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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
同好会設立編
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私の話を聞け!

「先輩!」

 律さんが叫んでからすぐに無線が凄まじい音ともに切れた。

 大きな音は山の麓まで響いていてここから土砂崩れの様子が見えた。

 近隣の方々や救助隊の方々が騒がしくなる。

「すまない、見失った」

 それから少しして綾乃先輩から無線が入った。

「律さん……」

 体に力が入らない。その場に膝をつく。

 私が同好会を作ろうなんて言い始めたせいでー



 “一ノ瀬律”を初めて見た時、同じ目をしていると思った。


 一人で現実と戦っている人、そのせいで他人が見えなくなっている人の目。

 それは小学生の時に母を失ってから鏡で何度も見たものだった。

 母が病気で死んで憔悴している父に負担をかけないよう勉強も家事も完璧にこなした。

 しかし、時間の流れは父を癒してはくれなかった。

 人付き合いも上手くやった。教師やクラスメイトに好かれるように振る舞った。

 心の中では退屈だった。のうのうと生きる他人に嫌気がさした。

 自分の人生はこんな上っ面だけで終わるのか、そう思っていた時だった。

 中学2年の頃、家の棚の奥からUSBを見つける。

 私は興味本位でそれを再生した。


「んほおおおお♡だめっ♡やっば♡イグうう一雄さん♡おっほ〜〜〜♡」


「な、何ですかこれは!?」

 下品に喘ぎながら父の名前を呼ぶ女。それは確かに母の声だった。

 そこには何本もUSBがあり、私が生まれる前からの録音も存在した。

 どうやら父と母の趣味だったらしい。

「これは知りたくなかったですね」

 温厚で物静かな両親にこんなエグい趣味があったとは……

 そう思いつつも私は父の目を盗んでは毎日のようにUSBを持ち出して録音を聴いた。

 これが優等生“天宮清乃”の唯一の趣味になった。

 全てを聴き終える頃、そうした下品な嬌声を扱うASMRが存在すると知った。

 私は見事にそれにハマった。


 高校に入ると部活に入れと言われた。

 別にやりたい部活もないし、適当に誤魔化そうと思った。

「清乃、部活に入ってないんだってな。学校の先生から連絡があったぞ」

 父は心配そうに私に言った。学校も余計なことをしてくれる。

 私が思っている以上にこの学校の部活への強制参加というルールは厳しいようだ。

 どうしたものか。

 私は自室で『貞淑人妻のNTR轟音おほ声 72時間版』を聴きながら考えていた。

「んへぇ♡正直になりますぅ♡私は夫よりもご主人様を愛してますぅ♡おっほ〜〜♡」

 ……「正直になる」、か。

 ―そうだ、作ってしまうのはどうだろう。同志の集まる場所を。

 先生や他の生徒達に奇異の目で見られるかもしれない。だが、いっそのこと優等生の私を捨て去るいい機会だ。正直、今の生き方には疲れていた。

 半ば自暴自棄の決断でもあったが、この決断をした時に私の心はかつてないほど高揚していた。

 どんな活動をする部活にしよう。どんな人を集めよう。そうだ! 聞くだけじゃなくて自分たちの手でASMRを作れたらきっと楽しいに違いない。人生で最も興奮した父と母の録音を超える“至高のASMR”を作ってやろう。

 確か一度だけ興味本位で自分のおほ声を録音したものがあったはず。流石に恥ずかしくて自分では聴いていないが何かの役に立つかもしれない。

 それからの行動は早かった。

「君と同じ一年生に一ノ瀬律という子がいる。彼はまだ部活に入っていなくてね、誘ってあげてくれ。彼はASMRの愛好家なんだ。きっと彼なら喜んで協力してくれるだろう。頼んだよ、きっとあれには君のような無茶苦茶な人が必要なんだ」

 友人のつてで生徒会長さんに会い部員の目処をつけた。

 そして、一ノ瀬律に会った。


 正直言ってムカついた。

 どうしてお前なんかが私と同じ目をしている。今思えば完全な同族嫌悪だ。

 その時はただどうやったらこの人の気取った仏頂面を剥がせるかだけを考えた。

「おっほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♡」

 一ノ瀬律は驚いている。上手くいった。それになぜか気持ちが軽くなった。

「それと、最初のおほ声になんの関係がある?」

 一ノ瀬律はさらっと言う。

 この人はやっぱり知っている! こっち側の人間だ。

 ふと、泣きそうになっている自分に気づく。

 同じ趣味を持つ人間。ただそれだけ。でも、その存在がどれだけ嬉しいことか。

 優等生“天宮清乃”ではなく成人向けASMR大好きの変態女子高生“天宮清乃”でいられる場所。

 私に必要だったのはたったそれだけ。同じものが好きな人たちと一緒に好きなことをして心から笑える場所。気づくのにずいぶん時間がかかった気がする。私が臆病でその一歩を踏み出せなかったせいだ。


 それから律さんは私とは違う人間だと気づいた。

 律さんは妹さんのために、確かに一人で戦っていた。結果的には不要になってしまったけど、確かに意味のある戦いだった。

 私は違う。優等生になることで父と向き合うことから逃げた。私がどんなに優等生になろうとも、父の母を亡くした悲しみを癒せるわけがない。そんなこと誰でもわかる。

 私は傷ついた父を一人にしただけだった。


 だから今度は一人で戦う律さんを助けたいと思った。私は彼の心の痛みを和らげることも知ることもできないけれど、決して一人にはしない。

何もできなくても一緒にいることをやめない。

 だからー


 私は濡れたスカートを強く握りしめ立ち上がる。

 そのまま未だ動き出す気配のない救助隊に駆け寄る。

「友達が、友達があそこにいるんです」

「どうしたの君! 危ないから下がって」

 私の体を押し戻そうとする。それに無理矢理逆らって救助隊の人の服を掴む。

「いいから私の話を聞け!」

 突然の大声に驚いたのか、ぎょっとして動きが止まる。

「友達が今あそこで戦っているんです! 私には……私一人じゃ何もできないから……どうか助けてください」

 救助隊の人の服を祈るようにさらに強く握りこむ。

「今ここに、友達の居場所があるんです。どうか、どうか」

 綾乃先輩からもらった機械を押し付けるように渡す。

「これでわかりますから。お願いします。お願いします」

 一人で戦うことのできる律さんが笑って行ったから。帰ってくるって言ったから。一緒にいる私も泣かないって決めたのに。どうしても涙が止まらない。優等生なんて言われながら実際は何もできない自分に腹が立つ。悔しくて泣いてしまう。

「これは……」

 周りの大人たちが集まってくる。いろいろな質問に私は必死で答える。

 それから救助隊の人たちが一気に動き出した。

 私にできることはもう無い。

 私は皆の無事を祈り続けた。


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