光明を手繰り寄せる
「綾乃先輩っ! もしかして芽衣ちゃんがこのホテルに!?」
ホテルに入ってから、綾乃先輩の後ろを早足で追う。天宮も俺の横を追随する。
「その可能性もあるが、確認はできていない。そもそも、ホテル内全ての部屋をいちいち確認して回るのは手間、と言うより不可能だろう」
「たしかにそうですね。ならここに来た理由は他にあるんですね」
「ああ。さっきは不可能と言ったが、一つだけ方法がある。ただし、それには君の力が必要だ」
「俺の?」
そして、会話をしている間に俺たちはホテルの一室の前に来ていた。先輩がルームキーを使ってドアを開ける。
部屋の中にはコンピュータとスピーカーが所狭しと並んでいた。
「来たか……一ノ瀬。さっさと始めるぞ、違法捜査を」
部屋の中央、いつもの棒飴を片手に芽吹先生が座っていた。
コンピュータの稼働音に紛れて、悪戦苦闘する声が聞こえる。風紀委員会の菖蒲さんだ。必死にコンピュータの画面にかじりついている。
「ううっ家で寝てたのに」
「黙ってやりなさい。ただでさえ遅れてきたんだから」
菖蒲さんの隣では菊門寺先輩が喝を入れている。
「あの……これは一体どういう状況なんですか?」
「それには私が答えるわ。ただ時間がないから手短にね」
菊門寺先輩が菖蒲さんのいる机から離れ、こっちへ向かってきた。前に武道場で一芝居打った時とはまるで別人のような真剣な表情だ。
「はっきり言って、芽衣さんを助けるのは間に合わない」
その言葉に視界が歪み、足元が揺らぐ。
「情報から察するに芽衣さんはすでにこの西区のどこかのホテルに連れ込まれている可能性が高い。ホテル一つ一つに芽衣さんを見なかったかと聞いてるけど、今のところ収穫はない。客の顔をいちいち把握していないだろうし、未成年を男性がホテルに連れ込む以上、ホテル自体が結託している可能性さえある。もちろん、ホテルの部屋を一つ一つ開けて確認するなんてことは出来ないし、出来ても時間が足りない」
ここは繁華街、さらに西区はホテルが多い。その中には反社と繋がりのあるいかがわしいものも多い。少なくともそこにいるという確証がないと捜査は無理だろう。
「じゃあ、やっぱり諦めるしか……」
「その必要はない」
俺の言葉を遮るように答えたのは芽吹先生だ。
「菊門寺が不可能と言ったのは、正規の手続きでの話。最初に言っただろう……ここからやるのは違法捜査だ」
「違法捜査?」
「菊門寺は早い段階で先の結論に達していた。そして私を呼んだ。違法である以上、子供の判断だけでは踏み切れない、責任を持つ大人が必要だからだ。まあ、このホテル一室を取るにしても未成年のお前たちだけでは無理だからな」
なんとなく状況は掴めてきたが
「その具体的にどう言う作戦なんですか?」
「超広域の盗聴よ」
「盗聴?」
「先生に連れてきてもらった菖蒲に、ホテル内の監視カメラの音声データにハッキングさせているわ。そして、監視カメラのないホテルには剣凪さんと服部さんが盗聴器を仕掛けてまわっている」
気づくと、さっきまで隣にいた綾乃先輩がいない。よく考えれば部屋に入ってからすぐに姿がなかった気がする。
「なるほど! ならそれを皆で聞けば芽衣さんを見つけられるかもしれないわけですね!」
天宮の希望に満ちた声に対して、周りの表情は暗い。
「みんな、ではない。正直言って監視カメラの音声も、盗聴器の音声も部屋の中の音まで聞き取ることは出来ない」
話が見えてきた。なるほど、つまり
「俺の仕事、と言うわけですね」
菊門寺先輩が無言で頷く。
よく見るとスピーカーはちょうど人間一人を囲む形でぐるりと配置している。あそこに座って音を聞けばいいわけか。
「スピーカー10台に対して、西区のホテルは40。1分ごとに音声を切り替える。もしも芽衣さんの声が聞こえたらすぐにその音がするスピーカを教えて。同時に10個ずつ聞いてもらうからかなりきついと思うけど大丈夫?」
「わかりました」
スピーカーの中心にあぐらで座る。
「盗聴器の設置全て完了。ハッキングも終わってます。スピーカーとの接続も問題ありません。音出ます」
機械的な菖蒲さんの報告の後、スピカーから音が出始めた。
“正念場“、ここで俺が聞き取れなければ全てが無に帰る。芽衣ちゃんも助からない。全神経を耳に集中した。
「チ——インは────」
ざっ ざっ ざっ
ゴロゴロゴロゴロ
「コンビーーく? ────買っ────
「フロントは────さき────お願い」
パン パン パン
「アッ アッ ダメっ」
カシュ ザ────
「…………」
早く、早く、早く。もっと聞け。もっと。全ての音を拾え。
ザッ ザッ
ガタンッ
「あ────をよ──── ガタ ザザッ
焦りが出る。聞こえている。聞こえてはいる。部屋の中の声、物音、それら全て聞こえはする。ただ集中すれば、だ。部屋の中の音は一部屋ずつしか聞き取れない。同時は意識が乱れて難しい。耳の問題ではない。俺の集中力の問題だ。それら全てに意識が届かない。これでは部屋を一つずつ見て回るのとスピードは対して変わらない。
「くそっ」
汗が出る。爪がめり込むほど拳を握る。歯を食いしばる。同時に聞ける部屋の数を増やす。3、4、5……まだだ。もっと増やせ。同時に全ての部屋の音を聞け。
芽衣ちゃんがずっと声を出しているわけではない。なんなら声を出せない状況かもしれない。だからその一挙手一投足も聞き逃すわけにはいかない。いかないのに……!
