幕
「動かないでください」
九重さんが天宮の首により近くナイフを近づける。
「脅しになってませんよ。そのナイフに刃が付いているとは思えない」
そこで立ちあがろうとしている六星も、そもそも会場に支給された武器にも刃はない。この大人数相手に立ち回るのに刃のついた武器を使って負傷者が出ていないのもおかしい。
「別に動いてもらって構いませんよ」
そう言ってより深くナイフを首に突きつける。
「律さん! 早くトドメを! 私は大丈夫です! こんなの偽物ですから!」
「わかってるっ」
頭ではわかっているが体が動こうとしない。
「六星さん、早く立ってください。あなたはちゃんとすれば桜木桜花や御園マリアにも引けを取りません」
「わかってます……」
視界の端でふらふらと立ち上がっている。咄嗟に防いだとはいえ、やはりダメージがあるらしい。
「一ノ瀬律、あなたも早く武器を捨ててください」
「律さん! こんなの無視してください!」
「……」
横目に綾乃先輩たちの方を見る。綾乃先輩の方は押しているが、先の戦いで爆薬を中心に武器を失ったせいで決め手を欠いている。奥の恵先輩と御園先輩も疲労のせいで勝負を決めれていない。
「くっ、あなたなんか私の耳舐めとアナルクラッシュで一発なんですからね!」
技構成が最低すぎる。野生で捕まえたからかな。
「こちらも時間がありません。早く武器をおいてください」
時間稼ぎがバレている。俺らの状況を見て、他のメンバーが勝負を決めようとしているのに気づかれた。
「こんなナイフ偽物ですから! ほらっ!」
そう言って天宮がナイフをベロベロと舐め始めた。九重さんが心底嫌そうな顔をしている。天宮に散々、手を唾液まみれにされた身としては同情する。
「わかった。別にさっきのイベントで賞金は手に入るからな。俺たちはそこまで必死になる必要はない」
そう言って見せつけるように自分の顔の前に出す。
「律さんっ! 私が自分で花を潰しますから!」
いやこの状況でそれは関係ない。花を潰したところで退場させてはくれないだろう。
「まあしかし武器を置いてもどうせ負けるからな」
「何を?」
同時に胸の花を左手で包む。その様子に釘付けになる。
「よし。じゃあ、落とすぞ3 2 1」
「1 1 1 1」
「天宮、ふざけるな」
確かにカウントダウンといえば、1で止めるのがASMRのマナーだが。
「いつまでふざけてーーーー!」
カンッッ
九重さんの背後から警棒が勢いよく飛んでくる。それをナイフで払うと同時に天宮が俺の方へ転がり込んできた。
「美咲ちゃん!」
「ったく何やってんだ」
弾けた警棒を回収した美咲ちゃんもこちらに合流した。
「……風紀委員会。漁夫の利を狙っていたはずでは?」
「この方が被害を抑えられるからって菊門寺副委員長が言うんだから仕方ないだろ。本当は散々してくれたASMRが負けるところを見ていたかったが、まあこれからのことを考えると風紀委員会の力を温存しておく必要があるからな」
どこか暗い顔をしている美咲ちゃんの視線を追うと、さっきまで大量に待機していた風紀委員会の隊員の姿がない。
「美咲ちゃん、これは一体」
「この感じだと大人数いても意味がないからな。菊門寺副委員長が帰らせた」
そして、綾乃先輩の元には菊門寺先輩。御園先輩たちの元には桜木先輩が合流していた」
形勢逆転。もはや負けはない。
「400万円、ASMR作品をコンプできますね」
「なんでお前らが総取りなんだ。というかそんなことに学校のお金を使うな」
これに関しては美咲ちゃんの言う通りだ。
「……仕方ありませんね」
そう言って九重さんが耳のインカムに手を当てる。
「何をするつもりだ」
「別に何も。ただ、計画を修正するだけです」
そして九重さんがマイクに向かって放つ。
「全力を出して構いません」
「全力? 今まで手を抜いてたってことか?」
