暗雲
体育祭 終了の翌日 放課後
薄暗い日差しがASMR部の部室に入り込んでいる。
「律さん、だらしないですよ」
部室のソファに寝転んでいた俺に天宮が呼びかける。
「ん? ああ、すまない」
しばらく横になって考え事をしていた俺はゆっくりと椅子に座り直した。昨日の賞金の使い道、生徒会との戦いのこと、これからの学校のこと。
「律さん、そんなんじゃ律花さんが別の学校に行っちゃいますよ? 来週は中学生の学校見学なんですから」
「ああ、そうだな。しっかりしなきゃな」
しかし我ながらその言葉もどこか気が抜けている。
「まあ最近、というより私と会ってからはずっと大変でしたからね。たまにはゆっくりしてもいいかもしれませんね。私は恵先輩と日課のおほ声特訓しますから」
「ええっ!? 僕を巻き込まないでよ! そんな日課なかったよね」
巻き添えを食らった恵先輩が部屋の隅でおほ声の練習を始めた。面倒なので関与しない。いつもなら間に入る綾乃先輩も漫画を描いている。どんな漫画を描いているかは言うまでも無い。
「゛ん゛おっほ〜〜〜〜〜〜!」
「んっほ〜〜〜〜〜〜!」
「……」
ここで考え事をするのは難しいか。
「あれ? 律くん、外に出るの? やめた方が」
「そうなんですけど、ちょっと考え事したくて」
「そうかい、気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
それだけ返事をして外へ出た。
ぼんやりと外を歩く。騒がしい校門の方を見る。
「おい! そこ下がれ!」
「暴れるな! 校門より外に出るな! 近隣の方の迷惑を考えろ!」
「ふざけるな! お前らにも責任があるだろ!」
「生徒会を、生徒会長を出せ! あんなの納得できるか!」
風紀委員会がデモ隊を抑えている。校内での備品の破壊を憂慮して、グラウンドに追いやったのだ。
体育祭の翌日から学校はこの有り様である。昨日の最後の競技、あの理不尽な生徒会による蹂躙行為が運動部の反感を買い、鬱憤を爆発させた。予算のアップ、部活の強制入部制度撤廃を訴えた運動が展開している。
と言うのが恵先輩の見解だ。俺は後ろめたさと同時に、こんなにも早く運動が展開することや俺たちASMR部にも多少向かうはずの不満がものの見事に生徒会へ向かっていることへ疑念を覚えていた。
「あれ? あなたは」
「ん?」
後ろから聞き覚えのある声がする。
「ああ、潮吹さん」
「し・お・み・ずです! それだと色々とまずいでしょう!」
「ごめん、つい」
この人を見ると反射でボケてしまう。
「全く天宮さんといい、ASMR部はおかしな人ばかりですね。不安になってきましたよ」
「その言い方だと俺も入っているみたいじゃないか」
「いや入ってますよ。あなたの自認、おかしくないですか」
ちょっと何を言っているかわからない。俺はこれ以上、潮水さんに提供できそうなボケがないのでその場を後にする。
「そういえば、あの高梨委員長はどうなんですか? 立場的に忙しいでしょう?」
「いや恵先輩は、ASMR部と兼部してて立場が複雑だから今回は風紀委員会には関わらないようにしてる。今は部屋でおほ声の練習してるよ」
「そうなんですね、まあ難しい立場だし当然か。って今、最後にとんでもないこと言いませんでした?」
「いや、そんなことより」
廊下を立ち止まる。
「潮水さんはなんで俺についてきてるの?」
「なんでってASMR部に入部するためですよ」
「は?」
空気が凍る。
「いやなんで急に」
「なんでって、あなたが言ったんじゃないですか。『いつまでも一緒にいよう』って」
絶対にそんなことは言ってないと思う。
「それにあの競技の中でASMR部の味方をしちゃいましたし。部には入れませんよ」
少し目を伏せて言う潮水さんの顔にはどこか寂しさが感じられる。今日の薄暗い夕日が健康的な潮水さんの肌を照らす。教室側を歩く俺に日は当たらない。
「それはなんというか申し訳ないことをしたな。水泳部だったっけ? いいのか?泳ぎが好きなんじゃ?」
「いやいや全然そんなことないです。なんとなく入ってた部活ですから」
「そういうものなのか?」
「部活なんてそんなものじゃないですか? 特にこの学校では。最近は部活もサボりがちでなんとなく他の部員ともうまく行ってなかったのでちょうどいいですよ。なんなら、あなたの後ろめたさにつけ込んで部活での地位を獲得しようとしてるぐらいです」
綺麗に整った白い歯を見せてにっと笑う。
「そうか。歓迎するよ。うちは万年ツッコミ不足だからな」
「あなたがボケるのをやめればいいだけでは?」
潮水さんのこの言葉は無視した。
その後、職員室に行き芽吹先生に会った。昨日の賞金の管理について相談と潮水さんの入部の手続きをそこで済ませた。
「色々とややこしいことになっているな」
芽吹先生の言葉が頭に残った。




