ファン
「……アサギ……」
「ん? もずくちゃん、今何か言ったか?」
それからもずくちゃんが俺と天宮の顔を見比べる。
「まさか……」
俺の問いに答えることもなく、もずくちゃんは急に俺の手を握った。
「違う」
「えっ急に何」
なんだか意味もなく傷ついた気がする。
それからもずくちゃんがテーブルの方へ歩いて行き、同じように天宮の手を触る。
「違う」
「何がですか!?」
またも我々のリアクションを無視し、綾乃先輩の手を握る。傍若無人すぎるな、あの子。
「……あなたは……」
「どうしたんだ、体調でも悪いのか?」
手を握ったまま微動だにしないもずくちゃんを綾乃先輩が心配している。
「ファン……です……」
綾乃先輩がギョッとした後、すぐにもずくちゃんを部屋の隅に移動させた。小声で話す声が俺にだけ聞こえる。
「君、まだ中学生だろう!? ダメじゃないか!」
マジでどの口が言ってるんだ。
「サイン……ください」
もずくちゃん、敬語も喋れたんだな。ぜひ、そこのポンコツエロ漫画家だけでなく俺たちにも使って欲しい。
「君、この高校に入学するのか?」
「はい……推薦、なので……ほとんど確実……に入学します」
「そ、そうか。なら今のうちに会っておいた方がいいかもしれないな。サインは、彼女がきっと色紙を持っているはずだ」
そして、綾乃先輩が俺を呼ぶ。
「なんですか、できれば関わりたくないんですが」
「ひどいぞ!?」
俺と天宮を題材にしたあの漫画だって黙認してるだけだし、面倒ごとの臭いしかしないので、できればエロ漫画家アサギ界隈と関係を持ちたくない。
「これから、ある人物に会う。すでに呼んだから、もう部室の前にいるはずだ。彼女は私が組織した学校のファンクラブ会長だ」
「えっ、絶対に会いたくないんですが」
組織については、前に先輩と書店デートした時に話は聞いていたから知っている。しかし、そんな頭のおかしい組織の会長と会うのはできれば避けたい。
「そんな嫌そうな顔をするな。彼女は組織の中で一番まともだ。そもそもファンの皆が暴走したり、モデルの君たちへ無闇に接触したりするのを防ぐための組織だからな」
「……まともな人が同じ学校の生徒をモデルにしたエロ漫画を読みますかね」
「……そう言うこともあるんじゃないか」
そう言い切るならちゃんと目を合わせて言ってもらいたいものだが、まあしかし話が進まないので会うことにした。
「あれ? どこに行くんですか?」
「ああ、少し席を外す。皆のこと、頼んだぞ」
天宮は不思議そうな顔をしていたが、ここで説明するわけにはいかない。天宮もなんとなく察したようで、すぐに他の皆の相手を始めた。俺と綾乃先輩、もずくちゃんはそれを横目に部室を出た。
「こんにちは。私の名前は剣凪冬です。どうぞお見知りおきを」
部屋の外にいる女性は、俺と同じぐらいの等身に、天宮に負けないスタイルの良さを持った女性だった。佇まいから聡明さを感じさせる。イメージとの差に面食らう。
「本来、組織の人間はすべて接触禁止なのですが、今回はご容赦ください」
「いえ、そんなにかしこまらなくても! 悪いのはこの人ですから」
そう言って綾乃先輩を指さした後に、後悔がやってくる。綾乃先輩のファン組織の会長を務める人の前でこれはタブーだ。殴られるかもしれない。俺は咄嗟にガード姿勢をとる。
「……殴ったりしませんから、どうか身構えないで」
少しだけ寂しそうに微笑む剣凪さんを見て、申し訳ないことをしたと感じる。すぐに姿勢を戻した。
「私たちファンは楽しく読んでいますが、モデルにされる側としてはたまったものではないでしょう。校内で自分をそう言う目で見ている人間が一定数いると言うことなのだから。私ならきっと耐えられない」
「えっと……」
なんて言葉をかけたらいいのかわからない。
「それにも関わらず、知ってなお黙認しているあなたは優しい。天宮清乃さん、彼女に関しては自らコスプレして売り子までしてくれている」
あれはコスプレしてみたかっただけな気もするが。
「確かに組織の存在理由は、ファンの暴走や接触を防ぐためですが、多くのファンが自らの意思でそれを実行しています。こんなことを言うのは虫がいいかもしれませんが、彼女たちのことを異常者だと決めつけてしまうのは少しだけ悲しい」
「それは……」
確かにあの書店で会ったギャルの子も全く悪そうな感じではなかった。連絡先を渡してきてはいたが、あれは漫画のモデルだからとかではなく、彼女にとっては普通のスキンシップだったのかもしれない。
「ただ、私たちがあなたのことを身勝手に娯楽として消費していることは確かです。これは許されるべきではないでしょう。なので、それを許してほしいわけでも、許せないあなたが悪いわけでもないことだけは心に留めてほしい。その上で身勝手な私の戯言を心の隅に置いてもらえれば、私は嬉しい」
剣凪さんはそれだけ言い終えると、小さく息を吐いた。彼女なりに罪悪感や緊張感を持って、この場所に来たのだろう。彼女のことを見ると、綾乃先輩がファンクラブの会長に選んだ理由がわかる。責任感が強いのだろう。
「……実在の人物をモデルにしないと描けない癖は早く治せと言っているのですが」
そう言って綾乃先輩の方をぎろりと睨む。さっきまでの綺麗で大人びた顔からは想像もつかないほどの恐ろしさだ。もしかしてファンの人たちが大人しいのは彼女が怖いだけでは?