「いえ、そうは見えませんでした。きっと負け惜しみですよ。律さんが私にゲームで負けたときによく言ってるあれと同じです」
「お前はあれを負け惜しみと思って聞いてたのか」
「?」
今の反応で言わずともわかる。今度、絶対にぼこす。
「冗談を言い合っている場合ですか?」
九重さんの言葉と同時
「っ!」
天宮を横に飛ばして庇う。それと同時に後方に激しく飛んだ。いや飛ばされた。
「おい、花を散らすゲームじゃなかったか?」
「ああ、すまない。忘れていたよ」
六星レビ。さっきまでとは動きがまるで違う。それこそ恵先輩のトップスピードに食らいつく速さだ。
「まずは一人」
「!」
声の方向には天宮と九重さん。咄嗟に庇ったはいいがその後のことは考えていなかった。倒れた天宮の花をそのナイフで散らそうとする。
「ったく手のかかる!」
そこにすかさず美咲ちゃんが間に入って防いだ。
「あっちの心配をしている場合か?」
「……お前こそ、さっきの傷は大丈夫か? 天宮に派手に飛ばされてたが」
「安い挑発だな。会長や九重が言うようにお前は危険な男だ。淡々と処理させてもらう」
さっきまでの空気とはまるで違う。遊びは一切ない。全力、と言うのは負け惜しみではないらしい。
「行くぞ」
「……」
大きな唾を飲み込む。同時に剣が交わった。
数刻後。あっけなく勝負がついた。
恥ずかしいことに最初に負けたのは俺。数回切り結んだ後にクナイを飛ばされ、花を切られた。そしてほぼ同時に美咲ちゃん。元々、直接の戦闘が得意なわけではない彼女は、競技での疲労もあって敗北を喫した。
そして、戦力が拮抗していた綾乃先輩の戦場はこれらの戦力が流れ込み、敗北した。御園先輩、恵先輩、桜木先輩達だけは敵を倒していたが、すぐに他の3人に包囲され降伏した。
それが最後の参加者であり、その降伏と同時にこの催し全体が終了した。
「負けてしまったな」
「ですね。まあみんな疲れてましたから」
「そうだな」
退場する際に綾乃先輩と話す。別に本気で賞金が欲しかったわけではないが、その表情はどこか暗い。会場全体にそういう暗い雰囲気があるせいだろうか。
「これで体育祭、全プログラムを終了します。時間が遅いのできをつけて帰ってください。必要な方は生徒会が送迎を行いますので本部へお越しください」
事務的なアナウンスが鳴り、テントが回収された。
「今日は本当にありがとうございました。これからも機会があればぜひ」
「そうだね。僕もぜひそうしたい。話したいこともたくさんあるからね」
「一ノ瀬ちゃん、いつでも部室にきていいからね。その時はとっておきを見せてあげよう。ねえ、理乃ちゃん?」
「ええ、構わないわ」
素直になれない子供のように頬を少し赤くしながらもじもじとリノちゃんが答える。
「それなら僕もお邪魔しようかな」
「あんたは……」
「来ちゃいけない理由があるのかな?」
「ないわ。いつでも来てちょうだい。お願いだからアポは取ってちょうだいね」
そして、恵先輩に詰められていた。とっておきを見るためには恵先輩より先に行く必要がありそうだな。
「いやあ、これでしばらくは部も安泰だ。本当に助かったよ、律くん。最高の結果だった」
一人だけやや場違いに見えるほど帰零先輩は喜んでいる。
「いえ、期待に添えたならよかったです。最後は負けちゃいましたけど」
「いやあ、いいんだよ。本当に。十分さ。これからも末永くよろしく頼むよ」
「ええ、はい」
帰零先輩の含みのある言い方に気になることも多かったが今はよしとしよう。今日は疲れた。
そして各々が帰宅を始め。なんとなくASMR部だけがその場に残った。
「なんだかすごく疲れましたね」
「だな。帰りはどうするんだ? 送ろうか?」
「いえ、御園先輩が送ってくれるみたいです。千春さんは綾乃先輩が」
「そうか」
その会話を皮切りになんとなく皆が黙る。そして
「私たち、勝ってよかったとやろうか?」
千春のその言葉を最後に体育祭は幕を閉じた。




