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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
恋の柳川紀行編
204/252

獅子宮帰零の生い立ち

 バーベキューが終わり、その片付け。

 俺と十叶先輩は共にグリルの金網を洗う。

「そういえば、律はやつとどんな関係だ?」

「天宮ですか?」

「違う」

 十叶先輩は金具についた炭を真剣にタワシで擦っている。

「帰零だ」

「帰零先輩ですか?」

 あの捉えどころのない手品先輩。

 要所で現れては、それっぽいことを言ったり、俺をからかってきたりする。

 最初にあったのは俺と天宮が一緒に家出をする前だったか。随分と前のことに感じる。

「どんな関係……ただの後輩と先輩かと」

「ほう、ならば律はただの先輩とキスをするのか」

 十叶先輩が後半部分を特に大きい声で言う。他のメンバーの耳がぴくっと動いたような気がした。

「キスって何の話ですか?」

「とぼけるな。大運動会の演説中にしていただろう」

 そういえばあったな、そんなこと。

「律に初めて聞かせる演説でいつもより頑張ったのに、ろくに私の話も聞かないでキス何回して……」

 先輩が泣き出した。めんどくさいな、この人。

「あれは帰零先輩が急にしてきて。それに頬にしてきただけなので、別に深い意味はないと思いますよ。悪ふざけじゃないですか?」

「だから私は、律を生徒会に入れることにしたんだ」

 途端に十叶先輩から、あらゆる浮かれた表情が消える。

「は?」

 この人、今なんて言った。

「なんで、そんなことになるんですか。それが原因って……なんか他に色々言ってたじゃないですか、運動部の暴動をおさめるのに俺が必要だとか」

「それも確かにあるが、きっかけはあれだ」

「何で、あれが原因に」

 正直言って、網洗いどころではなかった。

 もし、そんなくだらないことが理由なら先輩たちに顔向けできないし、正直言ってこの人と呑気に旅行なんてしてられない。

「慌てるな、別に嫉妬じゃない」

「じゃあ、何で」

「私と帰零の苗字が同じ理由、知りたくないか?」

 十叶先輩が水道を止めて、俺の目を真剣に見つめる。そして言う。


「帰零は私の父が愛人との間につくった子だ」


 声が出なかった。いろんな疑問が頭を駆け巡って。

「……それって」

「ああ、そうだ。私と帰零は同じ年齢、つまり父は母と私を拵えると同時に帰零を愛人との間にせっせとつくっていたわけだ」

 自虐的に笑いながら「とんだマルチタスクがあったものだ」と言った。全く笑えなかった。

「それでそれが何で俺を生徒会に入れることに」

「……これは言うべきか悩むのだが」

 先輩がじっと考える、しかし腹を決め

「帰零は何か企んでいる。それも最近の話ではなく、物心ついた頃から、いやあるいは生まれた頃から」

 夕焼けが月に変わる前の最後の輝きでこの町を真っ赤に染めている。

「企んでいるって……どうしてわかるんですか」

 俺の周りの人間、特に信頼している綾乃先輩も彼女に気をつけろと言っていたのを今更ながら思い出す。

「わかる。私もまたその悪意を物心ついた時に、いやこれもまた生まれた時から感じていたのだから」

「……」

「しかし私はたとえ彼女に殺されても文句はないと思っている。愛人の子としての彼女の人生は凄惨なものだ」

 それから十叶先輩の語る話はとても酷いものだった。


 十叶先輩の父親は妻の妊娠がわかると同時に愛人を捨てたそうだ。世間の目を気にして。

 しかし、それを愛人が黙って許すはずもない。ないのだが、彼女はそれを許した。

「一度、帰零の母を見たことがあるがとても優しそう人だった。同時に泣きたくなるほど寂しそうな人だったが。私の母とは大違いだったよ」

 と十叶先輩は言う。

 そんな彼女への同情か、それとも口封じのためか、ほぼ一生分の生活費と帰零先輩の養育費だけを手切れに渡したそうだ。彼女に懇願され、“獅子宮”という苗字も。


「……酷い話ですね」

「そうだな」

「でも、こんなこと言うと良くないですけど、お金があったのはせめてもの救いですね。そういう人って、本当に酷い捨てられ方をするとも聞きますから」

「救いなどない」

 十叶先輩がキッパリと言う。

「この話はこんな生ぬるい終わり方をしない。いや、というより終わってなどないのだ、この物語は」

「どういうことですか」

 背中を嫌な汗が伝う。すでに日は落ちている。

「帰零の母はそのお金を一切使わなかった」

「え?」

「父の気を引くため、それともそのお金さえ愛しかったのか、いやあるいは自己憐憫かもしれないな。とにかく使わなかった。生まれたばかりの帰零を一人で働きながら育てた。目も当てられないぐらい貧しい家庭だ。私とは違って」

