(挿話)千春の推論
時は夜の大運動会前。
律はソフト編集の雑誌をノートに取りながら読んでいる。清乃ちゃんは恵先輩とおほ声の練習。綾乃先輩はエロ漫画を描き、御園先輩は詩を読んでいる。
──この部活で一番、頭が悪いのは私だ。
この前模試が帰ってきて、部活内でその話になった時に気づいた。皆、私よりもずっと点数がいい。私が学校で中の下くらいなのに対して、他の全員はかなり上位だ。ただでさえ偏差値の高い前立高校の上澄み、全国レベルでも余裕でトップクラスだ。
律が頭がいいのはわかる。家庭環境を考えれば当然だ。御園先輩が頭がいいのもわかる。4ヶ国語ぐらい話せるって言ってたし、あの年で聖書を暗記しているぐらいだ。恵先輩も立場や性格的にちゃんと勉強してそうだ。
綾乃先輩と清乃ちゃんは……よくわからない。
「ぐむむ」
部室で各々の活動をするメンバーを、最新のファッション雑誌からこっそりと観察する。何か学力向上のヒントが得られるかも知れない。
ただでさえ、皆に比べて個性の薄い私。風紀委員会の時みたいな荒事では全く役に立てない。なのに勉強まで出来ないと、なんだか私だけ疎外感を感じてしまう。それに──
「千春、ここわからないんだが教えてもらっていいか?」
「え? ああ、いいよ」
律の隣に座り、邪魔にならないよう、気づかれないよう、密着する。ここで体をくっつけるほどの大胆さはないけど、互いの温もりを微かに感じられる距離は保つ。これが今の私の精一杯。今日は体育がなくてよかった。
「ありがとう、千春。いつも聞いてばかりで悪いな」
「ううん、全然。律に教えられるのなんてこのぐらいやし。いつでも聞いてよかよ」
「そうか? ならこれからも頼らせてもらうよ」
「うん!」
──いつかこの場所もこの関係も終わりが来るとしても、やっぱり出来るだけそれを引き伸ばしたい。言ってしまうと、律と同じ大学に行きたい。難しいことは百も承知。でも私も地元では神童と言われ、名門前立高校にも入学できた。ポテンシャルはあるはず。
だから、頭のいい皆を観察して、学力向上の秘訣を探る。
「あの御園先輩、それは何を読んでいるんですか?」
「ロングフェローの『人生讃歌』です。”Dust thou art, to dust returnest, Was not spoken of the soul”、この一節は聖書から着想を得ていてですね。最愛の妻を亡くした彼が書いたこの作品には、この空しい世界に対してそれでも希望を捨てない姿が現れていて……もしかして千春さんも興味がおありですか? 英詩を読むためにはコツがいりますが、1時間もあれば覚えられますよ! ぜひ、一緒に」
(時々、恐ろしい一面が垣間見えるけど)いつもは大人しい御園先輩が興奮気味に寄ってくる。
「よければ、この本お貸ししますよ。私はすでに何度も読んでいますから。ぜひ。対訳ですから読めますし、勉強にもなると思いますよ」
勉強になる……!
「ええっと、じゃあすみません。お借りします」
「ぜひ感想を聞かせてください」
「はい」
つい勢いで借りてしまった。でも勉強になるって言ってたし、収穫だ。さて、次は……
「おっほ〜〜〜!」
「違います! ゛ん゛おほっ〜〜〜♡です! 先輩はセ○クスしたことないんですか!?」
「いやないよ! 天宮ちゃんもないでしょ!」
「想像セ○クスをするんです! ASMRを聴きながら雌豚になりきって、セ○クスするんですよぉ! 想像妊娠って知らないんですか!?」
「それ、絶対に意味違うから!」
本当にこの二人から学力向上の秘訣を得られるだろうか。いや多分、無理だ。失礼だけど、清乃ちゃんはこれでどうして頭がいいんだろう。
「どうしました? 千春さん。混ざりますか? そろそろ風紀委員会の時に約束した恵先輩と千春さんの共演ASMRも作りたいですし」
「いや今はいいかな〜」
「そうですか? 律さん、楽しみにしてたのに」
律が楽しみに? ……やっぱりやろうかな。いや違う! 今は頭が良くなる方法を探さないと。
「その、二人はどうやってテスト勉強とかしとると? 頭が良くなる秘訣とかあるん?」
二人は一瞬キョトンとしてからすぐに真面目な表情に変わる。
「……あまり大きな声では言えませんが、実は秘訣ありますよ」
「そうなの?天宮ちゃん。僕は普段の予習復習をやってるだけだけど」
「清乃ちゃん、本当? 聞いてもいい?」
「ええ、もちろん。ただ、これはちょっと恥ずかしいので二人だけの秘密で」
そう言って、部屋の隅に移動する。清乃ちゃんの勉強の秘訣……気になる。いったい、どんな方法が。
