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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
学校見学会編
160/254

お姉ちゃん

 田中さんがウイスキーの瓶を男の頭で割った直後、よろめいた男の鼻に膝を入れた。

「芽衣! いますか!?」

 奥に通じる狭い廊下を田中さんが真っ直ぐに歩いていく。

「お姉ちゃん!」

 奥の方から芽衣ちゃんの声がする。すぐにでも向かいたいが、脇の部屋から出て来た大男が邪魔に入る。

 さらに奥の部屋からもう1人、腕に刺青の入った大男と2人背の高い男が出て来た。

「なんだ、警察か!? オーナーはどうした!?」

「警察じゃねぇ! 女とガキ3人だ! どうする!?」

「関係ねぇ! 男はその辺に転がして、女は捕まえろ! そいつが人形の姉なら姉妹揃って撮影だ! 高くつくぞ!」

 田中さんが大男に腕を掴まれる。助けに——

「一ノ瀬さん、すみません」

 行こうとした瞬間、浮遊感、同時に激しい衝撃が体を打つ。

 気づくと、入り口が遠くにあって俺はのびた大男の上に倒れ込んでいる。。どうやら御園先輩に砲丸よろしく投げられたらしい。先に謝ったからって何をしてもいいわけじゃ

「お兄さん!?」

「芽衣ちゃん!!」

 奥の広いスペース、数台のカメラが向けられたベッドの上には芽衣ちゃんがいた。

 上下纏っているのは水色の質素な下着のみ。綺麗な肌が露わになっている。目は涙で赤く腫れ、自分を守るように両腕で体を覆っていた。


 思考が何十回転もする。1秒が何フレームも刻み、次の瞬間がやってこない。これは無事なのか、何がどこまで行われたのか、なんて声をかければいいのか、俺は今何をすべきなのか。しかし、それらの思考を置き去りにして、純粋無垢、単純明快な問いが体から出る。

「大丈夫!?」

 芽衣ちゃんは再び目に大粒の涙を浮かべる。それを腕で拭きながら笑っているのか泣いているのかわからないくしゃくしゃの顔と声で

「はい!!」

 大きく返事をした。


「くそっ! なにしてる!お前ら! 早くこのガキを捕まえて、人形(ドール)と俺の逃げ道を確保しろ!」

 芽衣ちゃんの隣には、組織の、それもこの集団のリーダーと思しき男が鞄に慌てて荷物を詰めている。それを止めたいが、さっきまで下で伸びていた大男が目を覚まし、俺は半覚醒状態で暴れる男を後ろから絞めていて動けない。

「くそっ、こいつら何なんだ! こっちは4人だぞ!」

「容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺しなさい」

「……」

 入口の方では人間同士の喧嘩とは思えない音がいくつも聞こえて来る。男たち4人は御園先輩たちが抑えている。流石に相手も喧嘩のプロとだけあって、あの2人でも瞬殺とはいかないようだ。


「芽衣っ!」

 あの2人が男たちを抑えている隙に、田中さんがやって来て、芽衣ちゃんを抱きしめた。側から見てもわかるぐらい強く、握りしめるように芽衣ちゃんの体を抱いている。

「芽衣! 本当に、本当にあなたは……!」

「お姉ちゃん、ごめんなさい! 私、こんなことになるなんて思わなくて」

 泣き声と嗚咽の混じった声で2人は話す。

「本当にあなたは馬鹿です。こんなことに騙されて……でも一番馬鹿なのは私です。あなたの気持ちも考えず、あなたに不安な思いをさせてしまった」

「ううん、お姉ちゃんが私のこと考えて、私の高校のためにお金出すってパパとママに言ってくれてるの知ってるよ。お姉ちゃんは悪くないよ」

 それを聞いた田中さんはいつもの飄々とした態度からは想像もつかないほど、苦しそうな顔をしている。

「……そんなことは知らなくていいんです。そんなことは気にしなくていいんです。私はあなたのお姉ちゃんなのだから。頼りなさい、こんな情けないお姉ちゃんだけど。お願いだから頼ってください」

 それだけ言って田中さんは芽衣さんの胸元に泣き崩れてしまう。そして、それにつられるように芽衣ちゃんもわっと泣き出した。

 そして2人の姉妹は互いに抱きしめて合って涙を流した。


「くそっ人形だけでも!」

 抱き合う2人に向かって、さっきまで荷造りをしていた男が向かう。田中さんに向けているのは注射器だ。

「させるかっ!」

 大男が落とした俺は、注射器を持った男に体をぶつけた。

 衝撃で注射器を落とすも、完全に姿勢を倒すまではいかず、男はさっと体を引いた。俺もすぐに立ち上がり2人を背に庇う形で男と対峙する。

「さっきから人形(ドール)人形(ドール)って。まさか、芽衣ちゃんのことか?」

「ああ? そうだよ。連れ込んだ女は薬で眠らせてから◯す、眠って無反応な様子が人形みたいだから人形(ドール)だ。ってガキにはわからねぇか」

 後ろで芽衣ちゃんが怯えているのが伝わる。

「……なんで芽衣ちゃんのことは眠らせなかった?」

「無理矢理する動画はやっぱりリスクがある。万一に警察に相談されると面倒だ。一見、同意しているように見える動画を撮ることで、警察に相談しても無駄だと脅せる。今回みたいな顔も体も絶品の上玉はな、そうやって脅して何度でも使うんだよ!」

聞くに耐えない。

「……相手は未成年だ。どっちにしろ捕まるだろ」

「フッ、そうだよ。だがな、『男と1時間話すだけで6万』、こんな文句に乗る馬鹿はな、そんなことわからねぇんだよ! ああ、それにやっぱり、寝てる間ってのは少しマニアックでな。やっぱり起きてくれた方がよく売れるんだよ」

 何がおかしいのか、男は笑いながら雄弁に話す。

「……そうか」

 もうこの男と話すことは何もない。

「ったく、なのにこのガキときたら、服の上からちょっと肩を触っただけで泣き始めやがって撮影になりゃしねぇ。1時間半かけてようやく制服を脱がせられたと思ったら、このザマだ。こんなことなら最初から

「黙れ」

 目の前の大人クズだ。こういう大人は確かに社会に存在する。ただ同時に、今俺の背中で妹を抱いてる人みたいな、あるいは生徒の違法行為に全て責任を持つと言いきる人みたいな、正しく強く優しい大人も存在する。

 俺は後者でありたい。だから、今ここでこの男を捕まえる。持っているアタッシュケース、あれには芽衣ちゃんの下着姿の映った映像や、この男達を捕まえるための証拠が入っている。

「ガキが大人をなめるなよ」

 そう言って相手が懐からナイフを取り出した。

 御園先輩と桜木先輩はまだ交戦中。ここでこいつを止められるのは俺だけだ。

 大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。

 その間に色んな人の顔が頭をよぎった。律花や、なぜか両親の顔も浮かんだ。最後に本当に、本当になぜか天宮の顔が浮かんだ。

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