第一種目(6)
「千春! 頑張れ!」
怪我をしている千春はお世辞にも速いとは言えない。怪我をして倒れていた時間のロスもあるため、もう一周して後続が迫っている。ここで追い抜かれたらその時点で5周差、敗退だ。
「千春さん! 頑張って!」
千春はもうすぐゴールする。しかし、後ろもすぐに追いつく。およそ5秒。
「ASMR部敗退のかかったデッドヒート! 先頭は陸上部! やはり速い! 速い! みるみる差が縮まってーーー」
「千春!」
陸上部の女子と体が重なる。と同時にバトンが綾乃先輩に渡った。そして、言うまでもなく綾乃先輩が他の追随を許さぬスピードでぶっちぎったが
「これは!?」
運営の方が騒がしい。さっきの千春の判定だ。
「千春さん!」
そして、それを待つよりも先に千春に駆け寄る。トラックから出た瞬間に膝をついた千春は呼吸も途切れ途切れだ。救護箱を持った文乃さんが必死に手当てをしている。
「ハア、ハア、順位は!? レースはどうなったっと!?」
「千春さん! 今はじっとしてください!」
「レースは!?」
「レースは……」
天宮が運営の方を見る。そして、放送席の四ノ宮さんを見る。あっちも確認が終わったようで、九重さんと共に席に着いた。
「タッチの差、ギリギリのギリ! 半歩の差で村上千春選手が先行! ASMR部、脱落の窮地を寸前で回避! すごいですね、九重解説」
「ええ、そうですね……」
「よしっ! 千春! 問題ない! 大丈夫だ!」
「そう……」
そう言って千春は目を瞑る。
「千春っ!?」
「大丈夫です、一ノ瀬さん。ゆっくりさせてあげてください」
文乃さんが俺や天宮にそう呼びかけた後に千春をゆっくりと横にする。しかし横になった千春は苦しそうに呻きながらも重たい瞼を弱々しく開けてこっちを見る。
「律さん、ここは別の言葉を」
「そうだな。千春、あとは大丈夫だ。任せろ」
「ならよかった……」
そして今度こそ千春はひと時の休みに入った。
「ASMR部、速いっ、しかし差は以前変わらず! ここから逆転できるのか!?」
この間にも綾乃先輩が走り続けている。そして、バトンが御園先輩に渡る。ここからはまさにあっという間だった。俺や恵先輩、綾乃先輩がバトンを繋ぎ、差をどんどん縮める。その間にも小賢しい妨害はあったが誰も物ともしない。
「規格外ですね……これはもう止まらない!」
四宮さんの言う通り、もはや俺たちを止めるものも止める隙もない。そして、ここで目の前の敵を追い抜き、俺たちは再び一位に返り咲いた。
「ASMR部! 何度も何度も!」
「あっお前は」
追い抜いた一位の相手を見ると見覚えがある。千春を転ばせた陸上部のキャプテンだ。そうか、走るのに必死で気づかなかった。
「もう一回、転んどけ!」
接近して俺に足をかけようとする。それを軽々とジャンプで避ける。恵先輩の抜刀に比べればなんと言うことはない。
「じゃあな」
足は掛けない。あいつと同類にはなりたくないから。だから相手のバトンを思いっきり後方へと叩き飛ばした。
「おまえっ」
そうしてここから最後の5周、本当のレースが始まる。
俺がバトンを綾乃先輩に渡したことで、最後の5周が始まった。内訳は綾乃先輩 2周、俺、恵先輩、御園先輩が一周ずつだ。
「律くん、大丈夫? 休んで!」
「ハァハァ、大丈夫です。あと1周ぐらいなら走れます」
これからある4種目を考えて体力を温存したいと言っておきながら、この体たらくだ。まあ、もう1800mを全力で走っているから当然だ。全く息切れしていない綾乃先輩がおかしい。
「律さん、これ飲んでください」
「ありがとう」
天宮から手渡されたドリンクを飲む。おかげで少し落ち着いた。戦況を見る。
「意外と差がないな」
「当たり前です。いくら綾乃先輩でも合計2km以上を走ってますから」
「あの人ならそのぐらい平気な気もするが」
すると、後ろから人が近づく。
「一ノ瀬ちゃん、それはね、今回の種目で私たちは一位を取るつもりがないからだよ」
「知音先輩、それはどういうことですか?」
俺の疑問に答えたのは後ろから現れた知音先輩だった。
「この最初のリレーは脱落が下位2組、そして上から順にポイントが入る。最後はそのポイントで優勝を決めるんだ。ここまで言えば、聡い一ノ瀬ちゃんならわかるだろう?」
「一位になると、これから先の種目で他のチームに狙われる」
今回のリレーで差をつけた俺たちが集中砲火に合ったのと同様、そうなるのは必然だ。
「それがあるなら教えてくださいよ。全部、全力で走ってましたよ」
「いや君に伝えたんだけど、聞かなかったじゃないか。千春ちゃん転ばされてブチギレてさ」
「それは……すみません」
言われてみれば、そういう話があったような、なかったような。
「あっ次は僕の番だ。行くね」
「あっ恵先輩、頑張ってください!」
