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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
恋の柳川紀行編
209/253

神隠し

一隻の舟はしんとして水面の上を滑り続ける。

ただ、二人の心音だけが響いている。

千春は何も言わずにじっと俯いている。

わかっている、きっと何か言わなければいけないのは俺だ。

『律のこと好き』

千春からの好意を少なからず感じてはいたがしかしこうやってはっきりと形にされるとどうすればいいかわからない。

ここで簡単に返事をしていいのだろうか。俺は千春のことが好きなのだろうか。

しかしここでただ一言、俺も好きだと伝えれば千春と付き合うことができる。

前に安子さんが言っていた結婚がどうという話は飛躍がすぎるとしても、それでもきっと楽しいに違いないだろう。

ただ、そこまで考えてから考えるのをやめた。


きっとここですぐに答えが出ない時点で、何を伝えるかを考えている時点でそうではないのだろう。

別に千春のことが好きじゃないとか、他に好きな人がいるというわけではなく、俺にはまだその準備ができていなかった。

「千春……」

「……言わんでいいよ」

千春が握る手がひどく痛い。

「返事はよかよ。まだ。待つから。だから、


今は、今だけはずっとこのまま──


「千春、ごめんな──

見るのが怖くて、泣いているんじゃないかって見れなかった千春の顔を見る。

しかし見ることはできない。

「は?」

握られた手の痛みも千春の手の熱ももうはや余韻だけになっている。

つまり、千春がいなくなっていた。

そして振り返るとさっきまで舟を漕いでいた安子さんもいない。

──舟から落ちた?

いやそんなはずはない。さっきまでずっと手を繋いでいたし、何の揺れも音もしなかった。音に関して、人が水面に落ちて、俺が聞き逃すなんてことは絶対にない。たとえ、どんな精神状態であっても。

徐々に焦りが実感となって、冷や汗と嗚咽が込み上げてくる。

意味がわからない。

目の前で人が消えた。考えてみればやはり十叶先輩と天宮がいなくなったのも不自然だった。

神隠し?

としか思えない。しかし、そんなことを言っても、神隠しだと指摘したところでみんなが戻ってくるわけじゃない。

ゴトンッ

舟が大きく揺れた。

気づくと舟付き場に到着していた。



それからどうすべきか、今から水をかき分けて二人を探すか、警察を呼ぶか、一度屋敷に戻るか様々な考えが錯綜してまとめることもままならず、その場に立ち尽くした。

その時、振動と共に俺のポケットが光った。電話の着信らしい。

何も考えずに電話をとる。


「やあ、一ノ瀬君。旅行はどうだ? 楽しんでいるか?」

声は綾乃先輩だ。

「どうしたんだ? 返事してくれ、おーい。電波が悪いのか?」

「いえ、聞こえてます……」

「ならよかった。ちょっと頼み事があってな。その作画資料に写真が欲しくてな。少しだけ頼まれてくれるとありがたいのだが」

「綾乃先輩……」

「どうした? 元気がないぞ。まさか喧嘩でもしたのか?」

からかうような、それでいてちゃんと心配してくれる、そんな先輩の声を聞いて落ち着いたのか、俺はこれまでの出来事を嗚咽まじりに支離滅裂にとにかく話した。


「……なるほど。話はわかったからひとまず落ち着くんだ。絶対に水の中に飛び込んだりするんじゃないぞ」

「はい……」

気づけば泣き出していた俺を先輩がなだめる。

そして、電話の向こうで誰かと話し合っているようだった。

「失礼します。剣凪です」

「……剣凪さん」

綾乃先輩のクラスメイトで先輩の編集者のような仕事をしている。最後に会ったのは、芽衣ちゃんを捜索した時だ。

「一ノ瀬さんの話を聞くにやはり神隠しの類だと考えるべきだと私は思います」

「神隠し……ってそんなことありえるんですか」

「まあ、目の前にエロ漫画を描いている現代忍がいるぐらいなので、そういうこともあるかと」

「まあ、たしかに。でもじゃあ、俺はどうすれば」

「こういうことは私よりも環凪環の方が詳しいのですが……しかしその“安子”という女性には心当たりがあるかもしれません」

「知り合いですか?」

電話越しに剣凪さんが首を横に振っている気がした。

「柳川という地で安子という女性の名前を聞いた時に、私は福永武彦の『廃市』という小説を思い出しました。映画化もされているのですがご存じありませんか?」

「いえ……すみません」

「ならば少しだけかいつまんで」


それから剣凪さんはその小説について話してくれた。

曰くその物語では、安子さんの姉とその夫、安子さんの義兄にあたる人物が自殺して物語が終わるのだと言う。

姉は安子さんと義兄が通じ合っていると誤解し、二人の幸せを願って寺に籠り、姉のことを本当に愛していた義兄はそれに耐えきれずに自殺し、その後を姉が追ったと。


「今回の出来事とどれくらいの関係があるかはわかりません。しかし、一度その女性のことを調べる必要があると思います」

「それなら千春のお婆さんに聞くのが早いですね」

「ええ、それがいいかと。私からはこれ以上は何も」

「いえ、ありがとうございます。おかげで方針が見えました」

それから綾乃先輩とも二三言交わして電話を切り、俺は屋敷へと向かった。

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