「律さんっ!」
「!」
突然、目の前からした声にハッとする。
「少し休憩を!」
「何言ってるんだ、そんなことしてる場合じゃ」
「自分の状態がわからないんですか!?」
少しだけ泣きそうになりながら天宮が叫ぶ。
自分の状態?
確かに少しだけくらっとするが……ポタッ……?
床を見るとフローリングに赤い液体が水溜まりを作っている。鼻血、か。しまった、ここは自室じゃない。ホテルだ。拭かないと。
そう思って近くにあったティッシュをとる。
「あれ?」
手に取ったティッシュは床を拭く前に赤く染まっている。それと同時に手に痛みが走る。見ると手の握り込みすぎた箇所が出血している。
「4分です。ちょうど、一周しました。他の皆さんも街を探して頑張っています。律さん一人ではありません。ですから少し休憩を」
「一ノ瀬……正直言って私たちには部屋の中の音なんてちっとも聞こえない。それが聞こえるお前を頼るしかないのは事実だ。だが、もちろんそれは責任がお前にあることを意味しない。言いたいことはわかるな」
「……」
芽吹先生も天宮も心配してくれている。それはわかっているが、今は無理を通さなくては。「一度に聞く量を減らしますか? 芽衣さんが何かしら信号を出した時に聞き漏らす可能性は上がりますが、その分負担は減りますよ」
「いや、このままで。コツも掴めてきたところだ」
「律さん……わかりました。なら私はせめて」
そう言って血が滲んでいる俺の手を天宮が握る。
「おい、天宮。危ないぞ」
あまりの集中と、それに伴うストレスで無意識に手に力がこもってしまうのだ。そんなことをしていたら天宮の手を傷つけてしまう。
「いいですよ、傷つけて。律さんが誰かのために傷つくなら、私も一緒に傷つきます。そうしないと一人になっちゃいますから。私も律さんも」
天宮は優しく俺の手を包み、その瞳には少しだけ寂しさが滲ませている。俺は何も言わず、天宮の手をそっと握り返した。
「もう寝るね」
シャーーーーー
「次、お風呂いいよ」
「ねえ、今日のライブ楽しかったね」
「ねえ、もう寝ちゃうの?」
ガタっ ガタっ
「明日は早いから────ガタッ
酷いストレスに耐えきれなくなり時々目を開けると、同じように痛みに耐えるような、どこか祈るような天宮の顔が映る。それを見ると少しだけ勇気が湧く。再びの雑音の海に潜る。
先よりもずっと音が鮮明だ。同時に拾える音も格段に増えた。ただ、このスピードでは遅すぎる。間に合わない。
「くそっ、雑音が多い!」
そのせいで余計な意識を使うし、盗聴器近くの雑音はかなり邪魔になる。そもそも俺は全ての部屋を調べてはいない。音がした部屋に意識を割いて聞いている。
だから運よく芽衣ちゃんの部屋に当たるか、集中しなくてもわかるくらいの声を芽衣ちゃんが出すかにかかっている。だが、そんな状況はおそらく喜ばしい状況ではないだろう。
「芽衣ちゃんの部屋以外の人間全て寝てれば……」
そうすれば、一発でわかる自信がある。しかし、そんな時間になるのを悠長に待っていては間に合うはずがない。
「律さん……雑音がなければ見つけられるんですね?」
「ん? ああ、できると思う。ただ雑音を無くすなんて……」
「ごめんなさい、律さん」
そう言って天宮が手を離す。そして
「私もできることが、やるべきことができました。少し離れますけど、大丈夫ですか?」
立ち上がって言う天宮は申し訳なさそうな表情をしつつも、瞳には強い意志が宿している。
「問題ない。それに離れていても一人じゃないだろ」
笑って言う俺に、天宮も不敵な笑みを返す。
「じゃあ、またあとで。今度、会うときは芽衣ちゃんも一緒に」
そう言って部屋を出る直前、天宮は
「律さん、聞き惚れちゃダメですからね」
とだけ言い残していった。




