議案
「綾乃先輩、他の皆も無事だったんですね」
俺に続いてテントの中に天宮や千春、恵先輩が入る。折り畳まれたテントの中は狭く蒸し暑い。長居は難しそうだ。
「ああ、なんとか無事だ。風紀委員会が桜木君をけしかけて来た時はどうなることかと思ったがな」
「なんだか、ごめんね」
恵先輩が申し訳なさそうにしている。
「いや、高梨君は悪くない。それに御園君のおかげで事なきを得た」
「これを事なきと言っていいのかは微妙ですけどね」
天宮の言う通り、会場はめちゃくちゃだ。今もあちこちから悲鳴と凄まじい衝撃音が聞こえる。
「環先輩、何か作戦とかありますか?」
環先輩に話を振る。ジリ貧のこの状況で、何か指針が欲しい。
それに環先輩は何か深く考え込んでいる様子だった。何か案があるのかもしれない。
「……」
「環先輩?」
「ああ、すまない。なんの話だったかな」
どうやら俺の声掛けにも気づかないほど、集中していたらしい。
「何か勝つための打開策とか作戦とかあれば、意見が欲しくて」
「……勝つための、か」
「どうしました?」
環先輩の表情は険しい。しかし、それは現状の厳しさという理由だけではなさそうだ。
「勝つための作戦ならある。もう少しすれば状況を打開できるから、待って欲しい」
「そうなんですか! ならよかった。正直、ここは暑くて仕方ないですから」
他の皆も各々、服を煽いだり、汗を拭いている。長くここにいると熱中症になりかねない。
「うん、だからもうしばらくは我慢してくれと助かる。そして、その間に少し聞いて欲しいことがある」
「どうしました?」
「今回の夜の大運動会について、そして僕たちがこの戦いに勝利してもいいのかと言う話について話したい」
環先輩の発言、勝ってもいいのかという言葉に反応し、その場にいる全員が耳を傾けた。
「まず、今回の夜の大運動家は去年とは大きく異なる点がある」
環先輩がゆっくりと語りだす。テント内の神妙な空気感が外の騒乱を遠くする。
「去年と今年の違い……去年参加していない俺にはちょっと」
他の去年不参加者も同様に首を振る。
「今年と去年の違い、それは文化系を混在したチームの極端な減少だ」
「ああ、それなら聞きました。知音先輩がおっしゃっていたので」
そう言って知音先輩の方を見る。
しかし、知音先輩は意外にも話には参加せずこちらに背を向けていた。理乃ちゃんも一緒だ。何か違うことをしているようだ。ただ、空気から聞いてはいることがわかる。ただもう一つのことに意識を集中していて、特に俺の言及に対しての反応はない。
「この話を続ける前に、そもそもこの夜の大運動会の目的について話さないといけない」
「目的ってたんにお楽しみイベントじゃないんですか?」
天宮が少し間の抜けた質問をする。しかし、正直言って俺も同じことを考えていた。
「お楽しみイベント……まあ、確かに遠からずだ。運動部にとってのお楽しみイベントという意味でね」
「先輩、皆さんも疲れているので端的に」
環先輩の身長な話し方に、文乃さんが催促を入れる。
「すまない。じゃあ、今回の件を考える上で重要な背景について話そう。いいかい、今の一年生は知らないかもしれないが、前立高校の全ての運動部の大会実績は昨年、いや正確には今年の春に下落傾向にある」
「昨年……今の生徒会が成立してからですか?」
少しずつ、話の筋が見えてきたかもしれない。
「ああ、単純な話だよ。部活の強制加入制度、この煽りを最も受けるのは運動部だ。理由はわかるね?」
「比較的、場所に拘る必要がなく活動もまちまちな文化部に対して、コートの数やグラウンドの広さで制限の多い運動部にとって人数の極端な増加は致命的……」
「ああ、そうだ。生徒会も予算の増額や外部の練習場を確保したりして対策はしているが、それでも限界はある。何より極端に増えた人数の統制、意思統一、モチベーションの維持は至難の技だ。多くの部員が不満やストレスを溜め込んでいるのが現状だ」
「そんな状況なら部の成績が落ちるのもわかります」
天宮の言う通り、その状況ではいくら強い選手がいても満足に練習できないことは想像に容易い。
「そして、逆に文化系の部活はかなり成績を上げた。元々進学校である前立高校だ、人材が増えればそれだけいい作品、研究が生まれやすい。そして、場所も最悪、自宅で代用できたり、人数増は負担にはならない」
「その状況だと、文化系と体育系の対立が生まれてもおかしくない」
「確かにそういうトラブルは多かった。運動部の子が文化部の子にちょっとした悪口とかちょっかいを出して小競り合いになったり」
恵先輩の言葉に、昼の陸上部の男との喧嘩が思い浮かぶ。あの不毛な小競り合いにもこんな背景があったのか。
「ここまで言えばわかると思うけど、この夜の大運動会は、体育会系の部活の憂さ晴らしや生徒会から体育会系部活への慰謝や機嫌どりが目的だ」
場がしんと静まりかえる。
環先輩のいうことには納得できる。この運動会の人数の多いチームや運動部があまりに有利なルールも説明がつく。
「環先輩、最初に言ってた去年との違い、文化部と運動部の混合チームの減少の話は」
「ああ、さっきは運動部の憂さ晴らしが目的と言ったが、実は去年は違ったと思う。あくまで運動部に有利なルールで彼らの機嫌をとりつつ、文化部をチームに入れると賞金が上がる仕組みを作ることで文化部と運動部の融和を図ろうとしていたんじゃないかと思う」
「しかし、それは失敗に終わり、今年では文化部をサンドバックにして憂さ晴らしすることが主目的にすり替わった……」
リレーでの俺たちへの執拗な攻撃はそれが理由か。しかし、それだと
「環先輩、それだと二種目はどうなるんですか? その目的にそぐわないと思いますが」
あのダンスはこの仮説に対する明らかな反証だ。カモフラージュという線もなくはないが。
「……それは僕にもわからない。あれは一ノ瀬くんの言う通り異色だ。帰零はどう思う?」
環先輩が帰零先輩の方を見る。心なしか目つきが鋭い。
「どうして私に聞くんだい? 私はその辺りの話はさっぱりで、今の話について行くのに精一杯だよ」
暑そうに顔を手であおいでいる帰零先輩は恥ずかしそうに笑う。
「そうか、そう言うことなら、今はいい。ただ、これを踏まえて、僕たちはこの戦いに勝つべきかどうかについて話し合うべきだ。結果によってはこの学校の体制を揺るがすことになる」
環先輩の出したあまりに重い議案に全員が押し黙ってしまった。




