいるのが見える。

 おそらく肺の中の空気を全て吐いたのだろう、本来なら少なからず浮くはずの体が俺同様に沈んでいっている。だが、鎖の重み分、俺の方が早い。

「っ!!?」

 帰零先輩の体を被さるようにして捕まえる。

 まだ意識が飛びきっていない帰零先輩は抵抗しようとするも疲弊し酸素の足りない体はうまく動かない。

 だから俺は──

 先輩の衣装、その胸元に強引に顔を埋めた。


「〜〜〜!!?」

 おっぱいの感触とか、一瞬だけ見えたような見えなかったような桜色の部分とかは気にする余裕は一寸もない。

 ほんの一瞬の油断、見逃しが命取りになる。

 そう、俺は見ていた。先輩が手錠の鍵を胸元から取り出していたのを。

 しかし確率はよくて二分の一。

 先輩の体重からするに、例の健康的な太ももはダミーで、あれは様々な手品のタネを隠すための収納スペースだ。あっちにある可能性もある。

 ──そもそも持っていない──という可能性は今は考えない。

 どこだっ!

 胸元で暴れ回る俺から逃れるように先輩が体をよじり、時々頭をひっぱる。

 どんなに強がって死ぬといったところで、嫌なものは

 罪悪感がすごいが、こっちも命がかかっている。先輩を半ば脱がせるぐらいの気持ちで

 衣装に歯を立てる。もちろん、鍵が出てきた時に見逃さないように注意を払いながら。


 どんどん景色の青が濃くなってゆく。

「……」

 ぼおっと、半分消え掛かった意識で先輩が見ている。賭けに負けた俺を。

 鎖のせいで体勢を変えることは難しい。そうでなくても、体力的にこれから先輩の太ももまで調べる力は俺にはなかった。

 諦めたようにはだけた先輩の胸元に顔を埋める。

 柔らかく白い肌の奥から小さく心音が聞こえた。

 しかし、もはや手の打ちようがない俺は、最後の抵抗にその柔らかい胸をはむはむと噛んだ。

「……」

 それを黙って見ている先輩の手にはいつの間にか、鍵が握られている。

「!?」

 どこまでも帰零先輩は俺の上手らしく、素人がタネを見破ったつもりが、全くの見当はずれだったらしい。そんな観客を憐れんで出した鍵を俺の手に渡し、そして

 俺を真横に蹴飛ばした。


「っ!」

 鍵を受け取った瞬間、その一瞬の油断と共に蹴飛ばされ、体がバラバラになる。

 俺は決して鍵を手元からこぼさないように気をつけながら、すぐに鎖を解く。

 呼吸はすでに辛い。

 水圧で体のあちこちがおかしい。

 着水時に折れた足の骨が思い出したように痛みを訴える。

 今すぐ酸素が欲しい。

 疲弊とストレスと生存本能がサイレンのように上へ上へと浮上を叫ぶ。


 そんなこと俺はわかっている。

 彼女も分かっていた。

 だから、鍵を渡した。

 もう助けられないから。もうこの物語は決着したから。

 主人公のなりそこないとヒロインのなりそこないが、助けられずに助けられなかった。

 わかってる。そんなこともわかっている。

 だけど、だからこそ


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 体が浮かないように鎖を持ちながら水を勢いよく蹴る。

 全身の感覚が無茶苦茶で、高熱の中で全力疾走しているような、現実と夢の区別さえつかない感覚。

 そんな無茶苦茶なまま、喧嘩で襟元を掴むように、乱暴に先輩の衣装を掴む。同時に鎖を離す。

 浮いて浮いて浮いて、それからやっと

「〜〜〜〜っは!!」

 海上に出て、息を吸う。

「ゲホっ、君は本当に!」

「もう観念してください!」

 先輩が溢れた胸を衣装で隠しながら、俺から離れるように暴れる。

 それを強く、抱きしめる。

「なんのつもりっ!! 離して!」

 先輩が暴れて激しく波打つ。それは駄々をこねる子供のようにも見える。

