悪魔の取引
放課後、再び生徒会室の前。綾乃先輩の伝手で九重さんも呼んでいる。今度こそ上手くやる。
「いいか、天宮。謝るんだぞ、わかってるな?」
「何回言うんですか。私も流石にわかりますよ」
若干呆れ気味の天宮だが、こいつに関しては何度言い過ぎても言いすぎることはない。ASMR部の不発弾とはまさにこいつのことだ。
「失礼します」
数回のノックの後
「どうぞ」
落ち着いた声が聞こえる。おそらく九重さんだ。俺たちは再び生徒会室に入った。
「今日は取り乱してすまなかった律」
「あれ? 私もいますけど」
「お前は余計なことを言うな」
こいつ、本当に謝る気があるのか。いつもならこんなくだらない嫌味を言うやつじゃないんだけどな。
「ええっと、それで今回は──
「一ノ瀬律さん、あなたの生徒会への加入についてでしたね」
言い淀む俺の言葉を遮って、九重さんが淡々と述べる。前の大運動会では敵だったが、普通に接している間はまともで頼りになる人だ。
「これは私からまず謝罪を」
そう言って九重さんが俺らを方に向き直り、頭を下げる。
「この度の獅子宮の不躾な申し出、大変申し訳ありませんでした」
「ちょっとやめてください! 謝罪なんて。そりゃ驚きましたけど、別に謝られるほどのことじゃないですよ!」
そして、俺は天宮の頭を掴み同じように頭を下げる。
「こちらこそすみませんでした。朝から急に生徒会室にお邪魔して。それから失礼なことも言ってしまって」
頭を下げながら、少し不誠実だけど、全部がうまく収まりそうな予感がして安堵を覚える。天宮もすごく不満そうにしているが、一応俺に合わせて頭を下げてくれている。
「いえ、なんとなく何が起きたかは想像がつきます。急な申し出といい、あなた方が怒るのも無理はありません。そちらこそ頭を上げてください」
ほんの少し表情を緩ませて、頭を上げると九重さんが書類を手に持っている。
「今朝の件、獅子宮が個人としてあのような勝手な振る舞いを行ない申し訳ありません。つきまして、こちら、生徒会からの正式な加入要請です」
「……はい?」
加入要請? それって生徒会の?
「あ、あの誤解させてしまったなら申し訳ないんですけど、俺に生徒会に入るつもりは全くありません」
「いえ、それは関係ありません。あなたには生徒会に入ってもらいます」
「……どうしてですか?」
九重さんの真剣な表情をみて、冗談ではないことはすぐにわかる。しかし、どうしてこんなにも俺を生徒会に入れたがる。
「ここ最近のあなたの活躍を見ての判断です。あなたは今の生徒会に必要だと感じました」
「いや、別に俺はそんなんじゃ」
「謙遜は時間の無駄です。流石に自覚がないとは言わせません。先日も大きな事件を解決してきたばかりでしょう」
芽衣ちゃんの件のことを言っているのか。そこまで調べているとは。
「正直言って、今の生徒会はあまり芳しい状況とは言えません。あなた方もご存知だと思いますが、連日の運動部のデモ。これでは生徒たちが健全な学校生活を送れない。最近では生徒会所属の人間への嫌がらせまで横行しています」
「それは……」
その件を持ち出されると弱い。間接的に俺たちも関与していることは間違いないのだから。
「でも最近のことだって、別に俺一人の力じゃない。それどころか、俺は周りに助けられてばかりだ。ASMR部は頼りになって、俺なんかよりもすごい人たちばかりだから」
人格に問題はあるが、皆、常識はずれの技能を持った人たちだ。俺一人では何も成し遂げられなかったのは間違いない。
「それはわかっています。しかし、我々が今欲しいのはそういう個の力ではなく、統率力と機動力、それからある程度の交渉力を持った人間です。あなたにはそれがある。さらに会長の精神保養のおまけ付きで。私たち、生徒会からしたら今喉から手が出るほど欲しいのです」