「いいですか? 千春さん。勉強はオ○ニーです」
「オ○ニー?」
「はい。勉強ってやっぱりストレス溜まるでしょう? だからこれはオ○ニーの一環だと考えるんです。夜のオ○ニーをより気持ちのいいものにするための前戯、勉強でストレスを溜めてオ○ニーで思い切り発散するんです」
「天宮! 千春にくだらないこと吹き込むな!」
「ああ! 律さん、盗み聞きしないでください! 変態!」
「お前にだけは言われたくないわ!」
二人が取っ組み合いを始めた。清乃ちゃんのは役に立たない……かな? うん、他を当たろう。あとは綾乃先輩だけど。
「それは何を描いているんですか?」
「これは天宮君が、触手改造されているシーンだな。このあと、一ノ瀬君が助けに来て、セ○クスするんだ。そうだ、ここに千春君も混ぜて……」
「あの、綾乃先輩って頭いいですよね?」
「ん? ああ、まあ成績はそこそこ取っているが。どうしたんだ、突然。いや、これは遠回しに軽蔑されている……? ついに千春君にまで……ううっ」
「いや違いますよ。ただちょっと勉強で詰まってて教えてもらえたらなって。綾乃先輩は漫画と勉強両立してるし。すごいから」
「凄い!? 最近、いや初めてあった頃から散々後輩に軽蔑されてきた私がついに後輩に、凄い、と。本当に頑張った甲斐があった。最近ではますます扱いが雑になって……」
再び涙ぐみ始める綾乃先輩。この人も色々と思うところがあったらしい。まあ、半分はこの人にも責任があると思うけど。でも凄い人なのは事実だ。あんな態度だけど、律も清乃ちゃんもそこはわかっている、と思う。
「勉強の秘訣だったか。いいだろう、実はとっておきがあるんだ」
「本当ですか!」
綾乃先輩の勉強の秘訣……気になる。もしかして勉強が捗る凄い忍術があるとか!
「いいか? エロ漫画を描くにはやっぱり本人がある程度ムラムラしてないといけないんだ。そこで勉強だ。ほらっ、勉強ってイライラするだろう? それをムラムラに変換して爆発的な力を──
「あっ大丈夫です」
「えっ!? まだ話の途中なのに!」
ショックを受ける綾乃先輩をよそにもう一度、最初に座っていた席に戻る。この人たちが頭のいい理由はなんだろうか?
相変わらずおほ声の練習を続ける清乃ちゃん、エロ漫画を描き続ける綾乃先輩をぼんやりと見る。特にこの二人はどうして──
「おい! お前たち、何の声だ!?」
突然、生活指導の先生が部室に入る。怖くて有名な鬼氷先生だ。体が強張り、清乃ちゃんや綾乃先輩の方を見る。あの人たちの活動はバレるとかなりまずい。しかし、焦る私とは裏腹に二人、というか全員が落ち着いている。
「ああ、鬼氷先生! すみません、発声練習につい力が入ってしまって」
「君は……一年生の天宮清乃か。噂は聞いている。優秀なんだって? 発声練習って随分とそのおかしな声が聞こえたが」
「少し力みすぎたみたいです。すみません。今後は気をつけます」
綺麗な所作で清乃ちゃんが軽く頭を下げる。
「いや謝らないでいい! そうか……まあ、君が言うのならそうなのだろう。こちらこそ、悪かった。むっ? 服部、お前は何をしている?」
綾乃先輩の目の前には隠しきれなかった原稿用紙が置いてある。裏向きになっていて、何か文字が書かれているた。
「今日、鬼氷先生に習った数学の復習をしていました。ここの計算がどうにも苦手で」
「ん? 教科書がないが」
「今日習った範囲は覚えているので」
綾乃先輩の原稿用紙に書かれた数式を先生が覗き込む。
「……確かに今日教えた範囲だ。うむ、ちゃんと合っているな」
「ありがとうございます。先生の教え方が上手だからですよ」
「ふんっ、お世辞はいらん」
そして、少し照れながら鬼氷先生が部屋を出た。
「はあ、びっくりしました。声が大きすぎましたね。まさか防音を貫通するとは」
「だな。冷や汗かいたぞ」
「……」
二人をじっと見比べる。さっきの先生とのやりとり、二人ともかなり信頼されていた。それがなければ、下手をするとバレて怒られていた可能性もある。
この二人が頭がいい理由……
もしかして変態であることを隠すために、進化した形が彼女たちではないのか。より高度な変態はバレるとリスクが高いため過剰に偽装し、その結果として優等生になった……。
安心して笑う二人を見て、私は一つに真理へと辿り着いたのだった。
その夜、恵先輩の言うとおり、いつもよりも念入りに予習復習を行なった。御園先輩からもらった本も読んでみると意外と感動した。
あの二人の言っていたことも、その、詳しくは言えないけど、非常に役に立った。