「嫌です!」

「なんで!」

「死なせたくないから!」

「その態度が無責任だって、どうしてわからない!! お前はあの父親と同じだ。命を与えて、それから先は関知しない。それで善人のつもりか!」

「そうかもしれない! いやそうだ! 俺は偽善者だ! それでも、俺はあなたに生きていて欲しい!」

 どうして伝わらないのか。

「黙れ! 生きることがどれだけ大変で、どれだけ苦しいのか知らないくせにそんなことを言うな」

 伝わってほしい。

「わからない! あんたのことも、あんたの苦しみも!

 でも目の前で死ぬほど苦しい人がいたら、震えて泣いている人がいたら、抱きしめたいよ!

 こんな世界はクソだし、俺はそれを変えれない! 希望も示せない!

 でも、そんな俺が、そんな役立たずの俺が

 それでもそんな無力感に打ちのめされながらでもあんたの隣にいるって言ってんだ!

 世界が誰かを殺したいほど憎いなら、俺が殺してやるし、俺を殺してくれていい!

 だけど、そういう人間があんたにもいるって気づいてくれよ!

 それを伝えたいから! 伝わって欲しいから!」

 やっぱり強く抱きしめる。

 伝わって欲しいよ。伝わってくれよ。

 いつの間にか、夕焼け色の波は穏やかに二人を揺らしている。

「君は最低だ……」

「それでも、あなたに生きていて欲しいと願う人間が一人、ここにいます」

「……」

 先輩の顔を見る。

 少しだけ赤く腫れた目、変わらない青いピアス、濡らした海がそのまま染み入ったような青黒い髪、ほんのり紅い唇。

「どうします? それでも、やっぱり死にますか? 俺は構わない。一緒に何度でも沈んでやる。たとえもう戻れなくても」

 ここまで言っても死ぬと言うなら、先輩のような人が死ななければいけないというのなら、その時こそ死んでもかまわない。

「君は勘違いしているよ。私が君が思うようないい人間じゃない。君を殺そうともした」

「いいですよ」

「馬鹿だね、君は。ここで私が死ぬって言ったらどうするの?」

「それはもう言いました」

「そんなこと言ってると天宮ちゃんに怒られるんじゃないかい」

「その時は、おとなしく怒られますよ」


 すぐに鎖と一緒に天宮が降りてきた。

「なんで抱き合ってるんですか! なんで帰零先輩のおっぱいは弾けてるんですか! こっちがどんな思いでいたかも知らないで、何やってるんですか!」

 泣き目になりながら早口で罵り立ててくる。

「頼む、引き上げてくれ。もう、限界だ」

「嫌です変態! 水中で先輩に痴漢するなんて、どんな高度なプレイですか! 水中痴漢法ですか!」

「ちょっとうまいな。でも早く引き上げてくれ、死にそうだ」

 冬ではないといえ、疲弊した体に夕方の海はあまりに冷たい。

「帰零先輩、こっちです。その変態からすぐ離れてください」

 そして、天宮が帰零先輩の体に鎖についたフックのようなもので先輩の体を固定している。

 どうやら俺が再び落ちた後につけたらしい。もう先輩が落ちないようにと、瀕死の状態で上がってきた俺らを引き上げるためだろう。

 天宮なりの配慮と、そして

「信頼してくれてたんだな。戻ってくるって」

「いいえ別に。自分から命を捨てるようなことしたら、もう助けないって言いましたよね?」

「そんなこと言ったっけ?」

 もう色々ありすぎて覚えていない。

「律さん、助かりたかったら、鎖を自分で持ってくださいね」

「……まじか」

 どうやらあの時間で用意できたのは一人分らしい。にしても最初みたいに鎖をうまく結ぶとかしてくれていいのに。

 そして本当に最後の力を振り絞って俺は登ってゆく鎖に捕まって、地上へと戻った。

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