手をひらひらと振りながら恵先輩が行く。しかし、ここまでの戦いはだいぶ大人げなかった。
千春からバトンを受け取ってからは綾乃先輩、恵先輩、御園先輩が高速で走りつつ周りを、特に陸上部チームを執拗に攻撃した。俺は追いつくのに必死でさっきのバトンを弾いたぐらいしかしていないが、それでだいぶレースがもつれた。
「知音先輩は去年、参加したんですよね。次の種目とかわからないんですか?」
「第一種目の時点で去年と違うから何とも。まぁ私たちは第一種目ですぐ脱落したから一緒でもわからないんだけど」
「へー、なら何で今年も参加したんですか?」
素朴な疑問。今年の参加チームに文化系の部活はほとんどいない。俺たち含めて3チームだ。しかしその2チームは現段階で敗色濃厚、おそらく脱落はその文化系2チームだ。
「なんでって報酬が美味しいからだよ。ダメ元ってやつ。まぁまさか一ノ瀬ちゃんのASMR部がこんなに強いとは。ラッキーだね、これなら勝ち目がある」
「でも先輩。4部活で1チーム、部費アップ計100万となると、山分けで約25万。確かに少なくはないけですけど、怪我の危険もかなりありますし参加するほどには」
知音先輩達が俺たちASMR部の実力を知ったのはこのレースが始まってからで、帰零先輩以外は綾乃先輩達の実力を当てにしたのではない。
見ると、下位の文化系2チームも多かれ少なかれ怪我をしている。いざこざに巻き込まれたのだろう。にしても怪我し過ぎな気もするが。
「一ノ瀬ちゃん、何言ってるの? 賞金は計100万じゃないよ」
「? どう言う意味ですか?」
知音先輩が心底、不思議そうにしている。
「文化系の部活が勝利した場合はその部活に300万円だ」
「えっ!?」
知音先輩の顔はそんなことも知らずに参加してたのかと言わんばかりだ。
「だから去年はチームに文化系部活を入れて、最後のチーム内戦で文化系部活に勝たせて山分けの賞金をかさ増しするチームが多かったんだ。そして実際、そうなった。ただ過程で文化系部活が足を引っ張りすぎて今年は文化系をチームに入れてるところはないみたいだね」
「ってことは俺たちが勝ったら、部費約75万……」
これは美味しいが、美味しすぎる。それに何だか違和感がある。大会中ずっと。これが何かはわからない。風紀委員会の時もこういう感じがあった。ピースが欠けている感じ。
「知音先輩、何か言ってないこととかありますか?」
その違和感から口をついて出た言葉。知音先輩は自身右手の親指と人差し指を擦り合わせて、それをじっと見ている。そして
「言ってないことは……ない。今のところは」
「今のところは?」
「昔から勘が良くてね。環くんのお墨付きだ。まぁ、勘で論文を書くなと怒られてるんだけど。けど、それは今はよくて。私がずっと感じてるのはね悪意だよ」
「悪意?」
「うん。上手く言葉には出来ないし、誰のどんな悪意かもわからないんだけどずっと悪意を感じる。嫌な予感もする。一ノ瀬ちゃん、君はその中心にかなり近いところにいると思う。気をつけてね」
いつも軽薄そうな知音先輩がいつになく真剣だ。悩みながら紡ぎ出すように俺へ忠告をくれる。
「さぁ、いつまでそんな顔してるんだい? もう最終レースだ。元気に行ってきなよ!」
背中を思い切り叩かれる。おかげでもう一度、レースに集中できた。
俺は皆ん応援を背に受けて、最後のスタートラインに立つ。後ろでは後続と少し差をつけて綾乃先輩が走ってくる。俺で調整できるように配慮したのだろう。この人は本当に優しい。バトンを受け取る姿勢に入り、進むべき前を向く。
「一ノ瀬……律。簡単に勝てると思うか……?」
冷や汗が出る。ああ、本当だ。どうして忘れていたんだ。この人がまだ出ていないじゃないか。
「桜木先輩、お手柔らかにお願いしまー
「無理だ」
「ーー!?」
桜木先輩の拳が地面に高速で入り、辺り一面が砂塵に包まれた。その中で
「すまん」
「ちょっ!?」
空気を裂く音。来る、まずい! 後ろに大きく跳ぶ。
重い破裂音、その後に防いだ腕が爆発したと思う衝撃。後ろに吹き飛ぶ。
後頭部に柔らかい感触。
「一ノ瀬君っ! 大丈夫か!?」
「おっぱい先輩!!」
「誰がおっぱい先輩だ!?」
いけない、後頭部の物質に気を取られておっぱい先輩を綾乃先輩と呼んでしまった。違う、逆か。
というかまずい、それどころじゃない。後ろに吹き飛んだ俺を綾乃先輩が受け止めてくれたから怪我は少ないが、そのせいで他のチームが遥か前に出ている。この距離、追いつけるか!?
「一ノ瀬君、私はバトンを渡してしまったから何も出来ない。だからポケットを探れ。あまり無茶はするなよ」
ポケットを触ると丸い球が入っている。そこには"爆"と書かれていた。なるほど、この状況でこれを渡して無茶するなとは無茶を言う。
「ありがとうございます綾乃先輩」
時間がない。俺は足元、やや後方に爆弾を投げた。