「なんで、そんな力が必要なんですか」
今まで黙っていた天宮がここで口をひらく。
「さっきも言った通り、現在の学校の治安は不安定です。風紀委員会も新体制で不安定な時期にこれでは学校の運営に差し障ります」
「でもそれが生徒会の仕事ですよね。100人近くも人を抱えて、会長も権力があって、なんで解決できないんですか」
天宮の語気がまた強くなっている。
「元々、生徒会はこの人のワンマンな部分があリます。生徒会幹部も我の強い人たちが多く、統率のゆるい組織です。しかし、これまでは大した問題もなかった。しかし、さまざま事情が重なり、体勢が不安定になっています。あとこれは大きな声で言えませんが……」
九重さんが一瞬だけ会長の方を見てから、声を顰める。
「最近、会長の精神状態が極めて不安定です。何があったのか知りませんが、前の大運動会の演説以来、様子がおかしい」
演説以来……? いったい何が。
「律、今朝は悪かった。私も気が早すぎたな。今回は生徒会からの正式な要請だ。断るとは言わせない」
満面の笑みで話す会長。もう俺の加入が決まったかのような顔だ。
「あのっ、律さんは生徒会に入ったりしませんからね! ねえ、律さん」
「あ、ああ。別に俺に生徒会に入る義務はないからな。例の件は同情するが、あなたたちのまいた種、としか言いようがない」
二人は俺と天宮の反論が聞こえていないかのように表情を全く変えない。
「もちろん、タダでとはいいません。様々な特典も用意しています」
「特典?」
そして会長が得意げに、大きな扇子を広げ、語り始める。
「まずは内申の向上、これは生徒会の人間には全て付与されるが律には、特別の役職を与え、他の生徒よりも評価を高くする」
「いや別に成績にはそこまで困っては……」
「さらに、大学費用の支援も手厚くしよう」
大学費用の工面……確かに助かるが、成績優秀者への奨学金など当てはある。両親も大学費用に関しては心配ないと言っていた。
「あの、ありがたい話ですが俺には今はASMR部の方が大事なので。生徒会との両立はできないと思いますし」
「……そうだな。生徒会に入るからにはASMR部はやめてもらうことになる。しかし律、君は生徒会に入る」
「?」
自信満々の会長。そして今までの余裕の表情とはまた少し違う翳りのある顔になる。
「君の妹、この前立高校に入るんだろう?」
嫌な予感がする。
「だとしたらなんですか」
「わからないか? 私の父はここの理事長だ。そう言うことは難しくない。優秀な生徒なんて代わりはいくらでもある。入試とはいえ、大きな採点ミス、もあり得なくはないな」
「あなた、何を言っているんですか?」
天宮が聞く。しかし会長が言いたいことはすでにわかっている。ゆえに天宮の顔が見たことないほどに歪んでいるのだ。
「それに田中芽衣という生徒がいたな。彼女の高校、いや大学までの費用をこちらで全て負担しても構わない」
「どこまで人をコケにするつもりですか!!?」
天宮が驚くほど、大きな声をあげる。ここまで天宮が怒っているのを見たことはない。普段の天宮を知っている俺でさえ、少し怖いと感じてしまうほどの気迫がある。
だけど、天宮……ごめんな。ここまで聞いて何も知らないことにはできない。
「律さん? 何か言ってください。まさか、こんなことに屈するつもりですか? こんなこと許されません。部の皆も絶対に同じ気持ちです」
「九重さん…天宮を外に」
「はい」
「律さん! またですか!? またそうやって一人で背負うつもりですか! なんで、なんであなたばっかりこんな目にあわなきゃいけないんですか!」
天宮は最後の方は嗚咽混じりになっていた。しかし、その言葉を最後に天宮は部屋を追い出された。




