救命
──起きて─────────
──起きてください
懐かしい声。
不思議なことに海の中で意識を取り戻した時、最初に感じたのは熱だった。
見るとポケットが燃えるように煌々と光っている。熱を感じるから本当に燃えているのかもしれない。
「っ──!?」
息が!
海の中。状況を思い出す。鎖で体はどんどん沈んでいく。隣では帰零先輩が気を失っている。
どれくらい息はもつ? 俺はまだ大丈夫──だが、帰零先輩はだめだ。
こういう時はどうしたらいい。いや、考えている暇はない。
手錠で繋がった手を引き寄せて、帰零先輩の頭に手を伸ばす。そして
口で口を塞ぐ。
意味があるかわからない。だが、とにかく水がこれ以上入るのは防げる。
しかし、帰零先輩は意識がなく、息もかなり苦しい。
(あのバカっ、早く来い!)
帰零先輩とのドライブ中にずっと後ろからついて来ていた車の音。
確証はなかったが、飛び降りる中で誰かがこっちへ走ってきていた。
おそらく、いや絶対に天宮だ。
瞬間、矢のように水を打つ音が聞こえる。
優しく、鋭く、洗練された音。
音のした方を見る。
「んんんんん〜〜〜〜!!!」
「んんっ!!」
天宮だった。
どんどん沈む俺と帰零先輩に対して、手に纏った気持ちの悪い物体を絡ませる。
すると、ある地点で降下が止まる。
ピンク色の液体、いや今は固体になっているものには見覚えがある。
前に恵先輩と浴びた瞬間硬化媚薬ゼリーだ。水中でも作用するとは。
天宮は鎖を解こうとしているが
(だめだ、鍵だ! 鍵がいる!)
解けない。鎖をつなぐ南京錠を指差す。
「んおにふふひははなひひふふな(人にキスしながら指示するな!)」
「ひっっへふははは(言ってる場合か!)」
まずいっ、息が苦しい。意識がまた……こんなやりとりが最後なんて。
そして天宮も呼吸が足りず、見切りをつけて水上へと戻っていった。
息が苦しくなって、意識が朦朧としてくると今まで気にならなかったことが気になる。
あるいは自分の体温が低いからかもしれない。
帰零先輩の唇の柔らかい感触を感じる。海の中でもほんのりと生きた人間の熱を感じる。
この人に、そういう熱があることがなぜか凄く切なくて、同時に嬉しく感じる。そして、やっぱり、惜しいと悔しいと思う。
体を水中で繋いでいたゼリーがその重さに耐えきれず崩れる。再び、体は海の底へと沈み始めた。
そして、そんなことも気にならないほど意識が遠のく。
それでも帰零先輩の体を強く抱きしめる。この人にはきっとそれが必要だ。
沈みながら思う。
みんなにも、特に天宮には申し訳ない。きっと消えない罪悪感を抱くことになる。
千春に返事もできてない。綾乃先輩には今まであんなに助けられてたのに結局こうなった。
御園先輩も恵先輩も悲しむにたいがいない。
十叶先輩は絶対に自分を許さないだろう。この出来事は彼女の人生にとってきっと致命的だ。
だから死ぬわけにはいかないはず……だが
景色が暗くなってゆく。
遠くでまた音がした。今度は何か重いものが潜るような音。
ほとんど消えかかった意識が、それでも落ちてきた糸のようなそれを掴む。
すると次第に景色が明るみ始める。
「っはっ〜〜〜〜〜〜〜!!!」
気がつくと、海面が下にある。
「うおっ!!?」
「あまり動かないでください! この鎖は結んでいるだけなんですから」
「これは……」
俺の動きを封じる鎖に対してもう一本の鎖が結ばれている。そしてその鎖は崖の上まで繋がっていて、少しずつ上昇している。
「帰零先輩のトラックにおそらく予備と思われる鎖があったので、それを車に繋いで引っ張っています」
「なるほど」
「結ばないといけないのに、律さんが鎖を掴んじゃうので大変でしたよ」
「それは……悪かった」
こっちとしては最後の力を振り絞って掴んだんだが、迷惑だったとは。
「でも、なら最初からそうすれば」
「準備に時間がかかりますから。私が最初に来たのは律さんたちをまず見つけることと、沈まないように応急処置をするためだったんです」
「そうか」
天宮は「結局、ゼリーも砕けて沈んでいましたけどね」と言っていて、こんな危ない状況だったのにどこか呑気にも感じる。まあ、それは俺も同じで
「来てくれるって信じてたぞ」
なんて言葉を言ってしまう。
さっきまで呆れたような顔をしていた天宮の顔が途端に険しくなる。
「律さん……こう見えて、私、怒ってますからね」
「ああ、また迷惑かけてすまなかったな」
と、苦笑いで返すと、天宮の顔はますます怒って、冷たささえ感じるようなその表情になる。そんな表情を見るのは初めてのような気がした。
「そういうことじゃないんですよ。本当に分かってない。今度、こんなことしたら助けませんからね。後でちゃんと話しましょう」
流石に穏やかではなく、俺は黙って俯いてしまった。
「んっ……」
その時、俺のすぐ近くで小さな呻き声がする。
「これ……は……」
帰零先輩が目を覚ました。