 十叶先輩の激しい怒りが伝わる。それはきっと自分自身への怒りだろう。夕闇の中、彼女の手から滴る血の滾りがそれを証明している。


「帰零はそういう環境で育った。そして私はそのことへ同情すると同時に、幼心にずっと警戒していた。いつか彼女が復讐をするのではないかと」

「それは……」

「私の心の負い目がそんな被害妄想を生んでいる、と言いたのだろう。その通りだ。それでも私はずっと恐れていた。覚悟していた」

「それが、今回の生徒会との騒動とどんな関係が」

「九重には帰零の動きを見張るように言っていた。彼女はそのタスクの一部を友人の環に委託していたようだが」

 環先輩? 

 文芸部の知的な環先輩。確かあの人と出会ったのは帰零先輩と初めて会ってからすぐのこと。

 もしかすると、いやもしかしなくても環先輩は帰零先輩が動いたのを察知して?

「その頃から実態の掴めない不穏な動きが校内で出始める。色々な問題が校内で噴出するようになる。私の体制の綻びといえばそれまでだが」

 今思えば風紀委員会の件も彼女が一枚噛んでいたのかもしれない、と先輩が加える。

「それが一気に爆発したのがあの大運動会」

「ああ。ここだけの話、あの大会は君たちが読んでいたように出来レースだ。ここで詳しくは言わないが、ASMR部は参加しないはずだった。しかし、いつの間にか私たち、いや私と九重はがんじがらめになっていてな。あれでも精一杯やったんだが」

 ここまで聞くと、その状態で十叶先輩の演説中に帰零先輩が俺にキスをすると言うのは、だんだんと違った意味を帯びてくる。

「宣戦布告だと思った」

 そう思うのも頷ける。

「私は思い違いをしていた。いや侮っていたことに気づいた。彼女の標的は私ではない。おそらく私の全てだ。そしてそれは律だ。だから私は律を生徒会に入れて保護したかった」

 はっきり言われると照れる、なんて呑気な反応はできない。

「手始めに私から会長の座を奪った」

「奪ったって、次の会長は帰零先輩じゃないでしょう」

「ああ、元副会長の二条十三愛だ。九重が調べたら、帰零と繋がっていたよ。大運動会に無理矢理ねじ込められたダンスの競技、彼女の主催したあれは、ASMR部を勝たせるためのものだ」

 天宮が例の芸術的天才を存分に発揮し、無双した競技。そうでなくても審査員は二条先輩だった。どうとでもできる。


 それから十叶先輩はASMR部の勝利がどれだけ重要なことだったか、あれから生徒会内部でどんな熾烈な派閥争いがあったか先輩は教えてくれた。


 十叶先輩が蛇口を捻り、水を出す。再び金網を洗い始めた。

「大体はこんなところだ。せっかくの楽しい旅行中にするべき話ではなかったな。忘れてくれ」

「いや忘れてくれって……忘れられないですよ」

「いや忘れて欲しい。律にはいつも通り、生活していてほしい。帰零に対してもこれまで通り接してあげてくれ」

「それは……そうしますけど。今の話だけじゃ帰零先輩が本当に犯人かとかわかりませんし。それにたとえ犯人だったとしても、俺をどうにかしようと思っていても、それでも俺はあの人を悪人とは思えないですよ」

 ショートヘアと青いピアス、むちむちの絶対領域が素敵な、お姉さん系先輩。

 その背景がどんなに暗くても、今そこにいる彼女を見失いたくないと思う。

「それでいい。それこそ律だ。そういうところを私は好きなんだ」

「……」

 得意げな顔で言う十叶先輩の顔が眩しい。おかしいな、日は落ちたはずなのに。

「では、そろそろ行こう。金網洗いにどれだけ時間が掛かっているのだと、千春に怒られてしまう」

 いつの間にか千春呼びになっている。天宮に怒られる、ではなく千春に怒られると言うあたり、十叶先輩の中で千春はヒエラルキー上位なのだろう。

「さあ、旅行を楽しもう」

「はい」

 蛇口の水を止めて先輩の後を追う。

「ああ、こういう時間が永遠に続けばいいのにな」

 獅子宮中十叶がぼそっとこぼした言葉を聞いた。

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