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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
同好会設立編
13/251

何も言えない

 放課後。

 俺と天宮は山の麓に来ていた。

 近くの駐輪場に自転車を停める。今日は最初から一緒に来るつもりだったようで普段は歩きの天宮も自転車で通学していた。

「ここから少し登るけどついて来れそうか?」

「はい、こう見えて運動神経はいいんです」

 天宮が力こぶを見せるように腕をあげる。

「いいか、くれぐれも下品なのは無しだからな」

「何回言うんですか、わかってますよ」

 本当に大丈夫だろうな。

 正直のところ、日々の疲れを癒すオアシスとなっているこの場所に、こいつを連れてくることには抵抗がある。

 しかも来る前に「綾乃先輩も連れて行きます?」なんて言いやがった。あんな日本の産んだ変態モンスターを千春と俺のユートピアに連れ込むわけにはいかない。

 俺にはこの変態開拓者たちから未開拓の自然を守る使命があるのだ。

「千春さんとちゃんと話すのは初めてです。なんだか緊張しますね」

「お前でも緊張なんかするんだな」

「もちろんしますよ。私、結構緊張しやすい方なんです」

「そうか。ならそのままずっと緊張していてくれ」

 いやこいつの場合は緊張状態だと何をしでかすかわからないな。

 俺との初対面の時も完全にあがりきって、初手で轟音おほ声かましてたからな。

「まあ、俺が間を取り持つから、そんなに身構えないでいいぞ」

「わかりました! ありがとうございます。」

 それから俺と天宮は無言で山を登る。今日は曇っていて非常に蒸し暑いため、途中で何度も汗を拭いた。

「天気は大丈夫でしょうか? 山の中で雨が降ったら大変ですよね」

「今日は降らないらしいぞ。確か明日が雨だったはずだ」

 そんな会話をしているといつもの川沿いに着いた。そこにはすでに千春がいる。

 俺は手頃な石を拾って、川に投げ込む。これが俺と千春の合図になっていた。

「ああ、律。それに天宮さん?」

 千春は録音機を止めてこちらを見る。

「悪いな、あらかじめ伝えとくべきだったか」

「よかよ、別にこの山も私のものってわけじゃなかけん」

 笑って言いながら千春は首を振った。

 それから天宮が俺の後ろから一歩踏み出して挨拶する。

「こんにちは、千春さん。今日はお邪魔して申し訳ありません」

「よろしくね天宮さん」

 滑り出しは順調だ。

「ここ、とってもいい場所ですね。普段はここで山の音を録っているんですよね?」

「うん。……ここは色々な音が録れる」

 出会ったばかりの時の話し方になっているな。

 あくまで推測だが、千春は人と話すときに方言が出ないよう推敲してから喋っている。だから口数が減り、寡黙な印象を受ける。教室でクラスに馴染めていないのもそこに原因があるのかもしれない。

 俺とは慣れてきて普通に話してくれるが、天宮相手だとまだ厳しいか。

「いつもはここでどんな風に過ごされているんですか?」

「適当に話したり、話さなかったりだな」

 天宮は適当な場所を見つけて座る。あっそこは俺の席なのに。

 仕方なく、別の場所を見つけて座る。

「今日はですね、面白い先輩と会ったんですよ」

 天宮が距離を縮めるためか世間話を切り出す。

 おい、天宮まさか綾乃先輩の話じゃないだろうな。

「その人、実は対○忍の末裔らしいんでふがっ!」

 天宮の口を塞ぐ。

「おい、そういう話はするなって言ったよな」

 千春が汚れたらどうするんだ。というか、こいつの中で綾乃先輩が対○忍であることは揺るがないんだな。

「へふにいいへしょう」

 口元を抑えられながら天宮がフガフガと話す。やめろ、俺の手にめちゃくちゃ唾液がついてるんだが。

「ぷはっ。いいじゃないですか、いずれは一緒の部活になるんですから」

 天宮が俺の手を引き剥がしてから言う。

 俺は黙って手を拭く。

「あっ、すみません。なんというか言い方がよくなかった気がします。別に無理に入れと言うわけではなく」

 天宮があたふたと弁解している。

 俺が横から色々言うよりもこうやって少しずつ自分で距離を縮める方がいいだろう。天宮はそういった気遣いができないやつじゃない。

 そこで千春が笑いだす。

「天宮さんって思ったよりも普通の人なんやね。律から聞いてた話とちょっと印象違うかも」

「えっ! 律さんはいつもどんな話をなさっているんですか」

「聞きたか?」

「はい、聞きたいです」

 それから二人のガールズトークが始まった。どうやら俺のフォローはもういらないらしい。男の俺は隅の方でダンゴムシを観察しているしかない。

 前にもこんなことあったな。律花の時か。天宮のやつ、あれでいてコミュ力は高いからな。

 そして、それは千春もだと思う。

 千春は話してみると明るい普通の女の子だ。少なくとも教室の端に一人でいるようなやつではない。ただ、彼女の中の何かが今の教室での状況を作っている。

 この状況を変えてあげたいと思うのは俺の勝手だろうか。

「千春さんは何がきっかけでASMRにはまったんですか?」

 それは俺も気になる。

「私は中3の終わりにこっちに引っ越してきたとやけど」

 中3の終わり?受験期に越したのか。

「東京の空気にも慣れんし、こっちで上手くやれるかもわからんくて不安で」

 俺も天宮も慎重な面持ちになる。意外と踏み込んだ質問になってしまった。

「眠れん生活ば送っとる時に、環境音ASMRと出会ったと。それを聴いてたら眠れるようにもなったんよ」

 場が静まり返り、川の流れる音だけが響く。

 ここだけの話、俺もASMRにはまったのはストレスが原因だったりする。

 勉強中にリビングから聞こえる両親の声をシャットアウトするために使い始めたのがきっかけだ。

 それから紆余曲折あって成人向けASMRにまで手を出すのだがそれは別の話だ。俺はその道の先輩として千春がそうならないように導かなくては。

「あんまりしんみりせんで」

 千春が場をなごますように笑う。

「ああ、すまない」

 何か気の利いた言葉があればいいが、思いつかず当たり障りのない返しになる。こういうとき、漫画やアニメの主人公が羨ましい。

「ちなみに天宮さんがASMRにはまったきっかけは何なん?」

 天宮がちらりとこちらを見る。

「これは言ってもいいんでしょうか」

 ここで言うか悩むなんて、お前は一体どんなきっかけではまったんだ。

 とりあえず、手のポーズでNGを伝える。お前が悩むレベルならモザイク必須の下品なエピソードに違いない。

 ーポタッ

 手の甲に雫が乗っている。雨が降り始めた。

「本降りになる前に帰るか」

 どうやら、雨が早まったらしい。今日は降らない予報だったが。まぁ、天宮の話がうやむやになったのはラッキーだ。

 俺達は慌てて帰り支度をする。 

「今日は送らんでよかよ。時間もそんなに遅くないけん」

 山を降りたあと、千春が俺に言う。

 最近はずっと千春を家の近くまで送るのが恒例になっていた。

「そうか?まぁ、いいけど。気をつけてな」

 俺は自転車に足をかけながら手を振る。

 少し前方で同じように自転車に乗った天宮が手を振っている。

「よかね、律には居場所があって……」

 去り際、千春が小さく漏らす。

 その時、俺は気づいていないふりをすることしか出来なかった。

 降り始めた雨に濡れたそ千春の顔を俺はおそらく一生忘れない。

 

 翌日、朝から大雨が降った。都会らしい蒸し暑さと空気の澱みが生む嫌な天気だった。

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