ASMR部と汚い現実
しばらくして天宮が急ぐ足を緩める。どうやら目的地に着いたらしい。
「気は進みませんが、ここで聞き込みをしましょう」
場所はビルの隙間の薄暗い路地。たくさんの若い女性がスマホを片手に立っている。その中には中年ぐらいの男性の姿も散見された。
「こんなところ、あったんだな」
長い間この街に住んでいたが、全く知らなかった。正確には、知らないで済んだ、だろう。その点、自分がいかに恵まれているのかを実感する。
「お前はなんでこんなところ、知ってるんだ?」
少しだけ胸がキュッと絞まるような感じがする。
「そんな顔しないでくださいよ。こういうことはしたことありませんから。まあ、かつて最終手段として頭にあったのは否定しませんけど」
天宮の顔にはいつもとは真逆の冷たさがあり、その目はどこか遠くを見つめている。天宮は昔の話をする時、いつもこういう顔をする。それがなんとなく嫌だ。俺が子供だからだろう。
「……もし今、本当に困ったらどうするんだ? 今のお前は最終手段に何を選ぶんだ?」
急いでいる、一刻を争う事態にこんな質問をしている場合ではないのかもしれない。ただ、これだけは聞いておくべきだと強く感じる。
俺の問いを天宮はあの冷たい顔のまま聞いていた。そして
「その時は……律さんの家に転がり込みますよ」
大きく笑ってそう言った。
「約束だからな」
「はいっ! ただ、今は急ぎましょうか。いちゃついてる場合ではないですし」
別にいちゃついてたわけではないんだけどな。まあ、これだけちゃんと口にして約束してくれたらなら大丈夫だろう。
俺たちは聞き込みを始めた。
「あの、こういう子なんですけど知りませんか? 中学生の、背もそんなに高くない」
近くにいたキャップを深く被った女性に声をかける。20代前半ぐらいの女性は、クマのあるその目でスマホの写真を覗き込む。
「わかんない。別にそのぐらいの年の子もこの辺じゃ珍しくないし、顔も隠している人が大半だし。何? 家出?」
気だるさに不機嫌を滲ませた口調で尋ねる。
「ええっと、はい。そんな感じです。この辺りでバイトするとだけ聞いてて」
「あっそ。じゃあもう手遅れでしょ。今頃、その辺のホテルでおっさんとしっぽりやってるんじゃない?」
嘲るような鼻笑いをしてから彼女はタバコを吸い始めた。
「律さん、行きましょう。他の人にも聞き込みを」
「あ、ああ。わかってる」
天宮に強く手を引かれて俺は、聞き込みを再開した。
「空振りですね」
「そうだな」
初手で空振り。目撃証言は愚か、周りの人間に気を遣っている様子すらなく、これではいたかどうかさえ定かでない。
“今頃、その辺のホテルでおっさんとしっぽりやってるんじゃない?“
先の言葉が頭をリフレインする。焦りが出る。嫌な想像が脳内を駆け、足が固まる。
「律さん! まだ始まったばかりですよ! それに最初に言ったでしょう、ここで目撃証言がないのはいいことです」
「でも、もしかしたらとっくの前にここでバイトをしていて、だから今いる人が知らないだけじゃ」
「それを考えてどうなるんですか? じゃあここで探すのやめますか?」
天宮の言う通りだ。ただ、やはり最悪のシナリオが頭を離れない。
すると、握りしめていた手に柔らかい何かが触れる。気づくと天宮が俺の拳をそっと解き、手に握っていた。その手は少しだけ冷たく、震えている。
「行きましょう? 律さん。皆も手を貸してくれていますから、きっと大丈夫です」
「……悪かったな、天宮。そうだよな。今は動くしかないよな」
わかってる。天宮もわかっている。もしも先の学校見学会が私立前立高校への入学のきっかけとなったのなら。もしも今回のバイトがその学費のためなら。もしも芽衣ちゃんが酷い目に遭っていたのなら。考えるだけで胸が苦しくなる。
「律さん、芽衣ちゃんがいないかはわたしが見ます。だから律さんは聞いてください。全力で、周りの景色なんか気にせず。もしも芽衣ちゃんが建物内にいるのだとしたら、見つける方法はそれしかありません」
「でも、それだと」
周りを見る。夜9時近く、繁華街は多くの人で賑わっている。二人で探しても全ての人間を確認できるわけではない。
「わたしは律さんみたいな特殊な能力はありません。けど、絶対に見逃しません。信じてください」
天宮の握る手に力が籠る。天宮の瞳には俺の目をまっすぐに見据えている。
「……わかった。頼んだぞ」