「そ、それは今、練習中なんだ。そう、練習中。それより色紙はあるかな。この子にサインを書かなきゃいけなくて」
「その子、中学生では?」
「ま、まあサインだけならいいだろう? もちろん、色紙に描く絵も健全なものにする!」
「当たり前だ」
改まってヘコヘコとする綾乃先輩の頭を強く掴みながら、剣凪さんが色紙を渡す。
「ちょっと痛いぞっ? 痛いっ!」
「急に呼び出した罰だ。それと締切を破った分も」
「す、すまない。すぐに出すから」
泣き目で謝りながら、綾乃先輩が色紙を受け取る。こんな先輩の姿は見たくなかった。
「そういえば、締切って……」
「ああ、私は彼女の編集のような仕事もしているんです。印刷業者とのやり取りやスケジュール管理、その他SNSの管理など。彼女と同じクラスでやりやすいこともありますが、私自身、出版社に勤めるのが夢……なので」
「へえ、凄いですね! 自分の夢をしっかり意識して、高校生のうちから努力できるなんて、普通はできませんよ」
「ありがとうございます」
早口でお礼を言うと、剣凪さんは後ろを向いてしまった。怒らせてしまったのだろうか。よく見ると耳も赤い。
「あの、俺なにか変なこと言いましたか?」
「漫画と現実は違う漫画と現実は違う漫画と現実は違う漫画と現実は違う漫画と現実は………」
剣凪さんが言い聞かせるようにぶつぶつと呪文を唱えている。早口すぎてなんて言っているのかはわからない。
「いえ、なんでもありません」
それから両頬につねったような跡のある剣凪さんが落ち着いた表情で向き直った。
「俺なんか将来、自分が何するかなんて全く考えらませんよ」
剣凪さんの話を聞いて思わず、こぼれる。
「綾乃からあなたの話は聞いています。あなたならきっと大丈夫ですよ」
大人びた顔に少しだけ優しい笑みを浮かべながら言われたその言葉に、少しだけ心の奥の不安が和らぐ。
「なにか困り事があれば、いつでも聞きます。もちろん、綾乃関係以外でも。いつでも頼ってください」
「ありがとうございます。じゃあ、これ俺の連絡先です」
剣凪さんに俺のメッセージアプリのIDを渡す。
「すみません、規則で連絡先の交換は……連絡は綾乃を通してもらえると」
「俺が交換したくてもダメですか?」
言われた剣凪さんが急に顔を上にあげてじっと固まる。
俺としてはこの人には綾乃先輩関連ことだけじゃなくて、一人の先輩として色々と連絡できる関係でいたい。進路のことや特に2年生になる時の文理選択のこととか聞きたいことは色々とある。
「……くれぐれも内緒に……」
「何をやってるんだ?」
連絡先を渡そうとした瞬間、綾乃先輩が間に入って来て、IDの書かれた紙を握りつぶす。
「ちょっと!綾乃先輩、何するんですか!?」
「会長自ら規則を破っては示しがつかないだろう。それに進路の相談なら私という先輩がいるじゃないか」
「いや、進路がエロ漫画家の人に何を相談するんですか?」
「言い方があるだろう! 言い方がっ!」
綾乃先輩が不満げに小さく暴れている。
「でも、おかしいじゃないですか。俺を勝手にモデルにしてエロ漫画を描いてる先輩が、どうして俺の交友関係を縛れるんですか」
「うぅ、それを言われると耳が痛い……が、しかし君のためなんだ。これは譲れない。一人許すと歯止めが効かないんだ」
「でもっ」
「いいんです、一ノ瀬さん。連絡先の交換は道理に反します。それに私も、その、一線を越えてしまうかもしれませんし」
「でも連絡は?」
「ではこうしましょう」
そう言って、剣凪さんがスマホを操作する。しばらくしてアプリに通知が来た。
「これは……グループ?」
「はい。私と綾乃と一ノ瀬さんのグループを作りました。たまたま同じグループにいただけ、学年グループなんかもありますから、これなら問題ありません」
「……ま、、まあこれなら」
「もし、綾乃に聞かれたくないことがあれば、ここから私と待ち合わせすればいい」
「そうですね、ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ回りくどいことをして申しわけない」
そして、その言葉を残し剣凪さんは一瞬で姿を消した。今の動きは綾乃先輩と同じ忍法だろうか。
「じゃあ、私たちも戻ろう」
「そうですね、もずくちゃんも満足かな?」
「ま○こ」
「先輩、描いたんですか?」
「描くわけないだろう!?」
そんなやりとりをしながら、俺たちは部室へと戻った。