「律さんの方こそ頼みますよ」
それから俺たちは夜の街を走った。
走り続けること10分弱。だんだんと耳も周囲の喧騒に慣れてきた。街を歩く人は天宮に任せ、俺は建物の中や乗り物の中に耳を澄ます。乗り物の中や建物内一部はなんとか聞こえる。しかし、ホテルやカラオケなどの個室内の音までは聞き取れないのが歯痒い。
「はあ、はあ」
「天宮、一回止まるぞ」
「! 見つかったんですか?」
「いやそうじゃない」
俺たちは聞き込みに関しては他のメンバーに任せることにして、天宮の目と俺の耳でレーダーのように街を探していた。そして、より広い範囲を探るためにひたすら走り続けたのだ。息もかなり上がっている。
「一回、飲み物を買おう。俺たちの方が倒れたら元も子もない」
「……わかりました」
「そんなに落ち込むな。別に何もしないわけじゃない。この間に皆と連絡を取ろう」
自販機で飲み物を買い、近くのフェンスに腰掛ける。
「ええっと、皆との電話はーーー
「それならこれをお使いください」
「剣凪さん!?」
座りこむ俺と天宮の前に急に現れた剣凪さんからインカムを受け取る。よく見ると、綾乃先輩と同じ対○忍スーツを着ていた。
「ということは、綾乃先輩も?」
「はい。街を駆け回りつつ情報を集めています。連絡に気づくのが遅れて申し訳ありません」
力強い救援に少し心が軽くなる。
「律さん、この方は?」
「ああ、そうか。お前は会ったことないもんな」
それから剣凪さんの説明をかなり手短に話した。
「私の紹介はこのぐらいで。今はそんなことを悠長にしている場合ではないでしょう。私の方から報告がいくつか」
「すみません、お願いします」
「まず、高梨さん率いる風紀委員会は警察との連携をとっています。あなたたちも風紀委員会の一人と言うことになっているので留意を」
「よくそんなことできましたね。芽衣ちゃんは前立高校の生徒でもないのに」
「まあ、前立高校といえば色々とこの辺りではパイプもありますし。まあ、高梨さんの手腕もあるのでしょう。そして、警察とのやりとりの中で芽衣さんが犯罪に巻き込まれた可能性が高いことがわかりました」
「!?」
「最近、この辺りで、金銭的に余裕のない中学生や高校生を狙った組織的な性犯罪が増えているそうです。一対一で会い会話するだけで数万円、そう言っておびき寄せ複数人で囲い、断れない状態でポルノを撮影する手口……と聞きました」
ショックで言葉が出ない。自分の暮らす街でそんなことが横行していたことに吐き気を覚える。そしてそれに知人が巻き込まれている事態にも。天宮も言葉が出ず、ただ黙って口元を抑えている。
「あの、どうしてその犯罪に巻き込まれたと……何か確証が」
「見守り設定、とかで親御さんの携帯から芽衣さんのスマホと組織の末端との通信が確認できたそうです」
「なら! ならそこからどこにいるかもわかるんじゃ!」
「いえ、そこから会話の跡がつかないアプリに誘導されていて、正確な情報は何も……」
近くの壁を殴りつける。芽衣ちゃんの性格を考えると、本当に何も知らずに騙されたのだろう。
「すみません」
「剣凪さんが謝ることは何もないですよ」
無力さに打ちひしがれるように剣凪さんが片腕をおさえ項垂れている。
「!? 一ノ瀬さん、インカムをつけてください!」
そう言われて、思い出したように俺と天宮がインカムをつける。
ドッ
最初に聞こえたのは大きな衝撃音。それから
「御園先輩っ! 止まって!」
大きな鈍い物音と、涙まじりの千春の声。
「組織の拠点は? 撮影場所は? 早く」
「だめやって! 警察の人に引き渡さんと!」
ガッ ザザ
さらに酷い衝撃音。
「恵先輩! 桜木先輩を連れて今すぐ来て! 御園先輩っ! 止まって!」
「今すぐ行くから! マリアちゃんをできるだけ抑えてて! でも無理はしないで!」
それからインカムは聞くに堪えない音を出し続けている。千春の叫び声、何かが砕ける音。俺は静かに天宮の耳からインカムをとる。
「律さん……」
何も言わない。
普段、孤児院の手伝いをしていて子供好きな御園先輩。そして今回の犯罪で標的にされたのは、そういう貧しくて寄る辺を持たない子供達だ。
今のインカムを聞くに、組織の人間と思われる人を二人が発見したのだろう。俺たちが聞いたのと同じ気分の悪い組織の話を聞いた後で。こうなるのは必然だ。
インカムからは、御園先輩のすすりなく声が凶暴な破裂音に紛れて聞こえた。




